黄泉を蹂躙せし者の名は
中つ国から黄泉へ帰って来た不知火ジンは、その光景を目の当たりにし、言葉が出てこなかった。
人間とトラの半人半獣は、火の神カグツチの眷属として、黄泉を陰ながら支えてきた。
ジンにしてみれば、黄泉は故郷である。掛け替えのない大切なくになのだ。
その故郷を――――見知らぬひとりの男に壊された。
黄泉の入口から少し離れた広場は、惨憺たるものだった。
暗闇に支配されたその場所から、血の臭いが漂ってくる。
周囲を見回すと、黄泉の住人達が、苦しげに地を這っているのがわかった。
家屋はことごとく破壊され、それらの下敷きになっている者多数。
大嵐でも巻き起こったかと錯覚するほどに、黄泉の国は荒れ果てていた。
虚しい風が、ジンの上着の裾を揺らした。
「じ、ん」
足元に這いずっている者が、ジンの名を呼んだ。その澄んだ女の声には覚えがある。ジンははっとして、その女を抱き起こした。
「霞ッ!」
黄泉の国の支配者イザナミに付き従う黄泉醜女――霞は、見るも無残な姿に成り果てていた。
きちんと結っている髪はほつれ、簪が折れている。着物の端々が切り裂かれており、赤黒い血が染みる。ぐったりと首をもたげて、霞はそれでも強がって笑っている。
「霞、何があった? 一体どうしたってんだ!?」
「悪ぃね、ジン……。イザナミ様やカグツチ様から、黄泉をくれぐれも頼むと言われたのに……このざまだよ」
「んなことはお前が気にする必要ない。黄泉に何が起こったんだ……!?」
「わからない……。突然、異国の男がふらっと、ここへ現れて……、気がついたら、黄泉がめちゃくちゃになってしまってた……。あ、あたしだけじゃなく、黄泉じまんの、腕利きも皆、やられちまった」
「男……?」
「はは、あたし……クビだねぇ。留守番もできない、なんて」
「もういいわかった。わかったから、少し休んでいろ」
ジンは霞を地へ横たわらせた。残骸になっている家屋から布きれを引っ張りだして、それを霞にかけてやる。
負傷したのは霞以外にも大勢いる。黄泉でまともに動けるのはジンしかいない。幸いにして軽傷ですんだ者達もいたが、それはほんの一握りだった。
ジンは上着のポケットから人型の紙切れを一枚抜き取り、息を吹きかけた。すると紙は闇の空を舞い、真っ直ぐにどこかへ飛んでいった。行先は、日本の天上に位置する高天原だ。
「霞、少しの辛抱だ」
ジンはつとめて優しく声をかける。その言葉を聞いたんだろうか、霞は小さくうなずいた。
軽傷で済んだ幸運な住人たちを集め、ジンは彼らに重傷者たちの救助を命じた。ただし無理はするなと念を押された彼らは、力強く従った。
ジンとしては率先して救助活動に当たりたかったのが本音だ。できることなら、高天原や中つ国の神々を総動員してでも、黄泉の住人たちを助けたい。今すぐにでもそうしたいと叫ぶ心を押し殺す。
いま自分がやらねばならぬことは、救助ではない。
侵入者の排除だ。
ジンは左手の太刀をぐっと握り締める。
目の前には、白装束を纏った男が立っていた。
短く刈られた赤茶の髪は、後ろでちょんと三つに編まれている。純白の装束は異国の僧侶を思わせるが、その両手は使い込まれた布で巻かれている。布のところどころが、鮮やかな赤色に染まっているのが気になった。じっと伺うと、装束や爪先に赤い何かが点々と付着しているのがわかった。返り血だろうか。
背丈はジンと同じか少し高いほど。
その黒い目は、獲物を射抜くがごとく鋭かった。
男のまとう神々しさは、この黄泉にはいっそ不似合いだ。
ジンはその男と対峙した時から、びりびりと殺意を肌に感じていた。
この男が黄泉を破壊したのだ。状況を分析して論理的に導きだすより早く、本能が告げていた。
「キミは神獣か。滅多にお目にかかることができないという種族に会えるとは、なかなか幸運だな」
「そりゃどうも。ぬか喜びさせちまうが、その神獣部分は所詮半分しかないけどな」
冷静さを失わないよう、ジンは答える。人間と神獣の混血である自分を、一瞥しただけで見破るほどの男がそこに立っている。油断はできない。
「どちらにしても幸運だ。キミをここで一番痛い目に遭わせれば、オレの仕事も終わる」
「へえ、ずいぶん気に入られたものだな」
太刀の鍔を親指で押し上げる。その金属音が、いやに強く響いた。
男が腰を少しだけ落とす。両手を前に構えてきた。
