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11 聡実

 あっという間に、夏は終わる。夏が終わって、秋が来る。秋の次には冬が来て、するともう、センター試験だ。私は推薦やAO入試は受けない。一般入試一本だ。去年の田村と同じ。

 三年二学期の期末テストが迫っている。冬休みに入ると、もういよいよ入試の始まりだという感じがするだろう。クリスマスなんて存在しない。今年は、大学に入って、来年のクリスマスを田村と一緒に過ごすための準備期間だ。つまり、そのためには田村も合格してもらわないといけない。そんな田村の調子は、悪くないようだ。模試でもそこそこの判定を貰っているらしい。

 しかしそれとは裏腹に、田村は次第に落ち込んでいくように見えた。いつもうつむき、ネガティブなことしか口にしない。気がつくと、すぐに姿が見えなくなっている。


 今日も学校帰りに少し早く塾についたのに、田村の姿はなかった。ため息をついて、ひとまず図書室をのぞいてみる。

 果たしてそこに田村はいた。

「よう、青木……」

 田村はばつが悪そうにこちらを見た。机の上に本を広げていた。

 彼は結構な頻度でここに籠り、本を読んでいるようだ。この場所を気に入ってくれたのは非常に結構なのだが、周りの浪人生から浮いていないかが気になる。私の観察する限り、『あいつはそういう奴らしい』で片付けられているようだが。

「何読んでるの?」

「いや、別に」

 彼の手元をのぞきこむと、それは図形の本だった。グラフや図形など、見るだけでも面白い。田村が私を怯えたような目で見るので、なんだか心外だ。

「いいじゃん、別に。全然関係ない本でもないし。私そんなんで怒んないよ」

「ああ、そうだな」

 あからさまにほっとした顔をする。

「あのね。私、田村が大学に受かってくれさえすれば、本当にそれで良いんだよ。そのために頑張ってくれたら、何も文句言わないし」

 言いながら、自分でも変だと思っていた。どうして文句を言える立場にあることが当たり前のように言っているんだろう。

(いやいや、私は田村の彼女だから)

 ……恋人なら、口を出しても良いのか?

「文句じゃない、かも」

「は?」

 文句という言葉を使うから変な感じがするのだ。

「お願い。大学、一緒に行こう?」

 恋人のお願いだ。上目遣いを意識したけれど、元々背が高いから、睨めあげるようにしか見えないかもしれなかった。

 すると田村は目を逸らして、何も言わない。ここは、『うん』とただ一言で良いから、即答してほしかったのに。

「嫌?」

「……嫌とかじゃないだろ。受かんなきゃ意味ないし」

「だから、受かろう?」

 私だって、少しずつ成績は上がってきている。今度の模試でA判定をとることだって夢じゃない。田村とは受験する学部が違うから、あまりよくわからないけれど、良くなってきているって高村先生は言っていたし、近頃は私もあまりうるさくしないようにしているし。

 黙って答えを待つと、田村はいろんなところに視線を巡らせて、最後に本に戻って、それから私の方に顔を向けた。ただまっすぐ顔を見ることはなくて、私の少し左の方を見た。それからもう少し視線を下げて、

「……頑張るよ」

 と一言。

 こんな一言で嬉しくなってしまう私はだいぶ田村のこと好きなんだけど、あんまり伝わっていないみたいだ。


 学校は、二つに分かれている。受験する人と、しない人。とはいえ、前述した通り、私の学校はあまり熱心な進学校ではないから、する人の方は少数派だ。毎日の授業も期末テストも、センター試験や一般入試を意識したものではなく、あくまでこの学校のレベルに合わせた授業や問題である。

「青木ー、ごめんけど、ノート貸してくんない?」

「ごめん、私も最近あんまり取ってないや。入試の対策ばっかしてて」

「あ、そっかあ。ごめん」

 私の友人たちは入試をしないから、気楽なものだ。けれどそれでいらいらするということはあまりなく、むしろ変わりのない彼女らの様子になんだかほっとするものがあった。塾の中で独特のぴりぴりした雰囲気の中にいるのは、心地いい緊張感を伴うものの、ときどき息苦しくなるのだ。

