第百十七話 悪意の向かう先
「くそっ!くそ、くそ、くそ、くそぉぉっ!!」
「……いひひ」
自分の屋敷へと戻ったリンツは、机の上に乗っていたものを薙ぎ払い怒りをあらわにする。
それを間近で見ているヴィッセンは、怯えるわけでもなく不気味に笑っていた。
「テルドルフめぇっ!!よくも、この私を裏切ったなぁぁっ!!」
リンツは頭ががりがりとかきむしりながら、呪いを吐くように言う。
彼の側近としていつも侍っていたテルドルフの姿は、すでにここにはない。
「いぃやぁ。そもそも、私たちがテルドルフさんの娘に呪いをかけていたんです。それがばれればぁ、こっちの味方になるはずがありませんよねぇ」
ヴィッセンは正論を言うが、それはリンツには届かない。
すでに、テルドルフはリンツの派閥から抜けることを正式に発表していた。
理由はもちろん伏せられていたが、何かリンツがやらかしたのではないだろうかと王の選定に関わる者の多くが噂していた。
そもそも、テルドルフの騎士道精神は、リンツではなくニーナの考えと近いものだ。
それなのにもかかわらず、テルドルフがリンツを支持したことは、何か裏があるのではないかと勘繰る者も多かった。
今まで、そのような批判は鼻で笑っていたリンツであったが、派閥内の最大戦力が抜けたことは笑えるようなことではなかった。
さらに、彼を苦しめていたことは……。
「それにぃ、リッターさんに決闘で負けたために、リンツ王子は王になることを諦めなければいけませんしね!いひひひひひひっ!!」
「黙れぇぇぇっ!!」
リンツは剣を抜き放ち、机を叩き斬る。
荒い息のままヴィッセンを睨みつけるが、彼は軽薄な笑みを消そうとはしない。
「しかしぃ、本当にどうするんですか?最早、正攻法ではどうしようもないですよ。ちゃぁんと決闘内容は文書にしちゃっていますし!このままだと、リンツ王子は王の選定を辞退するしかありませんねぇ」
「そ、そんなこと、認められるか……っ!!」
「そうは言いましてもねぇ……」
リンツは絶対に勝てると思っていたから、あのようなハイリスクハイリターンの決闘を行えたのだ。
テルドルフのことを信頼していたことは悪くない。
王国の騎士団長で最強の騎士であることは間違いなく、どんな敵にも負けるはずはなかった。
たとえ、それがニーナ派閥最強の騎士であるリッターが相手であったとしても、だ。
だが、その予想は間違っていた。
確かに、序盤・中盤の戦闘はテルドルフが有利だったものの、後半にリッターが悪魔の力を使ってから、形勢は一気に逆転。テルドルフは敗北してしまった。
そうして、リンツは王となる道を自ら閉ざしてしまったのである。
「ま、まだ打つ手はあるはずだ……!なんとか、なんとかして……っ!!」
「物に残す形で文書がありますからねぇ。リンツ王子の手勢を使ってそれを消滅するために動くことは可能ですけど、ニーナ王女も馬鹿じゃぁありません。すでに、文書を使って動き出しているのではぁ……?」
ヴィッセンはどうでも良さそうに言う。
まあ、彼にとってはリンツが王になろうがなるまいがどうでもいいことなのだ。
ただ、ヴィッセンは研究さえできればいい。リンツについているのも、多額の研究費とモルモットを用意してくれるからである。
そして、リンツはヴィッセンの言葉に言い返すことができなかった。
文書を消すために刺客を送り込むことはできるが、現在リンツの派閥に残っている騎士たちの中でその任務を完遂できそうな人材は存在しなかった。
というのも、彼の戦力の半分以上を担っていたのが、テルドルフと彼を慕う騎士たちだった。
そのテルドルフが抜けたのだから、彼を慕う騎士たちも派閥から抜けていく。
結果、リンツの元には騎士とは到底言えないような荒くれ者たちしか残っていなかった。
確かに、荒事には慣れているものの、テルドルフを慕う騎士たちのようにはいかない。
「くそっ!!だったら、どうすれば……!!」
「王になることを諦めるしかないですね」
「そのようなこと、認められるはずがないだろう!!私が王とならねばならんのだ!ニーナではない……。私……私が王となるべきなのだ……!」
そう言うリンツであったが、すでに彼の頭の中にこの状況を打破するような考えはなかった。
自分の仕掛けた決闘に敗北し、自ら王となる道を潰し、それでも不様にあがく。
「いひひひっ」
そんな状況が、ヴィッセンにとって望ましかった。
「ならば、最早武力に訴えるほかないですねぇ」
「な、なんだと……?」
ヴィッセンの言葉に、リンツは顔を上げる。
「わ、私にニーナを殺せというのか……?」
「そうです!なぁに、今まで小汚いことを何度もやってきているでしょう?」
「し、しかし……」
確かに、ヴィッセンの言う通り、リンツは今まであくどい事を何度もやってきた。
しかし、殺す相手が肉親ともなれば、彼を一歩前に進ませない何かがあった。
「に、ニーナの側には常にリッターとマスターとかいう男がいるだろう。マスターとやらはどうか知らんが、テルドルフをも倒したリッターは厄介だぞ」
リンツも冒険者ギルドに出入りしており、戦いの経験が一切ないというわけではない。
なまじ実力があるがゆえに、リッターには絶対に勝てないということが分かっていた。
マスターのことは、いまいちよく理解できなかったが。
「いひひっ!そうでしょうねぇ。キマイラを倒されている以上、私の実験動物たちも役には立たないでしょうし」
「だったら……」
「ならば!考え方を変えましょう!リッターさんとマスターさんを、ニーナ王女から引き離せばいいんです!」
反論しようとすると食い気味に言葉を被せてくるヴィッセンの提案に、リンツは目を丸くする。
「そんなこと、できないだろう」
「いえいえ、ニーナ王女はリンツ王子と違って民を真に思いやるお優しい王女殿下です。民に厄災が降りかかっていると知れば、信を置くお二人を自分から離して助けに向かわせることでしょう」
狂気の笑みを浮かべるヴィッセンを見て、リンツはようやく彼がどのような提案をしようとしているのかを悟る。
汗がびっしりと浮かび上がり、身体が震えだす。
「ま、まさか、貴様……」
「おや、流石はリンツ王子。お察しが良い。そうです。武力を向かわせる先は――――――」
ヴィッセンは口が裂けんばかりに曲げて、いひひひひっと気味の悪い笑い声をあげて言った。
「――――――王都に住む、国民たちです」




