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終章

「あんた今幸せか?」


 ベルンが年齢ゆえ皺の出てきた顔を神妙にしていた。

 西日差し込んでいた部屋は、今は小さな蝋燭が照らしていた。

 聞こえていたはずだが、イーシュは再度確認したいというように僅かに顔を斜めにした。

 ベルンはそれを見て答えを悟ったのだろう。笑った。


「幸せなら俺はそれで構わないと思う」


 それはイーシュが回想の中で自分に問いかけた答えだった。


「旦那様もライオルも、そして俺も、あんたに森を出ろと言ったが、それはあんたの幸せを願ってだ。そうすることがあんたの幸せになると考えて……。だからあんたが今幸せでさえあるなら……俺はそれで構わないと思う。こんなこと言うのは無責任かもしれんが、旦那様もあいつも許して……いや、喜んでくれるとすら思う」


 今度はもっと丁寧に言葉を加え、ベルンはもう一度同じことを言った。

 イーシュは微笑んだ。


「……ええ、私も中津森に来てよかったと思っています。神官としてお勤めする事ができ、それでなにがしかの形で人々のお役に立てて……。それに私もです。ここでまた沢山の人に出会い、また再会し……今も十分幸せですが、きっともっと幸せになれると思います」


 イーシュにも、とっくに同じ答えが出ていたのだ。

 ベルンは「余計なことだったな」とでも言いたいような顔をして、小さく照れ笑いした。頭を掻く。


「実は話を聞いてわかったことがあるんだ。俺、あんたをちょっと誤解してた。……あんた、もちろん精霊のことも好きなようだが、それよりずっと、もっと、人間が好きなんだな」

「ええ。私は人ですから」


 イーシュは当たり前だと言うように笑った。

 精霊舞を見た者ならその答えは少々意外なのに違いない。まるで精霊そのもののようになってしまうから。


 外からの物音が、話に熱中するいつの間にか、賑やかで楽しげなものに変わっていた。

 イーシュが席を立って、窓辺に佇む。そして日よけの垂れ布の隙間から外を見下ろした。

 すっかり日が落ち、あたりは暗闇に染まっていた。涼やかな風が頬を撫でる。

 遠くに見えるいくつもの館の明かりの前を、何人もの人々が行き交っていた。


「今日もあの日のように賑やかですね……これから祝宴が執り行われるようですよ」

「祝宴?」

「ええ。ナルディムの丘での戦いを、森の軍が制したとのことです」

「……ああ。ティジット将軍か。類い稀な術士であり、知将であるという……」


 今、この館に着いたばかりというベルンだが、中津森のはずれで養生していただけある。様々な情報は身につけているようだ。

 在りし日のライオルのように、感心した内にどこか羨ましげな表情を浮かべた。自分がそうではないこと、そしてそうではないならせめて、西津森にそのような人物がいれば……、と。

