4-2
◇
「よお、半年ぶり!」
そうイーシュに声を掛けてきたのは、狐に扮したライオルだった。くすんだ黄金色の毛皮が腰元にひらつく。
お山に造られた精霊祭の祭壇から神殿に出る小道の脇には、舞を終えた御霊入れを待つように小さな清水が湧き出る。イーシュは精霊舞の後の禊をひとり、ここで終えたばかりだ。服はとうに着ていたが、顔は驚きを隠せていない。
「ライオル……どうして私がここにいるとわかったんですか?」
「いや……まあ、そこんとこはいいじゃん」
きっと隠れてついてきたのに違いない。そうでなければ、神官のみが知るこんな場所に辿り着けるわけがないのだから。
あんまりイーシュが驚いているせいか、そのうちにライオルはどこか申し訳無さそうに頭を掻いた。
「イーシュの出番は終わったけど、精霊祭はまだ何日かあるもんな……。もしかして、祭りが明けるまでは俗世の人間とは会っちゃいけなかったか?」
「いえ、舞も清めも終わりましたから大丈夫ですが……本当に、どうしてここがわかったのかと驚いてしまって……」
「そうか、ならよかった」
ライオルはそう言って鼻の下をこすって笑うと、どっかりとそのあたりの草地に腰を下ろした。
持って来たあんどんをそばに置くと、夜虫がまわりを飛び交った。
「ところでよ、お前、……なんか出てくるとき泣いてたみたいだったけど……」
「見てたんですか? ……すみません。もう大丈夫です」
もう涙の跡など無いのに、イーシュは幾分頬を染めてさっと顔を背けた。
「まあ大舞台だからな、緊張もするやな」
うんうんとライオルは頷く。
イーシュはまだどこか陶酔から目が醒めない部分があって、詳細を今ライオルに語ろうとはしなかった。ただひたすら、もう乾いたというのに涙が出ていた場所をこする。
「それにしても、お前……すっげーかっこよかったぜ!! さっすがイーシュだって孤児院のみんなも言ってた」
「そんな……」
イーシュが返す言葉を探しあぐねていると、またライオルが言う。
「ほんと、すげえかっこよかった……精霊みたいだった」
いつものライオルの物言いと違う。
深い息、ゆっくりと閉じたまぶた。夢でも見ているようだった。
「どうしたんですか? ライオルがそんなに褒めてくれるなんて珍しいです」
さすがにイーシュも照れて頬を染めた。なんとなく、視線をずらしてしまう。
けれど、見ていたライオルの方が、褒められ照れた目の前の少女よりも赤面してしまっていた。口の中でなにかもごもご言っている。
「……いや…。褒めに来たのに褒めなきゃ意味がないだろ……」
月の明かりの下、ライオルの目の前で青い影を落とすイーシュは、いつもとはまた違った美しさを放っていた。
精霊を還し、醒めてきたとはいえ、まだ神事の時の雰囲気が僅かに残る。それがライオルをも普段より素直にさせたのかもしれない。
「なんか……お前、しばらく会わないうちに、大人っぽくなったな」
「そうですか?」
「ああ、話し方のせいかな? それに雰囲気とかも……。お前って、ほんとに御霊入れになっちまったんだなあ……」
ライオルが会わなかった清めの半年の間に、イーシュの口調は少し変わっていた。
イーシュは御霊入れになった。変えなければならない風潮もあったのかもしれない。
しかし、それも精霊祭の巫女という森をあげての大役をおおせつかったからには、当然あるべき姿なのかもしれない。
ライオルは少し寂しそうな顔をしていた。
イーシュの顔が困って沈んだ。
「いや、立派になっちまったな、と思ってるだけだよ。これでも俺、喜んでるんだぜ?」
ライオルがそう言っていつもの馬鹿みたいに元気な笑顔を見せた。あからさまにほっとして、イーシュも笑う。
急にそのライオルが、なにかくすぐったいように表情を緩める。
「……なあ、昔、俺と、どっちが先に夢を叶えるか競争しようって言ったの覚えてるか?」
まだ幼い頃、初めて二人がまともに会話をした時、薬草を積みながら話したことだ。
「ええ、はい」
イーシュもよく憶えていた。懐かしそうに微笑む。
ライオルは鼻で笑った。
そのうつむいた顔は上からは見えなかったが、どんな顔をしているかはイーシュにも想像が出来た。
