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8-1

 皇国の軍が、館のある集落の手前、川向こうまで迫っていた。

 禍々しいほどに赤い夕日が、西の森の命運とともに落ちていく


 数日前、西津森の主は降伏文書を前線のアンデルア軍に送っていた。

 降伏したとて森の民すべて奴隷身分に貶められるのは目に見えていたが、体制が整うまで、逃げる時間稼ぎにはなろう。

 民を最優先に考えた西の主の苦肉の決断だった。

 皇国も一度はそれを承諾した。

 安堵が西津森の館には広がっていた。


 しかし今朝、それは音も無く破棄された。

 朝もやの向こうに、地平を覆いつくす槍を掲げた騎馬隊の土煙が立つ。

 前線に待機していたアンデルア軍は減るどころか、倍の数になって押し寄せてきたのだ。

 はなからそのつもりだったのだ。森を油断させ、奇襲をかける。卑劣極まる行為だ。すでにこの森には兵力などないことは、敵である皇国ですらわかっているというのに。

 しかし、だからといって皇国を諭すような国も組織も、この大陸には存在していなかった。

 隣森の同胞たちも同じように攻め立てられる身。なけなしの援軍を送ることしかできない。

 されるがまま。

 森の民には降伏すら許されないらしい。

 正式な国を持っているとは認められない森の民と、かたや大陸を征服し続けるアンデルア皇国。過去にも現在にも正式なやり取りなどないままに始まった一方的な侵略戦争。

 それなのに、どれほどの感情を皇国は、皇子は森の民に持っているというのだろうか。そして、なぜ。

 ただわかるのは、『全て踏み潰し、焼き尽くすまで、侵攻を止めることは無い』ということ。

 そう言いたげな進軍の音がもう、館の主の間まで聞こえるのもまもなくだった。





 西津森の軍は奇襲を受けてあっけなく崩壊した。

 知らせなど受けなくても、民でもわかった。遠くの方から集落を取囲むように火の手があがる。

 知らせは必要ない。そこにアンデルア軍が迫っていることがなによりの証拠だ。

 残るのは館にいるわずかな兵だけだ。

 到底、太刀打ちできる数ではない。

 皇国からの調停の使者を待っていた館は、火でも放たれたように混乱を極めていることだろう。

 すでに守りを全て失ったこの森は、もう明日の日を拝む前に落ちる。

 そして瓦礫の山となる。




 館のあるお山のふもとの集落でも神殿でも、主の公の発表がなされる前から、逃れようとする人々でごった返していた。

 馬という馬、馬車という馬車はすでに人で溢れて出立の時を待っていた。乗り遅れた者たちの嘆願が、あちらこちらで響く。

 神殿では神官長が先頭に立ち、全ての神職につくもの、隣に建つ交流深い孤児院の人々、それに助けを求めてやってきた者たちを振り分け旅立たせていた。

 神殿にも少しの物資と移動手段がある。

 関係者と、助けを求めてやってきた者くらいはとりあえず無事に出発させることが出来る。

 手際のよい神官たちの働きにより、神殿には人影はもうほとんどない。

 そうして最後の馬車が庭先で乗客を待っていた。

 ただならぬ気配にいななく馬のそばには神官長とイーシュの姿があった。


「お前が手伝ってくれて助かったよ。逃げたい者はもう皆逃がした。……無事に逃げ切れるとは限らないが……皇国がどこまで包囲しているかまではわからないからな……。だがきっと精霊が守ってくださる。さあ、お前も早く乗りなさい。これが最後の馬車だ」


 神官長はやけに穏やかにイーシュに語る。

 眉根を寄せるイーシュが服の胸元をきつく握って長を見上げる。

 この状況にありながら穏やか過ぎる長の様子が、イーシュを不安にさせていた。

 

「……神官長様は?」

「私はどこかに逃れようとは思ってはいない。この森は私の全てだからな」


 予想の通りだ。慌ててイーシュが何か言いかけるのを、神官長は止める。


「しかし安心しろ。死ぬつもりもない。森は我々の家、老いぼれても森の民だ。それに一人身だ、どうにか逃げおおせてみせるさ」


 その決意が固いのは様子を見れば問わずともわかった。けれど残念そうに首を振るのは止められなかった。


「さあ、お前が乗らないと馬車が出られない」


 神官長は別れにはそっけなさすぎる言葉でイーシュの背を押す。それが余計にこの場の切迫した空気を強くした。


「……」


 うつむき加減のイーシュは何事か考えているように、口元に指を寄せている。

 馬車に乗る人々は今か今かと、そわそわ落ち着き無い様子でイーシュを伺っている。


「どうした? イーシュ」 


 首を傾げる神官長に、イーシュは長い髪を揺らしてぱっとその顔を向けた。

 どこか、泣きそうな顔をしている。

 けれどそれは、意を決した顔つきでもあった。緑青色の瞳が強く光る。


「神官長様。森の最期となる今だけは、どうか私の願いをお聞き届け下さい……!」


 イーシュは神妙に、怯えるように震える口びるを開く。


「私の両親のことを教えてはくださいませんか?」


 初めこそ目を見開いた神官長だったが、それ以上は驚かなかった。深く瞳を閉じる。そうして低い声を響かせるように呟いた。


「それを聞くだろうと思っていた」


 これまで長い間、ずっと「知らぬ」の一点張りだった神官長。それが、さらりとそう言う。

 祈り、すがるように見つめるイーシュの純真な視線に応えるように、長の口はすぐに開いた。


「あまり時間も無い。もう森は落ちる。端的に答えよう。……お前の父は……」






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