三 神様破壊の少年
翌日。
降真のクラスメイトの一人、図書委員を務める風間三月の談。
「たしかあの時、校長先生からの臨時集会が開かれるからって校内放送が流れてたよ?」
降真のクラスメイトの一人、スポーツ大好き少年、藤堂真吾の談。
「んー、俺、隣のやつとくっちゃべってたから、よく放送聞いてなかったんだよな」
降真のクラスメイトの一人、クラス委員長を務める富山散華の談。
「放送なんて私は聞こえなかったんだけどね。とにかく先生が体育館に集まれって言ってたかな?」
降真のクラスメイトの一人、昔からの悪友古親つとむの談。
「俺は聞いてたな。そういや、あの放送、ちょうどお前とフロートさんがどっかに行っちゃった直後に流れてたぞ。お前らどこ行ってたんだ?」
謎の少女、フロー・シャムネ・トゥルーパの談。
「放送なんてあるわけないよ。あれは一般人を近づけさせない『人払い』法による影響にすぎないから」
と、いう事で降真が校庭に戻った後には誰もいなかったというわけだ。
フロートの説明に依ると、フロート達の言うフィールドを張る、というのは『マテル』をコントロールし本来流れるべき運命、流れ、時空を捻じ曲げてしまうそうだ。
あの時、本来ならば体育の授業が何も問題なく行われているはずだった。
しかしヘンタイが『人払い』法という技を行う事で、そのフィールドに人が居られなくなる運命の流れを強引に付け足す。するとまるで人々はそれが当たり前の運命と思い込み受け入れる。
フロートやヘンタイ達、『マテル』を扱うもの同士の争いごとは、『ガイア』では日常茶飯事であった。そこに無関係な人間を巻き込まないようにとある一人の科学者がこのような『マテル』のコントロール法を発案したのだ。
それでもそれは完璧に運命を捻じ曲げてしまう事は出来ず、イレギュラーが発生する事はままあるが。
「『人払い』法ねぇ。『マテル』っちゅーのはほんとに便利だな」
降真は教室内の、自分の机で頬杖を付きながらそうぼやいた。
負傷したフロートを降真が担いで自宅に戻った次の日。
フロートの怪我は本当にすぐ完治した。
それも『マテル』コントロールに依る治癒法だと言う。
しかしそれよりもクラス内でちょっとした面倒が起きていた事の方が、降真は参っていた。
「で、降真君。キミはフロートさんを連れ出し一体どこにいたのだね?」
と古親つとむ。
「私、聞いちゃったんだよね。神薙君とフロートさんが学校早引けして、二人寄り添いながら住宅街を歩いてるって話をさー。で、どうなの? やっぱ付き合ってるの?」
と富山散華。
他多数の生徒達は当然同じ疑問を降真に尋ねたかったが、それが出来るのはせいぜいこの二人くらいであった。(怖いから)
で、そんな質問攻めがあまりに続くから久々に降真はぷっつん。
「てめぇらしつけーんだよ! しまいにゃぶっとばすぞ!」
と怒鳴りつけた。
同時に古親つとむはすでに地面に伏せさせられていた。
降真の鉄拳が右アゴを打ち砕いていたからだ。
「こう……ま。そういうのはせめて……怒鳴ってから……実行してくれ……がくっ」
わざとらしく古親つとむは首を曲げて最後の言葉をそう残した。
さすがに富山散華には手を上げなかったが、がくりと倒れる古親つとむを見て一歩後ずさる。
「富山もこれ以上聞くな」
「あ、あはは。ハーイ」
そしてなんとか面倒事は治まった。
かと、思いきや懲りずに再び降真のもとへと近寄ってきたのは富山散華。
「あ、神薙君。それはそうと今日の事、覚えてるよねぇ?」
「あぁ? 今日のこ……」
思い出した。
今日は金曜日。もう一つの面倒の日。
富山散華は鋭い目つきで降真を睨みつけて、何か文句を言いかけたがそれを遮るように降真は言葉を続けた。
「と、って当然覚えてるって! バカだなぁ富山は。俺は約束を反故にしないぜ!」
「ふーん。ならいいけど……。まぁとりあえず頼むよ? 神薙君?」
「はい……」
面倒ごとは、降真から去っていく事はなさそうだった。
降真はいまだ、『マテル』を操る事は出来ていない。
フロートが言うには、『マテル』を操るとは三つの段階を踏む、のだそうだ。
第一段階に大気の『マテル』を肌で感じ、それを吸引する。
第二段階に吸引した『マテル』を体内で留める。
第三段階に留めた『マテル』を体内で変質させ放出する。
そして『マテル』を操る際に最も重要なポイントは、思念だそうだ。
何を想い放出に至るか。
地球に住む多くの人類はそれを、空を舞う事だけに思想を強く抱きすぎている。だから空を舞う事以外に『マテル』を操ろうなどとは考える事すらしない為、他の特殊な事は一切起きないそうだ。
まぁそれも、この地球に住む人々は『マテル』のおかげではなく、『グラビティレジスト』のおかげで宙を舞っていると思っているのだから仕方がない。
降真の場合、すでに第二段階まで進んでいると言えた。
しかしそれは自己でコントロールしているわけではなく、体質的に何故かそうなっている。それについては覚醒とやらの特有だ。
だがそうなると、後は放出のさせ方さえ覚えてしまえば、降真も優に空を舞う事が可能であるとフロートは言っていた。
昨日、突如空を舞えた時は無我夢中であった為、どうやったのかまるで覚えておらず、あの後自宅で再度空を飛ぼうと試みても一切出来なかった。
それについてフロートは、
「こーま君の場合、今まで空を飛べなかったからイメージ力が弱すぎて放出に至らないんだと思う」
と言っている。
この地球でも空を飛べるようになるまで個人差はたしかにある。
大概の人々は安価で手に入る『グラビティレジスト』を幼少期には親より与えられ、子供は歩く事を覚えるのとほぼ同時に空を舞う事も覚えてしまう。
