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侯爵令嬢の冒険記  作者: 神嶋桜貴
第一章 婚約破棄されました
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婚約破棄されました 二の二

 時刻は夜。

 クリスティアはクロネコ亭の一室から、窓辺に座って空を見上げていた。ハンナは隣室にいるので、今は一人だ。

 このクロネコ亭は、家族で営む宿屋兼食事処だった。

 古い建物だが、中は清掃や細やかな気遣いが行き届いて、自然な経年劣化がどこか人を落ち着かせる。店主家族の人柄も温かみが感じられて良い。それに、なんと言っても食事が美味しかった。

 濃厚なクリームシチュー。外はカリッとしているが、中はふんわりもっちりとしたパン。素朴で優しい味付けだ。エストリオ家お抱えのシェフも貴族の間では一番の腕前だと評判だが、ここの食事はまた違った美味しさだった。これが俗に言う、おふくろの味と言うやつなのかもしれない。さすがアンゲルの紹介なだけある、とクリスティアは微笑を浮かべた。

 ふと、微かな気配が窓の外からして、クリスティアは窓を開けて部屋の奥へと行った。すぐに二人の男が、音もなく部屋に入ってくる。


「こんな夜更けに女性の部屋へ入ってくるなんて、不躾にも程がありますわ。ハロルドにアンゲル」


 クリスティアの言葉に肩をすくめたのはアンゲルだ。そして、苦笑を零したのはハロルドと呼ばれた若い男。

 さらりと零れる、太陽の様な金色の髪。空を思わせる優し気な青い瞳。けれどクリスティアは、彼の瞳が氷よりも冷たくなる事を知っている。


「そんな事を言わないでくれ。俺だって好きでこんな事をしてるんじゃないよ」

「ふふふ。分かっておりますわ」


 そんな会話をしていると、控えめに扉を叩く音がする。クリスティアが入室の許可を出すと、入ってきたのはお茶の用意を済ませたハンナだった。


「さすがクリスティアの侍女は優秀だ」

「まったくだ。俺はたまにクリスティア嬢達が本当に人間なのか疑問に思う事があるな」

「アンゲルのその言葉。ほめ言葉として受け取っておきますわ」


 三人がテーブルに座り、ハンナが少し後ろに控えると、ハロルドは真剣な表情になった。


「昼間の事だが。ここで話しても?」

「ええ。この部屋には防音と人除けの魔法。宿自体には結界を施してありますので、誰かに聞かれる心配はもちろん。敵意のある人間は近づく事もできませんわ」


 クリスティアの言葉にハロルドの顔がなんとも言えない表情になる。どうしたのかと、クリスティアは首を傾げた。アンゲルが呆れたように口を開く。


「ここは敵地のど真ん中か……」

「あら。いくらここが王太子領とはいえ、用心するに越した事はありませんわ」


 アンゲルの深々とした嘆息に、クリスティアは憮然となった。


「それで?早く本題にうつって下さいな。睡眠不足は女性の天敵ですわ」

「ああ、すまない」


 ハンナの香り高い紅茶を含みながら、クリスティアはハロルドに視線で先を促す。


「まずは此度の事、申し訳なく思う」


 言うと、ハロルドは頭を下げた。いまにもテーブルに付きそうな程だ。クリスティアは破棄されるのを待っていたのだから、逆に申し訳なくなってくる。


「これは第二王子殿下の問題ですわ。ハロルドが頭を下げる必要なんてありません」

「だが……」


 それでも言い募ろうとするハロルドを、手で押しとどめる。そして柔らかく微笑んだ。


「わたくしとハロルドは友人であり、大切な仲間。その気持ちだけで、わたくしは充分ですわ。それに、もし第一王子としての言葉でしたら、それこそわたくしは聞く訳にまいりません」


 そう。今クリスティアの前で頭を下げている彼は、ハロルド・リディアス。

 このリディオン国の王太子だ。

 本来であれば、いくら私的な場とはいえ名前を呼び捨てる事は許されない。だが、先の防衛戦で一緒に戦った事がきっかけで、ここまで気安い仲になった。

 ハロルドは苦笑を浮かべながら顔を上げた。


「分かった。俺はもう何も言わない」

「ええ。けれど、ハロルドの気持ちだけは、受け取っておきますわ」

「ありがとう、クリスティア」


 ハロルドの肩の力が抜ける。それでもまだ、彼の表情は晴れなかった。


「まったく。聖女祭を半年後に控えているというのに、やってくれたよ」


 聖女祭。

 かつて、世界を滅ぼそうとした闇があった。その闇を一人の少女が封じる事に成功した。けれど少女もただでは済まず、封印の代償に命を終えてしまった。人々はその身を犠牲にして世界を救った少女を聖女と呼び、敬うようになる。そして、闇を封じた土地を聖地とした。以降。闇を封じた日になると、人々は少女の魂を慰めるべく酒や食べ物を持ち合うようになった。