 イーシュにもそれはよく伝わっただろう。二度目だからだ。


「ええ……戦のことは私にはよく分からないのですが、皆の噂ではそのようです」


 気づかって、多少婉曲した。

 ベルンは諦め顔を作って笑った。そんなことを今さら悔いたって仕方が無い。

 言い終わったイーシュは妙に黙った。迷っていたが、少し頬染めながらついに言う。


「それに、とてもお優しいお方なんですよ」


 なんだか嬉しそうだ。


「……へえ……。珍しいな。イーシュがそんなふうに男のことを語るのは」


 精霊より人が好きだ、とイーシュが言った時よりも意外そうにして、ベルンも目を見張った。

 イーシュはもちろん真意には気づいていない。


「え? ああ……。私にとって特別なお方なんです。ティジット様は。何しろ私の命の恩人ですから……」


 イーシュはつい先日、そのティジットという男によって蛇の呪いを解いてもらった。

 その人は将軍という立場でありながら、奥方の願いに応え、身を犠牲にしてまでそうしてくれたのだ。

 看病もしたが、深い恩を感じる心はイーシュから消えてはいない。


「その話はさっき奥方様に少しだけ伺ったが……」


 ライオルづてにだが、イーシュをよく知るベルンには戸惑うのに十分な反応だったらしい。まじまじと目の前でわずかに頬染める少女を見つめる。

 イーシュの方は、ベルンがそう言ったので、それ以上そのことに触れるのはやめて、口を閉じた。

 しばらくの間ベルンが、わかってないんだろうな……とでも言いたげな視線を送っても、イーシュはきょとんとして首を傾げて返しただけだった。


「なるほど、ライオルもこうして苦労したわけか」

「え?」


 イーシュが不思議そうに伺ってきていたが、ベルンは無視して窓の外を眺めた。取り合ってもなにも生まないと思ったのだろう。

 ここから見える館の明かりはどこか心躍る色に照っている。とうに宴は始まっている模様だ。

 ベルンは鼻から長い息を吐き出した。振り向いて、芝居かかった口調で言う。


「じゃあ、あれだな。その命の恩人様の無事の帰還を祝って、酒でも注いで来て差し上げたらどうだ?」


 イーシュは面食らう。


「えっ? でも……たくさんの方がすでにそうしていらっしゃっているはずですよ。そんなに呑ませては、かえってご迷惑ですよ」

「無事を喜ぶ気持ちに迷惑なんてないだろう? 酒を勧めるのは、ただ近寄って話をする口実を作るためだ」

「そういうものですか……?」

「そういうものさ」


 何も知らないんだな、と言うように、ベルンはほほえましく笑う。


「でも今日はせっかくあなたが訪ねてきてくださったのに……」


 イーシュは申し訳なさそうだ。

 ベルンは肩を震わす。


「ははっ。俺はこの先ずっとこの森で兵士として仕えるんだ。会いたきゃいつでも会えるよ。……だから俺のことはいいから行って来いよ。将軍たって若い男なんだろ? あんたみたいな綺麗な娘が来てくれて、うっとおしいはずなんてない」