逆に言えば、大人になってから『グラビティレジスト』を投与した人間は、降真同様なかなかすぐに空を舞う事が出来ない。
「大人になってから初めて一輪車を乗ろうとしてもうまくいかないでしょ? 子供はすいすい出来ちゃうのに。全てはイメージ力。大人になればなるほど、それが豊富な知識と常識で邪魔されるの」
という事らしい。
加えてなぜ地球の民は浮遊の高さが制限されているのか。
フロート曰く、それこそ『マテル』コントロールの未熟さゆえなのだそうだ。
第一段階の『マテル』を肌で感じ取る事を『グラビティレジスト』を介し、可能には出来ても、第二段階のそれを体内で留める技術が甘い。それゆえ、第三段階の放出に至る際の『マテル』がまるで足らないということらしい。
宙を浮かさせる高さは、その放出する『マテル』量に比例する。つまりそれは訓練さえすれば浮遊力も向上させる事が出来るらしい。のだが、重要な想いが足らない。それは宙を浮くという想いだけではなく、『マテル』という存在を認識し、それを留めて放出させようとする意思がないからである。
しかし悠長な事など言っていられない。
いつまたあのヘンタイが襲ってくるかわからないこの状況で、少しでも戦力となるべく早く『マテル』を操れるようになりたいからだ。
フロートもその訓練に助力すると言ってくれた。
そんな折、降真はあるひとつの疑問をフロートにぶつける。
「俺は覚醒とやらになっちまったんだろ? そうすると、お前さんが俺を拉致する理由はないんじゃないか?」
フロートは首を横に振る。
「ヘンタイがいる。アイツは生成者だろうが覚醒者だろうが、殺そうとする。だからこーま君を助けるには、やっぱり私達の星に連れて行くしかないの。どのみち、その覚醒状態でもボスに連れて来いって言われてるしね」
「……そうか」
今の降真はフロート達にとって、メリットのある存在ではなくなってしまった。
むしろ先日の話からすると、覚醒者の横暴によってフロート達の『ガイア』は『マテル』飢饉になっている。もちろん覚醒者全員がそういう意図を持っているわけではないにしろ、覚醒者はその性質上、放っておいても『マテル』を食う。
つまり降真を拉致する事にデメリットこそあれど、メリットはひとつもないわけだ。
それなのに、自分を守ろうとしてくれるフロートの誠意に少しでも答えたいと思い、降真は『マテル』を早く操れるようになりたかった。
そんな事を思い返しながら、ノートの端に『マテル』や『フロート』などの単語を書き殴っていると不意に隣から話しかけられた。
「うーん、神薙君。キミが想像以上にフロートちゃんを想っているのはわかったよ」
と、隣の席で覗き見していた富山散華に言われた。
「っば……、違う違う! これは違うっての!」
降真は慌ててそのノートを隠すが、富山散華はくすくすと笑いながら頷いていた。
「いいって、隠さなくても。私だって古親君の事をキミにぶっちゃけちゃってるわけだし、これでおあいこじゃない?」
「いや、ほんとに違うんだって」
「いーからいーから」
もはや弁解もまるで効果なし。
「だから勘違いすんなっての!」
「勘違いしてるのはお前だ、神薙」
バコっと教員に頭を叩かれる。
今が授業の真っ最中という事も忘れて思わず大声を上げてしまったからだ。
「富山と仲良くおしゃべりしたいのはまだ許す。でもなぁ、今は授業中だ。もうちょっと静かにせんか」
叩かれた頭を抑えながら富山散華の方を見ると、わざとらしくそっぽ向いて知らんぷりしていた事にも腹が立ったが、そんな自分を見てクックックと笑いを堪えている古親つとむにもイラつかされた。
「て、てめぇツトム! 何がおかしいんだ!」
「おかしいのはお前だ神薙!」
二回目、バコっ。
しかも先ほどよりもやや強めに。
「いいから今は大人しく授業を受けろ。それが嫌なら出て行け」
降真は渋々、ハイと小さく言って頷き席に着いた。
実に何事もなく、午前中の授業は過ぎていった。
「ってわけで、ツトム、今日の放課後、屋上で待っててくれないか?」
「えー! 俺、今日発売の新型携帯見にいきたいんだけど……」
四時間目のちょっとしたトラブルがあった授業を終え、すぐさま降真は古親つとむのもとへと駆け寄り安直に内容を作り、伝える。
先日、富山散華と約束した一件についてだ。
「だいじょぶ。すぐすむから。なっ?」
「はぁ、わかったよ。っていうか今ここで話せない事なのか?」
「あ、ああ。だ、大事な話なんだよ!」
と、そこで古親つとむはピーンときた表情をしてみせた。
「はっはぁ……なるほどな。わかったよ」
何に納得したのかよくわからない降真であったが、とりあえず約束は取り付けた。これで富山散華も納得してくれるだろうとひとまず安堵する。
「ってわけで約束は取り付けたぞ、富山」
今度はその事を富山散華にも伝え、今日の面倒ごとは片付いた。さっさと帰って『マテル』についてなんとかしなくては、と焦る降真だったが、そうはいかせないクラス委員長。
「じゃあ悪役お願いねっ!」
えっ!? と困惑した表情で富山散華を見る。
「何よその顔。まさか忘れてないでしょうね?」
そう言われれば、そんな面倒な役も引き受けてしまったとようやく思い出す。
しかしそんな事に時間を割いている暇などなかった。
そもそもいつ襲われるかわからない自分に残された時間を考えると、学校に来る事自体もったいない気がしていた。のだが、降真の性格上無駄に授業をさぼるという事が出来なかった。
だからこそ、今日は早く帰りフロートとこれからについてもっと話し合いたいと考えていたのに。
「忘れずによろしくねぇ、神薙君」
しばし呆然とする降真を他所に、富山散華はそう言い残しその場を去って行った。
昼食を取る為に食堂へと向かったのだろう。
「……うわぁああ、面倒くせぇ!」
