5-2
◇
西津森は戦争の最中。
悲しい知らせはそれだけでは終わらなかった。
かつての門兵の死から一ヶ月もしない頃、神殿に訃報が届く。
見習いの神官が研修で向かった先で、他の神官たちとともに村もろとも死んだと。
神官長はじめ、高位の神官たちが神殿の一室で険しい顔をつき合わせていた。
「こんな状況では伝統的に行ってきた神官の神事も変えざるをえませんな……」
「うむ……最低でも、見習いの子供たちを南に行かせることだけは、すぐにでもやめさせよう」
「しかし……まだあのあたりは前線からは遠かったはず……」
「最近のアンデルア皇国は破竹の勢いです。それも皇弟の跡を継いだ第二皇子……彼の活躍がめざましいのです。そしておよそ人道的ではない。戦場では毒矢ばかりか狂戦士を作りだす呪い矢を使用したり、場合によっては奇襲攻撃もいといません」
「しばらく戦況が膠着していました……。打開の為にどんな手をつかったのやら……そのまま村々を踏み潰しながら、信じられぬ速さで行軍を進めているという話です。こうしている今ごろも、失われていく村があるやもしれません……」
「なんと……恐れを知らぬ男か……」
たまたま通りかかったイーシュと同期の見習い神官たちが廊下の壁に張り付いて、その一部始終を聞いていた。
立ち聞きするつもりではなかった。たまたま通りがかっただけだが、石造りの神殿は声がよく撥ね返る。
研修で他の村を訪れていたという見習いの神官。引率の神官含めその数は十数人。そのうちの何人かはイーシュたちもよく知っていた。幼い頃は共に野原で駆け回った友だった。
奉公を終えた神殿を抜け出し、夕暮れの森をくぐって、神殿の子供たちは幼馴染の孤児院の子らとあの野原で落ち合った。イーシュも一緒だ。
そこに集まった頃には空には小さな星の明かりが灯り始める。肌寒さを感じさせる風が衣服を何度もはためかせた。
「もうあの村は、今はアンデルア領だ。亡骸にすら会うことが出来ないなんて……」
「いつここにも戦火が届くか……」
滅ぼされた村々、この世にはいない友。いつ同じようになる日が来るか。あの神官長たちの話しぶりでは、そう遠い日ではないのかもしれない。
黙り込んだ皆の顔に過ぎる思惑が見えるようだった。
突拍子もなく、それを蹴散らす声があがる。
「最期の最期まで諦めるな!」
ライオルだった。
うなだれる頭が大半を作るその輪の中にはもちろんライオルもいた。
「いいか? 死ぬときは死ぬ。諦めるのはその時でいいんだ。今からがたがた震えてんじゃねえよ!」
あれからライオルは鍛錬を重ね、十五才という年若さながら、小隊の隊長を務めるまでに成長していた。
自分よりも年上の部下を引き連れ、時には死と隣り合わせの瞬間をも経験しているライオルの自信に溢れた声には、言葉以上の説得力があった。
しかし、ライオルに叱咤されて、子供たちはさらにうなだれを深くする。
やおらあって、ライオルがもう一度口を開きかけた時、その中の一人が呟いた。
「……俺、兵士になるよ」
素早く、皆がその少年をまさかという顔で見つめた。
孤児院の子だった。ライオルと同い年ではあるが、体格はまるで違う。ひょろひょろの細い体は、およそ兵士向きではない。
「俺、館で馬の世話の仕事してるから……戦いには期待できないけど、行軍に連れ添って、軍馬の世話ならできるかもしれないし」
それを聞いた他の少年たちもぽつり、ぽつりと続いた。
「僕も……兵士になる。庭師の住み込みやめてさ」
「俺も……」
昔、将軍になりたいと言ったライオルを、孤児院の子供たちはぼろくそに笑った。
今、そのほとんどが兵士になると言い始めた。
居合わせる少女たちは不安げに首を振る。
「そんな……もう死ぬ人を見たくないよ……」
「でも誰かが戦わなきゃ、この森を守ることはできないし……、きっとそう遠からず皇国はこの旦那様のお膝元に迫って来て、有無を言わさず子供にも徴兵令が敷かれるだろう……。それなら……今から訓練を重ねて……」
そう言ったのは薬神官を目指し、分野は違えどイーシュのように日々修行を積む見習いの少年だった。迷いが見えるが、もしかしたら彼も兵士に身を転じようと考え始めているのかもしれなかった。
その子がそう言ったことで、女の子たちにも気持ちだけでは片のつかない切迫した事情に抵抗する気を失くさせたらしい。そろって黙り込む。
皆の中になにか覚悟めいたものが見え隠れした。
それを眺め、十分に確認したライオルが、見計らって口を開く。
「よし。じゃあ俺が隊長に話しておいてやる」
兵士志願を口にした子らは、ライオルを見て神妙に、ゆっくりと頷いた。そして、「頼む」と短く言う。
「でも最初から戦場に出られるわけじゃないぞ? 初めは訓練兵だ」
ライオルは戦場に出られるまでの流れや訓練の内容、心積もりなどを簡単に話し始めた。
その道は、これまで語ることは無かったが紛れもなくライオル自身が通ってきたものだ。その道の険しさと共に、自信に満ちて語るライオルには尊敬の視線すら集まる。
黙り込んでいたイーシュの隣の少女が呟いた。
「ライオル、本当に将軍になれるかもしれないね……」
将軍を目指して幼い頃から心と体の鍛錬を欠かさなかった少年。その結果が、いまだ中途ではあるが、目の前にある。
あの幼い日の精霊祭で出会った、身汚く、何を言っても馬鹿にされていた意地っ張りで乱暴な少年の影は、今はもう無かった。
集いがお開きになった野原からは、人影が消えようとしていた。
星の瞬きの下、それぞれの思いを渦巻かせながら、子供たちは静かに帰路につく。孤児院へ、神殿へ、あるいは住み込みの親方の家へ、奉公先へ。