「惨敗だよ。てんで敵わなかったな。笑っちまうくらい。俺は兵士になれたとはいえ、まだ戦場では隊長の小間使い程度だもんなあ……」
「いいえ。御霊入れは十代までのお役目。でも将軍はとても十代では務まらない役職です。あの頃は子供すぎてよくわかっていませんでしたが、そもそも叶えられるのならば、私のほうが早いに決まっていたんです」
ライオルはそれでも、というような自嘲を見せた。
それに反応したわけではないが、イーシュが言う。
「ライオルだってすごいじゃないですか。その年で小隊の副隊長を任せられているんですから」
「俺がなりたいのは将軍! 副隊長じゃねえの!」
「大丈夫ですよ。きっと、その調子で頑張れば将軍になれます」
イーシュは微笑み、まるで確信があるかのように言い切る。
その微笑が見えていないはずの、無理やりに視線を外しているしゃがんだライオルもイーシュの術にかかったようだ。
「……なんかお前がそう言ってくれると、そんな気がしてくるよなあ…。ただやる気が湧いてくるだけかな? 昔みたいに……」
「昔?」
「うわ。口がすべった。いーんだよ。そんなことは」
余計なことを言ったライオルだったのだが、幸い気づかれずに済んだ。相手はただ微笑んでいる。
「ライオルならきっと優しくて強い将軍になれますね」
「なんだよ、そんなことまで覚えてるのか」
ライオルの声は照れくさそうだ。
いつ拾ったのか、いつのまにか小枝で地面をほじくり返している。幼い子供のようだった。思い出がその当時に返してしまったのかもしれない。
イーシュはそのそばに寄って、ようやく同じようにしゃがんだ。
「ふふ。だって、優しくて強いなんて、そんなの、あの時はびっくりしてしまったんですもの」
「将軍が優しいって言ったのはお前の方じゃん。俺こそびっくりした」
顔を見合わせた二人の抑えた笑い声が夜の森に溶け合う。
急にライオルが振り返った。
背後で、わずかに草がこすれあった音がしたのだ。
さすがはふだんから剣の修行を欠かさないライオルだ。それを見たイーシュも続いて振り返る。
見つけたのは、白色の、綺麗に整えられた髪と髭。顔には幾本もの皺が刻まれてはいるが、姿勢のよい小柄で細身の体つき。
そこには西津森の主がひとり、護衛も連れずに立っていた。
いくら館に近い場所とはいえ、森の主が一人歩きなど、めったにあることではなかった。まして、年に一度の精霊祭だとは言っても、夜のこんな森の小道に。高齢ゆえ余計だ。何用だろうか。
「だ、旦那様!?」
二人はとっさに地面に手と膝をつき、頭を深く下げた。
森の主はそれを見て優しく笑う。
「よい。今はただ、見事な舞を見せてくれた礼を言いに来た、ただの老いぼれたじじいじゃ。二人とも楽にしてくれ」
高圧的な人物ではないとはいえ、そうそう簡単に話ができる身分の相手ではない。館に何度も出入りするイーシュやライオルでも、こうして至近距離で接するのは初めてのこと。
そうは言われても、顔を上げることはできても、二人は立ち上がることができない。
見かねて、親和的な笑みを浮かべて主の方が近づいて来て、イーシュの目の前に立った。そうしてあまつさえかがんだ。ライオルがびくりと体を震わし、瞬きを忘れて隣の少女と老人を見つめた。
イーシュはなおさらで、戸惑い、身動きを殺す。
主は目を細め、年齢ゆえかすれがかった低く穏やかな声をかけた。
「名はイーシュというらしいのう」
「は、はい」
「……本当に……見事じゃった。この年まで七十年、西津森で毎年、精霊舞を見てきたが、これほどのものを観たのは初めてじゃわい。冥土によい土産ができたわ」
「冥土などと……」
言いかけるイーシュの言葉を、主は手を出して抑える。
時間が無いのだろうか。急いでいるようにも見えた。護衛には告げずに来たのかもしれない。
「お前はよい巫女じゃ。いつか巫女を退いたあとはよい神官にもなるじゃろう。ああ、だがワシの言葉に囚われんでもよい。望むなら、どんな道にでも進んでよいのじゃぞ? 全て、お前のしたいようにするがよい」
「……? はい……」
主はなにを言いたいのか。
