8 聡実
聡美ちゃん乙女回です
デート。これはデートである。
夏祭りデートなれば、浴衣は必須だ。母親の簞笥から、大人っぽい紺色の浴衣を引っ張り出した。色が濃い方が良い。私はなんというか、ちょっぴり、いや結構、かなり背丈が大きいのだ。運動部だったこともあって太ってはいないのだけど、白い服はただでさえでかい体がさらに膨張して見えるので避けたい。その点手元の浴衣は、濃い紺地に朝顔が可愛らしく、オーソドックスながらもおしゃれな柄である。さすが母、センスが良いと心中で褒めておく。
次に、町で一番大きな本屋に行った。近所では駄目だ。誰かに見られるかもしれない。見られても、たいして問題はないけど。
私は浴衣を自分で着付けることができない。昨年は母と一緒に着付けたが、もうほとんど忘れてしまっている。今年は、ちょうど祭の日が母の遅番らしいので着付けてもらうことはできない。間に合ったとしても、着付けを手伝ってもらうと、代わりに誰と行くのかとか詳しく聞き出されるに違いない。浴衣で田村とデートなんて、照れくさくて言えないのだ。だから、やっぱり一人で着付ける必要がある。探したのは着付けの本だ。
シーズンなので、たくさんの本が並んでいる。着物や浴衣を着て微笑んでいるモデルたちの写真を見るだけでわくわくしてしまう。その中で、ブランドとコラボレーションしたムック本が売っていた。なんと、髪飾りが付録についているという。すごくかわいい。色は赤で、差し色にもちょうど良く感じる。
「せんごひゃくえん……」
値段を確認して予算オーバーに多少おののくものの、思わず手に取ってしまったらもう手放せなくて、そのまま購入した。
浴衣に着替える前にはシャワーを浴びる。念入りに髪を洗い、洗い流さないトリートメントをつけてから、ムック本の付録の髪飾りで髪を留めた。服のコーディネートは正直苦手だが、髪をいじるのは我ながら得意な方だ。洗面台の三面鏡で仕上がりを確認し、頷いた。
ここまでが出発一時間半前だ。昨年は母に手伝ってもらいながら30分近くかかったから、その倍はかかるだろうと思った上でのスケジュールである。私は浴衣を包む畳紙を睨みつけると、そっとそのひもをほどいた。
あっちを立てればこっちが立たぬ。本には簡単に、「ああすればこうなるので、そうしてください」と書いてあるけれど、私の手にかかるとどうにもならない。そうする以前に、ああしてもこうならないのだ。泣きそうになりながらどうにか形になったのは午後四時四十五分。約束の十五分前だ。余裕をもった時間のはずだったのにこの様である。私はあわてて片付け、鏡で全身をもう一度確認してから引き出しからリップを取り出した。ほのかにピンク色のリップは、田村に告白するときに使ってからずっと同じものを愛用していた。当時にしては不相応な、大人向けのレーベルのものだ。慣れない化粧であまり気合いが入りすぎていると思われたくはなかったが、かといって何もしないわけにもいかぬという乙女心との妥協点である。慎重にリップを塗り終わり、巾着を手に取ったところでチャイムが鳴った。四時五十七分だった。
「お、浴衣だ」
田村は開口一番そう言った。さっと私の全身に目を走らせ、ついで「じゃ、行くか」と、私が出やすいように戸を大きく開けて道をあけてくれた。それは嬉しいけど、けれどそんなことより、
(浴衣への感想、それだけ?)
浴衣だ、と誰が見てもそう思うだろう感想だけ述べて、あとはろくに見もしない。一応は服装に触れたからもういいだろうとでもいうつもりか。これならばいっそ、無言で顔を逸らすとかしてくれたほうが、「あまりに浴衣姿がまぶしすぎて照れている」なんて妄想ができるというもので……少女マンガの読み過ぎか。
あれだけ頑張って着ただけに、あまりの反応の薄さに不満ではあるものの、そのせいで今日これからを無為に過ごすわけにはいかない。夏祭り、そしてデートである。
デート!
デートならば手くらいつないだ方がいいだろうか。いいと思う。つなぐべきだ。しかし私の方からつなぐのはなんだか浅ましい女と思われそう。ち、痴女なんて思われたりしたらちょっと立ち直れない。もちろん、恋人としては当然の行為だろうけれど、田村本人が今も付き合っているつもりなのか、わからないし……。
ちらりと横目で田村を確認しても、彼は涼しい顔で前を向いている。手の方に意識を向けている様子などちっとも見られない。
田村の服装は、Tシャツに半パンというラフな格好だ。これはこれで涼しげでどきどきするけれど、私のような気合いは全く感じられなかった。
「今日、暑いねえ」
「まあ、夏だからな」
『まあ』しか言えないのか、こいつは!