本日午後は降真の大嫌いな選択学科の日。
その学科、浮遊カリキュラムにはフロートも参加していた。
教員にフロートは選択授業何がいい? と聞かれ神薙降真君と同じがいいですなどと答えたからだ。
幸い今日の授業内容は『グラビティレジスト』についての考察をメイン題材とした屋内授業だった為、特に問題は起きないと思われていた。
しかし、以前の喧嘩騒動があってからというもの、降真はあの大神という生徒とはどうもウマが合わず、ことあるごとに二人とも睨み合っている様子を周囲の生徒はヒヤヒヤと見守っていた。
どこにでも気に食わない奴の一人や二人はいるもんだ、などと降真は考えつつクルクルとシャープペンシルを回していると、手がすべりそれを床へと落としてしまう。
「っと」
それを拾い上げようと降真は身を乗り出そうとする。しかし、ショープペンシルは床になど落ちておらずふわふわと宙に浮いていた。
「あれ……?」
それを不思議そうに見つめる降真に、後ろの席にいたフロートがそっと耳打ちする。
「『マテル』を扱う訓練に、場所も条件もいらないよ。こんな風に操る方法もあるからね」
フロートは右手の人差し指をちょいっと可愛らしく上へ向けるとそれに呼応して、シャープペンシルも上昇し、降真の机へと舞い戻った。
なるほど、と納得し降真はシャープペンシルを机の中央に戻し実戦してみる。
「第三段階の放出は如何に自分のイメージ力を『マテル』に反映させるかだよ」
フロートのそのささやきを聞き、降真は瞳を閉じ強く思念を送った。
浮け。浮かべ。風船のようにふわふわ浮け! 降真は強く強くそう念じながら机の上で静かに佇むシャープペンシルに手のひらを当てた。
目を瞑ったまま、精神をその事だけに集中する。
うーん、と唸りながらそれを続けるも、シャープペンシルはピクリとも動く事はなかった。
「ぷ、アイツ何してんの? バカじゃね?」
集中した精神の中、その声がたしかに耳へと届いた。例の大神という生徒である。
無視だ。
無視無視。そんなくだらない罵倒など受けるべからず。
降真はかたくなに瞳を閉じたまま、精神集中を続ける。
「なんか手を開いてぶつぶつ言ってるぞ。あいつ、飛べないだけじゃなくて頭もおかしかったんだな」
無視だ。
普通の馬鹿にはわからない高等な事をしているんだ自分は。自身にそう言い聞かす。
「顔キモッ」
無、
「関係なくねっ!? 顔、関係なくねっ!? それはおまっ、さすがに失礼じゃね!?」
視できず、さすがにやはりキレた。
大神の席までまるで光速の如く駆け寄り、降真は大神の胸ぐらを掴み上げる。
「ぉお? なんだ? やるか? この飛べないアヒルの子がぁ!?」
大神も負けじと睨みをきかせながら叫んだ。
「違うね! アヒルの子は醜いんだもんね! それにほんとは白鳥の子だから飛べるんだもんね!」
「ぷ。じゃあお前はアヒルか? アヒル君か! おいアヒル君!」
「てんめぇ、今度は失神じゃすまさねぇぞ!」
ぐわっと、拳を大きく振りかぶった降真だったが、その拳は振り降ろされる事はなかった。
その振り上げた拳は、背後に立つフロートの右手によって止められていたからだ。
そんなフロートに振り返り降真は眉をひそめる。
「っぐ、っく。な、なんだよ! 離せフロート! 止めんじゃねぇ! こんなやつは一発殴らないとわか」
「こーま君。キミ、その人殺したいの?」
フロートは実に鋭い目つきで、怒っていた。
「な、何を……? そんなつもりはねぇよ! ただ一発殴るだけだ!」
「そんなに『マテル』で筋力を増強した拳で? その状態でその人を殴ればまず間違いなくその人、死ぬよ?」
「な、なんだと……?」
死、という言葉で沸騰していた降真の怒りは少し冷め始める。
「今の君の拳、鋼の塊みたいな硬度を誇ってる。おまけにそれを普通にふるえるだけの腕力になってる。そんな状態で殴れば間違いなくその人の顔面はぐしゃぐしゃになるけど、いいの?」
降真は唖然とした。
そしてそのフロートの言葉をたしかめるべく、自身の振り上げている拳を見つめる。
すると薄っすらとだが、青白い膜のようなものが見えた。
「私もその人はあんまり好きにはなれないから止める気なんてなかったけど、さすがにこーま君を人殺しにはさせられないよ」
「っち。クソ! わかったよ……」
その言葉で、ようやく降真は振り上げた拳をゆっくりと降ろし、また大神を掴んでいた手も離した。
「なんだ、やるんじゃないのかよ? そんなキモイ女の言いなりか。オラ! どうした? かかってこいよアヒルやろう!」
解放されたにも関わらず、挑発を続け手招きしながらそう言い放つ大神にムカっ! としたが、フロートが真剣な顔つきでああいう物言いをする時に冗談など言わない事をこの短い間でもわかっていた降真は、これ以上大神に付き合う気はなかった。
と、思いきや次の瞬間大神は勢いよく何かに吹っ飛ばされ、教室隅の掃除用ロッカーに激突しパッカリと開いたロッカー内から落ちてきたバケツを頭に被りぐったりと倒れこんだ。
周囲の生徒達も、そろそろ止めに入ろうとしていた教員も、そして大神のすぐ目の前に居た降真も、それを呆然と見つめていた。
「でもこれくらいはやっておかないと……ねっ?」
と、小さく呟いていたフロートはすでに自分の席へと戻っていた。
降真はそれを見て、ははっと小さく苦笑いしていた。
選択学科の浮遊カリキュラムを終えたのち、またも失神した大神は保健室へと運ばれていた。
そして残りの授業を受け終わったあとの放課後。
大神は呼び出されるのを面倒くさがってか、もうとっくに回復していると思われるのにいまだ保健室のベッドで眠っていた。
その為、トラブルの張本人である降真だけが再び職員室に呼び出されていた。(フロートに関しては、あの場からの目撃証言で、止めに入っていただけとの事でお咎めなし)
