9品目 驚愕のウルスラ
湖を見下ろす高台に、白いテーブルクロスが陽射しを受けて輝いている。その傍らで、ウルスラは優雅に紅茶を嗜んでいた。
「今回の試験、合格者がでれば良いのですけれど――」
独り言のように呟きながら、懐中時計を確認する。試験開始から一時間。そろそろ受験者たちの明暗が分かれる頃合いだ。
「ウルスラさま。今回の試験ですが、本当に素晴らしい内容で感服したッス」
そばかすのある侍女が、給仕の手を止めて、らしくもないくだけた口調で語りかけた。
「あら、貴女も意図が分かってらして?」
「もち。当然ッスよ」
侍女が当たり前のように頷くのを見て、ウルスラが意味ありげに微笑む。
——そう。この試験の本質は、単に料理の味を確かめることではない。料理人の力量と、食材を見極める知識。その二つを推し量ることにこそ、意味がある。
「ゴッタ平原で採れる野草や川魚は、採取こそ容易なんスけどねぇ。毒抜きや下処理に専門知識がないと、とても食えたモンなんて作れっこないっス。一方で獣肉なんかは処理が簡単っスけど、そもそも狩るだけの強さがなかったら、どうにもならないっスもん」
侍女の話に耳を傾けながら、ウルスラは受験者たちのいる草原へ視線を向けた。
「この『美食時代』の料理人に必要な最低限の素養――それを推し量るためには、致し方ないことですわ」
侍女はウンウンと頷きながら、
「なにより、自らの分をわきまえることにもなって、丁度いいんじゃないっスか?」
あまりにも直球な物言いに、ウルスラは苦笑を浮かべる。
「……貴女らしい表現に同意はし辛いですけれど、反論はいたしませんわ」
近年、未熟な料理人が食材を求めて命を落とす事故が後を絶たず、世間から問題視するような声があがっている。今日の課題も厳しいと感じるような志望者なら、ここで諦めてもらう方が本人のためになる、とウルスラは本心から考えていた。
(そういえば……)
ぺらぺらと受験者名簿をめくりながら、ある名前を前にして手を止める。最年少参加者の『シロー』くん――あどけない顔で試験に意気込む少年の愛らしい姿がふっと脳裏をよぎり、ウルスラの瞳に憂いの色が宿った。
(彼もきっと、現実の厳しさに直面していることでしょうけど……)
はあ、とため息をついたウルスラのもとへ、
「ご歓談中のところ失礼いたします」
筋骨隆々の執事が、一人の男を伴って現れた。顔に傷、腰に長大な剣——どこかで見た覚えがある。男は緊張した面持ちで直立していた。
「あら? 貴方は、たしか冒険者ギルドの――」
「はい。フクチヨと申します」
たしか次官の肩書きを持つ男だ。ウルスラに謁見しているとはいえ、その表情がやけに切迫していることに違和感を覚える。
「調理士ギルドの試験監督中に申し訳ありません。しかし、早急にウルスラさまのお耳に入れておきたいことがございまして――」
フクチヨが声を潜めて身をかがめる。耳打ちされた内容に、ウルスラの表情がすっと険しさを増した。
「――大猪豚ですって?」
「はい。緋ノ山周辺で目撃されていた大型個体が、この辺りまで餌場を広げている可能性がある、との報告を受けまして」
大猪豚。その名を聞いて、ウルスラの側近たちが息を呑む。この辺りに生息している魔獣とは一線を画す危険な存在だ。五級冒険者のパーティでようやく討伐できるレベルの魔獣が、なぜこの試験会場に?
「先ほど帰還した冒険者たちからも、この付近で目撃したという情報があり、早急な対処を――」
フクチヨが説明を続けようとした、その時だった。
ピィィィィィキャャャァァアアアアァアアッッッ!!!!!!
森の方角から、耳をつんざく咆哮が鳴り響く。
「今のは、まさか……」
血相を変えた一同が、音の発生源に視線を向ける。湖の向こう、森の入り口付近にいた数人の受験者たちが、怯えた様子で後ずさりしていた。
「――――くっ!」
ウルスラが焦った様子で立ち上がる。ティーカップが倒れ、紅茶がテーブルクロスに染みを作った。
「我が身、我が心、風と成りて――疾く、大地を駆け抜けん」
身体強化の魔法――その呪文の詠唱とともに、ウルスラの体が淡い光に包まれる。
「ウルスラさま、お待ちを!」
侍女の制止を無視して、ウルスラは風のような速さで跳び出していった。
(どうか、無事で――――!)
森に入って間もなく、雷が落ちたような轟音が大地を震わせる。最悪の事態を想像しながら、ウルスラが全速力で木々の間を駆け抜けていった。折れた木、抉れた地面、立ち込める土煙。明らかに激しい戦闘の跡だ。ウルスラは覚悟を決めながら、腰から細剣を音高く抜き放つ。
そして土煙の向こうで見たものは――
「――おん? アンタはたしか、試験官のお姫さんじゃねえか。んな血相変えて、どうしたってんだ?」
服をボロボロにした少年が、驚いたように声をかけてくる。
「貴方は――って、えっ?」
目の前に広がる光景に、ウルスラは言葉を失った。
巨大な大猪豚が地面に横たわっている。首が不自然に曲がり、一目で息絶えているのがわかった。
「え、あの…………アレぇ?」
ウルスラの思考が完全に停止する。
状況が理解できない。目の前の光景が現実とは思えない。少年は確かに怪我をしている。服は破れ、擦り傷もある。でも、それだけだ。五級相当の魔獣に襲われた後とは思えないほど、平然としているのだから。
「ウルスラさま! ご無事でっ!?」
ようやく追いついてきたフクチヨたちも、その光景を目にして同じように絶句した。
「こ、これは……」
フクチヨが恐る恐るホグジラに近づき、その状態を確認する。死後硬直も始まっていない。つい今しがた絶命したばかりのようだった。
「そ、そこの少年。この大猪豚……今しがた死んだばかりのように見えるのだが…………」
「おう。さっき絞めたところだからよ。んなビビんなくても大丈夫だぜ」
シローが大猪豚の尻を叩く。ぺちんという音が、妙に間の抜けた響きに聞こえた。
「ってかホグジラっつーのか、このイノブタ。いい名前じゃねーか」
「……これを、キミがやったっていうのかい?」
「そうだぜ」
「……一人でかい?」
「ちょい苦労したけどな」
あっけらかんとした返答に、その場の全員が凍りつく。五級冒険者のパーティでようやく討伐できる魔獣を、この少年が? それも一人で? しかも「ちょっと苦労した」程度……!?
「いや、でも丁度よかったぜ。コイツを倒したはいいけどよ、どうやって運ぶか難儀してたところでな」
シローが困ったような顔で頭を掻く。
「なあ、お姫さん。よかったら、ちいと手ェ貸しちゃもらえねえかな?」
「え、ええ……そうね。当然ですわよね。こんな大きな魔獣、貴方一人で運ぶのは難しいでしょうし…………」
そうじゃないでしょう! とウルスラは心の中で叫ぶ。なぜこの少年は、五級魔獣に襲われたことよりも、運搬の心配をしているのだろう?
困惑が顔に出ていたのか、シローが首を傾げる。そして何かに気づいたように、ぽんと手を打った。
「ん? ……もしかして、獲物を運ぶのに手ぇ貸してもらうのは、ルール違反だったりするんかい?」
あまりにも的外れな心配に、ウルスラたちはただ呆然とするしかなかった。
次回「試食試験」




