第百七十五話 伝承と甘く見る者
「さ、入って」
お邪魔しまーす……。
僕とシュヴァルトは、ルーフィギアに促されて彼女の家へと入って行った。
彼女は一人で暮らしているようで、質素ながら清潔にされた部屋だった。
「マスターを滞在させる場所にしては、お粗末ですね」
「……あなたにとって、マスターってどんな存在なの?」
「あ、埃が溜まっていますよ」
「姑なの!?」
つつーっとテーブルの上をなぞって言うシュヴァルトに、ルーフィギアがショックを受ける。
うんうん、なんだかんだ言って、仲良くできているようだ。
最近は、保守的で閉鎖的だった『救世の軍勢』メンバーにも、ギルド外の友人というものが増えてきた気がする。
マホやユウト、ルシルやルシカ、ニーナ女王、リトリシアなどなど……。
ルーフィギアも、シュヴァルトにとってそういう存在になってくれればうれしい。
「まあ、戦の準備もまだ完全ではないみたいだし、少しはゆっくりできるでしょう。ここを、自分の家だと思ってくつろいでちょうだい」
「マスターの居城は、こんなみすぼらしくないですよ」
「そう。ごめんなさいね」
ルーフィギアはスルーする方向に入ったらしい。
案外、それが正しかったりする。
それに、僕のお城っていうわけじゃあなく、ギルド皆のものだし。
その後、ルーフィギアは僕たちにお茶を出してくれ、少しの間話をすることにした。
正直、子供たちの救出作戦では大した相手がいなかったため、それほど疲れていない。
僕が大丈夫なら、シュヴァルトなんて尚更だろう。
「へー……。あなたのギルドには、シュヴァルト以外にも濃いメンバーがいるのね。……大変そう」
「ええ、私以外のメンバーへの対応は、マスターにとって大きな負担になっているでしょう」
「いや、あなたも多分……」
「は?」
「何でもないわ」
時折、危険な空気が流れたりもしたけれど、基本的には穏やかな時間が流れていた。
僕もシュヴァルトが淹れてくれたお茶(二杯目からは、シュヴァルトが淹れてくれるようになった)を飲みながら、のんびりとした時間を楽しんでいた。
……あ、そう言えば。
「なに?」
いやー、長老の言っていた『破滅をもたらす者』ってなんだったのかって思ってね。
字面を見る限り、とんでもなく恐ろしい人なんだろうけれど、長老は僕と勘違いしていたようだし……。
「ああ、そう言えば、長老が言っていたわね。私もあの時は驚いたわ」
「マスターは『破滅』をもたらすんじゃなくて、『救済』をもたらしてくださるんですよ」
ルーフィギアに言ったのは、シュヴァルトだった。
また、冗談でも言っているのかとルーフィギアは彼女を見るのだけれど、その顔は心の底からそう信じているようで、息をのむ。
「マスターは救ってくださるんです。私のような『物』でも、優しく救い上げてくださるんです」
その目は濁りきり、その信頼は決して揺るぐことはない。
だからこそ、ルーフィギアは言い表せない恐怖を感じているのだろう。
……僕も、こんな高評価には軽く恐怖する。
いや、別に救済とか、大層なことをしたわけじゃあ……。ちょっと手助けしたくらいだし。
しかし、僕は愛想スマイル。昔だったら、顔が引きつっていたに違いない。
と、とにかく、その『破滅をもたらす者』というのを、教えてほしい。
「ぇ……あ、そうね。……といっても、私もあまり詳しくはないんだけど、それでいいかしら?」
ルーフィギアは慌てて僕の言葉に反応する。
シュヴァルトの変貌が怖かったのだろう。
彼女も、ルーフィギアが聞いてくれないのなら話す必要はないと、頬を小さく膨らませて元の彼女に戻っている。
「『破滅をもたらす者』というのは、エルフたちに語り継がれている伝承に出てくるの」
曰く、その伝承は世界中各地に散らばっているエルフたちに語り継がれている。
