第二百二話 妹のからかい
「ばれてない……よな……?」
マスターたちがアリスの家での美味しいご飯を頂き、お風呂までちょうだいした後、この家はすっかり寝静まっていた。
アリスは、マスターとリースにそれぞれの部屋を貸し与えた。
本当のことを言えば、リースはマスターと同じ部屋がよかったのだが、そんなこと本人の前で言えるはずもない。
アリスは、せっかく客室が何部屋か空いているのだから使わなければ損だと言っていたが、それは嘘だろう。
アリスはリースを見て、ニヤリとからかうような笑みを浮かべていたのだから。
おそらく、リースがマスターと一緒の部屋で過ごしたかったことを見抜きながら、こんな悪戯を仕掛けてきたのだろう。
彼女の見立てでは、妹はマスターに対して男女の仲的な好意は寄せていないと判断されていた。
もし、そういった意識をするのであれば、姉妹同士で血みどろの決闘をしなければならなくなる。
比較的常識人のリースは、肉親とそんなことをするのは『できるだけ』避けたかった。
まあ、自分が寵愛をいただける本妻の地位に就任した暁には妾としてマスターに侍らせてやってもいいとは思う。
「ふっ……案外、私も隠密行動ができるものなんだな」
ギルドメンバーからは、ガサツ、力馬鹿、ゴリラ女と散々な悪口をいただいているリースであるが、マスターのことを思えば隠密だって可能である。
もちろん、ストーカーに能力を全振りしているソルグロスや、命じられる前に主人の望むものを用意しようとする奴隷のシュヴァルトには負けるが、アリスやマスターにも気づかれた様子はない。
どうだ、見たか。これが、リースの煩悩のための実力である。
「さて、アリスにばれる前に、さっさと行こう」
リースはこそこそと隠密行動を再開させた。
案外、アリスの邸宅は族長の住まいということもあって大きく、継続してこそこそするのは面倒くさかった。
しかし、これもすべては自分自身の欲望のため!
「マスター。私だ、リースだ。起きていたら、開けてほしい……」
マスターにあてがわれた客室の扉をトントンと叩くと、すぐに扉が開かれた。
こんな夜遅くにやってきたというのに、彼は少しも嫌そうな顔をせず、温かな笑みを浮かべて受け入れてくれた。
そのことに、心がぽかっと温かくなるのを感じながら、リースは部屋へと入れてもらう。
「そ、その……だな……」
マスターにベッドの方に誘導され、お尻をぽふりと沈める。
さて、マスターの部屋まで隠密で来られたのはいいのだが、それからの展開を何も考えていなかった。
何をしに来たのかと、彼も不思議そうに首を傾げている。
まさか、マスターに会いたくなって来ちゃった(はーと)なんてことはできるはずもない。
何も言わないリースを見て、マスターはハッとした表情になる。
そして、何か怖い夢でも見た?と聞くのであった。
「ち、違う!そんなことはないぞ!」
リースは顔を真っ赤にして否定する。
「まったく……。私だって、もう数百年生きているんだから、子ども扱いはやめてくれ」
いつまでも自分のことを子ども扱いするマスターに、リースはぷうっと頬を膨らませて抗議する。
そんな反応が子供っぽいんだけどなぁ……とマスターは思いつつも、これ以上機嫌を損ねられて嫌われてもショックで立ち直れなくなるので、口をつぐむ。
「えぇと……だな……」
リースはもじもじと身体をひねる。
否定した以上、どうしてここに来たのかを説明しなければならない。
しかし、本当のことを言うのは、やはり恥ずかしい。
こういう時、ララディやヴァンピールなら恥ずかしげもなく言えるんだろうなぁ……と、リースは割と酷いことを考える。
これなら、多少の恥を忍んで、悪夢を見たと言って一緒にいてもらえばよかったのだ。
だが、過去に戻ることは、いくら最強のドラゴンであるリースでもできない。
どうしようかと考えていた時、リースは閃いた。
「今日、商人たちを護衛していた時、マスターは私に甘えてきてもいいと言ったよな!?」
突然、頭に降ってきた良い考えに、興奮したリースは強い口調になってしまう。
マスターは驚いた表情を見せながらも、真実であったのでコクリと頷く。
「あの時は、ラスムスの邪魔が入ってできなかったけど、今それを使ってもいいだろ!?」
またもや、マスターは頷く。
ギルドメンバーに甘えられるのであれば、いつだろうとどこだろうと構わない。
「じゃ、じゃあ……今日、一緒に寝てくれ……」
しかし、リースのお願いの内容には、軽い衝撃を受けた。
まさか、しっかり者の彼女がそんなララディやリッターがしそうなお願いをしてくるとは思わなかったのである。
だが、当然嫌というわけではない。
むしろ、新たな一面を見られて嬉しいくらいだ。
なので、マスターはリースに向かって頷くのであった。
「ほ、本当か!?」
リースは嬉しそうに破顔する。
そんな反応を見られて、マスターも笑みを深くする。
寝ている途中、寝相で蹴りださないでねと伝えておく。
「そ、そんなことしないぞ!」
リースはすぐに否定したものの、有り得る未来を想像して顔を青くする。
マスターを蹴りだすだなんて、絶対にしてはいけないことだ。
今晩だけ、大人しくしていてくれよ、私の身体……っ!