「トラの神獣……キミ個人に恨みはないが」
男は一気に間合いを詰めて来た。ただの二歩で、数メートルほどの距離を縮めらる。
ジンの鼻先に、冷たい風が吹く。次の瞬間には何かしらの攻撃が来ると、ジンは本能で悟った。とっさに後方へ飛び退く。
男の拳が、空を突き破った。少しでもジンの反応が遅れていたら、胸あたりにその拳を受けていただろう。
男は構わず二撃目に入る。その左手が大きく振りかぶられた。
ジンはそれを再び飛び退いて回避する。男の拳が、地面に突き立てられた。鈍い音が地面に吸収される。乾いた土にひびが入っていた。男の拳がそこから離れると、ぽっかりと溝ができていた。黄泉の地面は乾燥していて相当固くなっているはずだ。であるにもかかわらず、ただ殴っただけで砕いてしまうその男の力は間違いなく脅威である。
(こりゃ一度も食らってらんねーな)
戦場を駆け抜けたり荒っぽい神々を力づくでねじ伏せたりと、生傷の絶えない経験をしてきたジンでも、やはり痛みには恐怖を抱く。相手は強い。自分は男に着いていくことができるだろうか。
(……いや)
不安と弱気を押し殺す。すくみ上がっている場合ではない。
ここで奴を止めなければ、黄泉はもっと荒らされる。それだけは阻止しなければならない。
ジンは太刀を鞘から抜いた。物心ついた時から運命を共にしてきた愛刀が、今とてつもなく心強い。
奴の武器が拳であるなら斬り落としてしまえ。それまでは好機を伺い、攻撃をやり過ごすのだ。
ぐっと歯を食いしばり、地を踏みしめる足に力を入れる。
「……へぇ」
男がひとり納得した。一旦構えを解き両手をぶらんと垂れ下げた。
「……?」
ジンは気を抜かない。瞬きも忘れて男の動向を見守る。切っ先の向こうには、男が突っ立っているだけだ。
「な……っ」
切っ先の向こうから、すでに男が消えていた。目の乾きを代償に、あの男から絶対に目を離さなかったのに。
見失った以上、今は視覚を頼りにできない。一度だけ瞬きする。
耳と鼻の感覚を研ぎ澄ませた。今は人間の状態だ。でも半分はトラの神獣だからか、五感は完全な人間より鋭い。
(下っ!)
ジンは防衛本能の命じるままに、とにかくその場から離れた。膝を一瞬だけ折る。そこからバネの要領で後方へみっともなく飛んだ。
前髪を、男の拳がかすった。ジンの足元へ素早く移動することで、視界から一瞬だけ消えたのだ。
とにかく回避を最優先したせいで、ジンは受け身もまともに取れなかった。態勢を崩して、そのまま地面に背中から落ちる。
背中が乾いた土に引きずられて少しだけ熱くなる。お気に入りの緑の上着が台無しだ。クリーニング代はいくらになる?
後方へ一回転したのちジンは態勢を立て直す。しゃがみ込んでも太刀は離さない。男から目を離さない。でもそれも頼りないから、最後は自分の本能がものをいうだろう。
男はジンが立ち上がるのをいちいち待ってはくれない。一歩で距離を詰めて来た。ジンの目の前には、男の膝があった。
「っく!」
前のめりの状態で、なおかつ両手を地につけている状態では防ぐこともできない。ジンは頭だけをそらすことで男の膝蹴りをやり過ごした。男の足が風を鋭く切る。その音がジンの耳をかすめた。心臓が跳ねあがる。
間一髪であったが、同時にこの一瞬だけはチャンスだった。
今の男は片足立ちである。足場を突き崩せば有利に戦える。
「このっ」
ジンは手と右足に力を込める。右足を軸に、左足を払った。足の甲が男の片足部分とぶつかる。思ったよりも、男のブーツは固かった。軽い防具でも仕込んであるんだろうか。
そのまま左足の運動を利用して一回転する。勢いを利用して、右手に握り締めた太刀を、横へ薙ぎ払った。
だが太刀は空虚を裂く。男は刃の軌道を読んでいた。
ジンに足を払われたために男の体は横転しかけていた。倒れそうになる上半身を無理やり起こさない。そのまま倒れ込むようにさせながら、片足だけで宙返りしてジンの太刀筋をかわした。バランスを崩された危機を逆手に取ったらしい。
男の頭を軸として、男が優雅に宙へと返る。
ジンは再び跳ね退いて距離を取る。
手が緊張で冷えてきた。足が少しだけすくんでいる。手の冷えは黄泉が寒いからだ。足がすくんでいるのは単なる武者震いだ。そう言い訳して男を睨みつける。目つきの悪さだけは自他ともに認めている。その眼光で射抜けば、少しは相手の戦意を削げるだろうかと試してみた。無駄な抵抗に終わった。