「神薙よぉ……お前はたしかに成績は優秀だ。でもその粗暴さをなんとかできないのか?」
担任教師である北条久勝は職員室内にある自分の席で、腕を組んだまま若干呆れ気味にそう咎める。
自分は何もしてない、と言いたい降真だったがフロートのせいにするのもお門違いと思いそこは沈黙を貫く。
「はぁ……。大神はたしかに口が悪い。けどな、あいつから手を出す事はしないんだ。まぁそういう所はずる賢いんだろう。だからお前がもう少し大人になって我慢すれば事を荒立てずに済むんだ。だから、な?」
しかしこれには反論をした。
「俺は自分が間違っているとは思いません。俺から喧嘩をふっかけるような事はしてきてないですし、筋が通ってないと思えばそれに反抗するのは当たり前です」
「ああ、その通りだ神薙。だから私もお前が悪いとは言ってない。ただ、もう少し大人になれと言っているだけだ。それに呼び出しはこれで四回目だったな。次、もう一回何かトラブルを起こしたら停学くらいは覚悟した方がいいぞ?」
「なっ……!?」
「大丈夫だ。お前が大人になればそんな事にはならない。わかるな?」
しかしその言葉に頷く事はどうしても出来なかった。
これを認めるのは間違っている。そう思えてならなかったからだ。
やり場のない憤りを感じ、拳を強く握り締めて表情を歪ませしばし沈黙していると、女生徒の切り裂くような悲鳴が、降真には微かに聞こえた。
「ん? 今、上の方から何か聞こえたな?」
それは北条久勝も同じらしく、小さく顔と視線を上へと向ける。
そして、そう北条久勝が言うのとほぼ同時に降真は体を硬直させた。
――ゾクン。
えもいわれぬ悪寒のような、感覚が再び。
それを感じ取った瞬間、降真はなぜかそれが何かわかった。そして、
「あ、おい、神薙!?」
背後で自分の名を呼ぶ声など聞く耳持たず、降真は職員室を飛び出していた。
廊下を走りぬけながら、降真が目指しているのは屋上。
五感ではない、何かもうひとつの感覚が知らせるこの体内のざわめきは、間違いない。先日ヘンタイが訪れた時に使用されたフィールドによるものだと察知する。
しかしこの前のように、激しい吐き気や頭痛などは感じない。ただ、何かを感じている。
それが屋上から発せられているという事も、なぜかわかった。
「まさかヘンタイやろう……っ!」
屋上へ向かう途中、降真はひとつ気がかりな事も思い出す。
そう、富山散華と古親つとむだ。
今日の約束通りならば、今頃二人は屋上にいる。
しかし、今感じているこの感覚は間違いなく『マテル』コントロールによって人を近づけさせない『人払い』法。これがたしかなら、二人はこの技法による影響で屋上に近づかないようにするはずだ。
なのだが。
何か妙な胸騒ぎがする。
――イレギュラー。
そう、降真がバックファイアを起こした時、なんらかの不具合で富山散華を巻き込んでいる。
フロートも言っていたが、この『人払い』法は、完全なものではない。もし相性的なものがあるとすれば、富山散華の身が気になる。
とすると、先ほど聞こえてきた悲鳴は富山散華の可能性が大いに高い。
焦りを感じつつも、急ぐ降真の目の先。同じ方向に向かって走る女子の背中が目に入った。
「フロート!」
降真がそう呼ぶ声に気づき、フロートは屋上へ向かう足は止めないものの、一瞬振り返った。
「こーま君! やっぱり気づいたんだ」
走り続けながらフロートは言った。
「ああ! やっぱりヘンタイのやろうか!?」
階段をひとつ飛ばしに駆け上がりながら降真は尋ねる。
「多分、そうだと思う! でもこの前からちょっとおかしいの!」
「何がだ?」
「前にも言ったけど、『バランサー』は基本、夜にしか活動しない。なのに、二回目と三回目の襲撃の時は、夕方と昼間。そして今日も……」
以前、フロートが言っていた事だ。
ヘンタイ達『バランサー』はなぜか夜にしか活動出来ない。よって襲撃は夜が基本だと思われていた。
しかしそれがなぜか、この前から日中になっている。
降真は訝しげにし、その言葉の意味を考えるが結論は出ない。
「とにかく急ごう!」
フロートの言葉にコクリと頷きながら、先ほどよりも更に早く階段を駆け登っていった。
屋上への扉は降真達をあっさりと受け入れ、二人は飛び出すようにそこへ走り出た。
息を切らしながら周囲を見回す降真とフロートが、最初に気がついたのは女子の制服を着ている誰かが、フェンスに寄りかかるようにうな垂れているその姿。
「富山!」
顔ははっきり確認できていないものの、それが富山散華であると降真は察し、叫びながらその女子へと走り寄る。
「あぶないこーま君! 止まって!」
背後からそう叫ぶフロートの声に思わず急停止した降真は、それと同時に眼前で何かが素早く通り過ぎたのを感じた。
「なっ……」
通り過ぎた何かは、降真の足元。屋上の床、コンクリートに突き刺さっていた。
柄には特殊な宝石が散りばめられているそれは、形状から見て間違いなく鋭利なナイフのような物である事がわかった。
「はーっはっはっは! よくかわしたボーイ!」
上空より高らかに笑う声は、忘れるはずもない。ムキムキの決めマッスルポーズで浮遊するヘンタイに他ならなかった。
フロートは降真の近くまで走り寄り、彼の前へと立ち囁く。
「こーま君怪我はない?」
「ああ、助かった」
二人は上空で漂うヘンタイを警戒しながら様子を窺う。
「フロートちゃんよ、もうそのボーイを庇い立てする義理はなかろう? 覚醒した生成者には『マテル』を生み出す力はない。なぜ、そこまでそのボーイを守ろうとする?」
その通りなのだ。
フロートが帰れない理由は別として、降真を守る義理はすでにない。
ではなぜ?
