第二百七十話 感想と事件
僕とクランクハイトは、あの本屋に行った日から何度か市場の様子を見て歩き回っていた。
今のところ、彼女が言うように何かおかしな事件が起きたことはない。
まあ、小競り合いは毎回見つけられるのだけれども、それはエヴァン王国でもあったことだ。
それ以外のおかしなことはなかった。
僕も魔王としての書類仕事が山積みだったため、それほど時間をかけて見て回れなかったせいもあると思うけれど……。
そして、今日も市場にやってきたわけだけれども……。
「…………はぁ」
クランクハイトは毎回付き添ってくれているんだけれど、最近は元気がない。
一生懸命書いた本を、誰にも見てもらえなかったからだろう。
でも、彼女にこんな顔をさせるのは今日が最後だ……と思う。
僕はクランクハイトに、彼女の書いた本を読んだと伝えた。
「えっ……!?」
すると、驚いた表情を見せる。
まあ、誰も読めない呪いの書なんて言われている本だからね。
「よ、読めたの……?」
僕はコクリと頷く。
娘のように思っている子の書いた本が読めないなんて、マスター失格だ。
何度か意識が遠くなりながらも、全て読むことに成功した。
『あれはなかなか壮絶だったねー』
頭の中に、そんな陽気な声が届いてくる。
フラフラと気ままに世界を旅しているリミルだ。
『僕は直接見たわけじゃあないのに、マスターに音読してもらっただけで意識が持って行かれたからね。間違いなく、呪いの書だよ』
そ、そのことはクランクハイトには言わないでね。傷つくだろうし。
しかし、リミルを少しの間だけとはいえ気絶させることができるとは……クランクハイトの書いた本、恐るべし。
「や、やっぱり、ま、マスターは特別なのね……。そ、それで……ど、どうだった……?」
おずおずと聞いてくるクランクハイト。
面白かったよ。いや、本当に。
これは、彼女を落ち込ませないように嘘を言っているというわけではなく、面白かった。
ただ、全体として陰鬱とした空気が漂うものであり、致命的な欠点として何故か呪いをかけようと本が襲い掛かってくることが問題かな。
うん、これは深刻だ。
「ほ、本当!?」
面白いという感想だけを聞いたクランクハイトは、嬉しそうに破顔する。
主人公が黒幕で裏から操るっていうのは、君が好きそうだもんね。
大人の女的に。
「そ、そうなの!わ、私は『傾国の悪魔』を参考にしたんだけど……!」
少し、僕が内容に触れて感想を言うと、ちゃんと読んだということが伝わったのか、クランクハイトはその話し方にもかかわらず饒舌に話しはじめた。
うんうん、やっぱり、ギルドの子たちには生き生きとしてほしいからね。
先ほどまでの落ち込んだ彼女を見続けるのは、僕の精神上良くなかった。
「はふー……」
ひとしきり話して満足したのか、ご満悦そうに額を拭う。
そうそう、これは大切なことだから伝えたかったんだ。
面白かったから、本を書くことは止めないで頑張ってほしいと思う。
「う、うん。ま、マスターに見てもらえるだけで、わ、私は幸せだから」
読者が一人だけというのは、少し寂しいけれどねと苦笑する。
いざとなれば、アナトに頼んで呪いを解呪してもらえばいいし。
「…………そ、それは本当に最後の手段ね」
心底嫌そうに顔を歪めるクランクハイト。
……『救世の軍勢』のメンバー間での交流会を、真剣に考える必要があるかもしれない。
ギルドの外に何でも話せる人を作ってほしいと思っていたけれども、まずスタート地点にすら立っていなかったようだ。
僕がギルドの未来を憂いていると……。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
甲高い悲鳴が響き渡った。
……闇ギルドのマスターとしての僕ならいざ知らず、魔王としての僕が行かないわけにはいかない。
それに、もしかしたら僕たちが探していたおかしな事件が起きたのかもしれない。行ってみようか。
「え、ええ……」
あれ?クランクハイトは面倒くさそう……。
◆
「な、なんだあいつ!?やたらと強ぇっ!!」
「襲い掛かった奴、皆やられちまったじゃねえか!」
逃げ出す魔族たちの間を苦労しながら歩いていると、そんな声が聞こえてきた。
誰かが暴れているのだろうけれど、やはり力至上主義の魔族。
警邏している人を呼びに行ったり待ったりすることをせず、自分で襲い掛かった人もいるようだ。
しかし、話を盗み聞きする限り、その攻撃は失敗に終わったらしい。
どうやら、少々面倒な相手のようだ。
人ごみをかき分けていくと、ついに誰もいない場所へと出てくる。
辺りを見ると、並んでいる出店が悉く破壊されている。
あ、血を流しながら倒れている魔族もいる。
彼らが先ほど盗み聞きした時の、襲い掛かった奴だろうか。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ!!」
そして、そんな彼らの背中に脚を乗せながら、どこかの屋台から強奪したのだろう果物を齧っている魔族がいた。
えーと……止めてもらえるかなー?