「キミの目は澄んでいるな、痛いほどに」
ジンは一度、太刀を鞘におさめる。
「そう言ってくれるのはあんたで二人目だ」
「一番目でないのは妙に残念だね」
「俺も残念だ。目つきの悪さは自慢でな、少しはビビってくれると期待してたけど!」
ジンは黄泉の地を駆ける。防戦一方ではこの状態をひっくり返せない。こちらからも攻めていかなければ、男を止めることはできない。
太刀の先が届くぎりぎりまで男に近づく。態勢を低くしての突進ゆえに、赤毛の男が大きく視えた。
親指で鍔を押し上げ、素早く刀身を引き抜く。風を切る音が鋭く放たれ――その直後、堅い何かに刀ががっちり捕まった。
ジンの思惑では、目障りな男の両腕を切り落とすはずだった。だがそれは失敗に終わる。舌打ちをしつつ、男を睨み上げる。威嚇の意味はないとわかっていても、相手をどうこうできなかった自分の非力さを怒らずにはいられなかった。
男は両腕で防御の態勢をしっかり整えていた。腰をかがめて、ジンの太刀を前腕で受け止めている。
男の腕には防具が装着されていない。せいぜいぼろの布程度だろう。それなのに、ジンの刃はそれ以上先に進まない。
ジンはじっと目を凝らす。自分の目には、男の両腕に透明色の壁が映って視えた。呪術か何かで作られた防御壁だろう。こちらの攻撃が避けきれない場合は、あれを生み出して防ぐのだ。
攻撃は届かなければ意味がない。かといって攻撃を届けることができたとしても、あのように防御壁を貼られては同じことだ。
ならば、あの壁を出される前に、男に回避させる余裕も与えないくらいに、強くて速い一撃を出さなければならない。
「残念だったね」
男が呟く。ジンは男をそのまま押しのけた。攻撃が通らないなら、近づき続けているのは危険だ。
今度は男の番だ。また距離を詰められる。冷えた瞳がジンを射抜いて来た。
男の拳が振り下ろされる。これはすぐに回避できる。そう踏んだジンは後ろへ一歩だけ下がった。拳はジンの足元すれすれの地面へめり込む。
だがジンの判断は誤りだった。
男は最初から、その一撃をジンに入れるつもりなどなかったのだから。
「……!!」
ジンが息をのむ。また男を見失った。
背後から恐怖がほとばしって来る。
――うしろか!
ジンは上半身をひねる。そのまま、太刀を前に突き出した。その刀身に、男の足が一直線に突っ込んできた。その一撃は重かった。刀身を伝って、手が攻撃の強さを思い知る。
無茶な態勢で防御に入ったせいで、ジンはよろめく。
地に振り下ろした拳は囮であり軸であった。地面に突いた拳を中心にしてジンの背後へ回り込んだ。
両手を地につけバネとし、勢いよく足を突き入れたわけだ。
「っくそ」
ジンは悪態をつく。相手はただ力が強いだけではない。視界から一瞬だけでも消えられると厄介この上ない。
一直線に来るかと思いきや曲がりくねった軌道を描いて攻撃をしかけてくる。この二つを駆使してくるから、相手の行動を読んで防ぐのも骨が折れる。
何より、こちらから攻撃をしかける隙がないのが致命的だった。このまま防戦一方を維持していては、確実に負ける。
男は両手をついたまま一回転して立つ。背に翼でも生えているかのように、その足取りは軽やかである。構えも余分な力がきれいに抜けている。精神的な余裕が、あちらにはあるのだ。
「来ないのか?」
「来てほしいんならいくらでも!!」
ジンは素直に男との距離をつめる。地面すれすれを駆け抜けた。鞘から抜いた太刀を、下段から上段へと勢いよく振り上げる。
刃が固い何かとぶつかり合う。男が呪術で壁を生み出したんだろう。太刀を止められたジンはそれで終わらせない。
一旦太刀を手放す。ジンの愛刀は、青く澱んだ夜空へと、軌道を描いて飛んでゆく。男の視線が、放られたジンの太刀へと泳いだ。
右腕が上へと振り上げられる運動を利用して、ジンは一度身を横に回転させた。
――そこ!!
乾いた地を強く蹴る。ジンの体が、前方へと素早く押し出された。
「……!」
男が息をのむ。今まで刀を振り回してきた緑衣の男が、急にそれを捨てて身ひとつで突っ込んできたのだから。
ジンは右側の肩と肘に力を込めた。男の胴に、自分の上半身をめり込ませる。体が、分厚いガラスにぶつかったような衝撃に襲われる。ジンはそれに耐えて、さらに身を前へと押し出す。
――ぶっ飛べ!