 そんな教室とももうすぐお別れ。年が明けたら、あっという間に入試だ。

 私は田村の家のチャイムを押した。なんだかんだ、田村はほとんど毎日、自身が塾をさぼっても弁当を作り続けてくれた。嬉しいような、どうせなら塾もさぼらないでほしかったような。

 弁当箱を渡して、家に戻ろうとする田村を呼び止めた。

「明日から、期末だから」

「あ、そう……」

 だからどうしたと、田村は私を見ている。

「だから……半ドンだから。お昼、いらない」

 なんだか、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。しかし彼が気にした様子はない。

「ああ。わかった」

「期末が終わったら、冬休みだから。冬期講習だから、もう、お弁当は作んなくていいよ」

「そっか」

 そういう時期か、と彼は目を細めた。年下の子の成長を実感しているようにも見えたし、自分の残り時間が少ないことを改めて思い知ったようにも見えた。

 弁当を作らなくたって、田村はもうちゃんと塾に行くよね。

 そう言おうと思って寸前でやめた。上からみたいな言い方だったし、絶対に田村は不機嫌になるだろうから。

 夏期講習の間も、田村の弁当は断っていた。理由は簡単で、同じ塾に同じ弁当を持ち込みたくなかったからだ。別にいつでもどこでもいちゃつきたいわけではない。二学期が始まってから再開してもらっていた。

 冬期講習が始まったら、もうほとんど入試まで一直線。

 もう田村の弁当を食べることはないだろう。

「大学入ったら……」

 言いかけてやはりやめた。死亡フラグ、というネットスラングが思い浮かんだからだ。叶わなくなっては困る。

「じゃあ、しばらく会わないかもだけど。冬期講習でね」

「ああ」止めた言葉の続きが気になるようだったが、とにかく田村は頷いた。

「また、おかず持っていくから」

「いいよ。勉強しろよ」

 最近のおかずのほとんどが私作だということを、田村は見抜いているようだ。



 センター試験前の最後の模試。前哨戦とはいえ、大事な要素である。高村先生から渡されたそれを、おそるおそる開く。自己採点ではなかなかにいい点数がとれていた。判定は……。

「田村っ」

 私は振り返り、思わず叫ぶ。

 田村が驚いて私を見た。否、田村だけでなく室内のほとんどの学生が私を見た。

「あ……いや……なんでも……」

 さすがに、悲喜交々であろう心中の学生全体に向けて私の結果を言う気にはならない。

 必死に周りに頭を下げてなんでもないと謝る私にため息をついて、田村は動作だけで図書室に私を促した。

「どうした?」

「田村、どうだった?」

 私は彼の問いには答えずに訊ねる。田村は少し眉間にしわを寄せたものの、素直に模試の結果を見せてくれた。

 A判定。

 第一志望の大学に、A判定。そこは、私の第一志望でもある。

「……やったねえ! 田村っ」

 私はもう一度叫んだ。今度は控えめに。図書室の壁は、少し大きな音なら筒抜けである。

「そう言うってことは、お前も?」

 聞かれて、私はぴらりと田村の顔の前に結果用紙を垂らした。

 燦然と輝くA判定。私たちは一歩夢に近づいたのだ!

「でもまあ、センター試験のマーク模試だからな……」

「でもここがとれなかったらお話しにならないじゃん! ここを突破してからだよ!」

 実は、私の父親は私が第一志望の大学を受験することをよく思っていない。というか、受かると思っていない。娘の実力を見くびっているのだ。あまりにも私が頑に第一志望を通そうとしているので、センター試験の結果を根拠に諦めさせようとしていることを、母から聞いた。父は浪人することを絶対に認めてくれないだろうし。

 センター試験本番でボーダーラインを余裕で越える点数をとって初めて、私は田村と同じ大学を受けることを認めてもらえるのだ。この模試の結果は、その実現を期待させるものになった。

