8-3
◇
主から案内された高御座の後ろの隠し扉から、三人は地下に通じる抜け道に入った。
そこは暗く湿っていた。
入口に用意されていた松明に火を灯すと。いくらか先まで視界が開けた。石で組まれた低く、狭い通路が闇の中に続いている。
一列に並ぶしかない道幅、それにベルンならいくらか屈んで進むことしかできない天井の低さ。それに湿気と狭さで息苦しい。よもや、何かが起きて、このまま生き埋めになるのではないかという不安すらよぎる。
その道を、ベルンは進んで先を行った。松明もその人が持つ。
「抜け道は山を貫く穴のようになっている。通ったことはないが、かつて聞いた旦那様からの話では、山の裏手のふもとのあたりに出るはずだ」
ベルンの声と三人の靴音以外には何の物音もしない。入口は通路の内から硬く閉ざしてきた。そうすれば二度とは開かない造りになっていた。
ここは、誰もいなければ出口などないのではと思うほどの静寂が広がるのに違いない。
時々張っている古い壊れた蜘蛛の巣を何の気なしに掻き分けて、屈んでいるとは思えない速さでベルンは行く。後ろを追いかけるイーシュが小走りになるほどだ。
「ここからなら本来は東の中津森の方が近いんだが……きっと、だからこそ皇国の包囲は厚いだろう。ここは思い切って、北に出よう。おそらく少しは手薄だ」
「北に?」
最後尾を護るライオルの声が筒のような通路に反響した。
ベルンが後姿のままで言う。
「そうだ。集落もなく険しい道だが……、そして遥か先の北の岬からイーシュを船に乗せてしまおう」
「森を……捨てろと?」
今度はイーシュが口を開いた。声が震えている。
ベルンがまた言う。
「旦那様はあんたを森から連れ出してくれと言った。そして幸せになって欲しいとも。この森はもちろん、中津森も同じように皇国に攻められ続けている。……残念だが、きっと、森には幸せはもうないんだよ」
「そんな……嫌です」
ふるふると首を振るイーシュを見ることも無いベルンはやけに感情を感じさせない声で言った。
「旦那様の遺言だ」
「……」
ベルンも辛かったのかもしれない。
愛した森に、「もう幸せは無い」なんて、どう考えても言いたいわけが無い。
確認するかのように、ベルンは少しだけ振り返って暗闇に半分身が沈まっているライオルを見た。
「ライオルはイーシュについていけよ? いいな?」
「……ああ。俺は旦那様にイーシュを頼まれたんだ。どんなことがあっても一緒にいるよ。イーシュとも約束したしな」
あの夕暮れの丘だ。
こんなことになるとは、あの時言った本人のライオルだって想像していなかっただろう。
まるで不当な制約をさせた気がして、イーシュは申し訳無さそうに顔をうつむけた。
ライオルにはもちろんそんな素振りも無い。
「でもベルン様はどうするんだよ? その口ぶりじゃ……」
「俺はお前らを見送った後は中津森に行く。俺は根っからの兵士だ。戦の無い生活なんて考えられないのさ。……それに寒いのは嫌いなんだ」
ベルンはそう言って冗談っぽく笑った。しかし後をついてくる二人は顔を弛ませることもなかった。ただ心配げに眉根を寄せる。
ベルンは空気を察したのか、仕方なさそうに大きな肩をすくめたあと言った。
「まあ、うまくいけばだけどな」
どちらにせよ永遠の別れがまもなくか、数日後には必ず待っていた。
◇
長く細い通路を、足が重くなるまでひたすら下ったあと、三人はどんづまりに辿り着いた。
飾り気の無い石扉が行く手を完全に遮る。
重そうな見た目だったが、しかし傾斜を利用してあるのか、男二人が手をかけるとさほどの苦労も無く開いた。石扉の向こう、現れた森の景色は懐かしく、美しく感じられた。
夜とはいえ抜け道内部に比べれば外は明るい。月の明かりが新鮮な空気とともに、松明を消した通路に差し込んできた。
森側の出口は巧妙に隠されていたのだろう。開いた出口には蔦がいくつもかかっている。
「少し様子を見てくる。もし俺が戦闘に入ったと感じたら、迷わず先に行け」
そうイーシュとライオルに言い聞かせてから、ベルンはまるで散歩にでも出かけるかのように微笑みながら、強引に蔦を引きちぎって出口をくぐる。そうして何の恐れの気配を見せることもなく、さっそうと夜の森闇に静かに消えていった。
遠くでは怒号が上がっている。今頃は、館には数多くの皇国兵が踏み込んでいることだろう。もしかしたら館の主はもう……。
しかしこのあたりから発せられる物音は、全くの皆無だった。