昔、金髪碧眼の男がとあるエルフの集落にやってきた。
そこでは、一人のダークエルフの少女が酷い扱いを受けていた。
それに怒った男が、その集落を壊滅させてこう言った。
『ダークエルフを差別することなかれ。さもなくば、再び私が舞い降りて破滅をもたらそう』
そうして、男はダークエルフの少女を連れ去って行ったのであった。
「その男がよっぽど恐ろしかったんでしょうね。それ以来、エルフがダークエルフを不当に扱うことはなくなったらしいわ。まあ、随分昔の話だし、実際にその現場を見たエルフも生き残っていないから、伝承だとされているんだけどね」
へ、へー。そうなんだ。
なるほど、だから『破滅をもたらす者』なのかー。
「エルフ種にも畏怖されるとは……流石はマふ……っ?」
何かを自慢げに呟こうとしていたシュヴァルトの口を塞ぐ僕。
不思議そうにこちらを見てくるルーフィギアに微笑みかける。
はは、なんでもないよ。
何故だか知らないけれど、ちょーっとだけ僕の過去と類似点があるというだけだから。
……いや、本当僕じゃないよね?
そんな、『破滅をもたらそう』とか言っていなかったし……多分。
というか、そんな話し方していないし。
おそらく、僕と似たようなことをした人がいたんだろう。いやー、偶然というやつだね。
「その『破滅をもたらす者』は、表情をほとんど変えない鉄仮面だったらしいわ。いつもニコニコ笑っているマスターと同一人物とは、到底思えないわね」
ルーフィギアがからかうように言ってくる言葉に、僕も笑う。
はは……実は、昔は今のようにいつも笑っているわけではなかったことは黙っておこう。
「……あら。話している間に、随分時間が経っちゃっていたみたいね」
外を見ると、すっかり暗くなっていた。
どうやら、今日戦争が始まることはないらしい。
「今日はもう、お風呂に入って寝ちゃいましょうか」
へー、お風呂まであるのか!
人間たちは、魔法使いでもない限りお風呂をたくのはとても大変な作業なため、そうそう入れるものではない。
まあ、うちのギルドでは毎日どころか常時開放されているけれどね。
僕の無駄なまでに多い魔力が、こんなところで役立っている。
「……覗いちゃダメよ?」
覗かないよ。
悪戯気に微笑んでからかってくるルーフィギアに、僕は苦笑する。
「マスター。お背中をお流ししますので、一緒に入りましょう」
……え、いやぁ……それは……。
「あら?それなら、身体を洗うタオルも貸しましょうか?」
「いえ、それは必要ありません。マスターの繊細な身体は、もっと柔らかいもので洗わなければ」
「……え?」
……え?
僕とルーフィギアが凝視すると、シュヴァルトはどこか自慢げに胸を張る。
メイド服に包まれた双丘が、重たげに揺れる。
……うん、今日のお風呂は遠慮しておこうかな。
◆
「くっ、くくくくっ。まさか、『破滅をもたらす者』が来るとはのぅ……」
元老院メンバーが会談をするときに用いられる場所。
夜も更けた今、ここにいるのは髭を蓄えた長老だけとなっている。
「あやつの言っていた通りじゃったのう……。気に食わん男じゃが、情報に関しては信用して良さそうじゃ」
長老は、胡散臭い敬語を使う男の顔を思い出す。
人間のくせに、エルフである自分に舐めた態度をとる男。
目的が一緒なので協力はしているが、彼自身のことは嫌いだった。
「まあ、『あれ』を復活させれば、奴も用済みよ。それまでの、辛抱じゃ」
長老はそう言って、懐から玉を取り出す。
透明の美しい玉だ。
「くっくっくっ……。この戦争で、どれほどの力が集まるか……。『破滅をもたらす者』には、せいぜい期待させてもらうとしようかのう……」
長老の笑い声は、しばらく後まで続くのであった。




