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8-7

 イーシュを連れた旅芸人の一団は、一週間かけて北の岬に辿り着いた。

 その間に集落はほとんど無かった。痩せた土地で、定住しない狩猟を主とする民族が住む場所だった。

 北の岬も同じようなものだった。

 いくらかの人々が岬を保つ為に住んでいるばかりで、普段はしんと静まり返っているらしい。そう、土地の者が言う。

 そこが今は西津森から逃れてきた者たちで溢れかえっている。

 短く狭い海の村の通りには森の民ばかりが歩き、軒下にすら座り込む。申し訳程度の小さな宿はもちろんすでに満杯だ。

 元から住むこの岬の村人にも戦の噂は届いている。何年か前、中津森の主が亡くなった時も森を捨てた民が押し寄せてきたのも目の当たりにしている。だが、当時でもこれほどではなかったと言って今の村の様子に戸惑いを見せる。

 それでも田舎の気のいい村人たちは、ふるさとを追われ疲弊しきった森の民を暖かく迎えてくれていた。世話になっている者もいるようだった。民家から出てくる森の民もかなりいた。


 比較的遅れてやってきたイーシュと旅芸人たちは村の外れに停めたあの馬車で暮らしていた。

 元々旅に暮らす芸人たちだ。急だったとはいえ、旅支度はいつもある程度は整っている。慣れてもいる。馬車での寝食とはいえ、苦痛に感じるほどの不自由はなかった。団員の半分が女性だった事もイーシュには幸運だった。

 北の海の向こうへ渡る事を目指してやってきた一団だったが、乗るべき船はまだ来なかった。

 イーシュたちがこの岬に辿り着いた時、丁度北に立つ船が出たばかりだったのだ。たくさんの森の民を乗せていったらしい。次にこの岬に船が立ち寄り、出港するのは一週間後だという話だ。

 ここはもともと寂れた岬、時々でも船が来るだけ有り難い。沢山の民が出立の時を待ちわびていた。

 そんな中でも、それでも一応、船の席の予約が取れた。次の次に出る船だ。まだ当ての無い者も数多くいる中でそうすることができたのは、芸人たちの持つ人脈のためだろう。御霊入れを連れている、というのもまた理由になったのかもしれない。

 頼んだわけではないのだが、一団は団員ではないイーシュにも駆けずり回って船の席を確保してくれたのだ。

 神官だというだけでもそうだっただろうが、森の象徴ともいうべき御霊入れとなればますますだったのだろう。進んでそうしたかったらしい。

 岬に着いて二週間も経とうという頃、イーシュは団員に先んじて乗船券を団長から受け取った。

 だが、その顔は浮かないものだった。







 出発の日の朝が来た。

 上る日に照らされて、岬の向こうに広がる濃青の海原には、ゆるやかに揺らめきながら、いくつも目に痛いきらめきが現れては消え、また現れていた。

 どこまで遠くまで見渡しても、それ以上のものは見つけられない。水面はただずっと続いている。この先に人の住む場所があるとは思えなくなるほどに。

 昨夜、寄航するだけましというべきか、ようやくこの岬に船が来た。お世辞にも頑丈な、とか大きな、とかとはいえない。

 少し黄ばんだ帆が、綿をつまんで引っ張ったように細い雲を浮かべた空にこじんまりと立つ。

 申し訳なさそうにひとつだけ海に突き出た桟橋には、にわかに人々が行き交った。

 イーシュを連れてきてくれた旅芸人の一団もそこを渡った。若い男たちが荷を運ぶ。積荷といっても最小限のものしか持ち合わせてはいないが、掻き集めた食料なんかが大きな袋に詰まっているらしかった。

