第二百六十三話 練習
マスターとクーリンが二人並んで森の小道を歩いていた。
そのちょっと後ろには、ララディとソルグロスのコンビが続く。
現在、彼らは『救世の軍勢』のギルド本部に帰還中であった。
本来ならば、依頼を完遂したことを依頼主であるニーナに伝えに行くべきなのだが、魔王ウロボロスとの戦闘はなかなかに疲労を蓄積させた。
少し休憩してからでもいいだろうということで、ギルドに戻っているのであった。
ここにヴァンピールやリース、シュヴァルトは付いて来たがっていたが、彼女たちはそれぞれの種族を率いていたこともあって、同行は諦めざるを得なかった。
クランクハイトは猫かぶりが限界にきてしまったため、一足先に帰還している。
「あー、よかったよかった!うまくいったわね!」
クーリンはご機嫌な様子で歩いていた。
彼女が歩くと同時に、赤い燃えるような髪も揺れる。
こういう時は、大体彼女の機嫌がいい時だ。
一方、笑顔ながら悲壮感が漂うのはマスターである。
まさか、ニーナの依頼を受けたら一国の……それも、ヴァスイル魔王国というそこそこの規模の国の王になるとは思わなかった。
まあ、大概の者は想像すらできないだろう。
「サプライズプレゼントよ!驚いた?」
嬉しそうに笑いかけてくるクーリンに頷く。
嫌な方で驚いた。とんだサプライズプレゼントである。
これだったら、クーリンにどこか一緒に外出を提案される方が、全然マスターは心の中でウキウキになっていただろう。
しかし、今の彼女の発言を聞いても分かるように、彼女はマスターを困らせようと考えていることは微塵もなく、本当に心の底からマスターに喜んでもらいたいと思って行動しているのである。
それを見て、ギルドメンバーに甘々なマスターが、本当の気持ちを口にできるはずもない。
「んふふー、でしょでしょ?本当は、もっとすごいプレゼントをしたかったんだけど、今すぐにはちょっと無理っぽいから先に簡単なものでもプレゼントしちゃおうと思ったのよ」
もっとすごいプレゼントって何?
マスター、戦慄する。
今でさえも、どうやって魔王となることを回避するかと必死に頭を巡らせているというのに、これ以上すごいというプレゼントが送られたら、彼の胃は穴が空くどころか消滅しかねない。
傍から見たらとても和気藹々としている二人を、後ろから嫉妬混じりのドロドロとした目を向ける者たちがいた。
同じ『救世の軍勢』所属のララディとソルグロスである。
「うむむ……面白くないでござる……」
ソルグロスは、唯一露出している目を半目にしながら、羨ましそうにクーリンを見ていた。
「分かるですよー、分かるです」
「ララディ殿」
それに、うんうんと頷いて同意するのはララディである。
おぼつかない足取りであるのに他の者たちの歩調にあわせられているのは、マスターが彼女を思いやってゆっくりと歩いているからである。
クーリンもゆっくりと歩くことでマスターと長くいられるので、とくに不満もない。
ちなみに、もしマスターが普通の速度で歩いていたら、クーリンとソルグロスは何のためらいもなくララディを置いて行く。
そんなことを考えながら低身長のララディを見ていると、キラリとその目を光らせた。
嫌な予感がして、ソルグロスはびくりと身体を震わせる。
「だから、牛乳には多少恥ずかしい思いをしてもらうですよ」
「……え?まあ、それはいいでござるが……どうして拙者に近づいてくるんでござる?ちょっ……やめっ!?」
クーリンに羞恥を与えるというのは大賛成だが、どうしてか怖い顔をして近づいてくるララディに後ずさる。
しかし、最初から逃げに徹していたならばまだしも、あまりにも彼女との距離が近すぎた。
ソルグロスはララディによって捕まえられてしまった。
「ねねっ、嬉しかった?」
そんな後ろの二人に気づかないマスターとクーリンは、仲睦まじく会話を続けていた。
クーリンは親に褒めてもらおうとする子供のように、ニコニコと笑って彼を見上げる。
「あたしもさ、あの時にマスターに助けてもらったこと、凄く嬉しかったのよ。結局、そのことで大した恩返しもできていなかったから、これで少しは恩を返せたかなって思うの」
マスターは随分と気の滅入った様子だったが、クーリンが穏やかな笑みを浮かべてそんなことを言ったので目を丸くする。
そして、恩返しなんて必要はないと告げた。
確かに、過去マスターがクーリンを救ったのは事実だ。
その事実がなければ、今頃クーリンが『救世の軍勢』に入ってマスターの側で笑っていられることなんてなかったのだから。
だが、あの時のマスターは別にクーリンだから助けたというわけではない。
ただ、たまたま彼女が苦しんでいる時に出くわし、気まぐれに彼女を助けただけなのだから。