それが聖女祭の始まりだ。

 人族以外の地では分からないが、毎年各国で春の初めに盛大に行われている。特にこのリディオン国は聖地のある国だから、一番華やかだと言っても過言ではない。

 そして百年に一度。若い少女から一人が聖女として選ばれ、聖地で大規模な儀式を行うのだ。百年の間に弱まった封印を、再び確かな物にする為だと言われている。だからこの聖女祭が終わるまでの一年は、良くない事や争い事、血を流すことはしないのが暗黙の了解だった。理由は色々あるが、封印が弱まり力を増した闇を刺激しない為なのだと言われている。

 そして半年後に控えた聖女祭が、まさにこの百年に一度の時だった。


「俺はあいつが本当に情けない。クリスティアが今日どこにいたのか知らないとは……」

「公然の秘密、ね」


 アンゲルがぽつりと零す。

 貴族には、公然の秘密という物がある。

 貴族であれば誰でも知っている事だが、秘密にしなくてはならない物。決して口にしてはいけない事だ。それが、今のクリスティアにはある。


「ああ、そうだ。それを王族である者が知らないなど、話にならない」


 クリスティアは何も言わずに瞳を伏せた。

 そもそもクリスティアとレオナードの婚約は、力の弱い側妃子だった彼の立場を確かな物にする為、国王たっての願いで決まった。宰相であり、国で二番目の権力を持つというエストリオ家。その後ろ盾がなければ、レオナードは王妃子である第三王子よりも弱い立場なのだ。


「だけど、ここ最近の第二王子派の行動は目に余るものがあった。その事に頭を悩ましていたが……。これで彼らも大人しくせざるを得なくなってくれた、というのは皮肉なものだよ」


 ハロルドが深々と嘆息する。


「ただ、クリスティアの身が心配だ」

「あら、わたくしでしたらご心配に及びませんわ」


 いつの間にか手にした扇で口元を隠しながら、クリスティアはにっこりと微笑む。


「わたくしの楽しみを邪魔する者は、どんな存在だろうと全力で排除致しますもの」

「……なんだかそれが一番怖い気がするんだが」

「あら。わたくしの旅の邪魔さえしなければ、何も致しませんわ。人聞きの悪い事を仰らないでくださいませ」


 ずっと、こうして世界を冒険する為に準備してきたし、悪役という役目も終えたのだ。だから、この旅を邪魔する存在は決して許さない。それが例えちょっと追い詰められた第二王子派だろうと、隣国だろうと、聖女に封じられたという、闇だとしても。

 笑みを形作った瞳の奥で、クリスティアの決意が揺らめく。アンゲルとハロルドも何か感じる所があったのだろう。二人して肩をさすった。


「ま、まあ。ほどほどにしてくれや」


 アンゲルは話をそらすように、ハロルドへ意味ありげな視線を向けた。その視線を受けて、ハロルドが口を開く。


「もう一つ、クリスティアに話しておきたい事がある」

「オーストル国、ですわね」

「ああ、そうだ。防衛戦が終結してから二か月。やつらもしばらくは大人しくしていたが。どうもここ最近、動きが怪しくなってきた」

「存じておりますわ。おそらくまた、攻めて来ようと言うのでしょう」


 クリスティアが小さく嘆息する。突如攻めてきたオーストル国。その目的が分からないのだ。飢饉が起きているという事実も無ければ、オーストル国と揉めた記憶もない。わざわざこんな時期に、いったい何が彼らを戦いに急き立てているのか。


「やはりエストリオ家の情報網は凄いな。そこまで知っていたのか」

「ええ。お父様とお兄様達が動いていますから。今回は、前回の様にふいをつかれる事は無いかと思いますわ」

「そうか。いや、そこまで分かっているならいいんだ」


 どうやらハロルドは、クリスティアの事を心配してくれいていたらしい。


「ふふふ。心配してくれてありがとうございます」

「ああ」


 ようやくハロルドが優しい笑みを浮かべた。

 話が落ち着いたところで、クリスティアはアンゲルをじっとりと見つめた。茶菓子にと出したクッキーを、一人でパクパク食べていたのだ。いかつい見た目なのに随分と甘党らしい。クリスティアの視線に気づくと、アンゲルは気まずそうに手を彷徨わせる。


「あー……。それにしても、防衛戦中にクリスティア嬢が言った通りになったな」


 アンゲルは話を逸らすことにしたようだ。クリスティアは半眼になったが、その話にハロルドがのった。


「本当だよ。クリスティアから、レオナードが婚約破棄を言ってくるかもしれないと聞いていなかったら、全てが後手に回っていた。今頃はもっと王宮も混乱していただろう」

「クリスティア嬢には予知能力もあるのかと思ったぜ」

「まあ。わたくしには予知能力なんてありませんわ。学園に置いておいた影からの情報を元にすれば、容易に想像出来ましてよ」

「そう言う物かね」

「そう言う物ですわ」


 クリスティアに予知能力なんて物は無い。ただ前世の記憶があって、その記憶の通りになっていったから推測が簡単だっただけだ。だがそれも、これ以上は役に立たないだろうと思う。ゲームとしてのエンディングを迎えた事もあるが、ゲームとは違う事がすでに起きているのだ。

