第二十九話 ララディの想い
「ふー。やっと、行ったですか……」
モゾモゾと動いて、荒んだ目をするララディ。
はあ、とため息を一つ吐く。
せっかく、マスターと密着して心地いい眠りにつけていたのに、マホが騒いだせいで台無しだ。
あのとき、マスターの穏便に済ませようとする雰囲気を感じ取らなかったら、植物の養分にしていたところだ。
マスターと自分の絆の深さに感謝しろと、心の中でマホに言いつけるララディ。
「マスターのせいじゃないです。あの魔法使いが、ギャアギャアと喧しかっただけです」
マスターは申し訳なさそうに自分を見て謝ってくるので、慌てて否定する。
マスターは何も悪くないのだ。
悪いのは、精神的に弱っていた面倒くさいマホである。
だが、マスターが自分のことを考えて謝ってくれたことが嬉しくて仕方ないララディは、マスターの身体に顔をグリグリと押し付けてマーキングする。
先ほどのマホが、何やら危ない雰囲気を醸し出していたためである。
戦闘力的にはまったく相手にならないが、マスターはマホを殺すことをなるべく避けたがっているため、こっそりと消すことはできない。
『救世の軍勢』のメンバーほど鬱陶しくなく、面倒でもないが、これからどうなるかはわからない。
「それにしても、まさか勇者パーティーが異世界から来たなんて思いもよらなかったです。だから、急に現れたんですね」
ララディはもぞもぞと体勢を変えて、体育座りをする。
抱き着くのも凄く楽しいのだが、抱き着かれるのもまた格別なくらい気持ちがいいのだ。
マスターには後ろから抱きかかえるような形になってもらう。
鬱陶しく思っても仕方ないだろうに、優しいマスターはララディを優しく包み込んでくれるのであった。
その幸せをはふうっと噛みしめながらも、ララディは先ほどマホの話を盗み聞きして知った衝撃の事実を呟く。
勇者たちがいったいどこから現れたのか、『救世の軍勢』の情報網をもってしても分からなかったのだが、異世界から来ていたのなら納得だ。
ありとあらゆる勢力にパイプをつなげている『救世の軍勢』だが、流石に異世界にまでパイプは届いていなかった。
「あれ?マスターは知っていたですか?」
マスターが知っていたという風に言うので、ララディは目を丸くしてしまう。
もう一度聞くと、マスターがニコニコと微笑みながらまあねと頷く。
さらに、驚くことにマスターは先代の勇者のことも知っているらしい。
彼が言うには、先代の勇者も異世界から来ていたということだ。
「……先代の勇者がいたのって、確か魔族と人類の対立が激しかった100年ほど前のことですよね?」
ララディはアナトによるクソつまらない授業の内容を、何とか脳の奥底から引っ張り出してきた。
話からすると、マスターは少なくとも100年以上は生きているということになる。
彼は自分のことを人間だと主張するが、寿命がよくて80年、悪ければ50年の人間が100年も生きていられるだろうか。
それも、こんなにも若々しい姿で。
だが、ララディに……『救世の軍勢』のメンバーにとって、マスターが人間であろうがなかろうがどうでもいいことだ。
マスターであれば、それでいいのだ。
「……今の顔、すっごくキュンキュンしたです!マスターがいったい何歳なのかとか、疑問も吹き飛んじゃったです!」
マスターが昔を懐かしむようなはかない笑顔を浮かべるものだから、ララディは我慢できなくなってしまった。
ワッと抱き着き、はふはふと彼の匂いを嗅ぐ。
胸の奥どころか、女にとって最も重要な下腹部までキュンキュンしてしまったが、ここにはマスターとララディしかいないのだ。何も問題あるまい。
「(はっ……!これはララの腹案である『あの作戦』を実行するときですか!?)」
ララディはくわっと目を見開きながら、長い間腹の中に隠してきた作戦を思い浮かべる。
それこそが、マスターとずっと二人きりでイチャイチャするための作戦。
『マスター拉致監禁作戦』、通称『R作戦』である。
Rには、ララディの頭文字と拉致を重ね合わせた意味が込められている。
作戦内容は至極簡単。マスターを捕まえて誰にもばれない場所に、二人でずっと退廃的な生活を送るというものである。
まず、マスターを捕まえるということだが、これは案外簡単だ。
マスターはとても優しくて慈悲深いため、ララディが頼めばどこでも付いてきてくれるだろう。
問題は、誰にもばれない場所ということだ。
マスターがふっと姿を消したら、間違いなく『救世の軍勢』のメンバーは血眼になって探すだろう。
しかも、ララディと一緒に消えたとなれば、マスター捜索とララディ暗殺部隊が組織されるに違いない。
ララディとしても他のメンバーと殺し合うくらいわけないが、1対8は分が悪い。