とぼとぼと歩を進めていたイーシュの肩を、後ろから早足でやってきた少年が叩いた。さきほど兵士になることを最初に口にした少年だ。
振り向いたイーシュに、はにかみながら言う。
「あのさ、イーシュ。もしさ、俺が死んで帰って来たら、イーシュが冥府に導いてくれるかな?」
神官の仕事には死者を冥府に導くこと、つまり葬儀を執り行うということだが、それも重要なひとつとしてある。常人の目には見えないがその中では、実際に光の柱を立て、死者を送り出す。
見習い神官であり、巫女のイーシュもこれまでの神官修行で、その神官として基本的な技能も習得している。
見習いの身分でそれを公的に行うことはないのだが、友人のたっての願いとあらば、許可されないことではない。
その少年は、あまり知られても信じられてもいないその話を、神職の友人なんかから聞いていたらしい。
だが、イーシュの目が大きく見開かれる。
「な……なにを……!?」
驚いたのはもちろん、そう頼まれたことに対してではない。少年が、簡単に死を口にしていることに対してだ。
「ありえないことじゃないだろ? 頼むよ」
そう言ってはにかみを儚い微笑に変えた少年の向こうに、兵士志願した他の少年たちもいた。それが、揃って同じような表情を浮かべる。
イーシュは胸の前で指をきつく絡めた。
「……きっと、生きて帰って来るって言ってください」
震えるイーシュに少年は素直すぎるほど従順に頷いた。
「うん。きっと帰ってくるよ」
その表情はとても優しいのに、不思議と、どうしても不安を掻き立てられてやまないおぼつかなさが漂う。
それを消さないまま、ひとり、ふたりと、先に発った者を追いかけて、少年たちが背を向けていく。
イーシュはそれを追うことができなかった。まるで、戦地に今旅立つ兵士の後姿に見えてしまって。
立ち尽くし、知らず、顔を覆った。
待っていたのか、後ろで眺めていたライオルが、そのイーシュに近づいて来る。
「どした? 帰らないのか?」
話題を変えるのはきっとライオルの優しさだ。ぶっきらぼうな少年だ。
イーシュにもそれは分かっていたのだが、どうしても想いを呑むことができなかった。こぼす。
もうそんな話が終わったから、嫌々ながら皆が納得したから、集いはお開きになったというのに。
「どうして戦争なんかあるんでしょう……」
「どうしてって……そりゃあ……」
ライオルは口ごもった。考えたようだったが答えが見つからなかったらしい。散々腕を組みなおしたり、頭を傾げたりしたあとに、半分怒鳴るように言う。
「なんかわかんねえけど人間は精霊みたいには生きられねえんだよ。生きるためには食べ物がいるし、住むとこだっていいとこの方がいい。金だって必要だ。人より上にいたいって欲もあるし、楽もしたい。恐怖心もある。綺麗な気持ちだけじゃ生きてけないんだよ」
良い精霊は愛だけでできている。ライオルはイーシュからそう聞いて知っていた。
けれどライオルは貧しさを知り、戦場では人間に刃を立てる者だ。イーシュたち神官のように精神に重きを置いている人種ではない。イーシュの語る美しい目に見えぬものの話を聞いていると、余計に現実との差違を感じてしまうのだろう。
ライオルの言葉にはどこか、願っても、そうは生きられない苛立ちが含まれているようだった。
イーシュはうつむき、そっと指先で口元を覆う。
「私はライオルのように戦うことなんてできません……」
「当たり前だ。お前は巫女だ。それも御霊入れだ。お前が戦ったら俺どころか森中のみんながびびる」
それを聞いたイーシュの瞳から大粒の涙がぽたぽたと落ちた。どうすることもできない。無力感だった。
ライオルの言う事は間違いではなかったのだが、本人は失言したとでもいうような焦りようで慌てて付け加える。
「お、お前はそのままでいいんじゃねえの? お前にしかできないことだってあるだろ!? え、えーと、神官って普段なにやってるんだ?」
ぱちくりとイーシュはライオルの顔を見つめる。
「……祈り、です」
「うん、じゃあ祈っててくれよ! そうだ、それがいい!」
ライオルはなんの深い考えも無く、その場しのぎで言ったのに違いない。
けれど、それを聞いてしばらく黙ったあと、イーシュはやっと、そっと涙を拭いた。
「……そうですね。では私は祈ります。一人でも多くの兵士が生きて帰って来られるように……。一人でも多くの死者を冥府に導くために……」
兵士になって戦うことを決めた少年がいたように、イーシュも決めた。
ひとり頷く。その心を確認するように。
そうしてまたライオルを見つめた。その決心のように澄んだ瞳で。
「ありがとう、ライオル……」
ライオルはとん、と自分の胸を叩く。
「気にすんな! たいした事は言ってない。……じゃあ、そろそろ帰ろうぜ」
その場しのぎで自分のした発言がどれほどの重さをイーシュに与えたのか、本人は分かっていないようだった。
イーシュの哀しい顔に耐え切れず、早く逃げ去りたいかのように、落ち着かないライオルが親指で方向を示す。
その先を見れば、幼馴染みの友人たちは、星空の下でくねる林の小道に隠れようとしていた。
イーシュは頷く。目を伏せ、二、三歩歩き始めた。
後ろでライオルのほっとしたようなため息がした。
ふいに、イーシュは振り向き、後ろの人を見上げた。
「でも、どうか私にあなたの冥福は祈らせないで下さいね……?」
イーシュの問いは伺うように頼りない。
それにライオルはいつものように力強く頷いた。




