9 聡実
本来なら最初に済まさなくてはならない参拝を、寄り道しながらようよう済ませた。五円玉は持っていたけど、他にご縁があってたまるかと思って百円を投げ入れた。別に縁って異性に限らないことは分かっているんだけど。
願い事の内容は、お互い口にはしなかったし聞かなかった。私は月並みだけど、大学合格だ。田村も一緒なら良いと思う。
「で、これからどうする? りんご飴と焼きそばといか焼きは食ったろ」
「かき氷とたこ焼きとから揚げがまだだよ!」
「よく食うな、お前」
「屋台は別腹だし」
「でっけえ別腹」
言っとけ。
しかし神社の階段を下りて、最初に目に入ったのは食べ物の屋台ではなかった。
「ぎんなん細工だ!」
手のひらに十分のるサイズの小さな色とりどりの置物。銀杏細工で作られた、小さな動物がぎっしりと並べられている。鳥の尾っぽが、風に吹かれて頼りなげにふらふらと揺れていた。
「懐かしいねえ!最近、食べ物の屋台ばかりだったでしょ」
「お前の目に入ってなかっただけじゃないのか」
田村の突っ込みは無視しつつ。
「ぎんなん細工、小さい頃持ってたなあ。田村んちにもあったでしょ」
母が、私と田村の分、二つ買って与えてくれたのだ。私は青い鳥、田村は赤い鳥。幼少期から女の子は赤、男の子は青とイメージづけられていたので、男女逆の色で渡されてどうにも変な感じだなあと首を傾げたのを覚えている。
しかし彼にはいまいち記憶にないようだった。
「なんかそんな小物、やたらうちにあるからよくわかんねえな」
私の母は私とセットで田村にいろんなものをあげていた。几帳面な田村は、きっといちいちそれをとっているのだと思う。しかもちゃんときれいにしまって。私のように埃まみれにすることはあるまい。
「こうして見るといろんなのがあるんだね。狸とか、かわいい」
しゃがみこんで、銀杏細工を眺める。動物を作ってあるものは愛嬌があるが、キャラクターものはどうにも無理矢理感があって、正直あまり可愛くはなかった。あんなのもある、こんなのもあるとはしゃいでいると、上から声が降ってきた。
「いるか?」
「何が?」
見上げると、田村と目が合う。
「だから、それ」
言うと、田村も隣にしゃがみ込んで、目の前の犬の形の細工をつついた。私の目はそれを追ってぼんやりと動き、それから彼が何を言っているのか理解した。
びくりと肩が動き、思わず前のめりになる。
「いいの!?」
「あ、ああ……ほしいなら、買ってやるけど」
勢い込んだ私に少し身体ごと引きながら、田村は確かに頷いた。
デート中に彼氏からのプレゼント。
これは最高だ。最高のデートだ。
「じゃあ、じゃあね、これ。これ買って」
おじさんから受け取った熱帯魚の形に作られた銀杏細工を、田村が私に渡してくれた。
「ん」
「あ、ありがとう……」
嬉しい。うっかり涙が出てしまいそうになって、私は精一杯こらえた。思えば、本当に恋人らしいことなんてしてこなかったのだ。それが、夏祭りデートからのプレゼントだなんて。田村が浪人生になって、自堕落になってしまったのはぜひとも更正させたいが、こうして二人の時間が多くなったのも事実だ。それを実感して、初めて田村が浪人していて良かったと思った。
その田村はなんてことのない様子で、ついと遠くを見やった。
「あとなんだっけ? たこ焼きと、かき氷と?」
「から揚げ!」
銀杏細工を潰さないようにそっと巾着に入れ、私は彼に向き直って元気よく返事をした。
歩きながら、田村はきょろきょろと通り過ぎる人を観察している。
「どうかしたの?」
「いや……大したことじゃないんだけど」
高校のときの同級生に会いたくない、と彼は言った。
「俺が落ちてるの知ってる奴もいるし。浪人生がこんなとこで遊んでるなんてさ」
そう言ってから、私を見て弁解をした。
「いや、お前が誘ったのが悪いわけじゃないけど。一回そういう場面見ると、いつも遊んでる奴みたいに思われるだろ」
「そしたら、私が無理矢理連れ出したって言えば良いじゃん」
間違っていないし。田村はしかしいっそう苦い表情になった。
「女に連れ回されてるのも、舐めた感じするだろ」
実際連れ回されているし、別に舐めている感じなんてしないと思う。でもあんまり反論すると田村はきっと不機嫌になるから、代わりに違うことを言った。