「なんでって、そんなの当たり前! 目の前で困っている人がいるのに見てみぬふりは出来ないだけだよ!」
そう。だからこそ、降真も思ったのだ。あの時。
落下していく降真を、命を賭してでも受け止めようとしたフロートを見て。
守りたい、と。
「そうか。ならばもう我輩は何も言うまい。ボーイもろとも、二人まとめて永遠の眠りにつかせてやろう!」
ヘンタイは、ゆっくりと高度を落とし始めた。
屋上での白兵戦に望むつもりだ。
自分の前で庇うように立つフロートへ、降真はそっと囁く。
「フロート。勝算はあるのか?」
「弱音を吐くつもりはないけど、正直厳しいかも。だから狙うとしたら、タイムアップ」
「タイムアップ?」
「この前の時からそうだったけど、アイツは長い時間戦闘には望まない。多分、それこそが昼間でも活動出来る条件だと思う。だからなんとか時間を稼いで、アイツが退くのに賭けるの」
たしかに前回の襲来も早くにヘンタイは戦線を離脱した。
フロートはそれに賭けるしかないと言う。
「とどのつまり、逃げ回れって事か……」
「そういう事だね」
なんとも格好悪い、と思いつつも悠長な事を言っている場合ではない。
降真は上空より降り立つヘンタイの一挙手一投足に注意を払う。
「さて、準備はよろしいかな?」
ヘンタイはニヤリと不敵に笑うと、指の骨をパキパキと鳴らしながら、ゆっくり降真達へと歩を進めた。
「よろしくないけど、やってあげるよ!」
先手を切ったのは前回に引き続きフロート。
とりわけ何か奇策を練る事もなく、ただ単純にヘンタイへと駆け寄る。
「我輩相手に肉弾戦をご希望とは恐れ入る! 受けて立とう!」
迫るフロートに対し、ヘンタイは両手を少し横に広げ応戦しようと腰を少し下げた。
「はあ!」
その声と共に息を吐くと、フロートの体はヘンタイへと向かって加速度を増す。
彼女の体を淡く青白い、薄い膜で包んでいる事が降真にも見えた。
そのままフロートはヘンタイのすぐ目の前で小さく飛び上がり、かと思えば右足首をヘンタイの頭へと目掛けて鋭く回し蹴りを繰り出す。
そこまでの動作が尋常ならざる速さである事は、降真ですら容易にわかった。
「ふんぬ!」
それをヘンタイは左腕でいなす。
若干体勢を崩したフロートに追い討ちをかけるように、ヘンタイはいなした左腕の反動を利用し、右拳を思い切りフロートの腹部目掛けて振り切る。
「やっ!」
しかしフロートはそれを受ける事はせず、自身の体を空中で右へと素早く移動し回避する。
そのまま宙で旋回し、ヘンタイの背後へと回り込み、今度は右の手刀をヘンタイの首目掛けて振り下ろす。
ヘンタイはその手刀を、見る事もせずに頭を下げてかわす。
「あ!」
外れたフロートの右腕をヘンタイの左手が掴んだ。
「ぬぅうりゃあああああ!」
掛け声と共にヘンタイはフロートを一本背負いのようにぐるりと回し、思い切り地面へと叩き付ける。
バキン! と、床の割れる音が響いた。
「フロート!」
降真は思わず叫ぶ。
「むっ!?」
ヘンタイはフロートの右腕を掴んだまま、次の行動に目を見開いた。
フロートは背を地面に叩き付けられながらも、左手のひらをヘンタイへと向けて開いていた。
「この距離なら、外さないかもね」
その言葉と同時にフロートの衝撃風がヘンタイの顔面を狙って発射された。
大気摩擦による激しい轟音と熱波がヘンタイの顔を吹き抜ける。
「やったか!」
降真の目から見ても、直撃していた。
ヘンタイの顔は熱波による煙で様子は窺えなかったが、間違いなく必殺だと思われた。
「さすが、フロートちゃんの『マテル』コントロールぶりには感服させられる」
煙に包まれながらもヘンタイの声はそこより響いた。
「っち!」
先ほどの衝撃風でヘンタイに掴まれていた右腕は離されていたフロートは、その声を確認し大きくヘンタイと距離を取った。
フロートは降真を背に彼の近くまで後退すると、ヘンタイの様子を窺いつつも自身の青白い薄い膜を解く事はしなかった。
煙に巻かれていたヘンタイの顔面は徐々に風へと流され、傷一つないその表情を晒す。
「ボーイのバックファイアから数日も経っていないその少量の『マテル』でよくもここまで様々な『マテル』技法を操れるものだ」
褒め称えつつも、ヘンタイには余裕がある事を降真とフロートには感じさせられた。
「筋力増強コントロールのブルーストレンジを全身に保ったまま、衝撃風を放つなど、そうそう出来る者はないな」
「そういうあんたもやっぱりすごいね。全部それをいなしちゃうんだもん。最後のは確実にヒットしたと思ったんだけど、まさかあの一瞬で顔面だけにアトモスフィアを張るなんてね」
両者とも不敵に睨み合いつつ、互いに賞賛を送る。
しかし、余裕のあるヘンタイに比べフロートが焦りを感じている事が降真にはわかった。
さきほど言ったヘンタイの言葉通り、たしかにフロートには残存する『マテル』が残り少ない。それにも関わらず、今もブルーストレンジという技法を張った状態を維持している。