 それに、口では素直に喜ばない田村も、なんだかほっと力が抜けたように見える。半年近くの遅れを取り戻し、今ようやく受験生たちと同じラインに立てたのだろうから。

「頑張ろうね、田村!」

「ああ……」

 ……それにしても力が抜けすぎてやしないか。大丈夫だろうか。


 新年、学校に行くと、級友たちがこぞって私に封筒のようなものを差し出した。手紙が入っているようなものではなく、白くて薄っぺらい紙でできた、手のひらサイズの小袋。

「青木、受験頑張ってね!」

 中身は全部お守りだった。分担したのだろうか、ご丁寧にすべて神社が違う。

「あ、ありがと……」

 素っ気ないお礼になったが、内心ものすごく感激していた。彼女らは私の受験なんかに全く関心がない素振りだったからだ。めちゃくちゃ嬉しい。

「青木が受かっちゃったら、大学違っちゃうけど、それでもうちら仲良くできるもんね」

「青木が見捨てない限りねー」

「見捨てないよ……」

 高校、大学の友人関係は一生物だと母から聞いたことがある。その通りだと私は思った。もしそうでなくても、私自身の努力でこれは一生物の友情にしたい。

 家に帰って妹に見せびらかすと、

「いろんな神社のお守りを一緒につけると、神様がけんかしてご利益なくなるから気をつけてね」

 と無粋すぎる突っ込みをいただいた。


 毎日、少しずつ寒さが強まっている。塾の中は暖かいものの、道中の寒さで手は凍り付いたようになって、問題集をめくるのも容易ではない。私は諦めて、入れ替わりで帰ろうとしていた田村に話しかけた。

「田村、受験票届いた? 大丈夫?」

 田村のことだから、まさかうっかり出願を忘れたなんてことはあるまいが、高校のときのようにまとめて出願はしてくれないので他人事ながら心配だ。

「大丈夫だよ」

 私のおせっかいにももう慣れた様子で、田村は受験票を取り出し私に見せてくれた。さすが、私が口だけで納得できる性格ではないことを把握しているようだ。

「会場、一緒だね」

 我が家から近い大学ではあるが、それでも電車とバスで一時間以上かかるところにある。

 受験票に貼られている田村の写真は、恋人の私が言うのもなんだが犯罪者の写真みたいな仏頂面だった。ぼさぼさの髪といい、きちんと証明写真機で撮られたものだとは信じられなかった。

「あんまり写真は見るなよ。俺、写真写り悪いんだから」

「うん、悪いね……」

「だから見るなって」

 自分のものと同じものだけれど、なんとなく物珍しくて私はしげしげと彼の受験票を眺める。

「あ、受験番号、田村の誕生日じゃない?」

「……ああ。本当だ」

 言われて気がついたように田村は言ったが、最初から気がついていたに違いない。自分の誕生日の数字の並びって、見た瞬間はっとするものだもの。

 今年は田村の誕生日を祝うことができなかった。否、実はこっそり、いつもの差し入れと称してお菓子を作って持って行ったのだが、多分彼は気づいてはいまい。

「私も当日に送ったのになあ。田村の方が番号が若いね」

「あ、そう……」

 そんなのんきな会話をしているものの、もうセンター試験は二日後に迫っている。

 雪がちらつき、本番の日の交通状況がどうなるか気になるところだった。



 青木家の長子は私だし、両親の世代は共通一次だったから、センター試験を受けるのは我が家で私が初めてということになる。両親はやたらと緊張していて、朝も早いというのに揃って起き出して、玄関まで見送りにきてくれた。

「頑張ってね」

「落ち着いてな。解答欄一つずらすなんてへまをやらかすなよ」

「やらないよ」

「お弁当はヒレカツだから。しっかりやんなさいよ」

 実際試験日や前日に揚げ物はあんまり良くないんじゃなかったっけ。なんてことは突っ込まず。しばらく視線を感じながら、家を離れた。

 雪こそ降らないものの身を切るような寒さだった。手袋の中にカイロを仕込み、背中やお腹、靴の中にも仕込み、防寒対策は万全に行う。

 道中なんども周囲を観察したが、田村の姿はない。なんだか心配になってきた。

 近頃の田村は、集中しているようでいて、どこかぼーっとしていたり、かと思えばいらいらしていたり、不安定な様子だった。だからあんまり声をかけて刺激しないようにしていたのだけど……私だって無駄に当たり散らされたくはなかったから。