「(ふふん。でも、ララにはとっておきの場所があるです)」
ララディは勝ち誇る笑みを見せる。
他のメンバーが絶対にわからない場所を見つけさえすれば、戦闘を行う必要もないのだ。
そして、ララディにはその手段があった。
それは、超巨大な花を召喚し、閉じられた花弁の中でマスターと生活をするというものだった。
さらに、その花を地中深くに潜らせればもう完璧。絶対にばれないだろう。
クーリンやソルグロスはそれでもマスターを見つけられそうだが、二人くらいならララディが始末してしまえばそれでいい。
こうして、完全なるマスターとララディの文字通り二人だけの世界が完成するのである。
そして、いくら誘惑してもまったく乗ってこないマスターも、うら若き乙女と密着した空間に何日もいたら、その気になってくれることは間違いない。
ララディは中身が色々な意味でぶっ飛んでいることさえ除けば、容姿がとても整った可愛らしい美少女である。
王に側室として迎えられてもおかしくない彼女が、狭い空間で誘惑を何日も続ければ、必ずうまくいくはずだ。
「(んんんん……っ!ちょっと、ヤバいかも……です)」
そんな未来を想像してしまったものだから、ララディの身体は酷く興奮してしまった。
目はドロドロに溶けているし、その危ない目でマスターをじっと見上げる。
頬は自然と紅潮するし、息も荒くなる。
「(……今なら、できるんじゃないですか?)」
ララディの頭の中に、危険な選択肢が生まれる。
今なら、いかなる邪魔も入らないだろう。
気配を探ってみても、『救世の軍勢』メンバーの気配は一切感じ取れない。
普段からマスターをストーカーしているソルグロスの気配も、どういうことか感じられないのである。
『潜入』が思っている以上に伸びているのか?
いや、無駄に能力だけはある奴らのことだ。何か、よからぬ企みをしているに違いない。
ララディは自分のことを棚に上げて、そう殺害対象を評価した。
なら、やはり今こそ『マスター拉致監禁作戦』を実施する時だ。
「(ごめんなさいです、マスター。ちょっとだけ、我慢してほしいです。ら、ララのことは好きに……本当に色々と好きにしちゃっていいですから!)」
マスターに心の中で謝って、くわっと彼を見上げるララディ。
能力を発動して、巨大な花を召喚しようとしたその時だった。
「え……?」
マスターが、空が綺麗だと呟いた。
ララディもつられて見ると、星々が綺麗に輝いて夜の世界を見下ろしていた。
こういった光景を見るよりもマスターを見ていたいララディはそれほど大した感慨を抱くことはなかったのだが、マスターは違ったようだ。
夜空を見上げて、子供のような無邪気な笑顔を見せている。
「……はふぅ」
そんな彼を見て、ララディは能力の使用を取りやめた。
『マスター拉致監禁作戦』を発動すると、地中にもぐりこんでしまうためにどうしても空を見上げることはできなくなってしまう。
もし、それでマスターが悲しんでしまったら、ララディは死にたくなってしまうことは間違いない。
いくら、二人で閉じられた世界を構築したいと思っていても、それをマスターが望まなければ意味がないのだ。
二人でイチャイチャするために拉致監禁をしようと考えているのに、マスターがその気になってくれなければイチャイチャもくそもない。
「マスター、もっと近寄ってもいいですか?」
ララディはそう言うと、マスターはこれ以上どうするのといった目をする。
すでに、ララディは体育座りでマスターと密着しており、これ以上近寄ると言われてもマスターにはまったく見当がつかなかった。
とりあえずといった風の了承を得たララディは、ずずいとさらに寄り、小ぶりなお尻をマスターに押し付けるようにしてグリグリと姿勢を探る。
そして、ようやく納得できる体勢になったので、ララディはマスターにもたれかかりながら紋章の入った右頬を彼に押し付ける。
先ほどまで勇者パーティーがいたため隠していたが、本来ならこれを誇らしげに示したいのだ。
自分のいるギルドには、マスターがいるんだぞと強く主張したい。
だが、今はまだその時ではないとの判断が、マスターが蚊帳の外に追いやられている定例会議で決まっている。
今はまだ我慢だ。
それに、『あのプレゼント計画』はそろそろ始動する。
もうすぐ、世界に『救世の軍勢』とマスターの名が轟く日が来る。
その日まで、もう少しの辛抱だ。
「マスター。あの夜空も、ララも、いつか差し上げるですからね?」
ララディは艶やかな笑みを浮かべてマスターを見上げる。
今は、マスターと二人きりで過ごせるこの時間を楽しもう。
『マスター拉致監禁作戦』のことは、『プレゼント』をしてから考えればいい。
そう思いながら、ララディは身体を全てマスターに預けるのであった。