話が通じる相手とは思えないけれども、一応そんな声をかけてみる。
「あぁん?……なんだ、テメエ?」
案の定、ギロリと視線だけで人を殺せるような、鋭く冷たい目が向けられる。
何って……魔王なんだけれど……。
しかし、自分から言うのは何だかまだちょっと恥ずかしい。
だから、僕が何も言えずに苦笑していると……。
「黙りなさい、下郎」
クランクハイトがプッツンしていた。
な、何故……。
「あなたみたいな下賤な輩が、なにを魔王陛下に口をきいているのかしら?誰に許可をもらったの?」
止めて……僕、そんな大したことないから。
地位が凄いだけであって、僕は本当に何も……。
誰でも、気安く声をかけてきてくれていいから……。
「ほー、魔王ねぇ、魔王……。てか、テメエは何なんだよ。テメエこそ、俺を誰だと思ってやがんだぁっ!?」
何故か、僕を見てジュルリとよだれを垂らす魔族。
……え、カニバリズムの人ですが?ちょっと困る。
もし、色恋的な意味で僕にジュルリしたのであれば、魔王としての力を惜しみなく振るい、この世から抹消させていただく所存だ。
「あなたのことは知らないわね。私は魔王陛下から、治安を任されているものよ。だから、あなたみたいな人は見過ごせないのよね」
「あひゃひゃひゃひゃっ!そんなこと知らねえよ!俺は今楽しければ、それでいいのさぁっ!心の中で、俺を肯定してくれる声も聞こえてくるしな!!」
うわー。別に、今が楽しければ未来のことは気にしないというのは個人の自由だけれども、自分が楽しくありたいために他者を傷つけたりしたらダメだよね。
危険な薬物でも摂取しているのかな?
「声、ね。やっぱり、私の思った通りよ、マスター」
しかし、クランクハイトは僕が感じたこととは別のことを考えていたらしい。
彼女の思っていた通り……ああ、おかしな事件というやつか。
それが、この魔族だということだろうか?
つまり、この魔族は何者かに操られているということか。
うーむ……それなら、安易にこの人を殺すわけにもいかなくなってしまう。
さて、どうしたものか……。
「んんっ!?テメエ……よく見たら、良い女じゃねえか。よし、テメエに楽しいことを教えてやるよっ!!」
「あら、何を教えてくれるのかしら」
僕が悩んでいると、男は何とも下品な顔をしてクランクハイトを見た。
普段の鬱々とした雰囲気を醸し出す彼女と違って、今の彼女は自信に満ち溢れた大人の女の演技をしている。
男が引き付けられる気持ちは分かるけれど、動機も目的も不純すぎる!
ギルドの子たちが嫁に行くのは泣く泣く見送るけれども、こんな欲望垂れ流しの人には持って行かせられないぞ!
そして、クランクハイトも嘲笑うように色気のある仕草を見せる。
この子の種族的に考えれば仕方ないのだけれども、マスターは許しませんよ!
クランクハイトから放たれる濃厚な色気に、操られているであろう魔族はごくりと喉を鳴らす。
「へ、へへ……そりゃあ、男と女の楽しみと言えばよぉっ!!」
そして、猛然とクランクハイト目がけて走り出した。
目がハートでよだれを垂らすといういかにもな犯罪者。これはダメだ。
「ぶげぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
僕の魔力弾をもろにお腹に喰らって、出店に吹っ飛ぶ魔族。
うん、少し頭を冷やしてほしい。