 それに、わざわざ示し合わせなくたって試験開始の時間と、会場への所要時間、それと電車やバスの時間を考えると、自然と田村も同じ時間になるだろうと踏んでいた……のだが、あてが外れたようだ。

 始めから誘っておけば良かったとそこで後悔したが、先に立たず。

 大丈夫。田村はしっかりしているもの。自分で会場に着いている。もしかしたら、自分より一本早く着くようにしているのかもしれないし。


 会場にはぞくぞくと受験生が集まってきていた。私のように制服姿の学生が半分以上、それに混ざって私服の人がちらほら、極稀になぜかスーツの人が見えた。

 入り口では、大手予備校や不動産屋のスタッフがチラシと一緒にチョコレートやカイロを配っていた。抜かりなくいただく。大手予備校の講師と話している、隣町の高校の制服を着た女子がいた。その予備校の生徒なのだろう。高村先生は来ていなかった。

「おーい、青木」

 声に振り向くと、学級の担任が立っていた。ここに立っているのは、仕事の内容には多分含まれない。ボランティアで私たちを応援してくれているのだ。

「先生、おはようございます。うちのクラス、センター受けるの私と竹村さんくらいですよね」

 たった二人のためにこんな早くから来てくれたのだろうか。

「部活の生徒もいるからね。それにクラスで二人の優秀な生徒を応援しないわけにはいかないだろう」

 そう言って笑い、担任は飴をくれた。『頭が良くなる飴』となんだか怪しい商品名だ。

「頑張れよ」

「ありがとうございます」

 頭を下げてから担任の前を離れ、会場内へと続く人の流れに再び合流した。

 建物に入る前に、大きな掲示板がある。そこで番号を確認するようだ。私のものはもちろんのこと、覚えていた(何しろ恋人の誕生日だ)田村の番号もチェックする。

「……一緒だ」

 まさか、同じ教室になるとは思わなかった。同じ高校でまとまると聞いていたけれど、そもそも私の高校でセンター試験を受ける人が少ないのだろう。浪人生と同じ教室になるものなんだな。

 広い教室は、ドラマや何かで見る大学の講義室そのままだった。階段状の席。合格したら、こんなところで授業を受けるんだな。自分の席を探しながら、田村が座るべき席もさりげなく確認する。私の席より前方にあって、試験中も気になってしまいそうだ。まだ彼は来ていなかった。とはいえ、まだまだ空席は多い。会場に来ていても、教室には入らず廊下で知り合いと談笑している人もいた。

 参考書を開いて眺めながらも、空席が気になって何度も顔を上げてしまう。メールの着信があって急いで確認をすると、もう大学が決まっている友人からの応援メールだった。ため息を吐いて電源を切り、思い直してもう一度入れた。何かあったのかもしれない、連絡があればすぐ動けるように。

 すでに集合時間の10分前だ。席はほとんど埋まり、ぴりぴりした空気が漂っている。田村の席はいまだ空席だ。

 5分前になった。携帯電話の電源を切った。

 試験の説明が始まった。受験票と鉛筆、時計、電池パックを抜いた携帯電話を机に出し、説明を聞く。席は埋まっているが、人の頭の間から見える田村の席には、誰もいない。

 忘れよう、と思った。もしかしたら、私が番号を間違えていたのかもしれない。それに来ないものを気にしてももう私の連絡手段はない。私は私のことを全うすべきだ。前方を見たら気になるから、できるだけ机の上の紙面に視線を落としたままにした。


 始めの合図があっても一呼吸おいて、それから問題を開く。

 私の入試が始まる。

 センター試験が始まった。


 ……そして終わった。






 田村は来なかった。


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