男の胴へ、肘を深く食い込ませる。これでもかというほど、強く。
数秒の重みがジンの右半身にのしかかった直後、解放感が訪れる。男が押し出されて、後方へ吹っ飛んだ。
男が二、三度地面に叩きつけられる。一旦地に倒れてすぐ、身を起こした。
ジンは大きく息を吐く。吐息がこの上なく熱かった。額から嫌な汗があふれてきた。
ゆっくりと右手を上げる。回転しながら落ちて来る愛刀の柄を、寸分の狂いなく天から受け取った。太刀が、再び持ち主の手へと帰ってきた。
あの当て身で終わるはずがない。だいたい、防御壁のせいで手ごたえがまるで感じられなかったのだから。
右手の力を少しだけぶらんと抜く。そしてすぐに気を入れ直す。
ジンの目の前に立っている男は、無表情でこちらをまっすぐ見据える。
負けじとジンは睨み返す。それは精いっぱいの強がりでもあった。自分が戦いに於いて弱いなどとはつゆほども思っていない。だがそんな自分の力を以てして、男を鎮めることができるんだろうか。そんな不安が一瞬脳裏をよぎる。
不安と恐怖を払いのけて、ジンは地を踏みしめる。
できるかどうかじゃない。何としてでもやるんだ。ジンはそう言い聞かせる。
「神獣と戯れるのは、なかなかに楽しいものだね」
男が装束にまとわりついた砂を手で払う。その物言いに、ジンは嫌悪を覚えた。こちらにとっては決死の戦いも、あちらにしてみればただの退屈しのぎにしかならないという、侮辱を吐きだされたせいだ。
――舐められてる。
屈辱この上ないが、それもまた事実なんだろう。ジンは自分の息が少しだけ上がっているのに気づいていた。対してあちらは呼吸の乱れがまるでない。決死の当て身も、男には子供とぶつかったくらいの感覚でしかないのだ。
「だけどね、いつまでも遊んでいるばかりでもいられないからね」
男の冷えた声が、ジンには妙に怖かった。男の表情は変わらない。ただまとっていた空気が違うんだ。
「!」
ジンの息が止まった。男が間合いを詰めて来た。太刀を構え直す。
ジンに反応を許す前に、男は連撃を繰り出す。
軽やかにステップしながら、拳をジンに詰め寄らせていく。
ジンは男の動きをじっと見守りながら、攻撃の軌道をぎりぎりかわしてゆく。
握りこぶしが、鋭い手刀が、逞しい脚が、自分に迫ってくる。
それらを避け、ときどき太刀で受け流す。どうせ相手は呪術で体を守っているんだ。鋭い刃をはしらせたとて、問題はなにひとつない。
足下をすくわれないよう、下半身の力を意識する。日本の黄泉に転がり込むまでの数百年間、山に谷に川に湿地と無数の地を駆け抜けてきたおかげで足腰の丈夫さには自信があった。果たして、その自信がこの男にどこまで通用するんだろうか。
右足に、衝撃が走る。足を狙われた。少しだけ体がぐらつく。よろめいたジンの顔面に、手のひらがかかって来る。
避けきれない。本能でそれを悟り、ジンは左手で男の手を弾く。足を踏ん張って体を安定させる。
(まずい)
ジンの額から頬へ、いやに冷たい汗がしたたってきた。
状況は芳しくない。こちら側がだんだんと不利になっている。
さっきまでは何とか回避で男の攻撃をやりすごすことができていた。多少体をぐらつかされはするものの、そのたび態勢を瞬時に整える余裕があった。その間わずか数秒だが、ジンにとっては充分だった。
だが今はそれどころではない。矢継ぎ早に攻撃を繰り出されている。反撃の余地もない。
どんどん逃れられなくなっている。太刀で受け止めて、押し流すのがやっとだ。
耳や鼻先をかすめていく風音のなんと鋭いことか。太刀で受け止めた衝撃のなんと重いことか。
これを一度でもまともに食らったら、痛いですむわけがない。じわじわと恐怖が背中に迫って来る。
男の拳がまた迫る。ジンは肩を無理やりねじってやりすごす。
再び、足に衝撃が走った。ジンの無謀な避け方が読まれたのだ。
ジンの下半身がぐらついてしまった。しっかり地を踏みしめていた足が、少しだけ宙に浮く。
「っくそ」
ジンはよろめく身体を無理やり起こすのをやめた。かすかに地面に触れていた爪先に力を込める。そしてぐっと地を跳ね、宙で一回転する。どうにか男と距離を空けることができた。
男はまた駆けてくる。拳と脚の届く距離まで、ジンを離したくないようだった。
ジンの鼻先に、男の顔がある。引き結ばれた表情は妙に凛々しかった。見惚れている場合ではないのに。
足下で、地の擦れる音が伝って来た。男が一歩前へ踏み込んだのだ。
ジンは身を固くする。次の一撃が来る。
幸運なことに、次がかかって来るまで、しばしの時間が生じた。あからさまな隙に疑問を抱きはしたものの、ジンはその好機を逃さない。ここまで時間の余裕をもらえたならば、一目散に逃げて少しでも男から離れる方が得策だった。
てっきり、呼吸すら許さないほどの連撃が来るかと予想していたがそれは見事に外れた。
今からでも飛び退くか? それができるほどの時間はない。リズムを崩された。だが防御を固めれば、慌てて回避に飛びつくよりましだろう。
(来るか?)
男の拳が、真っ直ぐジンの胴へ奔る。それを阻止するために、ジンは太刀を前に立てた。
予想通り、拳が太刀にぶつかって来た。鈍重な衝撃が、刃を伝ってジンに響く。重い一撃でも、体に入らないだけましだ。
よし、とジンは安堵してしまう。
ところが。
男が薄く笑う。一瞬だけ、口元が吊り上がっていた。
「な」
衝撃は、太刀で止まらない。
ジンの胴にまで伝わり、内臓を押し潰さん勢いでめり込んできた。
腹に鈍い痛みが広がる。喉の奥から、何かがせり上がってきた。吐き気で息が詰まる。
――何で……!?
