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侯爵令嬢の冒険記  作者: 神嶋桜貴
第一章 婚約破棄されました
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婚約破棄されました 一の一

 私には前世の記憶があると言ったら、いったい何人の人が信じてくれるでしょうか。

 きっと、誰も信じてくれないと思うのです。

 ただ記憶があるだけならば信じてくれる人もいるでしょう。

 でも、この世界の人には信じられないと思うのです。

 まさか前世の私にとってこの世界が、乙女ゲームだったなんて――。





第一章 婚約破棄されました



   一



 国立魔術学院、エルシオン。

 魔力を持ち、なおかつその力が強いと国に認められた者だけが通うことを許された学院だ。

 その校内の一角。昼時の食堂に、人だかりが出来ていた。



 終わった。

 頬に床の冷たさを感じながら、クリスティア・エストリオは息を吐いた。同時に、辺りから悲鳴ともとれない声が聞こえてくる。自分が突然押し倒された事に、荒々しい事に慣れていない貴族の令嬢達が声を上げたのだろう。


「このような状況でも、お前はまだ己の罪を認めないのか」


 頭上から聞こえてくる冷淡な男の声に、大きな溜息を吐きたくなった。倒された拍子に打ちつけた肩と額が痛かったが、ここで弱々しい態度を見せるのは自分の矜持が許さない。軽く息を吸い込むと、自分を抑え込んでいる男に視線を向ける。


「肩が痛いですわ。離して下さらないかしら。それとも、リュゼイン騎士伯子息ともあろう人間が、か弱い少女を突然組み伏せるのが趣味なのかしら」


 クリスティアの非難めいた言葉に、エルセ・リュゼインは弾かれた様に手を離した。拘束が無くなると、ゆっくり立ちあがり乱れた銀に近い金の髪と服を直した。まったく、せっかく侍女が整えてくれた髪がだいなしだ。ふつふつと湧いてくる怒りを鎮めようと再び嘆息する。そうしてクリスティアは、正面に視線を向けた。


「ふん。お前のような女が、か弱いとは良く言った物だ」


 再び冷淡な声を発したのは、レオナード・リディアス。この国、リディオン国の第二王子だ。そして、クリスティア・エストリオの婚約者でもある。


「レオナード様。王族としてそのような言葉遣いは控えられるよう、いつも申し上げておりましてよ。それに、先ほども言った様にわたくしは身に覚えがございませんわ」

「……エストリオ侯爵令嬢。この期に及んでその様な態度はいかがな物か」


 低く、けれど良く通る声でクリスティアを非難したのは、アドルフ・シュナイケル伯爵子息だ。ついでに言えば、クリスティアを取り囲んでいるのは三人だけではない。カミーユ・ランタン子爵子息に、クリスティアの実の兄であるリューゼ・エストリオ侯爵子息の総勢五人だ。そして、その中心には彼らに守られるように一人の少女が立っている。

 リリシス・レイトロン男爵令嬢。レイトロン男爵の庶子であり、ついこの間まで庶民として生きていた少女だ。その彼女を守るべく、彼らはあえて昼時の食堂と言う公衆の面前でクリスティアを糾弾しているのだ。

 知っていた。知っていた事だが、実際その場面になると胸に走る痛みはどうしようもなかった。だがそれも、もう起きた事。いくらこの現状を嘆いていても仕方ない。


「何か言う事は無いのか。失礼にも程があるぞ!」


 何も言わないクリスティアに、焦れた様な声をカミーユが上げる。さすがにクリスティアも眉を顰めた。


「失礼なのはあなたではなくて?今後わたくしがどのような立場になろうと、今はまだ侯爵家の人間でありレオナード様の婚約者です」


 言外に、侯爵に向かって子爵が何を言うのか、と言えば全員が鼻白んだ。まったく、随分と毒された物だ。自分達の事は棚に上げて、地位をひけらかしていると思っているらしい。胸中で毒づきながらも、クリスティアの表情は変わらない。レオナードが怒りを滲ませた息を吐いた。