 中にはきっと、荒野で出会った遊牧民が分けてくれた干した肉なんかも入っているに違いない。

 森では見かけないがここではありふれた白と黒の鳥が、群れをなして変わった声でひっきりなしに鳴いていた。


「巫女様が来てくれたなら、先に逃げた奴らも喜びますよ!」


 小さな歩で桟橋を往くイーシュの隣を追い越しざまに、こんな寂れた場所に似合わない明るい声を若い団員があげた。

 微笑を返すべきところだが、逆にイーシュの顔は無表情になった。足も桟橋の中央で止まる。団員が好意で調達してくれた簡素だが破れの無い衣服が、潮風にはためいた。


「どうしました?」


 二、三歩先を行ってしまった団長がイーシュを振り返った。

 深刻な面持ちで、イーシュはぎゅっと衣服の胸を握る。


「すみません……私はやはり森に残ることにします」


 突然すぎる。皆、この日を待ちわびていたというのに。

 若者の顔はそんなような表情になって固まった。

 そのそばを同じように荷物を運んでいた同じ一団に所属する仲間の団員たちにもイーシュの声は聞こえていて、驚かせ立ち止まらせた。


「ええっ?? そんな……!」

「森に残っても、また戦争が待っているだけです!」

「あなたが来てくれたら慣れない土地で悩み苦しんでいる仲間も救われます!」


 荷を肩から下ろし、団員たちがイーシュを説得するように集まってきた。

 けれど、その中心の少女は申し訳無さそうにうつむく。


「はい……それは分かっています……。でも……」


 奇妙といえば奇妙な光景だった。

 十代半ばを越えたほどの少女ひとりを、だいぶん年上の大人の男たちがすがるように見つめて囲んでいるのだから。

 しかし、その少女には年齢を凌駕する存在感があった。

 か弱い声に華奢な体。けれどその瞳には揺るがない決意が滲んでいる。

 ここは精霊祭の舞台でもなんでもないけれども、少女の独壇場かのように空気が変わる。

 誰も声を出せなかった。

 無言でイーシュの次の言葉を待つ。


「すみません。こんなに良くして下さったのに……わがままを言って……」


 慌てて団員たちが口を開いた。


「いえ、わがままでは……」

「ただ……、心配です」


 立ち止まったイーシュたちは細い桟橋を行く人々の妨げになっていた。

 何事かと、こちらを伺いながら人々が合間を行き過ぎる。

 団長もどこかから飛んでやって来た。輪に加わる。

 眉根を寄せ、イーシュは旅芸人たちを見上げた。


「私の空いた分、どなたかを乗せて差し上げてください。……それから、いくばくにもならないかと思いますが、心の印に神官の装飾品を差し上げます。もしかしたら異国で珍しがって買い取って下さるかもしれません」


 イーシュはそう言って懐からじゃらじゃらいうものを取り出した。腕輪、首飾り、指輪……逃げてきた際に身につけていた普段使いの品だ。しかしそれは全て白金細工の上等な品だった。森の大切なお役目を預かる御霊入れの服飾ともなれば当然の品だ。

 いくばく、とはイーシュは言うが、森の文化を知らない異国でも、この装飾のできばえや金属の価値に相当な高値をつけることだろう。

 団長以下、旅芸人たちが身を引く。 


「こ、こんな上等な物いただけません!!」


 そう言う芸人たちを無視して、イーシュは団長の前に進み出て、その手に無理やりそれらを全て握らせる。


「いいんです。もらってください。皆さんには命を助けていただきました。それに……一緒に行けないお詫びでもあります……。ご恩は一生忘れません」


 団長はそれをどうしていいのかわからないという様子で、美しい装飾品を太い指のついた手の上にただ乗せたままにしておく。そうして、心配げに眉を捻って娘ほども年の離れたイーシュを見つめた。


「……これから、どうされるのですか? 森のはずれにでも隠れ住まわれるおつもりですか?」

「いえ、中津森に行こうと思います」


 イーシュはきっぱりと言う。

 団長、そして団員も飛び上がった。


「中津森!!? なんだって、また、わざわざ戦争の最中に!?」


 中津森もまだ存在しているとはいえ、皇国の猛攻に晒されている。

 一度は北の海の向こうを目指した者が、そしてそこに向かう船を目の前にして、わざわざ好んで行くような場所ではない。

 しかしイーシュは言う。


「戦争の最中だからこそ、私を必要としてくれる人がいるかもしれません。神官とは、人々の心を安寧に導くのが役目です。……いえ、神官としては未熟な私です。神官としてではなくても、森で何かのお役に立ちたいのです」


 凛として語る少女を前に、団員たちは成すすべなく佇む。

 イーシュはそこでしっかりと顔を上げ、団員一人一人の顔を順にゆっくり見つめた。微笑を漏らす。


「……そう思えたのはあなたがたのおかげでもあります。あの、皇国兵から逃げてきた私を受け入れてくれた日、私が一緒にいることで、あなたがたが喜んでくださったようでした。それがどうしてか、しばらくはわからなかったのですが……一緒に暮らさせていただくうちにようやくわかりました。神官、そして御霊入れであることは、それほど人の心に影響を与えるものなのですね。この私が生きて存在しているだけで、なにかの支えとなれることもある……だから私は行こうと思います。あえて戦の最中さなかに。あなたがたが教えてくださったんです」


 イーシュが浮かべたのはいつもの笑みだったのだが、旅芸人たちには崇高なものに見えたのに違いない。表情が呆けた。そしてそれは、イーシュの決意が変わらないことをも悟らせた。


「では我々は余計なことをしてしまったのかもしれませんな……」


 団長が残念そうに桟橋に目を落とす。


「いいえ。……」


 イーシュはそう言って、一度言葉が続かなくなる。

 言いにくかったのではなくて、言いたい想いが大きすぎて容易には出てこなかった。

 先ほどとは違う、年齢相応のはにかみを見せたあと、ようやく口が開く。


「私は結局、森を捨てられなかった……簡単に言えば、きっとそれだけなんです」


 イーシュが旅芸人たちと過ごしたのはたったのたったに半月ほどのことだ。

 しかし、巫女だということ以上に、イーシュは人間として大切にされた。隠し切れず、団員の顔に浮かぶものが物語る。

 当然、その感情はイーシュにだって共通するものだった。瞳に浮かぶのはとても綺麗な涙だった。

 イーシュは深々と頭を下げた。


 出航の鐘が侘しい港に虚しく響き渡る。


「皆様、ご無事で……」


 船が出た後、桟橋に残ったのは、海風に艶やかな髪をなびかせた見送るイーシュの姿だった。

 暗い藍色の海には船の軌跡が白波として立つ。






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