ジンは小さくむせた。久々に味わった鈍痛のせいで立つこともできない。そのまま後方へ吹っ飛ばされ、地に転がる。
地面に叩きつけられ、体のあちこちが擦り切れる。握り締めていた太刀を伺うと、刀身がぽっきり折れていた。
「ぐ、ぅ……っ!」
うめきが漏れる。ジンは刃の折れた太刀を杖代わりにしてどうにか上半身だけは起こした。
その行動からして間違いであったと気づくのには遅かった。
男はジンの顔を足で蹴り飛ばす。
痺れるような痛みが右頬を伝わり、せっかく起きた体が地面に突っ返された。
頭を打たないよう、受け身が取れたのは不幸中の幸いだった。頭をやられたら、視界が歪んで不利な要素が増えるところだった。
地に這いずるジンを、男は見逃してくれるはずもなく。
ジンの首根っこを掴んで、そのまま持ち上げる。ジンの後方で、何かが地面に突き刺さる音が小さく立った。折れた刀身だろう。
首が圧迫されて息苦しい。ジンの足は宙に浮いていた。左手で男の手を引き剥がそうともがくが、首に食い込んだ男の指はより強く締め上げるだけだった。
「残念だったね」
男がぱっとジンの首から手を離す。支えを失ったジンは、落下していく感覚を覚えた。
直後、胴体に再び重たい衝撃が食い込んできた。
男の拳が、今度は太刀を通さずジンの体に直接届いたのだ。
「ぐふ……っ」
痛みがやっと引いて来たと思ったらこれだ。
また後ろへ吹っ飛ばされる。背後には、ちょうどよく黄泉の枯れ木が待ち構えていた。そこに背中を強くうちつける。これも男の計算のうちなんだろう。
叩きつけられ、ジンは木をつたいながら地へ沈む。腹の鈍痛と全身の裂かれるような痛みを受け入れながら、ジンは必死で呼吸する。喉を押さえつけられたような息苦しさのせいで、空気を取り込むのも一苦労した。
男がそんなジンに歩み寄る。
防御の気力を削がれたジンは、男の好き勝手を許してしまうことになった。
男は冷えた瞳でジンを見おろし、その左腕を強く踏み潰した。
「ぐあぁっ!?」
次々に痛みが襲ってくる。男の靴は、やっぱり頑丈だった。大岩でもぶつけられた錯覚に陥る。肘あたりを踏みにじられた。ジンの指先が痙攣する。確実に骨を折られた。
激痛に歯を食いしばり、せめてもの抵抗として男を睨み上げる。効果はないのだけれど、このまま好き勝手にされるのは癪だった。
「へえ、いい顔をするね」
「っく、……ぅ」
「そのいい顔をもっと見せてもらいたいね。そうすればオレの仕事も早く終わるから」
「仕事だと……?」
そう、と男は頷いた。
「こちらではキミがとても有名なんだよ、神獣君。とても強くて勇ましく、黄泉の住人や中つ国に住む人間達、そして神々からも頼りにされているとね」
「光栄、だな……。そこまで評価して、くれるなん、て、……っ!!」
男がジンの左腕から足を一旦離す。直後、右足を踏みつけられた。
「うん。だからキミが今回の標的になった。頼りにされるほど強いキミを、これでもかというほどに痛めつけるという仕事の標的にね。強いキミが痛みに苦悶する姿を見た人間や神々はどう思うだろうね? 答えは簡単だ、痛めつけた相手を恐怖する」
男がジンの左腕を再び踏みにじる。
「つまりは見せしめさ。オレにとってはキミに恨みなどないからこんなことするのは正直気が引けるけど……仕事なのだから仕方がないね」
「仕事を言い訳に、する奴は……ろくでもない、な」
「本当のロクデナシはそんな仕事を負わせた上司だけどね。……ああ、殺しはしないからその辺は安心していいよ。死人に口なしというからね、死んだら痛みにもがけないだろう?」
「性格悪いな、てめえ……」
「よく言われるんだ。なぜだろうね」
男がようやく、ジンの腕から足を離す。ゆっくりとしゃがみ込んで、再びジンの首根っこをひっつかんだ。
――笑わせんな。
ジンの腹は煮えたぎっている。自分が標的にされたのは、ひとえに自分の強さが認められている証拠だと男が言う。男や、あるいは男の所属する組織に対して、日本に住む人間や神々へ恐怖心を抱かせることが目的だとも言う。
こんな好き勝手な暴力を許してなるものか。
黄泉での退屈で平穏な暮らしを破壊されて黙っていられるものか。
憤怒がジンを突き動かした。
痛みは続いているが、ジンの戦意はまだ生き残っていた。
ジンはひゅっと息を吸い込む。肺に空気が大量に取り込まれた。
考える暇はない。男が攻撃を再開するよりはやく、先手を奪い取るのだ。
お前は神獣だろう。力を持った神獣ならば、平安を脅かす者を退けろ。
退けろ!!