「お前が、リリシスの悪い噂を流しておとしめようとした事は分かっているんだ」

「何故、その様に思われるのですか」


 小首を傾げて問う。絹糸のような金の髪がさらりと零れた。レオナードは顔を歪めると、クリスティアを睨みつける。


「リリシスが勇気を出して教えてくれた」

「……その証言以外に、何か証拠はあるのですか」

「まあ、お前が認めないと言うのならいい。だが、これはどう説明するつもりだ」


 答えになっていないのだが。と思ったが、レオナードの次の行動に、クリスティアは呆れるしかなかった。レオナードは庇う様にしていたリリシスを抱き寄せると、彼女の腕を優しくとってクリスティアに差し出してきたのだ。呆れる以外に、どうしろというのか。

 腕を見せるのは良い。だが、こんな大衆の面前で抱きよせる必要があったのかと言えば、疑問しか浮かばない。周りにどう思われるのか考えていないのだろうか。クリスティアは嘆息した。


「どう、とはいったい何の事を指していらっしゃるのか、わたくしには分かりかねますわ」

「この傷の事だ!」


 再び、リリシスの腕をクリスティアに向ける。成る程。確かに包帯をしている。これから先の展開を思って、クリスティアは頭が痛くなってきた。


「いつ怪我をしたのでしょう?昨日の時点では何も無かったように思われますが」

「はっ!お前がそれを言うか!登校後、リリシスを言葉巧みに呼び出し、持っていたナイフで切りつけたのではないか!」


 まるで、さも自分が見ていたかのような言い方に、不覚にも笑みが零れそうになってくる。慌てて扇で口元を隠した。彼はクリスティアがここに来るまで、どこにいたのか知らないのだろうか。貴族ならば全員が知っていていい事だというのに。恋と、愛する人を守ると言う正義に酔った彼らには、どうでもいい事なのだろう。


「……その場面を、見た方はいらっしゃるのでしょうか」

「リリシスが証言し、現に傷を負っている事が証拠以外のなんだというのだ」

「物的証拠を見せていただきたいですわ」

「だから、被害者がお前だと言っているのだ。それで充分だろう」

「……その言い分ですと、わたくしがレイトロン男爵令嬢に襲われたと言って、小さな傷でも作れば彼女が犯人になってしまいますわね」

「リリシスがそんな事をする訳がないだろう!」

「……」


 閉口するしかない。恋は盲目と言うが、ここまでとは。成り行きを見守っていた人達も、不快に顔を歪めているのが分かる。頭を悩ませていると、野次馬の中から一人の男が一歩前に出てくるのが視界に入った。彼が口を開く前に、クリスティアは目で何も言うなと合図した。クリスティアはほとんど話した事は無いが、確か侯爵子息だったはずだ。自分を庇おうとしてくれたのだろう。


「いい加減にした方が宜しい、エストリオ侯爵令嬢。揚げ足を取るような事をするなど、みっともないとは思わないのか」


 その言葉、そっくりそのまま返します。とも言えず、クリスティアはアドルフに顔を向けた。


「アドルフ様。わたくしは事実を確認しているだけですわ。濡れ衣を着せられようとしているのですもの。当たり前ではありません事?」


 言えば、アドルフが口ごもる。彼の中でも、私を追い詰めるには証言だけでは足りないと思っているのだろう。


「ふん。話にならんな。もういい」


 レオナードは不機嫌を隠そうともせずに呟くと、食堂に集まった人々へ視線を向けた。そして、未だ腕の中にいるリリシスを更に抱き寄せる。


「私、リディアス家第二王子、レオナード・リディアスはここに、クリスティア・エストリオ侯爵令嬢との婚約を破棄する事。そして、ここにいるリリシス・レイトロン男爵令嬢と新たに婚約する事を宣言する!」

