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6 東二

 翌朝、うっかりいつもの時間に起き出してしまって後悔する。

(いや、しかしこれは意思表明にもつながる)

 ちゃんと起きていたのに準備をしない。これはストライキなのだ。俺は意志を持ってこの仕事を放棄する。なんなら、青木が訪ねてきたって堂々と「弁当はない」と言ってやることだってできるだろう。

 弁当を作らなくて良いから、朝ご飯に時間をかけられる。白飯に、納豆に、みそ汁。冷凍していた鮭だって焼いてやろう。のんびりと朝の支度をして、ニュースを眺める。優雅な朝だ。さて、今は何時だろう。

 しかし何度時計を見ても、時間は進まない。

 どうしてだろうと思ったが、なんてことはない、俺が数分置きに時計を見ているからだ。いつのまにか俺は、非常に落ち着かない気分になっていた。どくどくと、鼓動が体に響いている。常に肝に霜が降りているような感覚に陥っている。いつチャイムがなるか、時計と玄関を交互に見る。自分の貧乏揺すりにいらつく。ニュース番組がまだ同じニュースを伝えていることにいらいらして、テレビの電源を切った。逃げ出したいような気持ちになった。逃げ出す?どこへ?

 そしてとうとうチャイムが鳴る。

 予想していたはずなのに、俺はびくりと身を竦ませた。動けないでいるうちに、もう一度。

『田村ー?起きてる?』

 青木の声がする。ノックの音も聞こえる。俺は動かない。冷や汗をにじませて、ソファにただ座っている。ノックのあと、しばらく沈黙が続く。

 最後にもう一度だけチャイムが鳴って、諦めて青木は学校へ行ったようだ。静まり返ったリビングからでも、微かに遠ざかる足音が聞こえた。

 俺は深く深くため息をつく。すると外の、朝のざわめきがほんの少し戻ってくる。近所のおばさんたちのあいさつの声、車とバイクの音、学生たちの笑い声。とんでもないことをしてしまったように感じた。青木の通う学校に購買だってあるだろうし、行きしなにコンビニで買うこともできる。俺の弁当がなくたって大して困りはしないだろう。しかしこれはひどい裏切りであるような気がしてならなかった。それを誰かに咎められるような気がして、その日一日、俺は家から出ることができなかった。


 呆然とテレビを見ているうちに、いつの間にか寝てしまっていたらしい。チャイムの音が聞こえたような気がして、俺は目を開ける。ぼんやりとしていると、またチャイムが鳴った。辺りはすっかり暗くなっている。俺は立ち上がり、とりあえず部屋の電気を点けたが、こんな時間にやってくるのは青木くらいだ。部屋が明るくなったのを見られたかもしれない。電気を点けなければ良かったと後悔するが、今さら消すのもおかしい。

 チャイムは三度は鳴らず、代わりに今度はがちゃがちゃと解錠の音がする。俺はあわてて玄関へと向かった。

 勝手に入ってきた人影は、俺の姿を認めると悪びれもせずに素っ頓狂な声を上げた。

「あ、なんだ、起きてるんじゃん、田村」

「え?」

「もしかして一日中寝てたんじゃないよね?今日塾にも行かなかったでしょ」

 言いながら、彼女は知った顔で近くのスイッチを押して玄関の電気を点けた。……なんでこんな能天気な顔で入ってこられるんだろう。俺はこいつを裏切ったのだ。けんかをして、弁当を作ってやらなかったのだ。俺が怒っているとは思わないんだろうか。

「今日、弁当」

 呟くと、彼女は片手を振って笑いながら、

「ああ、いいよ、気にしなくて。それよりさ」

「気にしなくてって、なんで」

「え?」

 青木はきょとんと俺を見た。だって、と平然とした声で言う。

「寝坊でもしたのかと思って」

 寝坊だと。俺のストライキは、単なる寝坊であると。であれば、普通連絡くらいすると思わないだろうか。そう言うと、思いつきもしなかったらしい、小さく声を漏らしてから黙り込んだ。

 そうだよな。こいつにとってはこんなもんだよな。大した意味はない。自分のただ飯に、俺の更正がついてくればもうけもん、ってだけで、俺とけんかしたことも、俺の小さな反抗も、どうでもいいことだ。

「まあ、いいや。お休み」

 脱力感に苛まれながら、踵を返してリビングのドアに手をかける。と、その背中に声がかかった。

「た、田村……」

「なんだよ」

 振り向いた青木の顔は、遠慮がちに笑っていた。

「あ、明日は作ってくれる、よね?」

 わからない。青木の気持ち、考えていること。なんでそんなふうに笑うのか。どうして俺に構ってくれるのか。俺のことなんて、彼女にしてみれば大したことじゃない。そうさっき気がついたばかりなのに、今の彼女は俺に拒絶されることを恐れているみたいだ。わからない気持ちが表れたようになって、彼女がなんだか得体の知れないもののように見えた。

「寝坊しなかったらな」

 その顔がもしほっと緩んでいたらと思うと怖くて、急いで振り返ってリビングに入る。しばらくして出て行った青木は、律儀にも合鍵でもう一度施錠して帰った。


 ふらふらと、ここ数日所定の位置になっているソファに体を沈める。時計を見、冷蔵庫の中身を思い出す。次いで今日解いた問題のこと、残っている家事のこと。ため息をつく。

 明日もいつも通り、……ああ洗濯したいから、もう30分早く起きよう。弁当のおかずに使えそうなもの……肉を解凍しておいて……ああ、明日の予習も今からしなくては……

「あー」

 ため息をついたつもりが、えらく気の抜けた声が出た。今日はさんざん寝たはずなのに、目を瞑ると眠気が訪れるような気がする。何もしていないのに、体が重い。

 あー。

 何もしたくねえなあ……。


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