第百五話 新たな仕事
僕がニーナ王女の護衛を務める契約をしてから、一週間ほどが経っていた。
……途中の記憶が一部欠けているのだけれど、何かあったのだろうか?
ニーナ王女も似たようなことを言っていたし、不思議なことがあるものである。
まあ、リッターは機嫌が良さそうだし、特に悪いことはなかっただろうからいいとしよう。
キマイラが襲撃してきた後は、とくにこれと言って僕が出張るようなこともなく、穏やかな日々を過ごしていた。
あまりにも何もないので、何度もギルド本部に戻ることができてしまったよ。
その時、ニーナ王女護衛の依頼を引き受けたからと伝えると、ギルドメンバーたちが凄い目でリッターを見ていたことは驚いた。
リッターも怖かったのか、僕の背中に隠れてしまうほどだった。
……やけに身体を摺り寄せてきていたのは不可解だけれども。
まあ、そんなわけでのんびりとニーナ王女の屋敷で時間を費やしていたのだけれど……。
「リッター様、マスター様。ニーナ様がお呼びです。執務室までお越しください」
メイドさんにそう呼ばれてしまった。
何だろう……何か、あったのだろうか?
とにかく、雇い主から呼ばれたのであれば、赴かなければならないだろう。
……さ、リッターも呼ばれているんだから、早く起きてくれ。
「んん……」
僕は苦笑しながらベッドの上で寝ているリッターを見る。
間違いなく断言するけれど、ここは僕がニーナ王女に与えられた部屋であり、リッターの部屋に僕が押しかけているわけではない。
むしろ、逆のことがずっと起きているのである。
僕が私室を与えられてからというものの、リッターはとても頻繁に僕の部屋に訪れる。
それは、慕われているような気がして嬉しいのだけれど、彼女はベッドを占拠して寝るのだ。
それも、非常に薄着で。
今更それくらいで動揺するほど若いわけでもないけれど、リッターの将来が心配である。
今も、身体の線がハッキリと出るような薄い衣服で、穏やかな寝息を立てている。
ニーナ王女の屋敷で働いているのは多くが女性とはいえ、当然男性もいるのだからこのような恰好でうろちょろさせるわけにはいかない。
ほら、早く起きて着替えなさい。
「……眠い。怠い。着替えさせて」
……この甘えん坊め。
しかし、上目づかいに見られてお願いされては、ギルドメンバーに甘々な僕が断れるはずもなく。
僕は簡単な衣服を脱がせ……どうして下着をつけていないんだ……。
慌ててめくりあげた衣服を元に戻したけれど、普通以上に実った乳房はもちろんのこと、見てはいけない場所まで見えて……。
……後で、この記憶は消しておこう。
「……誘惑?」
キョトンと首を傾げるリッター。
無表情が常な彼女であるが、流石に恥ずかしかったのか頬を赤らめている。
誘惑って……いくら何でもダメだろう……。
衝動的に自分の目を抉り取りたくなってしまったよ……。
「そんなにダメだった?」
シュンとテンションを下げて聞いてくるリッター。
いや、そういうことじゃなくてね?娘の裸を見た父の気分って分かるかな?
君の身体は自信持っても良いと思……何言ってんだ、僕。
「……そう」
しかし、リッターは僕のわけのわからない励ましを受けて満足したようで、コクリと頷いた。
ほっ……。明らかに変な励まし方になってしまったけれど、彼女がうまく立ち直ってくれたならよかった。
さ、ニーナ王女が待っているし、簡単な服で良いから着替えてくれ。
「うん」
そう言うとリッターはガバッと衣服を脱いで……。
……下着も付けていないのに、ここで着替えたらダメだよ……。
◆
「……遅かったな」
ニーナ王女は、ジトーッとした目を僕とリッターに向けてきていた。
いや、本当に申し訳ない……。
僕は苦笑しながらそう言うが、リッターが悪びれもなくぼへーっと立っているだけである。
……この子の図太さは、時たま羨ましくなる。
「まあ、いい。お前たちを呼んだのは、少々私にとって悪い事態に陥ってしまったからだ」
ニーナ王女は一つため息を吐くと、僕たちを呼んだ理由を説明してくれた。
悪い事情?ここで生活させてもらっていると、別にそんなことはないように思えるけれど……。
「最近、私を支持してくれていた貴族たちが、殺されたり失踪したりしている」
……えぇ?