「まあ」


 レオナードが高らかに宣言すると、辺りの喧騒が大きくなる。それを自分への賛同だと思ったのだろう。満足げに頷くと、クリスティアへ勝ち誇った視線を向けた。呆れて嘆息してしまいそうになるのを、なんとか堪える。


「これは国王陛下から、直々にいただいたお話。わたくし達の一存で出来る事ではありませんわ」

「この学院でのお前の行いを話せば、父上も反対はしないだろう。そうなれば、お前は侯爵家の人間ですらいられなくなるかもしれんな」


 音を立てて扇を閉じる。突然の事に、クリスティアを糾弾していた全員の肩が跳ねた。


「レオナード様がそこまで仰るのでしたら、陛下もお許しくださるでしょう。承知いたしました。この婚約破棄のお話、クリスティア・エストリオ侯爵令嬢としてお受け致しますわ」


 侯爵令嬢という言葉を強調して言うと、クリスティアは優雅に一礼する。貴族の中でも、一番に美しいと言われているそれだ。軽く下を向き、さらりと零れた金糸の髪の下、そこで彼女の口角が上がっていた事に気付いたのは、いったいどれ程の人がいただろうか。

 クリスティアが礼をして顔を上げると、息を飲む気配が食堂を包んだ。疑問に思うより早く、こめかみから頬にかけて違和感を覚える。無意識に手をやると、ぬるりとした感触がした。指を見れば赤く染まっている。どうやら、先ほど床に打ちつけた際に切っていたらしい。

 突然の流血に驚いたのだろう。それまで意気揚々と糾弾していた五人まで息を飲んでいる。クリスティアは再び嘆息すると、口を開いた。


「皆様、大切なお昼の休憩時間にお騒がせしてしまった事、お詫び申し上げます。わたくしはこれで失礼させていただきますわ。それでは、ご機嫌よう」


 哀しげに見えるよう眼を臥せると、クリスティアはレオナード達に背を向けた。


「待て!」


 レオナードの鋭い声が聞こえて、クリスティアは足を止める。そして、それはそれは美しい笑みを向けた。深い湖水を思わせる碧い瞳が笑っていない。


「何の御用でしょう、殿下」

「リリシスに謝罪を……」


 レオナードの言葉が途中で途切れる。クリスティアの空気が一変したからであるのは明白だった。


「謝罪?誰が、誰に、何を、ですか?」


 天使の微笑みとは今の彼女の事を言うのだろう。食堂にいる、全ての人間を惹きこむ程の笑み。だが同時に、無言は許さないと言う無言の圧力が、クリスティアから放たれている。それに圧倒されたように、レオナードは口を開いた。


「お前が、リリシスにしてきた、嫌がらせの全てに対してだ」

「ああ……、殿下」


 艶やかな声で、クリスティアが言葉を紡ぐ。


「婚約者であるわたくしから、殿下に出来る最後の助言ですわ」


 たっぷり三秒待つ。


「何か行動を起こす時は、己の耳目じもくで現状を把握し、起こした後の結果と責任を考えてからにする事をお勧めしますわ。それも、大きな事を起こす時は特に」


 レオナードが、まるで射殺さんばかりの勢いでクリスティアを睨みつけた。普通の人間なら竦み上がっているだろう。だが、そんな彼を意にも介さず、今度こそクリスティアは食堂の出口に向かった。背後でレオナードが何か言っているが、これ以上くだらない事に耳を貸すつもりはない。

 扉に手をかけた時だった。唐突に、クリスティアの無意識が魔力の流れを感知する。明らかに自分へ魔力の奔流が向かっていた。視線だけを後ろに滑らせる。

 瞬間。

 パシン、という乾いた音が食堂に響いた。

 クリスティアは息をするような自然さで、向かって来た魔法を無効化したのだ。見た目には、クリスティアはただ立っていただけにしか見えない。だが力のある者なら当然、そのくらいの事は分かるだろう。

 驚愕を浮かべるレオナードを一瞥して、クリスティアは何事も無かったかのように食堂を出た。


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