第二百六十五話 宿願の一端
「いやー、凄まじかったですねぇ」
この盛大な新魔王をたたえる祭りに来ていたのは、元四天王のラルディナだけではなかった。
宿願のために水面下で活動を続けるヒルデもまた、その様子を見に来ていた。
彼が思いだすのは、マスターとウロボロスの戦闘である。
「流石は魔族最強の魔王と、マスターとの戦闘。マスターが配慮していなければ、普通の者は余波だけでどれほど死んだでしょうか?まったく……闇ギルドのマスターとは思えないほど甘々ですね」
マスターを嘲笑するヒルデ。
かつて、ラルド帝国と全面衝突した時、彼にそのような甘さはなかった。
腑抜けた今、彼は自分の宿願を止めることができるだろうか?
「しかし、ウロボロス。伝説の魔物でも、マスターに大した傷すら与えられませんでしたか……。やはり、圧倒的……」
とはいえ、彼の持つ力が凄まじいことも事実なのである。
ウロボロスと言えば、伝説の魔物とされるだけあってかなりの力を持つ魔物。
それを相手にして、マスターは大した傷を負っていないのである。
まあ、魔王はマスターに本来の力を一部とはいえ引き出せただけ、今まで彼にぶつけた者たちよりもいくらか上の次元にいたというのは認めざるを得ないが。
「ですが、それくらいの方がやりがいはありますね」
魔王でも、手も足も出なかったマスター。
だが、ラルドの恨みをぶつけるには、ちょうどいい相手だ。
ヒルデの顔の笑みが濃くなる。
「さてさて、私の大切な玉は、と……」
ヒルデはここに来たもう一つの理由、それは玉を探しに来ていたのだ。
激しい戦闘によって、最初に仕込んでいた場所から随分と離されてしまったようなのだ。
宿願を果たすためにも、マスターを打ち負かすためにも必要な玉。
それをようやく見つけたヒルデの顔は、最初は笑顔、そしてみるみるうちに強張っていく。
「ば、馬鹿な……っ」
珍しく汗を流す。
仲間たちが見ていれば、本当にいつも冷静で気持ちの悪い笑みを浮かべている彼なのかと疑うだろう。
しかし、すぐに笑みに戻る。
しかし、それはどこか失意の上で出るようなものだと見て取れた。
「ふ、ふふ、ふふふふふっ。壊れている……」
その理由は簡単。玉が破壊されていたのである。
外部から攻撃を加えられて壊れたのではない。
内部から破壊されていた。
「どれほど強大な力でも吸収するはずの玉が、力に耐えきれず崩壊……?どれだけの力なんですか、マスター」
玉が力を吸収しきれずに破壊されるだなんてことは、まったく想定していなかったことだ。
ヒルデの頬に冷や汗が垂れる。
「どちらにせよ、あの闇……流石にあれを体内に吸収する気にはなれませんね。あの闇を使うまでの力は集められましたし、それで満足するとしますか」
ヒルデは魔王とマスターの戦闘を観測していたのだが、あの闇は恐ろしかった。
かつて、ラルド帝国を滅ぼしたときにもあの力は使っていたのだろうが、『あの時のヒルデ』ではあまりにも強大すぎる力に理解の範疇を越えてしまっていた。
そんな闇を、ヒルデは自身を強化するためとはいえ摂取することには踏み切れなかった。
彼ははぁっとため息を吐くと、懐からもう一つの玉を取り出す。
それは、マスターの闇が入っていない玉であった。
「くっ、ふふふふっ。そろそろ、力も溜まりました。私も行動を起こすときが近づいてきましたねぇ」
自身のパワーアップには充分。
さらに、『あれ』を復活させるための力もギリギリ足りるだろう。
彼はついに宿願を果たすために動き出す。
ニヤニヤと笑いながら踵を返そうとして……。
「あらぁ。それならぁ、どんな行動を起こすのかぁ、聞いてみたいわねぇ?」
「…………ッ!?」
他人の声に機敏に振り返る。
気配を感じられなかった。
いや、敵意や殺意にはすぐに反応するほどの力は溜まっている。
つまり、相手がそれらを一切感じさせなかっただけであり、油断していたからこそ普通に醸し出していた気配に気づかなかったのだ。
マスターのことを笑えないと、ヒルデは眉をひそめる。
振り返った先にいたのは、ニコニコと微笑む修道服を着た女だった。
彼女のことを、ヒルデはマスターを調べるうえで良く知っていた。
「あなたは『救世の軍勢』の……」
「あらあらぁ、そこまで知られているのねぇ」
ヒルデに微笑みかけるのは、『救世の軍勢』のまとめ役アナトであった。
ヒルデは警戒しながらも、彼女に笑いかける。
「何か御用でしょうか?」
「まあねぇ。というかぁ、あなた自身が一番分かっていることでしょう?」
確かに、ヒルデは良く理解している。
『救世の軍勢』のメンバーがマスターの命令以外で動くことなど、一つしかない。
マスターに関連すること。
それ以外だったら、たとえマスター以外のすべてが滅びると言われても動こうとはしないだろう。面倒だし。
「くふふっ。マスターのことが大好きなんですねぇ、あなたは」
「当たり前でしょぉ?私の生きる目的そのものだものぉ。だからぁ、あなたみたいなクズな蛆虫は放っておくわけにはいかないのよねぇ」