結局、手はつながないまま、駅の向こうの、祭の会場へ到着した。
広めの公園に、夜店が並ぶ。公園に隣接する神社まで続いている。とはいえ、所詮地域の祭、人がひしめいているほどではない。おじさんおばさんが屋台の番をしていて、それを覗く中高生がちょこちょこ。もう少し時間が遅くなれば増えるのかもしれないが、今はまだ寂しいくらいの人の入りだ。
「で、何かしたいことでもあんの」
「何って、祭を堪能すれば、それでいいんだよ」
そんな祭でも、浴衣を着て訪れればテンションもあがるというものだ。そもそも私はこういう場が大好きなのである。
「ねえ、何食べる? かき氷はまだ早いよね、あっ、いか焼きあるよ、あーでも最初はとうもろこしとかで軽くした方が良いのかなあ。どう思う? ベビーカステラはね、お土産ね。妹は今年は行かないって言うから。うわ、焼きそばだよ、あとで絶対食べようね。ねえ田村……」
「おい、ちょっと落ち着けよ、青木」
田村が私の肩を叩いて、はっと立ち止まる。デート中に田村が私に触れたことにどきりとしたが、田村を見ると彼ははっきりと呆れた表情をしていた。
「まだ時間も早いし、店は逃げたりしねえから。一個ずつ食おうぜ」
デート中にも関わらず、屋台に夢中になるようでは色気より食い気と思われても仕方がない、というか実際そうだった。私のばか。
「う、うん。そうだね。じゃ、何から……」
再び屋台に視線をさまよわせる私の視界を遮るように、田村は私の前に立った。
「じゃあ、あれにしよう」
指差した先には、りんご飴があった。
昔からある神社の、昔からある祭だ。私は昔から、田村とこの祭に来ていた。そう言えば田村はよくりんご飴を食べていたような気がするが、今も好きだったとは知らなかった。
私たちはりんご飴の屋台の前に立つ。他に客はいないので、おじさんが窺うようにこちらを見ていた。もちろん注文するつもりなのだけど、どうにも迷う。
「どうしようかなあ。いつもりんご飴なの。でもいろんなのがあるじゃない? たまには食べてみようかなって思うけど、でもいつものがおいしいって知ってるから、それが食べたいような気もするし、でもそれじゃ結局いつものだしなあ……」
ぶつぶつ呟いていると、田村が軽くため息をついた。
「すみません。りんご飴と、ぶどう飴ひとつずつください」
「え、田村、二つも食べるの?」
「あほ。半分こずつしたら、どっちも食えるだろ」
半分こ。
半分こ……!
いくら思春期であるとはいえ、今さら間接キス程度で騒ぎ立てるほど子どもではない。私が感激したのは、田村が、私と半分こをしてくれるという、ただそれだけのことだ。半分こをするってことは、田村は私を嫌ってはない、私は嫌われてはいない。嫌いな人と食べ物を分け合うことはしないもの。
「ほら」
田村からもらったりんご飴はいつもの味で、初めて食べるぶどう飴もまたおいしかった。そしてまた田村と分けあった飴だということが、おいしさを増幅させているように思う。これだけで、今日ここに誘って良かった。幸せと飴をかみしめながらそう思った。
「おいしいね、田村」
「うん、まあ」
「おいしいよね?」
「……うまいな」
にこにこしながら田村に問えば、戸惑ったような同意が返ってきた。私の笑顔にどきどきするとか、そんな様子もないんだよなあ、残念。
「次何食べる?」
「飴食い終わってから言えよ……」
二人で分け合えば、いろんな味が楽しめる。それにお金も半分で済む。なし崩しに飴は田村に払わせてしまったが、以降はきっちり私も払った。お互い働いているわけでもないのに、一方に払わせるというのは公平じゃない。多分、田村は私と付き合ってるってもう思ってないし……。
そうこうしているうちにあたりは暗くなってきて、提灯の灯りが良い雰囲気になってきた。人も結構増えてきている。
浴衣を着ている人たちは、ちらりちらりとお互いを観察し合っている。私も、最近流行りの柄に感心したり、変な着こなしに呆れたり、やっぱり私の浴衣って可愛いと内心自画自賛しながら参道を歩いた。田村も浴衣着れば良かったのに。典型的なしょうゆ顔の田村はきっと和装がよく似合うと思う。
つらつらとそんなことを考えながら、道行く人を見ていると、ぱっと見覚えのある髪飾りが目に入った。どこで見たんだっけ、と一瞬考え、答えが出る寸前に田村が口を開いた。
「あ、あれ、お前がつけてるのと一緒じゃないか?」
赤い色の、花をモチーフにした髪飾り。そうだ、見覚えがあるどころではない、私がつけているものだ!
色まで一緒である。ムック本の付録でこんなに可愛いのがついてくるなんてお得、なんて思ったが、全国の書店で売られている限り、他のどんな人が同じものをつけていても不思議ではない。そんな簡単なことを失念していたなんて……!
しかもそれを、他でもない田村に指摘されるなんて、恥ずかしすぎる。というより、なんで人の頭をじろじろ見ているんだ、私という女がいながら……。
そこまで考えて、かっと顔に熱が上った。
私の髪飾りのことも、ちゃんと見てくれてた?
「私の格好、ちゃんと見てくれてたんだ」
うっかり口に出してしまったらしい。聞きつけた田村ははっとしたあと、ばつの悪そうな顔で言い訳のように言った。
「いや、別に変な目で見てたわけじゃなくてな。赤いし目立ったからなんとなく目に入ったというか。つうか、ちゃんと見てただろ。最初に『浴衣だ』って言ったじゃんか」
やっぱりそれは義務的に言ったのか。
「褒めてくれるぐらいじゃないとなあ」
「いや、それはハードル高いって」
どういう意味だろうか。褒めるところもないのに褒めるのは難しいとか? つくづく失礼だよな。
「ていうか、はあ……かぶったの、ショック」
「なんで」
「いやじゃん。人と同じ奴。こんな狭い町内でさ」
レストランで、人と同じものを頼んでしまうのも嫌なタイプなのだ、私は。
「別に、いいだろ。似合ってるし」
唐突に、普通の口調で言われたから、私は意味を図りかねて立ち止まってしまう。田村もそれに気がついて足を止めた。
「どうしたんだよ」
「褒めろって言ったから?」
「意味が分からん」
こういうところが好きなんだよな、ちくしょう。