「……。そういう感じのお方ではないんですが……」


 どう反応していいのかわからず、苦笑いをイーシュは返す。


「でも、行ってきますね」


 そう言った。

 やはり無事を喜んでいることを伝えたいらしい。

 その返事を聞いてベルンはすぐに立ち上がり、二人は一緒に部屋を出た。


「俺はまだ足が思うようにならないから、あんた先に行けよ。気が向いたら俺も行くよ」


 出た先の廊下でベルンは、片眉をあげてにやつきながら軽く手を振る。

 その意図を察してもいないイーシュは、普段どおりに深々と頭を下げ、さきほどベルンと一緒に歩いてきた廊下を戻る形で宴の会場に向かう。

 ところが、二、三歩進んで、イーシュははっとして戻ってくる。困ったようにベルンを見上げた。


「あ、あの。こんな堅苦しい法衣で行ったら場違いでしょうか……?」

「え?」


 きょとんとするベルンを見て、イーシュの頬はさっと赤くなった。


「す、すみません。宴の場になんて神官として以外には行ったことがないので……。あの、そうですね。着替えて行きます」


 イーシュは慌てて部屋に戻ろうとする。鍵を出すが、なかなか鍵穴に入らずがしゃがしゃ鳴らした挙句、しまいには落としてしまう。


「あっ……」


 ベルンはその鍵を拾ってやり、一人であたふたしているイーシュに手渡した。

 中年の男とは思えない可愛らしい仕草で、くすっと笑う。イーシュを見ていて相当面白かったのだろう。


「そのままでいいんじゃないか? よく似合ってるよ。中津森の神官法衣もさ。……ああ。でも、ただ、それは置いてったほうがいい」


 イーシュはベルンの視線をたどった。

 それは幾枚も薄布を重ねたイーシュの法衣の羽織の下、白い布で再び巻き直されたライオルの小剣に向けられていた。

 意外そうにまたベルンを見上げる。


「え? でも……」

「今夜だけでも置いていきな。ここにゃあんたを傷つけようなんて皇国兵はいないんだ」


 ベルンはわざとらしく肩をすくめてみせた。そうしてイーシュの部屋の鍵を回し、扉を開けてやる。

 それでもイーシュの足は進まない。


「そうですが……」

「急いだ方がいいぜ? ティジット様は宴なんかの浮かれたことがお嫌いで有名らしいからな。早々に部屋に帰っちまうかもしれん」


 それは嘘ではないが、半分は脅しだ。だが効果はてきめんで、おとなしくイーシュは剣を部屋の入口近くの戸棚に丁寧にしまった。

 そして頭を下げ、足早に去って行って、それからはもう戻って来なかった。






 一人イーシュの部屋の前に残ったベルンは、懐から煙草を取り出した。そうしてそこらの燭台から火を拝借する。

 ふーっと吐いた白い煙が、覗いた窓から流れ出ていった。


「ライオルの最期の勇姿が目に浮かぶようだったな……」


 感慨にふけるベルンの眼下の中庭を、イーシュが駆けていった。

 いつもおっとりとしたあの少女があんなに急いでいるなんて、そばに敵兵でもいなければ珍しいことだ。

 ベルンはもう一度煙を吐いてから、楽しそうに口角を上げた。


「なあ、ライオル。今、お前、そこら辺にいるんじゃねえの?」


 窓から覗けるそばの木立の葉が揺れる。

 だが、もちろんベルンには何も見えないし、いるという根拠もなにもない。

 ただ、ふと、話し始める前に、イーシュが外に精霊か何かいた、というから、その気になって言ってみただけだ。

 しかしベルンはそのまま、まるでそこで故人が聞いてくれているかのように話し続けた。


「イーシュはよ、お前のこと大好きだったとよ。俺にはそう聞こえたぜ? ただ、あれだな。幼馴染だったってのがよくなかったかもな。ああいう娘だから、もっと男らしく大胆に攻めた方がよかったかもしれん」


 ベルンは言ってから笑った。本気で言う独り言がどれだけ恥ずかしいか知ったのだろう。

 だが、自嘲しながらも続ける。


「でも……お前も今は文句ないだろ? 切迫していたとはいえ、お前も一度は望んだことだ」


 ベルンはイーシュから聞いた、ライオルの言葉を思い出していた。


『幸せになってくれよな。一生神に仕えるんでも、……誰かと結婚するんでもいいからさ』


 ふう、とため息をこぼしてベルンは目を伏せた。


「イーシュから話を聞いる時は、これほどの巫女ならそんなことは惜しい、どうしてライオルはそんなことを言ったんだ? なんて正直思ったが……聞き終えて、あのイーシュの顔見たらな。ティジット将軍の話をしていた時の……。今は俺も賛成するよ。ずいぶん娘らしい表情(かおするようになったじゃないか」


 相手はベルンにとって、へたすれば子供ほども年の違う娘だ。どこか親心になったらしい。

 言葉の足りなかったさきほどの台詞をもう一度繰り返す。


「なあ、ライオル。ティジット様になら、イーシュをやってもお前も文句ないだろ? なにしろ相手は相当に評判の良い男だ。それにお前のなりたがってた将軍だしよ」


 返事はもちろんない。一生待ってもだ。

 けれど、ベルンはその答えを導くことができた。

 ライオルを深く知るからだ。


「無理だと思ったが、お前の最期の望み……意外と叶うかもしれないな」


 ベルンはイーシュが向かっているのだろう、ひときわ明かりが煌々と灯る場所を見つめる。そこはおそらく広間だ。賑やかな宴が開かれているに違いない。そしてそこには奥方や、今日の宴の主役、ティジットがいるに違いない。

 なんとなく、ベルンはにんまり顔を押さえられない。ひくつく。


「きっとお前の予想通り、可愛い子が産まれるぜ。……なんて、いくらなんでもいきなり期待しすぎか? ははっ」


 自分で言ったことに照れ笑いして、ベルンもその窓辺を去った。






(終)



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