第二百四十話 最大の難敵
「ふふん、役得ね」
城塞都市の中にあった数少ない宿屋の一室で、クーリンはベッドの上に座ってドヤ顔を決めていた。
この部屋には、二つのベッドがあることから、二人部屋であることが分かる。
クーリンがこれほどご機嫌だということは、当然ながらその相室をする人とはマスターである。
今、彼はこれからの魔王軍との戦いについての進路や方針を偉い人と話しあうために部屋を出ている。
本当なら、マスターの側を片時も離れたくないクーリンであったが、一応彼女は元魔王軍の四天王である。
攫われて強制されていたとでっち上げておいたし、オークを撃滅するために強大な力を見せつけ、自分が利用できる存在であると示したこともあって処刑されるということはなかったが、それでも心から信頼することはできないのだろう、会議への参加は断られてしまった。
その時の、どうだと言わんばかりのララディとソルグロスのドヤ顔は非常に鬱陶しかったと言っておこう。
「まあ、マスター以外の男なんてチョロイもんよ。大体、胸をアピールすれば簡単に言うことを聞いてくれるし」
しかし、今のクーリンはとても寛大である。
何故なら、普段なら決して簡単に手に入れられないマスターと二人きりの同じ部屋で夜を越す権利を得たのだから。
もちろんのこと、ララディとソルグロスは凄まじい反論をしてみせた。
しかし、クーリンが魔王軍四天王だったということで監視が必要であり、それが可能なのは圧倒的な実力を見せつけたマスターくらいしか適任者がいないこと。
さらに、攫われていた恐怖からマスターに側にいてほしいと、リーダー的な地位の騎士たちに目を潤ませて上目づかいで見れば一発で許可が下りた。
いくら清廉潔白だとしても、騎士たちだって人間だ。
クーリンほど美しく、また色香のある身体をしていれば、それくらいのおねだりなら簡単に通ってしまう。
結果、ララディとソルグロスの、マスター以外の男に対する評価がダダ下がりしてしまったわけだが、それはクーリンにとってはどうでもいいことだ。
「このチャンスを有効に使わないとね……っ!」
重要なのは、結果である。
滅多に得られることのないこの絶好の機会。
何としてもモノにしなければならない。
「……でも、他の奴も多分皆そう思ってマスターに迫ったんだろうけど、まったく成功した様子はないわよね」
クーリンは喜んでいた表情から一変、難しい問題に直面したように顔を歪ませる。
そう。今まで、彼女よりも先に二人きりで行動することができるようになったメンバーが、少なくとも六名いるのだ。
おそらく、全員がクーリンと同じようにチャンスと考えてマスターに迫ったことだろう。
しかし、誰一人としてそれに成功している様子がない。
成功していたら鬱陶しいくらい自慢するだろうし、マスターにも何ら変化がないことから、失敗していることは確実だ。
「つまり、一番の難敵はあいつらじゃなくて、マスター……っ!」
ハッと、ようやく重要なことに気づく。
どうやら、最大の敵は恋敵ではなく鈍感・常識だということに。
「……見た目は良いと思うんだけどなぁ」
クーリンはそう呟きながら、とくに自身のチャームポイントである胸を下から持ち上げて揺らしてみる。
非常に重たい。
貧乳――――ララディとクランクハイトのことだが―――を見下せるからいいのだが、たまに重たくて邪魔に思うときがある。
見知らぬ男からも邪な目を向けられることもあって非常に鬱陶しいのだが、これで少しでもマスターの気を引き寄せられるのであれば……。
「まあ、見た目だけで落とせるんだったら、他の奴らに盗られていてもおかしくないわね」
ふっと鼻で笑って胸から手を離すクーリン。
認めたくはないが、『救世の軍勢』のメンバーは中身はともかくとして容姿に優れた者ばかりだ。
マスターが見た目で落ちるようなちょろい男ならば、とっくに誰かがかっさらってしまっているだろう。
まあ、そうなったら追いかけてマスターの見えないところでその誰かを暗殺するが。
「……このくらい鉄壁じゃないと、落とす方も面白くないしね」
クーリンはそんな鉄壁の理性を誇るマスターを相手にしても、絶望するどころかやる気をみなぎらせる。
『昔』は、自分がマスターに落とされたのだ。
ならば、今度は自分がマスターを落とすというのも悪くない。
好戦的な笑みを浮かべるクーリンがいる部屋に、マスターがノックをして戻ってきた。
「あ、マスター、お帰り。遅かったわね」
クーリンの言葉に苦笑するマスター。
魔王軍の反攻作戦の会議は割と早く終わったのだが、なかなかララディとソルグロスがマスターを帰さなかったらしい。
「あー……まあ、予想の範囲内だわ」
クーリンは怒ることもせずに頷く。
誰だってそうする。あたしだってそうする。
まあ、マスターをメンバーの所に行かせないようにするなんて『救世の軍勢』メンバーに限るのであるが。
それ以外の者が妨害をすれば、間違いなく待っているのは死あるのみである。
「ねえ、マスター。突然なんだけど……」
どうせ、何かしらの理由をつけてメンバーたちが押し入ってくるだろう。
その前に、できる限りのアピールはしておこう。
「あたしの胸、どう思う?」
――――――!?