そんな儚い願いを祈るのであった。
「じゃ、じゃあ、邪魔するぞ……」
リースは一度ベッドに座っていたというのに、何故か立ち上がる。
先に、マスターをベッドに寝かせて、そこに自分が入り込もうというのだ。
別に、どちらが先に入っていても構わないマスターは大人しくリースの言葉に従い、彼女がベッドに入ってくるのを待つ。
娘を待つ親の気分のマスターとは違い、リースは今まさに意中の男のベッドの中に潜り込もうとする心境である。
心臓は自然と高鳴るし、頬は紅潮する。
しかし、このような機会はギルドにいては決して得られない貴重なものである。
一応、念のためにマスターの部屋に来る前に、アリス邸の前を軽いブレスで焼き払っておいた。
液体の塊が「ござるぅぅぅぅぅっ!!」と悲鳴をあげていたが、まあいいだろう。
いざ行かん!と目を見開いてマスターのベッドのダイブしようとすると……。
――――――ギシ……ギシ……
「はっ!?」
優れた聴力を誇るリースの耳が、床のきしむ音を聞き取る。
これは、誰かが廊下を歩いたときに出る音。
しかも、それはどんどんとこちらに……マスターの部屋に近づいてくるではないか。
現在、アリス邸にいるのは自分とマスター、そして、主たるアリスだけである。
そうなると、今廊下を歩いているのは簡単に特定された。
「ま、マズイ……っ!こんなところをアリスに見られたら、数百年はこれをネタにしてからかってくるぞ!」
エルフほどではないにしても、ドラゴンだって人間よりはるかに長生きだ。
からかわれる期間というのも、人間とはスケールが違う。
リースの苦悩を知ったマスターは、一度自分の部屋に戻ることを推奨する。
別に、今日じゃなくても、いつでも一緒に寝てあげるから、と。
「う、うぅぅぅぅ……っ!!」
リースはマスターの提案に、唸り声を上げる。
優しいマスターなら、自分のことをいつでも受け入れてくれるだろう。
そのことに関しては、一切心配していない。
彼女が不安に思っているのは、再びこのような絶好の機会があるかということである。
ギルドメンバー同士が相互に監視し合っているギルド本部では、マスターと二人きりになれる確率は極限まで低く、しかも邪魔が入らないとなればほぼゼロだろう。
今が、自分がマスターに甘えられる最高のシチュエーションなのである。
とはいえ、このままではアリスに見つかってしまう。
うんうんと頭をひねって考えていたリースは、とある名案を思い付く。
「そうだ!マスター!こっちだ!」
――――――!?