「大丈夫だよ。こんな小さなお祭りに、大学生なんて来ないから。近所の中高生くらいなもんだって」
隣町では花火大会をするし、もっと大きな祭も行われる。ここの祭はあくまで地元民のためのものなのだ。
「まあ、そうだよな……」
そう言っても彼はどうにも落ち着かないようだった。
「いいじゃん、気にしてもしょうがないって。楽しもうよ。浴衣の女の子目の前にして、そんなことばっかり気にするようじゃ女々しいよ」
「浴衣の女がお前じゃなあ」
冗談めかして返してくれたけれど、その言葉にはかなりかちんと来るものがあるぞ。我慢するけど。
お参りもできたし、夜店も堪能した。浴衣も着れたし、田村にプレゼントももらった。
「楽しかった!」
本心からそう言うと、彼は皮肉げに笑った。
「そりゃ、あんだけ食やあな。堪能できたろ」
それがなんだか、私ばかり楽しんでるみたいな口ぶりだったから、私は反駁する。
「でもほら、田村にも、いい気分転換になったでしょ? これからあんまり遊べなくなるだろうし」
これはこれで、少し恩着せがましい言い方になってしまった。しかし田村は気分を悪くした様子もなく、なぜか驚いた表情をしていた。
「まあ……そうかもな」
「明日から、夏期講習でしょ? 行くよね?」
「ああ」
なんとなく歯切れの悪い口調。やっぱり今、塾の話を出すのは良くなかったかもしれない。これだけ素晴らしいデートだったのだから、嫌な話などせずに楽しく終われば良かった。
田村は勉強が嫌いなわけではないはずだ。だって、浪人までして大学に行こうとしているのだ。大学は勉強をするところなのだから。
対人恐怖症とかでもないはずだ。部屋を一歩出るのにも震えるなんてことないし、今だって普通に外に出ているし。
じゃあ、なんで引きこもってしまうのだろう?
やっぱり一人暮らしが良くないのだろうか。
「……ねえ田村。うちに住まない?」
「はっ?」
田村は驚いて私を見た。そりゃあ驚くだろう。でも田村は、昔からうちの母を本当の母みたいに慕っていたし、他の家族とも知らない仲じゃないし、問題はないように思える。
「いや、無理だろ。部屋に空きがあるわけじゃないし。そこまで世話になれねえよ」
当然だろ、と田村は言う。まあ確かに、本当にうちに住むことにでもなれば、彼はものすごく恐縮してしまって、勉強どころではなくなるかもしれない。遊びにくるのと住むのとでは話が違う。
「じゃあ、私が泊まろうか」
口に出すとそれは良い案のように思えた。毎朝起こしにくる幼馴染みとか、何かのマンガかゲームのようだ。田村の家は広いし綺麗だし、住む分にも申し分ない。
「いいかも。ねえ、どう、私本当に田村んちに住もうか」
「何言ってんのお前」
慌てた口調で田村が私の言を遮った。
「お前がうちに来るとか、ないだろ」
「どうして」
そんなに頭ごなしに言われては、むっときてしまうものだ。
「なんで。いいじゃん。今さら、他人面しなくたってさ。家族みたいなもんだし」
「お前は他人だろ」
強い口調で言われた、他人。思わずおうむ返しにして、それから口をつぐんだ。他人だって。私、田村にとって、そこらに歩いている人と変わりないの?
そんなに強く拒否するのは、私を女として意識しているともとれる? そんなわけない、私のことなんて、家政婦かおかんなんでしょ。カノジョで駄目なら、家族でいさせてくれたっていいじゃん。
なのにどうして、そんなことを言うの。隣人じゃん、幼馴染みじゃん、
恋人じゃん。……私が思ってるだけかもしれなくても。
そんなことを言う勇気もなくて、お互いどこかふてくされた表情のまま、黙って帰途についた。初めての夏祭りデートを、最高の気分のまま終わらせることはできなかった。
今傷ついたら、あとで傷つかなくて良いし。楽しいことばかりの日だったから、少しくらいの嫌なことは気にしなくて良いし。
今は他人でも、いつか、そう田村と私が同じ大学に合格した暁には、もう一度告白して、一緒にキャンパスライフを送るんだ。無理矢理ポジティブに考えて、泣かないように努めた。涙を我慢するのは今日二度目だけど、その意味は全く違った。今回も嬉し涙だったら良かったのに。
巾着から取り出した銀杏細工は、田村からの二つ目のプレゼントだ。机の上にいつも置いてある、初めてのプレゼントの横に、そっと置いた。少し苦い思いもしたけれど、これが私の宝物になるのは間違いなかった。