山の裏側からだろう館の方からけたたましい物音が届くのを除けば、静かだ。
胸騒ぎがするほどに。
いつもなら聞こえる梟の声が聞こえない。
ベルンがどこかで戦闘に入ったという気配はなくとも、皇国兵がすでに入り込んでいてもおかしくない空気に満ちていた。
この場に留まるライオルも、耳を澄まし、あたりの様子をここからわかる範囲で伺う。イーシュも警戒し口を閉ざすライオルに従い、無言のまま待った。
その隙間の時間に、ふと何気なく、イーシュは隣の幼馴染の顔を見る。
葉の隙間から漏れる月明かりにまだらに青白く照らされた頬、唇。どこかに少し悔しそうな気配が滲んでいた。
イーシュはこれ以上ない小さな声でだが、耐え切れずに口を開いた。
「すみません……ライオル。逃げるみたいで悔しいんですね……」
ライオルが口を硬く結んだままイーシュを見た。
「……私を頼まれさえしなければ、森の誇り高き兵としてその命をまっとうできたのに……よりによって、覚悟を決め、皇国が目の前に迫った頃に……こんな……」
幼いころから将軍になりたがっていたライオルだ。きっと戦って、皇国にわずかでも一矢報いて死にたかったに違いない。だから館に残っていたのだろう。
申し訳無さそうに目を伏せたイーシュから、ライオルはぷいと顔をそらした。
「お前は余計なこと考えなくていいんだよ」
その顔は険しい。
だが主の命を遂行しようとイーシュの背を押したのはライオルの方だ。死ぬ覚悟だったとしても、納得して今ここにいるはず。
イーシュはそれ以上を言えずに黙り込んだ。
ベルンはまだ戻らない。だがどこかで戦闘が始まったという気配もない。
ライオルは片足を出口の石組みにかける。夜の森に広がる闇に目を凝らす。
鼻先を夜風が通り過ぎたらしい。ライオルのはねた赤茶の髪が揺れている。
そのライオルが急に振り返った。そして、後ろで隠されるように待機するイーシュに突然、かつて主にいただいた大切な小剣を鞘ごと突きつけた。
「え?」
イーシュは惑い、受け取らない。
ライオルはいらいらした様子で無理にそれを押し付け、持たせた。
「これでその服のひらひらした袖とか切っとけ。邪魔になるからな」
法衣の袖や裾はゆったりとひろがっている。それに長い。森を行けば、張り出している枝葉に引っかかる。
「は、はい」
急いでイーシュは剣を受け取り、短く丈を詰めた。そこで知る。その刃の鋭利なことこの上ないことを。イーシュの顔は感嘆に呆けた。
「それからその剣はお前が持て」
次いで、振り返りもせずにライオルが簡単に言った。こんな大事な物に対して。
イーシュの声は戸惑って詰まる。
「でも、これはライオルがいただいたもの……」
「つべこべ言うな。こんな状況だ。お前が剣を扱えないっていったって、丸腰よかなんかあったほうがましだろ。……それにこの剣は、旦那様がお前のために下された剣だ。お前の剣でもあるんだ」
そう言いながらライオルは腰に下げた、主の小剣よりは大振りな片手剣を見せた。
「いざ戦うとなれば小剣じゃ戦えねえ。俺の相棒は、今はこっちだ」
その剣には近衛兵の印である紋章が柄にも鞘にも刻み込まれている。握りは使い込まれたいい色合いに変色していた。
軍人としてのライオルの姿を、イーシュは初めて見る。戸惑いながらも、その目にはどこか尊敬の色が滲んだ。
「ライオル、立派な兵士になりましたね……。実はさっき高御座の影からライオルが出てきた時、驚いたんです」
「驚いたのはこっちだよ。なんで逃げねえでこんなとこに来たんだ、って。それに、お前が旦那様の娘……」
即座にライオルはそう返したが、急に黙った。そして申し訳無さそうに言った。
「いや、わりい。忘れるよ。何も聞かなかったことにする。……お前もそのつもりなんだろ?」
「……はい。私は旦那様の遠縁の、両親を知らないイーシュです」
「そうだな。それがいい。じゃなきゃお前と、お前の両親の苦労が報われねえしな。それにお前も今までの生き方に満足してるんだし」
「ええ……。ライオル……ありがとう」
さすがは長年一緒に過ごした幼馴染だ。
多くを語らずとも通じることを、イーシュは有り難く感じていた。
近距離で葉ずれの音が鳴る。
警戒し、素早くライオルは身構えた。
だがそこに立っていたのはベルンだった。
「さあ、行こう。とりあえずこのあたりには皇国兵はいないようだが、気は抜くな」
三人はそっと抜け道をあとにして、木々の葉茂る暗い森に踏み込んでいった。