その意志ひとつで、巻き返した。
腹に力を込め、ジンは男に向けて咆哮する。
人間の叫びではない。いつも発する怒鳴り声など比較にもならない。
神獣――トラの逞しい咆哮が、男へぶつかる。
男の耳をつんざくだけでは物足りない。その雄たけびは、黄泉全体に広がった。地が震え木々は揺らぎ、ことごとく破壊された家屋の残骸が吹き飛んでゆく。
「……!」
男の手が緩んだ。ジンは右手に握り締めた太刀の柄で、男の手首を殴る。
男が怯んだのがわかった。拘束から逃れたジンは、ようやく相手と一定の距離をあけることができた。
使い物にならなくなった左腕と右足を引きずりながら、それでもジンは折れた太刀を握り締めていた。
「キミはなかなかしぶといね。これでは業務時間内に終わらない。残業手当、出ればいいんだけど」
「そのままサービス残業の、憂き目に遭え……!」
「ひどいね」
「あんたよりはよっぽど慈悲深いさ」
「ああ、だろうね。神獣は優しいらしいから。……で、キミはこれ以上何ができるというのかな? 諦めて見せしめになってくれれば、キミもオレも楽なのに」
「あいにくと痛いのは嫌いでな」
「……それで、愛刀も折れたキミは、どう抗う?」
ジンはようやく、ここで初めて笑った。口端が歪んで吊り上がる。不敵に笑んで、己を奮い立たせた。
太刀の刃に、左手をそっと添える。骨の軋む音がした。少し動かすだけなのに、左腕は思うように動いてくれなかった。
だが手を添えるだけで、ジンには充分だった。
黄泉を照らす光は、ジンから発せられていた。厳密には、ジンの服に刺繍されているいなずまの模様である。
緑の上着の左袖と左側の裾、ズボンの左側に縫いつけられたいなずまは、単なる模様ではない。
いなずまは生きている。ジンの声に呼応し、時として彼の力になってくれる。
敵を射抜く矢となり、猛攻を跳ね返す盾となり、闇を照らす光となり、ありとあらゆる脅威をひるます轟音となり。
幾たびもの戦場で、ジンを救ってきた。今回もそう。使い物にならなくなったジンの太刀に代わって、自らを刃物にさせる。
雷の弾ける音が、ジンの左腕と左足から生じる。刺繍のいなずまから本物の雷が抜け出してくる。
生まれ出たいなずまはジンの太刀を這ってゆく。
いなずまは折れた刃の先からぴんとその身を伸ばす。
弾ける音と共に、小さないなずまのかけらがあちこちへ飛び散る。
折れた刃のぶんを、いなずまが補った。
強烈な輝きを放つ雷の刃ができあがる。ジンは左手左足の小さな痺れを覚えていた。雷の力を借りようとするといつもこうなる。現在抱えている鈍痛に比べれば、大した痛みではなかった。
「キミのそれは、何だ……?」
男が必死で平常心を保とうとしているのがわかる。
男の疑問に答えてやる義理はない。勝手にうろたえていればいい。正体のわからないものほど恐怖は増す。相手の精神の余裕を奪うには、終始無言を決め込んでいるのが最善だ。
この攻撃は、ジンの体力を考えると、使えるのは一度だけだ。
いなずまの力を引き出すには、当然ジンの力で動かさなければならない。さっきまでぼろぼろに痛めつけられていたせいで、乱発する余力はない。
雷の刃が強烈に輝いている。黄泉の辺り一面がまばゆく光る。
折れた左手はもう使えない。片足も頼りにならないから、片手片足で挑まなければならない。だけれどそれで充分だ。
かわす余裕も与えないし、受け止めても押しのけてやる。
オレンジの瞳に、闘志がみなぎる。ジンは片手で太刀を構え直す。
回避などさせない。左足を踏ん張った。地面にかかとが食い込む。
「っ、いつの間に……!」
男が初めて動揺した。
男の両足に、小さな雷が蔦となって巻き付いていた。
ジンのズボンに縫われた雷から生じたものだ。雷の刃に視線と注意をひきつけて、地面の下では別の雷が静かに男へ這い寄っていたのだ。
「つかまえた」
「く、」
雷の刃として修復された太刀を、ジンは右方上段に構える。
右足が使えないぶん、左足に力を込める。
拘束から逃れようと焦る男を冷めた感情で見つめながら、とっておきを見舞ってやる。
「何だ、何なのだ? キミは……!!」
「うっせーな。神獣だっつってんだろ。自然の力を借りるのなんて、別に不思議なことじゃないだろ?」
「ちっ……何とも意地悪い神獣もいたものだね」
「まったくだ。……こっからはお返しだ」
左足で一歩踏み出して、雷の太刀を思い切り振り下ろす。
これで終わりだ。防御壁をはられても、それごとまとめて叩き斬ってみせる。
渾身の力を込めて、太刀で男の胴を叩く。案の定、刃から防御壁の感覚が伝わってきた。
「ありがたく受け取れぇッ!!」
