龍安寺の思い出
創作話「龍安寺の思い出」 作 大山哲生
私が大学二年の時の話である。
私は史跡同好会というサークルに入っていた。総勢百五十名でそのうち半数は女子であった。百五十名を六つのグループにわけて活動する。活動のある土曜日は楽しみだが、普段の日はなんとなくけだるい。
一
十月のある日、この日は午後一時からの授業一コマだけであった。喫茶店で一人で食事をし、しばらく漫画本を読みふける。それから、午後一時前に掲示板を見に行く。「日本倫理思想史は休講」と出ている。これは私がでるはずの授業であった。ということは今日の授業はなにもなしということだ。わかっていれば家でゆっくりできたのにと恨みがましい気持ちになった。
「えーっ、休講か」と私の前で聞き慣れた声がした。
「あ、中本さん」
「あ、大山君」
中本良子は私と同学年である。中本さんも史跡同好会に入っているが、グループが違うのであまり話す機会はない。中本さんは、涼しげな目をしており、笑うとこぼれる八重歯がかわいい。
「中本さんも休講なの」
「そう、今日の授業はこれだけだから、昼から暇になっちゃった」
「ぼくも。休講になって昼から暇になった」
中本さんはいつも女子二人で行動しているが今日は珍しく一人だ。
私は、女子と一対一で話をしたことがなかったのでどう会話を続けてよいかわからなかった。恋人同士ならこういうときはデートにさそったりするんだろうなと思ったとき、中本さんが言った。
「大山君、龍安寺に行かない? 私、先週のサークルの活動を休んだから龍安寺にいきそびれたんだ」
私はうろたえた。中本さんが誘うということはなにかあるのかなと。でも、断る理由もないので、二人で龍安寺に行くことにした。
二
バスの中では、二人ともつり革を持っていた。会話はほとんどなかった。
龍安寺の参道を抜け、石庭を眺める廊下に来た。
「中本さん、ここにすわろうか。ここなら石庭が見渡せる」
「うん」中本さんは私の横に座った。
女子と二人っきりでこういうところに来るのははじめてだった。こうやって中本さんと恋人同士になったら楽しいかもしれないななどとと妄想にふけった。
中本さんが話し始めた。
「大山君はこの石庭がなにに見える」
私は、石庭のことを本で読んでいたが、受け売りを披露したのではつまらないと思い、「ぼくには、石と砂利に見えるけど」とぶっきらぼうに言った。
中本さんは、私の意見に何の反応もなかった。
三
「大山君、私にはこの石庭は女子のグループのように見えるんだ」
「グループ? 」私は思わず聞き返した。
「私は女子高だったんだけど、クラスのなかで女子のグループがいくつもあって対立してた。そしてね、いじめたり悪口言ったり無視したりするんだよ。そのグループの様子をこの石庭が表していると思うの」
「なるほど、そういう見方もあるんだな。中本さんは、どういうグループだったの」
「私は五人のグループだったんだけどいじめられる側の方だったなあ」
「どうして」私は聞いた。
「私のグループに成績トップの子がいたから目をつけられたみたい」
「へえ、そんなことが」
「ほら見て、左の方に石が五つ集まってるでしょ。でもこのグループが強いとは限らない、奥の石のように二つでも強いことがあるんだよ。右の三つの石群はまるで傍観者のよう」
そういうと、中本さんは遠い目をした。
「今はどうなの」
「今の女子寮でもこの石庭のようにグループがある。私はいつも、目をつけられる方なんだ」
夕暮れの光の中で、中本さんの横顔が悲しかった。しだいに涙があかね色に染まっていった。
四
三ヶ月後、中本さんが同じ学年で史跡同好会副会長の吉田直也とつきあっているという話を小耳にはさんだ。私は、失恋というものはこういう心境のことをいうのだろうかと思った。
こういう時はやけ酒を飲むものだというのを、ものの本で読んだことがあったので友人の下宿で痛飲した。でも、中本さんを忘れられなかった。
思い返すと、龍安寺で中本さんの問わず語りを聞いたとき,何も励ましてあげられなかった自分が情けなかった。
五
あれから四十年あまり。フェイスブックで、ある京都のサイトを見ていると、「吉田良子」という名前の投稿が目についた。思わず写真をくいいるように見てみるとあの目元涼しげな中本良子に間違いなかった。
投稿には龍安寺の石庭の写真がありその下には、
『今、龍安寺に来ています。石庭を見ていると飛行機から雲海をみているようです』
というコメントがあった。
中本さんはどうやらいい人生を歩んできたようだ。
私は、青春の日に夕暮れの龍安寺で見た中本さんの横顔を思い出していた。