第百八十二話 精霊の悪戯
ルーフィギアは回復したエルフたちに、ドワーフと一時休戦をしたと伝えた。
多少の不服は出たものの、全員一度はドルフに打ち倒された身。
最後には、ルーフィギアの決定に従った。
「(どうでもいいですけど)」
シュヴァルトは、さっさと終わらないかと考えていた。
この依頼を受けたことによって、鬱陶しいギルドメンバーがいる『救世の軍勢』本部に戻らなくてよくなったのは良かったが、マスターをこき使おうとするエルフのことは好きではなかった。
「……一度休憩する必要があるとは、エルフは貧弱ですね」
戦争が終わったらすぐに戻るのかと思えば、ドワーフたちの領域から離れた場所でエルフたちは一日過ごすことにしたようだ。
まあ、戦闘で傷を負った者が多いから分からないでもないが、一番厄介だった敵であるドルフはシュヴァルトが相手をしてやったというのに、情けない限りである。
自分は、マスターがどこかに行くと言えば、今すぐにでも全然ついていくことができるというのに。
「……わかりました」
もし、隣で苦笑しながら頭をぽふぽふと撫でてくれるマスターがいなければ、腹いせにルーフィギアに嫌がらせをしていただろう。
シュヴァルトに限らず、『救世の軍勢』メンバーがする嫌がらせは限度を大幅に超えているため、非常に危ないのだが。
命の危険がある嫌がらせなど、怖くて仕方ないだろう。
それを、お互いにやりあっている『救世の軍勢』メンバーなら何とも思わないが、ルーフィギアのようにそんなことを知らない一般人からすれば卒倒ものである。
「(これが幸せ……ですか)」
現在、シュヴァルトとマスターはエルフたちが休息をとっている場所から離れた、落ち着いた木々のある場所に並んで立っていた。
時折、精霊たちがのんびりと飛んでいる姿も見て取れる。
どちらかといえば、騒がしい場所よりも静かな場所を好むシュヴァルト。
ざわざわと風が葉を揺らす音だけが聞こえてきて、隣には穏やかに微笑むマスターがいる。
今のシチュエーションは、たまらなくシュヴァルトには幸せだった。
ここは、ほとんど動物園と変わらないギルド本部と酷く差がある。
まあ、騒がしいのはララディやヴァンピールなど、ほとんど固定されたメンバーなのだが。
「……エルフのこと、ですか?」
マスターに聞かれて、少し考える。
確かに、シュヴァルトは同族と会って話をするのは久しぶりだった。
ここまで密接にかかわったのは、マスターと出会う前に『とある集落』で過ごしていたとき以来ではないだろうか。
エルフというのは、種族内の絆が強い。
だから、マスターはシュヴァルトに暗に聞いてみたのだ。
エルフの集落に戻りたいとは思わないのか、と。
もし、思っているのであれば、シュヴァルトが独り立ちするときに参考になると考えたのだが……。
「別に、何とも思わなかったですね」
シュヴァルトは冷めた目でそう言った。
本当に、エルフたちを見ても何も思わなかったのだ。
かつて、過去の出来事から怒りや恨みを抱いてもおかしくないのだが、それすらなかった。
無関心。シュヴァルトのエルフに対する態度は、その一言に尽きた。
「奴隷にとって大切なのは、ご主人様だけですから」
シュヴァルトは奴隷である。
彼女の関心はマスターにだけに注がれており、この森のエルフやドワーフがどうなろうが知ったことではない。
そして、そんな思想にマスターは頬を引きつらせる。
やっぱり、奴隷の首輪をつけたことは間違いだったか……。
そう思うが、今更首輪を取り外せと言われたって、シュヴァルトは頑固に抵抗するだろう。
覆水盆に返らず、である。
「あ、ここにいたのね」
そんな時、木々の間からルーフィギアがひょっこりと顔を出す。
二人を見つけて近寄ってくる彼女に、シュヴァルトは誰にもばれないように舌打ちをする。
せっかくのマスターとの時間が台無しである。
「何か御用ですか、ルーフィギア」
「ええ、お礼を言っておこうと思って」
暗に、さっさとどこかへ行けという気持ちを込めて言ったシュヴァルトであったが、ルーフィギアには通用しなかったようだ。
しかし、その心意気には感心する。
マスターに感謝を捧げるのは当然のことであるが、ギルドメンバー以外がそれをするというのは嘆かわしいことに珍しい。素晴らしいことだ。
「私たちエルフの事情に、あなたたちを巻き込んでしまってごめんなさい。それと、ありがとう。あなたたちがいなければ、情けないけどドワーフとこんな穏当な終わりを迎えることはできなかったわ」
ドルフの戦闘力は、魔鎚『爆裂鎚』のこともあって、かなり飛びぬけていた。
出征したエルフたちだけでは、彼一人を倒すことはできなかったかもしれない。
それこそ、休戦に落ち着くまでにもっと被害が出ていただろう。
