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7 聡実

 田村が、ときどき塾をさぼっているらしい。

 私はそれを他の浪人生から聞き出した。近頃田村がどうしているか訊ねると、ここ数日見ていないと言ったのである。

「どうして、来ていないんですか? 何か聞いてますか?」

 田村のお弁当は、毎日もらっている。特に具合が悪いとか、落ち込んでいるとか言った様子は見られなかった。まさか、しれっとした顔で、さぼっているとは。信じられない気持ちで、私は浪人生に詰め寄った。

「いや、特には……」

 困った顔で浪人生が答えると、高村先生が私を呼んだ。振り向くと、図書室から顔を出して手招きしている。

 図書室には、赤本や蛍雪時代などももちろんあるが、論文や学術書、写真集、ただ図形だけが載っている本など、ジャンルを超えてさまざまな本が用意してある。壁一面に本棚があり、部屋の真ん中には、閲覧や面談のために机とソファが置いてあった。田村にも、入塾して間もなくこの部屋を案内した。予想通り気に入ったようで、よく利用していると本人から聞いていた。

 図書室に入ると、高村先生は既にソファに座っている。促されて私も座った。今までこんなふうに話をすることなんてなかったから、少し不安だ。

「なんでしょうか……」

 おそるおそる訊ねる私に、しかし先生は気安げに切り出す。

「いや、そんなに大したことではないんだけどね。怒るとか、そんなんじゃないし」

「はい……」

「田村くんのことだけど」

 そう聞いた途端、私は思わず机に手をつき、身を乗り出した。

「田村が何かしましたか! もしかして、数日来てないのって、何かありましたか?」

 先生は少し身を引いて、苦笑いで返した。

「田村くんのことになるとすごいね、君は……。別に、田村くん自身はそう問題じゃないよ」

「田村自身は……って」

「いやね、君がずいぶん、田村くんのことを気にかけているみたいだから」

 なんで、どこか責められるような口調で言われなくてはならないのだ。かっとなって、まくしたてた。

「だって田村がちゃんとしてないから! 私だってこんなこと気にしたくない。だけど私、田村のお父さんに任されてるんです! 田村のこと、しっかり大学に通わせなくちゃ、私……」

 そこで先生にしては珍しく、人の話を遮って、私に問いかけた。

「君は田村くんの親代わりってことかい?」

「…………親?」

 冗談じゃない!私は田村の恋人だ。おかん役なんてごめんだ。でも、恋人らしい学生生活のためには、田村を大学に受からせて、そのためには引きこもりをやめさせて……でも、干渉するなってことを先生は言っている。私は田村の親じゃない。でも……

 混乱する私を前に、先生は軽く息をついた。

「まあね、僕ができることと君ができることは違うから。それぞれの立場で彼を応援することはできると思う。でもね、君がそれに引っ張られすぎないようにしないといけないよ。自己責任って言葉がある。君たちはそれを自覚して良い年頃だ」

 高村先生は大人だ。いくら変人でも、正しい言葉で私たちを導こうとしているのだろう。しかし、どうにも言いくるめられている気がして素直にうなずくことはできなかった。


 夏が始まる。高三の夏休みまで、あと二週間もない。私はある決意を胸に、外から田村の部屋の窓を睨みつけた。

 先生からも、「お前は田村の親か何かか」と言われたということは、つまり、私のアプローチが間違っていたことになる。田村が引きこもっているから、私がおかん役をしなくてはならないのだ。私だって、恋人らしいことをしたいのだ。

 私は田村家のチャイムを鳴らす。田村は相変わらずのぼさぼさ頭で現れた。けれども以前のような饐えたにおいはしなくて、奥に見える玄関もきれいそうだった。少しは進歩があったようでほっとする。これで元の木阿弥だったら、私はまた「おかん」になってしまっていただろうから。

「おう」

 本当は、何で塾をさぼるのか、問いつめたかった。けれど田村は間違いなく機嫌が悪くなるだろうし、高村先生に言われたことも気になって、今日は突っ込まないことにする。それよりも、話したいこともあるし。