それは自らを盾にしてでも降真を守るという意思の表れである事に降真も気づく。
「ブルーストレンジを解けないのは、我輩の衝撃風を警戒しているな?」
降真もそうなのだろうと把握していた。
ヘンタイの操る超高圧、高速の衝撃風はフロートですら目で追えない。
それから身を守るには身体自体を強化する他ないからだ。
「しかし果たして、それでも我輩の衝撃風を止めきれるかな?」
ヘンタイはついにその必殺技とも言える体勢を取る。
すぅっと指先をフロートへと向けた。
「こーま君! 絶対私の後ろから離れないで!」
フロートは両手を広げ、ヘンタイのそれが降真に被弾しないようにと構える。
「さて、戦いは終いかどうか、試させてもらおう」
ヘンタイの言葉が終わると同時に、以前にも聞こえた例のピシュっという小気味良い風を切る音が響く。
やはり今度も何も見えない。
背後に隠れる降真には当然、集中してそれを見ようとしているにも関わらず、やはりフロートにすらそれは見えなかった。
「うぁっ!」
直後、フロートの右腕が瞬間、風穴を開け、途端に血が噴出す。
「く……ぅ」
フロートは右腕の傷口を左手で抑えつつ、激痛に耐える。
「フ、フロート! 大丈夫か!?」
「い、いいから……こーま君はそこを動かないで……っ」
フロートは顔を歪めながらも、降真を庇うように立ち続ける。
「……やはり無理、か。フロートちゃんほどの技量ならばアトモスフィアを張る事自体は容易なのだろうが、ユーの残存『マテル』でその生成は不可能だろう。まぁ仮に張れたとして、それでも我輩の衝撃風をいなせるかどうかはわからんがな」
この余裕さの決定的な差は言わずもがな、『マテル』量の差であった。
彼らのように『マテル』を操る者同士の戦いで、技量はもちろんの事、その根源となる『マテル』に大きな開きがあっては、どんな勝負もほぼ決定的である。
それがわかりきっているからこその、ヘンタイの余裕であった。
何も出来ない。
その上、自分を守ろうとしている少女は敗北がわかりきっている勝負を望んでいる。
二つの事象が降真の中で大きなストレスを生んでいた。
「くそ……っ! どうして俺は満足に『マテル』を操れないんだ!」
やり場のない怒りが降真を包む。
「操れるようになってしまっては困る。だからこそ今のうちに芽を摘むのだ」
そう言うヘンタイの言葉がむざむざと降真の心へ突き刺さる。
あの見えない攻撃。
あれさえなんとか出来れば、フロートは善戦出来るはずだ。
しかしそれをどうするかの術がない。
降真は考える。
そして前回の出来事を思い返す。
前回戦の時、降真にはあの見えない攻撃が、普通の動き以上に遅く感じられた。
そう、あの現象さえ起こせれば、降真達にも勝利の可能性があるのだ。
しかしそれがわからない。
「ソーリー。すまぬな、試すような真似をしてしまって。もう苦しませないよう次は確実に仕留めるべく、心の臓を貫く事にしよう」
ヘンタイはフロートの心臓目掛けて指先の方向をずらした。
しかしフロートは動かない。
動けば確実に、背後にいる降真へと被弾してしまうからだ。
「や、やめろ! やるなら俺だけにしろ!」
我慢できなくなった降真はフロートを押しのけ、彼女より前へと出た。
「だめ! こーま君! 後ろへ……」
「ボーイ、その心意気グッジョブ。二人もろとも貫けるよう、最大圧力でお見舞いしよう」
ヘンタイは指先に意識を集中させる。
直後、ピシュっという小気味良い風を切る音が再び。
しかし今度は、降真は瞳を閉じなかった。
――何を想い放出に至るか。
フロートの『マテル』を操る際に教えてもらった言葉。
意識をヘンタイの指先へと集中する。
だが見えない。
奇跡は三度、起こらない。
それでも降真は諦めなかった。
しかし。
「あっ……!」
突如、体が強く押し倒される。
降真の体にヘンタイの衝撃風は直撃しなかった。
被弾する直前、今度はフロートが降真を押しのけて、前に出た為だ。
そしてその結果。
「うっ……あ」
無情にもフロートの体、胸部を衝撃風が貫いていた。
「フロートォオオオ!」
まるでスローモーション動画のように、フロートはゆっくりと背中から地面へ倒れていった。
どさり、と床へ倒れこむと、途端にフロートの制服は真紅な血に染まる。
降真にはわけがわからなかった。
どうして、なんでここまで命を賭して自分を守ってくれるのか。
フロートにすれば、今の降真などなんのメリットも持たない、ただの人だ。
そんな自分をなぜこうまでして守ってくれたのか。
「お、おい……。冗談はよせよ……フロート……?」
しかし床に倒れこんでいるフロートは反応を見せない。
そんなフロートに降真は恐る恐る近寄る。
「え、演技だろ……? また冗談、なんだろ……?」
長く、淡い青色の髪で顔が隠されているフロートは、やはり動かない。
どうして、こんな事を。