もう、そんなの誰がやったかなんてわかりきっていることじゃないか……。
僕の頭の中で、意地が悪そうな笑みを浮かべているエヴァン王国第一王子の顔が現れる。
僕がそのようなことを言うと、ニーナ王女は苦笑する。
「まあ、十中八九兄上が原因だろうな。だが、明確な証拠がない以上、第一王子を糾弾することは誰もできないのだよ」
頭が痛そうにニーナ王女は目をギュっと瞑る。
うーん……確かに、証拠を残していないのに、こいつがやっていそう!ってだけなら犯人にすることはできないよね。
それが、王国の王子ともなればなおさらだ。
「だが、このまま何もしないで見ていることはできない。すでに、この凶行が自分に向けられることを恐れて、貴族の何人かが兄上の派閥に鞍替えをしている。このままだと、私の派閥の人間が全て兄上に奪われてしまうことになる」
ニーナ王女を支持する人でも、全員が全員彼女の決意などを支えたいというわけでもないだろう。
命が惜しくなって、リンツ王子の派閥に付くのも仕方ない。
とはいえ、このまま黙って見ているのは、王の選定においてニーナ王女の敗北を意味する。
闇ギルドの人間である僕からすると、どちらが王になろうが構わないのだけれど、優しい国にするのはどちらかといえばニーナ王女の方だと思う。
多少の手助けはしたい。
「ありがとう。早速、甘えさせてもらうが、お前たち二人には狙われているであろう貴族の護衛をしてもらいたい」
僕の言葉に微笑むと、ニーナ王女はそう言ってきた。
ほほう……。誰が狙われているかは、すでに見当がついているのか。
しかし、それではニーナ王女の護衛はどうするのだろうか?
「なに、私もそこそこは戦える。簡単にはやられんさ」
ニーナ王女はニヤリと笑って、頼りになることを言ってくれる。
まあ、そうだね。王女とは思えないほどの戦闘力を持っていることは事実だ。
そこらにいる王国騎士が複数で襲い掛かってきても、簡単にいなしてしまうことができるだろう。
以前のようにキマイラが襲い掛かってきたら話は別だけれど、すでにあの後王城に報告をしており、このあたりの警備は非常に厳重になっている。
また襲い掛かってくる可能性は否定できないけれど、不意を打たれることはないだろう。
「本当なら、お前たちのどちらかにここに残ってもらいたいのだが……リッターがそれを了承するとも思えんしな」
「うん」
リッターはスススッと寄ってくると、僕の腕をがっしりと掴んで梃子でも離れまいと抱きしめてくる。
いや、即答って……。一応、仕事なんだからわがままは言わない方が……。
ニーナ王女が難色を示すのであれば、娘に甘々な僕も流石に苦言を呈するところであるけれど、彼女は呆れたように笑っていた。
今回は、その好意に甘えさせてもらおう。
「ただ、お前たちは二人だけで護衛に行ってもらう。他の騎士たちがついて行っても、マスターはともかく、リッターにとっては邪魔になるだけだろうからな」
ニーナ王女の言葉に、僕とリッターは素直にうなずいた。
確かに、余程の敵が現れない限り、リッター一人で十分だろう。
それに、僕も最近はララディやソルグロスに連れられて出た場所で戦闘に巻き込まれることが多いため昔の勘を取り戻しかけているけれど、やはり魔法を使って敵ではなく味方を消し飛ばすことになっては大変だ。
「狙われていると思われる貴族は、お前たちを派遣する者だけではないからな。他のいくつかの候補にも、私の派閥の騎士たちを送り込んでおく」
そうか、わかったよ。
……リッターも、僕の腕に顔をこすり付けるのは良いけれども、話は一応聞いておいてね?
「兄上が雇っているであろう暗殺者は、証拠どころか目撃者もほとんど残さないような手練れだ。リッターとマスターの力は信用しているが、十分に注意してくれ」
ニーナ王女の忠告に、僕はコクリと頷いた。
こうして、僕とリッターは狙われているであろう貴族の元へと向かうのであった。




