第百九十五話 混血のラスムス
「ひ、ひぃぃ……っ!!」
馬車から外に出て辺りを見渡すと、震えながら縮こまっている商人がいた。
彼に駆け寄って、何があったのかを聞いてみる。
「ま、魔物だ!!こんな所で、魔物が出やがった……っ!!」
へー、魔物か。まあ、別に珍しくはない。
王都の中で出現するなら驚くけれど、王都からもそれなりに離れていて街の外となれば、魔物くらい出てくるだろう。
だからこそ、僕とリースを護衛として雇ったんだろうし。
「ち、違う!普通の魔物なら、俺だってこんなに驚かないさ!!出てきた魔物が最悪なんだよぉ!!」
普通の魔物というのもいまいちわからないけれど、ポピュラーな魔物ではないということだろうか。
恐慌状態の商人に何を聞いても意味がなさそうなので、とりあえず自分の目で確かめることにした。
さてさて……商人や御者が上を見上げていることから、その魔物は空を飛ぶのだろう。
しかし、僕が見上げたときには青い空しか広がっておらず、ぽかぽかとした陽光が降り注いでくるのみだ。
あぁ……また眠気が……。もう、どこかに行ってしまったのかな?
「ち、違う……。あいつは、また来る……!!」
「確かに、羽音が聞こえるぞ、マスター」
商人が怯えながら言い、リースもそれに同調する。
と言っても、リースは微塵も恐れる様子はなく、淡々と事実だけを話しただけだけれど。
まあ、彼女を怯えさせるような存在がそうそういるとも思えないし、もし存在したとするととんでもない力を持っていることは間違いない。
そんな魔物が襲い掛かってきたらと考えると、凄く怖いね。
意地でもリースだけは逃がすけれど。
僕も耳を澄ましてみると、なるほどバサバサと重たげな羽音が聞こえてきた。
それは、どんどんと僕たちに近づいてきて、ついにその姿を現す。
「で、出たぁぁぁぁぁっ!?」
商人が悲鳴ともとれる絶叫を発して、涙を流す。
馬車を陽光から覆い隠すように空から降りてきたのは、ドラゴンだった。
「なんだ、ドラゴン種か」
赤い鱗に覆われた身体に、ずんぐりとした身体。
目は蛇のように鋭く、大きな口からは牙がずらりと生えているのが見える。
しかし、大きさは目が飛び出るほど大きいというわけではないけれど、僕のような人間よりははるかに大きい。
うーん……これは、ワイバーンかな?
「いや、こいつはワイバーンじゃなく、混血のドラゴン族だ。ワイバーンよりも強いし、意思疎通だってできるはずだ」
僕の考えをリースが優しく否定する。
ドラゴン種に関して言えば、僕よりもリースの方が断然詳しい。
そっかー。僕はもっとすごいドラゴンを知っているから、どうしても目の前にいる小さなドラゴンが弱く見えてしまう。
「その通り!!」
リースの言葉を支持するように、ドラゴンが口を開いた。
おぉ、確かに、人間の言葉だ。
意思疎通ができないワイバーンよりも賢いというのは事実なようだ。
「わが名はラスムス!誇り高きドラゴン族の一員だ!!」
くわっと口を開けて、威嚇しながら自己紹介してくるドラゴン――――ラスムス。
うーん……見た目は怖いんだけれど、どうにも声が子供っぽいから大して怖くない……。
しかし、それはある程度戦う力を持つ者の意見であり、戦う力を持たない商人や御者は意識を失いかけているほどショックを受けていた。
さて、その誇り高いドラゴンであるラスムスは、僕たちにいったい何の用なのだろうか。
僕たちは、別にドラゴンたちの領域を侵したわけではないと思うのだけれど。
「ほお。そのラスムスとやらが、私たちにいったい何の用だ?」
「ふん!理由は簡単だ。お前たちを殺しに来た!」
リースが聞くと、赤いドラゴンは鼻息荒く宣言する。
おぉ……いきなり、何とも敵対的な言葉を吐いてくる。
「ふーん……何でだ?私とマスターに、何か恨みでもあるのか?」
「恨み?そんなものはない。ただ、お前たちは人間だ。人間は、殺さないといけないからな」
殺すと言われても、リースは平然として再度聞く。
まあ、いかにも未熟そうなドラゴンに殺すと脅されたところで、彼女がビビるはずもない。
多分、リースは片手間にでもラスムスを殺せてしまえるだろうからね。
それにしても、人間だから殺さないといけない……か。
やたらと人間を敵対視しているドラゴンのようだ。
ドラゴン族は人間を見下しはすれども毛嫌いしているわけではなかったと思うんだけれど……。
どちらにせよ、僕と商人、御者が殺害予告されたのは事実である。
リースはこの中で唯一の人外だから、殺害範囲の外にいる。
……でも、ラスムスはその事実に気づいていないっぽいけれど。
