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2 聡実

 田村 東二は中学三年生のときに、一つ年下の女の子から告白されたことがある。これが彼の人生で(私が知る限り、多分)初めて受けた告白である。顔を真っ赤にした女の子は、震える声でこう言った。

「東二くん、私と付き合ってください」

 それに対して彼の返事は、

「よろしくお願いします」

 である。若干どもり気味だったと記憶している。ちなみにというかなんというか、相手は青木家の長女……まあつまり私である。要するに私たちは付き合っていた。

 「いた」……と過去形にして良いものか、少し迷う。というか、私はまだ付き合っているつもりだ。ただ、田村がどう思っているのかは知らないし、現在の私たちを見て、「付き合っている」と思う人は少ないだろうとも思う。

 田村が高校に行って離れてしまうのを恐れて、私は告白をした。やがて彼はかなり偏差値の高い公立高校に行ったが、その一年後私は同じ高校に行くことができなかった。高校が別れてから、私たちの距離は少しずつ離れていったような気がする。

 聡実、と下の名前で呼んでいたのが、なぜかいきなり青木と呼ばれるようになった。だから私も名字呼びをした。お互いの家に行くと言ったって、それまでも行き来していたし、むしろお互いの家族に付き合っているのを知られるのが気まずくて遠ざかった。恋人らしいふれあいと言ったら、せいぜい手をつなぐ程度のことだった。

 それでも、大学は一緒に行こうねと約束し合ったはずだ。私は、田村がこれからでも勉強して大学に行ってくれる、私と一緒に大学に行こうとしてくれるという希望を捨てきれずにいる。つまり、私はまだ田村のことが好きなのだ。

 それって本当に好き?ただの情でしょ?いったん引きこもりになったらもうだめなんじゃない?……というのは私の友人の言である。

「ただの情、じゃないと思うんだけどなあ」

 私は呟く。こればっかりは私にしか分からないはずだ。私の感情なんだから。

 かといって、今の田村の状況が好ましいとは口が裂けても言えないのだ。私は田村の父親から留守を頼まれているし、二人でキャンパスライフを送るためにも、田村にはぜひとも引きこもりを脱却して勉強を再開してもらわなければならない。

 私は強硬手段に出ることにした。


 土曜日、いつも通りチャイムを鳴らす。何も知らない田村はのこのこと出てくる。中途半端な引きこもりめ。そもそも、青木家の差し入れだけで生きているはずはないんだから、食べ物とかは買いに出てるんだろう。引きこもるんならいっそ一歩も出ずに過ごしてみろ、と思ったけれど実際そうされたら困る。

 相変わらず汚い格好の田村はぼんやりと私を眺めた。

「青木か」

「はいこれ」

「何これ」

 差し出した雑巾を思わず受け取った田村に構わず、私はずいずいと家の中に入っていく。久しぶりに田村家に入ったが、そうそう一軒家の様相が変わるわけはない。勝手知ったる幼馴染みの家である。しかし、今の田村家は私が知っているそれまでと違って、明らかに汚かった。

 まず雑多としている。ものが散らばり、その隙間を埋めるようにゴミが落ちている。一見きれいな床があっても、触ってみるとざらざらしているに違いない。埃だらけなのだ。

 私はリビングの真ん中に立ち、手にした鞄から道具を取り出した。すなわち、ゴミ袋、はたき、雑巾、洗剤である。

「おい、青木。何のつもりだ」

 ようやくやってきた田村に、私は背を向けたまま言う。

「私、田村のおじちゃんにこの家のこと頼まれてるの」

「はあ?」

「掃除するよ、田村」

「ちょ、ちょっと待て、何をいきなり」

「ゴミ捨てて!」

 私はばさりとゴミ袋を広げて、あたりに散らばるコンビニ弁当の空やら菓子の袋やらを猛然と集め始めた。

「おい、青木……」

「この家きれいにならないと、私、帰らないからね」

 頑に顔を見ないまま、掃除をしていると、やがて田村も動き出す気配がした。……早く終わらせて、私に帰ってもらいたいのかな、なんて、ネガティブなことを考えた。


 田村は父親がいたときは、家事を一手に負っていた。もちろん、掃除も欠かさず行っていたのである。大体の家の仕事を母親に任せっきりの私とはまるで違う。一旦掃除を始めると田村はものすごい勢いでリビングをきれいにした。

「やっぱりできるんじゃん」

 半ば感心して言うと、責められたと思ったのか田村がばつの悪そうな顔をした。その髪は未だぼさぼさのままだ。私はきれいになったソファに座り、田村を見上げた。

「……田村、風呂入ったの、いつ?」

「いつって」

「昨日入ったの?」

「……」

 入っていないな、これは。自分の彼氏が不潔というのは、ちょっと耐えられない。

「風呂入ってきてよ」

「ああ」

 しかし田村は動かない。

「どうしたの。入っておいでよ」

「お前が帰ったらな」

「それじゃ絶対に入らないよ、田村は」

 田村はため息をついた。

「あのな。俺だって外に出ることあるし、そのときにはちゃんと身ぎれいにしてるから」

「そういう問題じゃないでしょ!第一、田村は毎日外に出て、予備校に通わなきゃいけない身分でしょ!」

 というよりも、それ以前に、

「じゃあ何、私の前では身ぎれいじゃなくてもいいってこと!」

「あ、いや」

 私は憤然として立ち上がり、田村の背中をぐいぐいと押して風呂場に押し込んだ。

「もう、いいから、今すぐシャワー浴びて!田村がきれいになったら私帰るから!」

 脱衣所の戸を閉めて、その戸にぴたりと貼り付く。観念したようなため息、それから衣擦れの音を経て、シャワーの音が聞こえてくるのを確認してからようやっとリビングに戻った。


 田村は父親から送られてくる仕送りで生活をしている。最初の頃こそ、それまでのように家の仕事もこなしながら予備校に通っていたが、ひと月で料理をしなくなった。家の中にはコンビニ弁当のごみが散らばり、次第に床には埃が溜まり、そして気がついたときには家の外で彼を見ることがなくなっていた。

 引きこもって何をしているのか、私には分からない。インターネットで調べてみたら、一般的な引きこもりはインターネットかテレビゲームをしていることが多いらしい。ここ数年田村がゲームしているのを見たことがないが、家事をしなくても見とがめられない一人暮らしで久々にゲームに触ったらはまってしまった、ということはあるかもしれない。

 今回の掃除では、手始めにリビング、ダイニングをきれいにした。あまりプライベートなゾーンは手を出しにくかったというのが主な理由だ。しかしきっと悪の根源は田村の部屋にあるんだろうから、いずれ手をつけなくてはならない。

 私は手持ち無沙汰にソファに座ったまま、つらつらと考えていた。

 風呂に入れば、もう私が見なくても田村はきれいになって出てくるだろう。今日は強引に掃除をさせられて、ストレスが溜まっているかもしれない。これ以上不満を溜めさせないように、うるさい女は退散した方がいいのかな。……自分でそんなことを考えるって、結構悲しい。

 そっと立ち上がり、ダイニングテーブルに持ってきたおかずのタッパを置いた。なんとなく音をたてないように廊下を歩き、田村の父親から預かった合鍵できちんと施錠して、家に帰った。帰るねと一言メールして。

 田村は更正できるのだろうか。いや、させる。私が更正させてみせる。


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