「今日も、ごちそうさま」

 田村はおうとかああとか、もごもご言いながら弁当箱を受け取った。今日はオムライス弁当だった。田村の弁当は実に可愛らしく作ってあって、クラスメイトには『青木は料理がうまい』と誤解を受けている。このぼさぼさ頭によって作られているとは露ほども思うまい。

 と、田村は居心地が悪そうに私を見ている。私が帰ろうともせず突っ立っているからだろう。さっさと本題を切り出さなくては。

「あ、あのね、田村」

「なんだよ」

 田村はいつも通り素っ気ない。そう、素っ気ないのだ。これが田村なのは分かっているけど、私が笑いかけたら顔を赤くするくらい反応してくれたらいいのに、と思うこともある。

「私ね、受験生だけど、高校三年生なの」

「そりゃ、高校三年生は受験生だからな」

「高校生最後の夏なの」

「そりゃ、高校は三年間しかないからな」

 田村の物言いにだんだんと焦れてくるが、そこは押しとどめてあくまで冷静に。

「いろいろ、楽しみたいと思うじゃない?でも私の友だちもみんな一般入試だから、夏に遊んでばっかりもいられないわけ。もちろん私もそうそう遊んでいられないし。だから、厳選しようと思って」

「げ、厳選?」

 一気にまくしたてたからか、田村はわずかに身を引いて聞き返す。

「そう。厳選したイベントを、厳選した連れと行こうと思って」

「あ、そう……」

 どうしてそれを俺に言うのだとでもいいたげだ。しかし黙ったままでいると、しょうがなしに彼の方から尋ねてくる。

「その、厳選したイベントってなんなんだ?」

「夏祭り」

 私は待ってましたと即答した。

「浴衣着れるし、夕方からだから半日で済むでしょ。いろんなものを食べられるし、他の屋台もあるし」

「そ、そうか……」

「で、厳選した連れっていうのはね。やっぱり、同級生は誘いづらいの。みんな忙しいし、私の友だちはプールがいいっていうし」

「プールに行けばいいじゃん」

「私、水着持ってないもの。スクール水着で行けって言うの」

 それはそれでとかもごもご聞こえた気がするが、無視。

「だから、田村と行こうと思って」

「へえ」

 しばらくの沈黙。田村は数拍おいてようやく何かがおかしいと思ったらしく、首を傾げた。

「田村って、誰?」

「田村東二くんしかいないでしょ」

 何を言っているのやら。しかしそれは相手にとっても同じだったらしく、私が何を言いたいのかわからない、といった表情をしていた。

「東二くん、私と夏祭りに行ってください」

 私はあのときと同じような台詞を、しかしあのときのように顔を真っ赤にすることはなく、どちらかというと責め立てるような口調で言った。

 それに対して彼の返事は、

「よ、よろしくお願いします?」

 であった。若干押され気味だった。


 実のところ、私の友人で一般入試を受ける生徒はいない。皆、推薦だったり就職だったりで、一番仲がいい友人は、美容師になるための専門学校に入るつもりらしい。私は彼女がうらやましい。やりたいことがはっきりと決まっているからだ。私には、勉強してみたいことはあっても、働いてみたい職業なんて思いつかない。研究職なんて一握りしかなれないんだろうし、私がそれでやっていけるとも思えなかった。もちろん、大学に入って研究してみなくてはわからないけれど。

 話が逸れたが、つまり、一緒に行く友人がいないというのは方便だ。専門学校に入るのに厳しい受験勉強は必要ないし、高卒向けの求人はまだまだ入ってこない。彼女らなら、誘えばプールだろうが夏祭りだろうが集まってくれるだろう。メンバーがいないとか、日程が合わないとか、本当はそういうことではない。

 私は、田村と夏祭りに行きたいのだ。彼氏とデートをしたいのだ。

 初めてのデートらしいデートになる。絶対に成功させるつもりだ。


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