そうなれば、大人しく休戦を受け入れるエルフは少なかっただろう。
それを防げたのは、シュヴァルトがドルフを倒したおかげである。
「私の功績はマスターのものですので」
応えてあげなさいとマスターに言われるが、シュヴァルトは少しだけ頭を下げるだけに留める。
ドルフと戦ったのも、マスターに愚かにも危害を加えようとしたからであるし、断じてルーフィギアたちエルフのことを考えて戦ったわけではないからである。
「本当に、シュヴァルトはマスターが好きなのね」
「はぁ……。好きというか……」
マスターは、シュヴァルトにとって存在意義そのものである。
彼がいなければ自分は存在する意味はない。
それを、好きという聞きなれた言葉で表現することがふさわしいことかはわからない。
「ところで、マスターの二つ名の件は納得いったのですか?」
シュヴァルトはふと、大切なマスター関連のことを思い出す。
髭の生えたクソジジイが、マスターのことを『破滅をもたらす者』と呼んだことである。
何やら格好良くてシュヴァルトは好きだが、事実ではない二つ名をマスターにつけられるというのはダメだ。
「あぁ……本当に、『破滅をもたらす者』じゃあないの?」
ルーフィギアに聞かれて、マスターは違うと首を横に振る。
「マスターより優れた者は、この世界に存在しません」
「……シュヴァルトはこう言っているけど?」
冗談だとマスターは微笑む。
シュヴァルトは至極真剣なのだが……。
「でも、確かにマスターが伝承で語られているような恐ろしい化け物ではないことは分かっているし、そのことは元老院にちゃんと報告するわ」
ルーフィギアの言葉にうなずくマスター。
マスターの意向に沿って動こうとしているルーフィギアに満足気に頷いたシュヴァルトは、先ほどから鬱陶しい連中を見据える。
それは、この森に住みついている精霊であった。
キラキラと輝く塊が、先ほどから邪魔で仕方がない。
エルフ種というのは森と共に生きる種族で、森の意思そのものである精霊のことも大切に想っているのが普通なのだが、シュヴァルトは普通のエルフではない故何とも思っていなかった。
ブンブンとうるさく飛び回る羽虫と同じである。
「……ちっ。駆除しますか」
「ちょ、ちょっと待ちなさい!そんなの、ダメに決まっているじゃない!」
「でも、鬱陶しいですし……」
「せ、精霊を鬱陶しい!?あなた、本当にダークエルフなの!?」
ギャアギャアと騒ぎ合うシュヴァルトとルーフィギア。
そんな彼女たちを、マスターは苦笑しながら眺めていた。
――――――問題が起きたのは、そのすぐ後であった。
「……っ」
「きゃぁっ!?」
ごうっと激しい突風が吹き荒れた。
ルーフィギアはもちろん、シュヴァルトも一瞬目を瞑ってしまうほどの風である。
これは、精霊の悪戯であった。
――――――。
しかし、シュヴァルトやルーフィギアを守るために目を開けていたマスターは、がっつりと見てしまった。
ぶわりと巻き上がった風が、シュヴァルトのメイド服のロングスカートと、ルーフィギアの短めのスカートをめくりあげてしまったところを。
褐色の太ももは肉付きが良さそうで、黒い下着もまた布地の少ない大胆なもので、(マスター以外なら)情欲を誘う。
ルーフィギアも真っ白な肌と下着が美しい。
そんな二人の下半身事情が、ガッツリと目に映りこんでしまった。
「…………」
「は、はわわわわ……」
シュヴァルトは視線を下げ、目元を白い髪で隠してしまう。
ルーフィギアは気の毒になりそうなほどのテンパリようだ。
マスターは、何とも気まずそうに視線をそらす。
「…………虫が」
「えっ……?」
シュヴァルトがボソリと呟いた言葉に、ルーフィギアは耳を疑う。
シュヴァルトは、恥じらいのあるメイドである。
ララディのように力を発揮すれば脱ぐこともないし、ソルグロスのように『自分の体液を飲んでほしい』とか危ない思考もない。
それは、羞恥心が彼女にはしっかりと残っているからである。
だからこそ、彼女はこれまでもあまり積極的にマスターを性的に狙って迫ったりすることもなかった。
せいぜい、食事の中に媚薬と惚れ薬を入れるくらいである。効果は微塵もなかったが。
しかし、そんなうぶな彼女は、いくらマスターといえどもスカートの中身を見られてしまうことが許容できることではなかった。
「皆殺しにしてやる……っ!!」
「ま、待ってぇっ!精霊を殺すなんて、絶対にしちゃダメだからぁっ!!」
魔剣『ハッセルブラード』を抜き、憤怒の表情を浮かべるシュヴァルト。
そんな彼女の身体に抱き着いて、何とか止めようとするルーフィギア。
いつもはギルドメンバーの暴走を止めるマスターも、今回は止めることができずに苦笑しているのであった。