 まずクリスティアに、兄が二人もいない。そもそもゲーム上の兄の名前と、ジルベルトとリューゼの名前がどちらも一致しない。顔も違う。その為ゲーム上の兄が存在しないのだ。

 そしてもう一つ。

 防衛戦などという、血生臭い事もゲーム上では起こらない。物語には描かなかっただけで、設定上はあったのかもしれないと一度は思った。だが、学生も戦場に駆り出されたくらいなのだ。わざと描かなかった、という事は無いだろう。

 この差異がどうして生まれたのかクリスティアにも分からない。自分が前世の記憶を持っている事で変わったのかもしれないし。そうでないのかもしれない。ただ一つ分かる事は、確かにゲームと同じような世界だが、ここでは誰しもがみんなちゃんと今を生きているという事。自分達で考え行動し、影響を及ぼしあっているのだ。だからここは紛れもない現実で、ゲームの様に未来が絶対的に決まっている訳でもない。


「そういえばクリスティア。冒険者になったと聞いたけど、これからどこに向かうつもりだ?」


 ハンナが淹れなおしてくれた紅茶を一口含んで、ハロルドの問いにクリスティアは答えた。


「ガラハム国ですわ」

「げほっ!?」


 アンゲルがティーカップ片手にむせ返った。どうでもいいが、彼ほどティーカップが似合わない男はいないだろうとぼんやり思う。


「アンゲル、汚いですわ」

「すまん。だがお前、なんだって、そう、予想の斜め上を、行くんだ」


 なんとかそれだけを口にすると、アンゲルは咳き込んだ。ハロルドに背中をさすられ、新しい紅茶を飲んでようやく落ち着く。


「隣国といい、今のハルレイシアでは落ち着いて冒険も出来なさそうですし。そもそもわたくし、世界が見たいのですわ」

「そりゃまあ、以前からクリスティア嬢はそう言ってたが……。他族はあまり、人族を歓迎しないぞ。獣人の国は特にな」


 確かに四つの大地に住む者同士は、基本的に干渉し合わない。だがまったく交流が無い訳ではなかった。商売や冒険者同士などならば、少ないが同じパーティを組んだりと交流がある。だが獣人族に関しては、人と交流している者は皆無に近い。なぜなら昔、人族は獣人を奴隷として差別していた歴史があるからだ。いや、今でも差別したり、奴隷として取引されたりしている存在がいるのも確かだった。


「国に入る事も難しいと思うぞ」

「分かっておりますわ。けれど、行ってみなければ分かりませんもの」


 しばらく互いに見つめ合う。先に折れたのはアンゲルだ。


「あんたは言ったら聞かない所があるからなあ。……仕方ねえ」


 深々と息を吐いて、がしがしと頭をかく。


「他族に詳しい奴らがいるから、連絡しておいてやる。明日、フィリアの説明が終わったら街の出口で落ち合おう」

「気持ちは嬉しいですけれど……。わたくしはあまり、自分の力を他者に見せたくありませんわ」

「まあそう言うな。力を隠すっていう、エストリオ家の決まりも分かってるさ。だがあいつらは口も固いからな。どんな力を見たって、口止めしときゃ口外なんてしねえよ」

「ですが……」

「ガラハム国に行くなら、あいつらもいた方が絶対にいい。無駄足になるのはごめんだろう?」

「……分かりましたわ。そこまでアンゲルが仰るのでしたら、お願い致します」


 不承不承と言う呈でクリスティアは頷いた。アンゲルの言う事も分かるからだ。そんなクリスティアの頭を突然、いつの間にか移動したアンゲルが乱暴に撫でた。


「ちょっ!な、な、何をするのですか!?」

「お前はもう少し、人に頼る事を覚えるこった。あいつらの事は俺が保証する。実力についてもな」

「だからと言ってっ」


 文句を言いかかけて、思いのほか温かな瞳と目が合う。瞬間、クリスティアの頬が熱くなって、言葉が出て来なくなった。


「と、いう訳で、これはギルド長からの命令な」


 アンゲルはしてやったり、という笑顔を浮かべて片目をつぶる。そうしてハロルドに向き直った。


「ハロルド、そろそろ帰るか」

「ああ。クリスティア、それではまた」


 クリスティアが何か言うよりも前に、二人は来た時と同じように音もなく窓から出て行ってしまった。


「まったく……。アンゲルのせいで、ハロルドを口止め出来ませんでしたわ。わたくしが冒険者になった事は、まだお父様達に知られたく無いのですけれど」


 ハンナに髪を直してもらいながら、クリスティアは困ったように言葉を零す。だがその表情は困ったというより、どこか嬉し気だった。



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