しかし、偶然でも気まぐれでも、クーリンにとって助けられたことはゆるぎない事実である。
「そんなわけにはいかないわ!もちろん、マスターへの恩はこれくらいで返せないから、もっと側にいさせてほしいんだけど……」
後半、マスターを上目づかいに見てもじもじと身体をくねらせるクーリン。
彼女の性格上、ララディやリッターのように上手に甘えることができないのだ。
自分でも面倒だと思う性格であるが、マスターは決してそのように思わない。
彼は穏やかに微笑んで、いつまでもいてくれていいんだよと慈愛を込めた手で頭を撫でる。
「そ、そう……。ま、まあ、マスターはあたしがいないとダメだろうし、嫌と言っても離れてあげないけどね!」
頬をうっすらと赤く染め、嬉しそうにはにかむクーリン。
しかし、嬉しいという感情をはっきりマスターに見せるのは恥ずかしいので、彼の手から離れて少し前を歩く。
そして、それを待っていたと目を煌めかせる人物が、木の上にスタンバイしていた。
その人物……ララディは、手に持っていた何かをクーリン目がけて投げ落とす。
「きゃぁっ!?」
クーリンにベチャッと液体が付着する。
それは、ねばねばしていて生暖かく、やけに不快にさせる。
何事かと目を見張るマスターは、ニヤニヤと笑うララディを見つけた。
「ふへへっ」
「な、何すんのよ、ロリ!」
クーリンも気づいて怒鳴り声を上げる。
ロリという禁句を吐かれたことによって、ニヤニヤ顔を消すララディ。
「ロリって言うなです!ふふん、まあいいです。お前は羞恥を味わってもだえ苦しむがいいです!」
「ララディ殿……拙者を水場に連れて行ってくれでござる……」
ふはーっはっはっはっと高笑いをしてよたよたと消えていくララディ。
彼女の後ろから、体液を無理やり抜き取られたソルグロスがフラフラになりながら付いて行った。
「はぁ……何言っているのかしら、あのバカ」
自慢の髪や顔に付着した液体を地面に叩き落としながら、クーリンは気持ちを落ち着ける。
そんな彼女にマスターは大丈夫かと問いかける。
「ええ、大丈夫よ」
クーリンはそう答えるが、マスターはピシリと笑みを凍りつかせてしまう。
「……?何よ……?」
その様子を見て、何かおかしいのかと自身の身体を見下ろすクーリン。
そして、ぎょっと目を見開いた。
「きゃぁっ!?な、何よこれ……!?」
クーリンの着ていた衣服に穴が空き始めていた。
もちろん、そんな奇抜な衣服を彼女は着ていたわけではない。
別に、そんなことをしなくても、マスターへのアピールは衣服の上からでも分かるスタイルがあるのだ。
この原因は、先ほどララディがクーリンにぶっかけた液体だった。
「あ、熱っ!?こ、これってソルグロスの……っ!」
液体を脱ぎ取ろうと手で掬うと、ジュッと焼ける音がした。
それと同時に感じる熱。
クーリンは、それがソルグロスの分泌する攻撃用の毒だと気づいた。
「あんのクソロリっ!なんてことしてくれてんのよ!これ、服だけじゃなくて人体も溶かす猛毒液じゃないのよ!!」
ソルグロスと、何より彼女の液体を自分にかけてきたララディに対して強い怒りを抱くクーリン。
羞恥以上に命の危機さえ与えられているではないか。
いつか、何かしらの報復をしてやろうと、同じギルドの仲間に向けるものではないような感情を生まれさせるのであった。
なお、クーリンが爆発的に魔力を高めて身体を覆ったため、これくらいではダメージを受けない模様。
しかし、身体は守れても衣服が溶けるのを防ぐことはできなかった。
「ま、マスター!あ、あんまりジロジロと見ないでよね……」
怒りからハッと覚めたクーリンは、自分の腕で身体を抱いてマスターの視線から逃れる。
そのせいで、もっと過激な光景になっているのだが、その点については大丈夫。
マスターはすでにそっぽを向いているのだから。
娘のように思っているクーリンの裸を見ようとは、マスターは微塵も思っていなかった。
「むっ……それはそれでムカつくのよ!!」
確かに、親が子を守るようなそんな優しい庇護をしてくれるマスターのことも好きだ。
しかし、異性としても見てほしいというのも本音である。
割と自分の容姿に自信のあるクーリンは、ムッとしてマスターの顔を無理やり自身の方に見させる。
「あはははっ!マスターも一国の王になったんだから、女一人くらい御せるようにならないとダメよ!」
慌てて目を閉じようとするマスターを見て、楽しそうに笑うクーリン。
今でも、服が穴だらけになってかなりきわどいのだが、さらにその意味を失いかけている服をたくし上げて、妖艶に微笑む。
「あたしで練習、する?」
マスターは天を仰いだ。