胸元を寄せて上目づかいに見つめながら頬を染めるクーリン。
そして、笑顔のまま顔を凍りつかせるマスター。
まさに、対照的な反応であった。
相変わらず、美少女に迫られても興奮するどころか警戒し始めるマスターにムッとしながらも、じりじりとにじり寄って行く。
「結構、重たくて肩にくるのよね……(まあ、リミルほどじゃあないんだけど。あのおっぱいお化け)」
クーリンの胸の大きさは、豊かな者が多いギルドの中でも一番である。
しかし、知り合いの中で一番大きいのは彼女ではなく、ギルドメンバーではないリミルであった。
クーリンが巨乳だとすれば、リミルは爆乳。
得体の知れない女のくせにマスターと仲がいいだけでも万死に値するが、スタイルもあちらの方がいいとなるとさらに苛立つ。
しかし、今はリミルのことなんて考えたくもないし、必要もない。
クーリンはマスターへのアピールを再開するのであった。
「それに、男の視線も凄いし……」
なるほどとうなずくマスター。
しかし、なんと答えていいものかと少し悩む。
「ね、マスター。変じゃないかな……?」
不安そうに見上げてくるクーリン(演技)に、マスターはすぐに変ではないと答える。
魅力的ではあっても、決して笑われるようなものではないと。
……ここで、娘のような存在に何を熱弁しているのかと顔を青くするマスター。
「もう、それだけじゃあわからないでしょ。ほら、ちゃんと触って確かめて……?」
しかし、クーリンはそれだけでは満足できなかった。
艶美に微笑むと、マスターの手をとって自身の胸に引き寄せようとする。
また、マスターの笑顔が凍りついた。
『マスター、しっかりしなよ!僕の方が大きいぞ!』
リミルがペンダント越しにそんなことを言ってくるが、まさかの事態にマスターは硬直するしかない。
「マスター……」
クーリンは頬を赤らめて、普段の気の強い彼女をまったく連想させず、色気のあるしっとりとした女となっていた。
このギャップを見せれば男たちから大いにモテるだろうが、見せる相手がマスターに限られるので意味はない。
そして、ついに彼の手が胸に届こうとしたとき……。
『そうはさせんでござるぅっ!!』
「ぷぎゃっ!?」
クーリンとマスターがとても聞き覚えのある声が響き、彼女は首に衝撃を受ける。
誰がやりやがったのか察知するも、彼女の意識は簡単に沈んでしまうのであった。
マスターは倒れこむクーリンの身体を支えながら、その攻撃を仕掛けてきた者を見る。
それは、小さなスライムであった。
……クーリンを支える際に、手に柔らかくも張りのあるものを感じたのは無いものとする。
『ったく……油断も隙もないでござるなぁ、このおっぱいは』
小さな身体を跳ねさせながら、スライムはプンプンと怒る。
「マスター!!大丈夫ですかぁっ!?ララが助けに来たですよー!」
さらに、追い打ちをかけるように、そんな声を発しながら小さな足音がトテトテと近寄ってくるのを聞き取った。
マスターはうんうんと不快そうに唸っているクーリンをベッドに寝かせ、不慣れなのに一生懸命脚を動かしてこちらに走ってくるララディを受け止める準備に入るのであった。