リースは突然マスターの腕を引っ張って、ある場所へと誘導する。
ドラゴンの馬鹿力でいきなり腕を引かれたマスターは、声にならない悲鳴を上げて引きずられていった。
そのすぐ後、コンコンと扉がノックされて、寝ぼけ眼のアリスが入ってくる。
「兄上、先ほどから何をガサガサと……あれ?誰もいない……」
キョロキョロと部屋の中を見渡すアリスであったが、中には誰もいない。
不思議そうに首を傾げる。
「……私の気のせいか?……ふあぁぁ……まあ、いいか」
とてもじゃないが、マスターをどうにかできる者がこの世界に存在するとは思えない。
過去の出来事からそのことを知っているアリスは、割とあっさりとしていた。
大きな欠伸をして、マスターの部屋から出て行った。
シンと静まり返る部屋。
「……行ったか」
誰もいないはずの部屋で、リースの声が響く。
彼女とマスターは、なんとベッドの下の空間にいた。
案外、地面とベッドの間が空いていることに気づいたリースは、とっさにマスターをその中に引きずり込んだのであった。
隙間が十分にあったため、二人で滑りこむことができたのだが、二人が重なるような体勢だとどうにもキツイ。
そのことを咎めるようにマスターがリースを見ると、顔を紅くして彼女は抗議する。
「し、仕方ないだろ。あの時は、いっぱいいっぱいだったんだから」
いや、それでも見目麗しい女性がベッドの下に滑りこむというのはいかがなものだろうか。
マスターは、自分が引きずり込まれたことではなく、リースが何の躊躇もなくベッドの下に入り込んだことにため息をついていたのであった。
さて、アリスも去ったことだし、もう外に出てもいいだろう。
狭い場所でかなり密着しているため、色々とマズイ光景になっている。
リースが仰向けになり、マスターがその上から覆いかぶさっているような状況だ。
彼女の身体に必要以上に接触しないように、ベッドの高さが許すギリギリまで身体を持ち上げているマスター。
嫁入り前の娘(と思っている存在)に、下手な接触はできないのである。
よっこいしょ……とベッドの下から抜け出そうとすると……。
「ま、待てっ!」
――――――!?
リースが下から脚をマスターの身体に回し、身動きのとれないようにする。
まさかの彼女の行動に、マスターは器用に笑顔のままうろたえる。
な、何故?
困惑した様子を雰囲気で醸し出すマスター。
「(う、うわぁぁぁぁぁぁぁっ!?ど、どうするんだ、これ!?)」
しかし、それはリースもまた同じであった。
マスターがこの場を去ろうとして、とっさにしてしまった行為がこれなのである。
自分から脚を押し付けて、いったい何をしているのだろうか。
太いとか、思われていないだろうか?
ララディに比べると、自分はとても太っているように感じる。
それを、ララディに言えば、「お前は肉付きがいいだけだろうがぁ!です!」と襲い掛かってきそうなことを考えるリース。
「(ここまできたら、もういくところまでいってしまうべきなんじゃないか?)」
羞恥で頭がフリーズしてしまったリースは、普段では決して考えられないとんでもないことを考えだしてしまった。
目はグルグルと回っていて明らかに正気ではないが、今の彼女は自分を止めることはできない。
「マスター……」
――――――!?――――!?
リースは艶っぽい声音でマスターを呼ぶ。
さらに、彼の身体に回していた脚に力を込めて、自分の方に引き寄せたではないか。
ドラゴンの力に逆らうこともできなかったマスターは、リースの身体に密着する。
柔らかい何かが胸のあたりで押し潰れるような感触に、熱いと感じられるほどのリースの熱を実感する。
すぐ目の前には、彼女の陶酔した端正な顔がある。
ま、マズイ……これは、なんだかマズイ……。
まるで、肉食動物の前に突き出された草食動物の気分。
いや、目の前の女は、間違いなく肉食動物だ。
それを示すように、赤い唇を小さな舌で舐め上げ、マスターをこれから食らうぞと言わんばかりである。
チラリと見えた牙が、また恐ろしい。
「マスター……」
どんどんとリースの顔がマスターの顔に近づいていき、そして……。
「……なに、しているんですか」
「――――――ッ!?」
バッと弾かれたように首を動かし、隣を見るリース。
そこには、呆れきったような目をしたアリスが、ベッドの下を覗き込んでいた。
「まさか、こんなところで何かをおっぱじめようとしていたとは……。姉上も兄上も、なかなか大胆ですね」
「…………ッ」
ふっと笑ってからかい始めるアリスに、リースはプルプルと身体を震わせる。
それは、羞恥のためか、あるいは……。
あぁ……やめた方がいいのに……とマスターは止めようとするが、絶好の機会とばかりにアリスの口は止まらない。
「別に、お二人が幸せになるんでしたらいいんですけど……掃除はしておいてくださいね……?」
「忘れろ」
「はぁ?いえいえ、こんな面白いこと、忘れられるはずが……」
ここまで言ったアリスは、リースの声音が恐ろしく低かったことに気づけなかった。
次の瞬間、アリスは黒いブレスに身体を飲み込まれるのであった。
その中で、「あ、やりすぎた」と思うのも遅く、最強のドラゴンのブレスが炸裂するのであった。