わからないイーシュは瞬きを繰り返しながら主を見つめるしかなかった。
そのイーシュに、青に灰を混ぜたような色の主の瞳が、言葉以上の慈しみを投げかけたようだった。
「伝えたかったのはそれだけじゃ」
しばらく見つめ合った主は、不意にそう言って立ち上がり、イーシュを離れた。
その去りがけに、ようやくライオルの方に目をやる。その膝をついた足の先から頭のてっぺんまで、しげしげと眺める。
目をしばたたかせたままのライオルの代わりに、気を利かせたイーシュが先に口を開いた。
「旦那様の下、森を守る勇敢な兵のひとりです」
イーシュに軽く袖を引かれて、慌ててぴんと背筋を伸ばしたライオルは名前を言う。
「ラ、ライオルといいます!」
そのやりとりを主は面白そうに眺めていた。上がった口角のあたりを皺だらけの指で撫でている。
「……そうか。イーシュとは既知なのか?」
「幼馴染です!」
「……どこかで見覚えがあるな……もしや、何年か前、館の門のあたりで剣の訓練をしていた少年か?」
ライオルの髪、というより、整えても整えても飛び跳ねてしまう、羽毛を乱雑に集めたようなその髪型は印象に残るものではあった。
連日、館の大門そばで剣を振る幼いライオルは名物となっていたし、館に住む森の主が目に入らなかったはずがない。だが、何年も経った今でも憶えているとは光栄なことだ。
ライオルは跪いたまま、上から吊り上げられたようにますます背筋をまっすぐに伸ばす。
「そ、そうです!」
「そうか、無事に念願叶って兵士となっていたか」
頷き、どこか嬉しそうに腕を組んだ主は、そのまましばらく考え込む。
そうしていきなり腰に下げていたものを取り出した。
「ライオルとやら、これを授けよう」
小剣だった。
あんどんの光に反射して、きらきらと輝く。
乾いてしなびた主の手の上にのる剣の柄や鞘には、植物をモチーフとした西津森風の繊細な文様が彫りこまれていた。そのできはまるで芸術品のように見事だ。装飾にそこまで力の込められた一品だ、肝心の刀身は見ずとも想像がつく。
「こ、こんな立派なもの……いただけません!」
ライオルにもその小剣の価値は瞬間的にわかったのだろう。両手を大きく横に振って意思表示しながら、倒れてしまうのではないかというほど身をのけぞらせる。
そのライオルに、主は一歩踏み寄る。
「いいのじゃ。わしがやるというのだ。もらっておけ。品は良いものじゃ」
「そ、それはもう……」
「お前は確か将軍になりたいと願って門兵に教えを請うたと噂に聞いた。今でもそう願うのならば邪魔になる品ではなかろう? この剣が身に余ると思うのであれば、この剣に見合う男になるよう精進するがよい」
そう言われては、ライオルにはもう遠慮する言葉を見つけられなかったらしい。ただうやうやしく、主から小剣を戴いた。
主は満足そうに微笑むと、そっとその場を去っていった。
二人はただ頭を下げ見送った。
主の踏む草の葉ずれの音が聞こえなくなるまで頭を垂れたあと、地面すれすれで二人は顔を見合わせていた。イーシュが震える声で隣で同じように固まっている少年の名を呼ぶ。
「……ラ、ライオル……!」
「お、おう……!」
ライオルはやっと頭をあげ、今頂いたばかりの光を受けて美しく輝く小剣を見つめた。
森の主のきまぐれの品なのか、兵士になれた祝いなのか、どちらにしても小隊副隊長としてのライオルの努力や功績が認められたわけではないだろう。
それでも、この剣は特別だ。
森の主は王政で言う王にあたる存在。その人から下賜されるということは稀であり、この上ない誉だ。森の民なら揃って打ち震えるだろう。ライオルも例外なかった。
すでにいない主の背中を捜すように、イーシュは立ち上がって森の小道を伺う。
「旦那様のなさることです。何か、もしかしたら意味があるのかもしれません。もしなかったとしても……それでも……」
ライオルは、どこかぎこちなくも、しっかりと頷いた。
「ああ、俺、きっと将軍になってみせるよ。そんで……守るよ。森を。みんなを。それから……」
ライオルはそう言ってイーシュを見つめた。
濡れた瞳が揺れる。
だがそれ以上はなにも言わず、また主の小剣を見つめた。