男の顔が少しばかり歪んでいる。歯を食いしばって、両腕でこちらの雷の刃を必死に防いでいた。足に絡み付く雷の拘束から逃れるのは無理だとさとったのだろう。
呪術を用いた防御など意味もないと知らしめてやる。防ぎたければ防げ。
――それと一緒に、おまえを斬る。
防御壁の抵抗は強い。少しでも右手の力を抜けば、こちらが弾き返されるだろう。
ジンも負けじと男に抗う。力の押し付け合いは互角だ。ここから先は、しぶとさがすべてを決める。
理不尽に受けた痛みと、故郷を破壊された恨みを今この場でぶつける。
「ぐ、っ」
「往生際が悪い、ぜっ!」
ジンは前へと刃を押し込む。自慢の素早い太刀筋や軽やかな動きなどみじんも感じられない。無様でみっともなくていつもの調子などどこにもない。そんな力だけの野蛮な攻撃だ。
防御壁の抵抗もねじ伏せる。右手が吹っ飛ばされそうになるのは、左足に力を込めることで耐えた。
「っ、せえぇい!!」
力比べは、ジンが勝った。
ガラスの割れるような音が、ジンの目の前で立った。男の防御壁を崩したのだ。
右手と太刀に反発する力が瞬時に消える。男の術を打ち破った雷の刃は、そのまま男の胴を裂く。
だけにとどまらず、後方へと勢いよく吹っ飛ばした。男の足を縛っていたちいさないなずまたちはいつの間にかなりをひそめ、男は足の支えを失っていた。
刃に斬り伏せられた男は地面に叩きつけられる。胴から一閃、赤い血がにじんできた。ジンの太刀が初めて、生身の男に届いたんだ。
ジンは気を抜かない。左足のいなずまをもう一度走らせる。乾いた地へ大の字に倒れ伏した男の両手両足にまとわりついた。そこでようやく、ジンは安堵の息を吐きだした。
「このまま感電死してみるか? なんだったら斬殺でもいいぞ」
「……なるほど。これがキミの力か」
「おおよ。あんまり使わないけどな」
「キミは……強いのだね」
「光栄だ」
ふと、男の口端が吊り上がった。初めて男が笑う。
歯をむき出しにして、据わった目を細める。喉からかすかに笑いをもらす。
「何がおかしい……!」
「くく……、っくく、ふふ、ぁはは」
「何が、」
ジンの心臓が跳ね上がった。
男が、無理やり雷の拘束を解こうとしていたのだから無理もなかった。
はりつけのように男を縫い止めていた雷が、こともあろうに押されている。
馬鹿な。ジンは雷へほとんどの力を与えている。拘束の力は尋常でない。巨岩で押し潰しているのと同じくらいの強さを出しているはずなのだ。
それを、この男は引きちぎろうとしている。ジンの雷が、じょじょに圧倒されていった。
(っくそ! ここで破られたら、今度こそ負ける!!)
ジンは上着の左袖に刺繍されたいなずまから、男を拘束する雷に力を送る。だが骨の折れた左腕にかかる負担も強大だ。
左手が悲鳴を上げていた。負けるな、あと少しだからと自分を奮い立たせても意味がない。
利き手ではない左手を折られた代償が、ここで払われることとなった。
雷のはじける音が、男の周囲で散らばった。男がついに拘束を打ち破ってしまったのだ。
男は軽やかに起き上がる。対してジンは、ゆっくりと地面にくずおれる。雷の刃はあとかたもなく消えていた。上着とズボンの左方に刺繍されたいなずまからは、光が失われている。
折れた太刀を杖代わりに何とか上半身だけは起こす。ジンには、それで精一杯だった。
男が、歪んだ微笑をうかべて近づいてくる。武器も失い、手足の片方を折られ、体力もそがれたジンは、もう抵抗などできるはずもない。
「キミは強い。オレをここまで圧倒したのはキミで二人目だ」
「初めてじゃなくて、残念だ……!」
「オレもだよ。もっと早く出会っていたらと思うと、悔やまれてならない。……さて、今度こそ仕事を終わらせよう。そうだね、まずは生き残ったもう片方の手足も折ろうか。次は内臓を踏み潰そう。流血していた方が衝撃的だから体のあちこちを裂いてみようか。ああ、爪をはぐのもいいね。両方はさすがに可哀想だから、片目も抜きとるか」
物騒なことを呟きながら、男はジンを見下ろしている。ジンの顎にそっと右手を添えて、思い知らせるように嘲笑していた。
「さあ、いい悲鳴を期待しているよ」
「……!」
ところが、男の期待は裏切られた。
ジンと男の間を引き裂くように、一迅の炎が横切った。
男が炎を避けたおかげで、ジンは男の攻撃から逃れることができた。ジンの背丈ほどの高さでもって生み出された炎は、瞬時に消えてなくなる。
炎の発生源を、ジンは目で追う。ジンから見て、たしか左から右へと走っていた。
そちらをうかがうと、炎で助け舟を出してくれたものの正体がわかった。