付き合いといっても、たった数日程度。
情が移るにしても、短すぎる期間を共に過ごした程度の、自分に。
なぜここまでしてくれるのか。
降真にはそんな自問自答が延々繰り返され、その場へと崩れ落ちた。
「なぁ! おい! 返事しろよぉ!」
謎の異星の少女は、動かなかった。
「気に病むな、ボーイ。次期にユーも後を追う」
無情にも、ヘンタイは再び指先に意識を集中し、今度は降真目掛けてその方向を定める。
しかし降真にはそれに抗う術も、逃げ惑う気もなかった。
ただ、目の前で倒れている少女が不憫で仕方がなかった。
歳は十五。
降真と同い年の、地球で言えば青春真っ盛り。遊びたい盛りの年頃でもある。
そんな彼女は遊びではなく、命を懸けて自身の住む星とはあまりにも掛け離れた場所で戦い続けてきた。
そして、その戦場で。
「こんなのって、ねぇよ……」
ポツリ、と降真は呟く。
「さらばだボーイ」
そしてピシュっとまたも、小気味の良い風を切る音が響いた。
「こんなのって、ねぇえええええええええええええええええええええええええええええっ!」
そして、また。
降真の内で、ようやく何かがはじけた。
ヘンタイの放った衝撃風は何者にも当たる事はなかった。
「ワット? また、かわされた……。なぜボーイには当たらない!?」
困惑するヘンタイになどお構いなしに、降真はゆらゆらと力なくゆっくりと立ち上がる。
光りのない、虚ろな瞳で降真はヘンタイの方を見る。
それを見て、思わずヘンタイはごくり、と咽喉を鳴らした。
その目は怯えも、怒りも、悲しみにも、見えなかった。
ただ、寂しそうだった。
「はは。俺っていつもこうだよ」
虚ろな瞳の少年は、誰へ言うでもなく呟く。
「昔っから、そうだったなぁ。ガキの頃から夏休みの宿題とかを間際に始めて、んで終わらなくって、後になって泣きを見るんだ」
虚ろな瞳の視線は、虚空を見ている。
「中学に入ってからだったなぁ。空を舞えない事でいじめられたのは。あの頃から他の誰にも負けたくないとか思いだしたんだよ、俺」
虚ろな瞳の少年は、ふわり、と宙を舞う。
「ほんとはさぁ、もっと早くから勉強とか頑張ってれば、いじめられることもなかったんだ。でも中学に入ってからはひどかった。勉強も疎かにしてたから成績も悪くって、その事も合わせてよくいじめられたなぁ」
虚ろな瞳の少年は、ふわふわと、どんどん空高く上昇してゆく。
「俺はいつもそうなんだよ。何かが起きてからじゃないと本気になれないんだ」
虚ろな瞳の少年は、屋上から十メートルも浮遊した所で上昇を止めた。
「で、ついにはこのザマ。罪もない少女を一人殺してから、やっとだぜ? はは、笑えるだろ?」
虚ろな瞳の少年は、寂しく笑う。
「いつも」
声を、少し。
「いつも、いつもいつもいつも!」
段々と、荒げる。
「いっつもそうだ! 俺はいつもこうやって出遅れる! くそったれがぁぁぁあああああ!」
怒号が、覇気が、大気を振るわせた。
そんな様子を屋上からヘンタイは見上げていた。
畏怖していた。
浮遊している、虚ろな瞳の少年の、体内から発せられている混沌とした、膨大なその計り知れぬ『マテル』に。
「ボ、ボーイはやはり危険だ……。すぐさま処理する!」
ヘンタイは大地を蹴り、降真と同等の高さまで同じく浮遊する。
「もう遊びはなしだ! これで終わりである!」
再び、ヘンタイは右手の指先を降真へと向ける。
「なっ……!?」
しかしヘンタイの見ていた視線の先に、降真の姿はなかった。
それどころか、ヘンタイの正面に立ち、その右手を左手で下へと抑えつけていた。
「い、いつの間に……」
降真は虚ろな瞳を途端、カッと見開く。
「てめぇは、もう寝てろぉおおおおおおお!」
ありったけの力を込めた右の拳をヘンタイの顔面、アゴへと目掛けてふるう。
瞬間、ヘンタイも防壁を張ったのだろう、全身に青白い薄い膜が覆った。
しかし。
「ごっ……!」
その右の拳はそんなものを無視するように、ベキっという骨の砕ける音と共にヘンタイの顔を歪めて体ごと思い切り、屋上の床面へと吹き飛ばした。
衝撃で屋上の床は割れ、大きく凹む。
ヘンタイはそれだけでそうとうなダメージだったのか、なかなか立ち上がろうとせず床に伏せたままで悶絶していた。
それを降真は上空で蔑むように見下す。
「うぐ……が……あ」
激痛に顔を歪め、ヘンタイはアゴを手で覆っている。
「わりぃけど、てめぇは気の済むまで殴る。その拍子で死んじまったら、あの世でフロートに伝えといてくれ。ふがいなくて悪かったってな」
降真は高度をぐんと落とし、屋上の床へと降り立った。
「立てよ。あんな程度じゃ、さすがに死にはしないだろ?」
痛みと恐怖でなのか、ヘンタイは膝をつけたまま震えていた。
しかし降真は立ち上がるまでそのヘンタイを見下す。
「あ、ぐ……。あ、ありえん……。我輩のブルーストレンジの上からこれほどのダメージを……」
降真は何も語らない。