「ふーん……そうかそうか。別に、お前が人間を嫌っていようが殺そうがどうでもいいんだがな」
えぇ……人間自体をどう思ってもリースの気持ちだから否定はしないけれど、今人間を護衛しているのにそれを言ったらダメでしょ……。
「はっ、何他人事みたいに言っているんだ、お前。お前も食べちゃうんだからな」
ふふんと、何故か得意げに言うラスムス。
話し方を聞く限り、やっぱりこのドラゴンって子供だよね。
「ほー。……まあ、私を食べるとか言うのは別に構わないんだけどな。お前、マスターも食べるとか言ったのか?」
「ま、マスター?そいつが誰だか知らないけど、ここにいる人間なら食べるぞ」
声を荒げることのないリース。
しかし、その声はどこか圧があり、それを子供ゆえか敏感に感じ取ったラスムスは言葉を詰まらせる。
確かに、ラスムスは人間を食べると言ったのだから、(一応)人間である僕だってその中に入るだろう。
うーん……正直、もうずいぶんと長生きもしたし、『救世の軍勢』の皆も独り立ちできるくらいには成長したからいつ死んでも構わないのだけれど……。
でも、ドラゴンに丸かじりされて死ぬのは、少し嫌だなぁ……。
「そうか、そうか。マスターを食べる……か」
「な、なんだよ。す、すごんだって、怖くないんだぞ」
そう言いつつも、言葉を詰まらせるラスムス。
「ここにいる商人とかは別に食ってもいいけどなぁ……」
リースはフラフラと彼の前へと歩いていく。
傍から見れば、ドラゴンに自分から近づいていく美女というとんでもない光景である。
生贄かとも思ってしまう。
ただ、彼女の力を知っている者からすれば、心配されるべきはドラゴンの方なんだけれど。
「でもな、マスターを食べるとか、冗談でも言ったらダメだろ」
「ひっ……!!」
リースの目を見たラスムスが、ついに悲鳴を上げる。
見た目だけなら、力関係で確実に格下である人間(の形態をとっているだけだけれど)に怯えるドラゴンの図である。そうそうお目にかかれるような光景ではない。
「私が……私がやっと決意してマスターに甘えようとしていたのに邪魔をするし……っ!これは、軽い仕置きが必要だな」
あれ?前半に凄い私怨が混じっているような気がするんだけれど……。
それに、あの時だけしか甘えるのを許しているというわけでもないのだから、いつでも甘えてくれていいんだけれど……。
「な、舐めるなよ、人間!!」
赤いドラゴン、ラスムスはそう言うと再び羽ばたいて高度を上げる。
……そろそろ、リースが人間ではないということを教えてあげた方がいいだろうか?
「もう、お前なんか食べてやらない!!燃やしてやる!!」
ラスムスの閉じた口から炎がほとばしる。
ドラゴンの代名詞、最強の攻撃と言われるブレスを放とうとしているのだろう。
リースはもちろんのこと、子供のドラゴンのブレスだから僕も大丈夫だろうけれど、商人と御者は普通の人間だからくらったらダメだろう。
「くらえっ!!」
ゴウッと音を立てて、火球が迫りくる。
それは、普通の人間なら簡単に絶命させてしまうであろう火力を誇っていた。
いくら何でも直撃を受けるわけにはいかない。
馬車を丸々覆ってしまうほどの、魔力の壁を出現させて火球を受け止める。
そうすると、大して拮抗することなく、火球はその姿を消失させるのであった。
「う、嘘だろ!?俺のブレスが、ただの人間に……っ!?」
ブレスを防がれて驚愕するラスムス。
ドラゴンにとって、最強であり最大の攻撃でもあるブレスだ。自信もあったのだろう。
「おいおい……そこまで、マスターに迷惑をかけるのかよ、お前」
「…………っ!?」
リースはその間に、強靭な脚力で一気に飛びあがり、ラスムスの目の前へと迫っていた。
空中に人間だと思っている彼女が突然現れて、ラスムスは目を白黒とさせる。
「ちょっとは反省しろよ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
リースの拳が唸りを上げてラスムスの横っ面に叩き込まれた。
その細腕からは考えられないほどの力を持つリースの拳は、自分よりもはるかに巨大なドラゴンの身体を地面に叩き落とす。
ラスムスは空中で姿勢を整えることもできずに、かなりの勢いのまま地面に激突した。
……ドラゴンを殴り飛ばすことのできる女。この世界に、いったいどれだけいるのだろうか。
『救世の軍勢』の中を見れば、大体の子ができそうで怖い。
こうして、いきなり襲撃してきたドラゴン、ラスムスはリースによって殴り飛ばされて地面に倒れこむのであった。