「ウチのペットがだいぶ世話になったみたいだね」
ジンの飼い主であり、黄泉の重鎮――ヒノカグツチが、立っていた。その左手には、ジンの放った人型が大切そうに握られている。
「キミは」
「初めまして、名無しくん。私はヒノカグツチ。長いからカグ兄さんって呼んでもらえると嬉しいなあ」
赤銅色の髪と、同じ色の瞳に生気は宿っていない。すでに死んでいるから、光が失われているんだろう。赤茶の羽織にだらしなく袖をとおし、あちこちほつれた装束で身を包む。額や細い首、手足に巻かれた包帯はやけに白く悪目立ちした。
カグツチはジンの前にさりげなく立つことで、ジンを守ろうとする。だがカグツチの視線は男に向けられており、ジンなど目もくれない。
「ジンから緊急の連絡もらって来て見たんだけど……。ずいぶん派手に遊んでくれたようでどーも」
「礼など無用だよ。オレは仕事をしに来ただけのこと」
「ふーん? すごくお仕事熱心なんだねー。黄泉をここまでぶっ壊すのは結構苦労したんじゃないかな」
「黄泉の破壊は大したことはなかったよ。ただ、そちらの緑衣の男にはだいぶてこずらされたけれど」
「でしょ? 私の眷属はむっちゃ強いから」
カグツチは微笑みながら男と言葉を交わす。一通り笑えない冗談(少なくともジンにとっては)を投げ合い、さてと切り返す。
「ま、そんだけ暴れてりゃさぞお疲れでしょうよ。今日はもうおうち帰ってお風呂入って寝たら?」
「ご心配、痛み入る。だが、その男を見せしめに痛めつける仕事が終わっていない」
「いやいや、いい男ってのは業務時間内に仕事を終わらせるものさ。君の上司さんも、きっと帰りを待っていることだよ」
「ああ心配をかけてしまうな。だからこそなおのこと、最後まで終わらせなければなら、」
「わかんない? 私の炎でこんがり焼かれる前に、さっさと失せろって言ってるの」
カグツチの声が低くなる。さっきまでの飄々とした笑みや能天気そうな声が消える。
死んだ目が、男を射抜く。ジンのように威嚇しているわけでもない。しかし力のこもらぬ眼差しは、男を圧倒するに足る。
男もさすがに馬鹿ではなかった。カグツチが見逃してくれているうちに、ここを出るのが正解だと悟った。
もしカグツチを無視してジンをさらに潰そうとしたら、間違いなくカグツチに報復されるだろう。
「……。理解した。あなたのご好意、受け入れておくとするよ」
「うんうん。ひとの好意は素直にもらっとくのが一番だよねー」
男は踵を返す。黄泉の出入り口を目指すのだ。
二、三歩進んでふと、男は立ち止まる。
振り向いた男の目は、ジンの方に向けられていた。
「緑衣の神獣君、キミの名は?」
その質問に面食らいながらも、ジンは律儀に答えてやった。
「ジン。不知火のジン。あんたは」
「オレはブラック。それではまた、ジン」
ジンの答えに満足した男――ブラックは、今度こそ黄泉をあとにした。
ブラックの姿が見えなくなったのを確認したカグツチは、そこでようやくジンに目をやった。しゃがみ込んで、その細い腕でジンを支えてくれる。
「手ひどくやられたね」
「黄泉の損害に比べれば……大したことじゃない」
「それもわかるけど、それはそれ。……ごめんね、受け取ったのはすぐだったんだけど、黄泉に入ろうとするとなぜか弾かれてしまったんだ。あいつが結界か何かを貼っていたんだろうね」
「そうか……。ああ、俺が雷で一撃入れて、結界に回す力がなくなったんだな」
「うん。君のおかげで私もここへ来れた。よくがんばったよ、ジン。君は私の自慢の眷属だ」
カグツチの声音はとても優しい。子供にさとす父親の声に似ている。
「君は大けがしてる。だから今日から、怪我が完治するまで休みなさい。あ、給料は減らさないから安心してね」
「でも……黄泉を治さなきゃ、」
「それは私が主導する。高天原と中つ国の神々にも手伝ってもらうし、一週間もあれば元に戻せる。君は何も心配しなくていい。休みなさい、ジン」
「……」
「飼い主の命令だよ。背いたらダメでしょ」
「ぐ、それ卑怯……」
神獣の血を半分受け継いでいるゆえ、ジンの怪我の治りは早い。だが骨を何本も折られたり内臓を潰されかけているともなれば、治癒にも時間がかかる。
黄泉の復興を優先したいところではあったが、怪我が治るまで休めと飼い主に命令されたら従うほかない。
ジンは諦めて、回復に専念することにした。
「わかった。休むよ。治ったらすぐに駆けつけるから……」
「うん。それまでお休み、ジン」
カグツチの腕の中で、ジンはゆっくり瞼を閉じた。
戦闘描写の練習も兼ねて、バトル短編にしてみました。