ただ、今までヘンタイがそうだったように、しかし今度は逆に、降真は黙して見下す。
「き、危険すぎる……。ユーは……危険すぎるのだ!」
キっと鋭く降真を睨みつけると同時に、ヘンタイは右手のひらを降真の方へと広げる。
直後、今までの衝撃風とは違う、範囲の大きい熱波と轟音が降真を襲い来る。
瞬時に降真の立っていた場所は、煙に巻かれその姿を隠した。
今の距離とこの範囲の衝撃風。とどめとはいかぬともそうとうのダメージはあるだろう。
そう思い、ニヤリとヘンタイは笑う。
しかし煙の晴れたその場所に降真の姿はなかった。
「後ろだよ」
ぽん、と肩を叩きながら降真はその背後で言った。
その声にぞっとさせられたヘンタイが、振り返ると同時に再び顔面の左頬に強い衝撃を受けた。
「ぐぅ!」
しかし今度はその反動でヘンタイが吹き飛ばぬよう、左手でがっちりとヘンタイの服を掴む。
そして何度も何度もヘンタイを殴る。殴りつける。今度は吹き飛ばさないよう力をセーブして。
顔、腹、顔、腹。
「ぐ、が! がはっ!」
ヘンタイはそれらを防御しようと試みるも、どうしてもうまくいかない。
次は右の拳が顔面に来る、と見えてはいる。
だからヘンタイはその拳を防ごうと左腕を上げてガードする。
そうすると、気づけば左の拳がボディに突き刺さっているのだ。
それの繰り返し。
「こんなもんじゃねぇぞ! このヤロォオオ!」
そのラッシュ。ラッシュは止まらない。
防げない。全ての拳がヘンタイへと確実にヒットし続ける。
ならばと思い、ヘンタイは防御をやめ、拳を受け続けながらも攻撃に転ずる。
右の手刀を降真の首目掛けて水平に薙ぎった。
しかしそれは降真に当たる事なく、空振る。
どころか、その空振った右腕を降真に掴まれた。
「しまっ……!」
た、と思った時には、すでにヘンタイの体はぐるんと旋回し、直後。
「っ!?」
バキンっと、何かが強く背中を打つ衝撃。
「がっ! ふ」
激しく押しかかった圧力に、ヘンタイは思わず息を詰まらせた。
なんだ? 何が起こっている? なぜ今自分は空高くを見上げているのだ? ヘンタイは現状が理解出来ず、ただ困惑する一方だった。
そんな中、その視界の先に畏怖すべき者、虚ろな瞳の少年の悟りを開いたような表情が目に映る。
ヘンタイは何かを問いたかった。
しかし激しく背中から叩き付けられた為、いまだに声を発する事が出来ない。
「これはさっき、てめぇがフロートにやったお返しだ」
ああ、そうか。自分は今、この少年に振り回され、地面に叩き付けられたのか、とようやくヘンタイは気づく。
「な……ぜだ。なに……が起きて……がはっ! い、いるのだ……?」
「俺は親切だから教えてやる。俺にはてめぇの動きが止まって見えるんだよ」
その言葉でヘンタイは何かに気づいたのか、瞳を一瞬見開く。
「も、もしやタイムアウト、だと? そ、そんな高等技法を一体どうやって……」
「さぁな。それとこう、だったか?」
降真は右手のひらに意識を集中し、それを床で仰向けに倒れているヘンタイへと向ける。
手の先に渦巻く圧力が収束しだす。
それを感じたヘンタイは、全身に脂汗が沸き立った。
――衝撃風。
フロートやヘンタイ達が必殺技として用いる、技法のひとつ。
一撃必殺のそれは、降真の手のひらで膨大な『マテル』を軸にどんどんと力強く膨張していく。
その威力はヘンタイから見て一目瞭然であった。
前回戦でのフロートが操る『マテル』量から生み出した衝撃風を仮に一とする。
ヘンタイの超高速、高圧の衝撃風がそれのざっと百倍。
そして今、降真の手のひらに収束している『マテル』量は更にその十倍は優にあると思われる。
まず間違いなく、この近距離でこれを食らえば、致命傷どころではない。跡形も残さず自分は吹き飛ぶとヘンタイは悟った。
「グレイト……。それほどの超膨大な衝撃風を食らえば、さすがの我輩も助からん」
ヘンタイは死を覚悟していた。
それゆえの、心からの賞賛。
「ユーウィン。完璧に我輩の負けだ。あの世でフロートちゃんにしかと伝えておこう。ボーイは立派に仇を討ったと」
その言葉で一瞬、降真の表情が歪む。
フロート、というその名に。
少女は命を賭して自分を守り戦い抜いた。
結果、少女は死に、降真はそのおかげで目覚める。
思い返せば、返すほど自分のふがいなさに腹が立つ。
最初から、そうだ。
天が、神様が、自分を生成者などという一万分の一に選んでくれなかったら、こんな思いをする事はなかった。
だから、やはり降真は神様を忌み、嫌う。
そして、しかし、降真は衝撃風の発射を止めなかった。
「く、そ、ったれがぁぁああああああああああああああああ!」
手のひらより放たれた衝撃風が辺りの風をも巻き込んで、まるで台風の目のように周囲を風の膜が降真達を包む。
ドウゥゥ。と、鼓膜をつんざくような轟音と共に衝撃風は降真の手のひらを離れて、何もかもを呑み込んでいった。