どうやら、ヒルデが彼女たちのことを知っているように、あちらも自分たちのことを知っているようだと悟る。
しかし、まだ彼には余裕があった。
それは、自分を問い詰めているのがアナトだということが理由である。
「おや?あなたが私をどうにかすると?失礼ですが、あなたは黒龍や真祖のように戦闘に特化しているとは言えないと思うのですが……」
そう、彼女に襲い掛かられても、ヒルデにはどうにかできるほどの自信があった。
アナトはその侮るような言葉にも感情を荒立たせず、ただコクリと頷いて……。
「えぇ。だからぁ、この子に頼んでいるのよぉ」
「私ね」
「なっ!?どこから……っ!?」
助っ人――――『救世の軍勢』の一人であるクランクハイトが現れた。
アナト個人の危機なら駆けつけない彼女であるが、マスターのためとあらば、これくらいの手助けはする。
焦った表情を浮かべて逃げようとするヒルデであったが、クランクハイトの目が怪しく光る方が早かった。
「私の玩具になりなさい」
「う、ぐ……ぁ……」
ヒルデは何とか抵抗しようとするが、クランクハイトの魔法に抗うことはできなかった。
次第に目が閉じていき、ついにはガクリと首を落とす。
その手際を見ていたアナトは、クランクハイトに向かって拍手をする。
「相変わらずぅ、幻覚魔法をかける手際はいいわねぇ」
「それしかとりえがないみたいに言わないでくれるかしら?」
クランクハイトの責めるような目を無視して、アナトは早速ヒルデから情報を抜き取りにかかる。
こういうことはソルグロスが一番得意としているのだが、残念ながら今の彼女は新魔王たるマスターに反抗意思のある魔族を殲滅しているので呼び出すことはできなかった。
「それでぇ?あなたはどんな目的で行動しているのぉ、ラルド帝国の残党さん?」
「うっ、あ……て、帝国の宿願を……果たす……」
ヒルデはブツブツと話しはじめてしまう。
アナトとクランクハイトは、聞きなれない言葉に顔を見合わせる。
「宿願?」
「『あれ』を復活、させる……。そのために……マスターの力を……集める……」
「……マスターの力をあなたみたいな残りかすの野望に使おうと?腹が立ってきたわ」
不穏な計画をヒルデは話しているのだが、クランクハイトはそれよりもマスターを利用しようとしていることにムカついた。
幻覚の無間地獄でも味わわせてやろうかと魔力を高める彼女であったが、『まだ』自制できる方のアナトが止める。
「ちょっと待ちなさい~。それはぁ、もうちょっと情報を聞き出してからよぉ」
つまり、情報を聞き出したらやってよしということである。
「その宿願、どうやったら果たせるのかしらぁ?まさかぁ、マスターの命も必要とか言うんじゃないわよねぇ?」
「マスターから必要なものは……力だけ……。触媒は別……」
「触媒ぃ?」
アナトは眉をひそめる。
先ほどから聞いていると、どうにも何か壮大な面倒なことをしようとしているようだ。
「その触媒って?」
アナトが聞くと、幻覚魔法に囚われたヒルデは答えようと口を開く。
しかし、その身体は次第に震えだしていた。
「それは…………ッ、おぉっ!!」
「きゃぁっ!?」
閉じていた目をカッと見開き、いきなり大きく後ずさるヒルデに驚く声を漏らすクランクハイト。
彼は無理やりクランクハイトの幻覚魔法から抜け出した。
その手段とは、彼が持っていたマスターの力が込められた玉を無理に体内に流し、一気に活性化させて囚われた脳を目覚めさせたのであった。
そんなことをすれば、間違いなく寿命を縮める行為なのだが、ヒルデはためらいなく使った。
そうでもしなければ、クランクハイトの幻覚からは抜けられないからだ。
「あ、危ないですねぇ。まさか、私ともあろうものが催眠をかけられるとは……不覚です」
「私の幻覚魔法が破られるなんて……マスター以外にできる人がいたのね」
目を丸くするクランクハイト。
あまり経験のないことに、少々うろたえる。
ヒルデはマスターの力を盗用しかつ寿命を代償として何とか解放したが、マスターは言わずもがなである。
「これも、マスターの力のおかげですね。それでは、失敬させていだきます。今回は、その話した情報は国盗りをしたプレゼントということで……」
ヒルデは大量の脂汗を顔中に浮かび上がらせながら、笑顔だけは浮かべて転移した。
「逃げ足は速いわね」
「…………」
ヒルデを見送ったクランクハイトは、はぁっとため息を吐く。
ちなみに、この猫かぶりはそろそろ限界である。
一方、アナトは何か考え込んでいた。
ラルド帝国の宿願。実を言うと、アナトはあまりラルド帝国のことは知らない。
何故なら、マスターがラルド帝国を滅ぼしたのは『救世の軍勢』ができる前の話。
彼はほぼ単独で世界最強だった帝国を滅ぼしているのである。
「(調べないといけないことが増えたわねぇ……)」
アナトは面倒そうに天を仰ぐのであった。




