7品目 ぶらり食材探索
森の入り口をくぐった瞬間、世界が変わった。
さっきまでの明るい草原とは打って変わり、頭上を覆う枝葉が陽光を遮って薄暗い空間を作りだしている。足元の落ち葉は湿って重く、踏みしめるたびにじっとりと沈み込む。土と腐葉土の匂いが鼻を突き、その奥にかすかに獣の臭いが混じっていた。
(動物の気配はあるのに、姿がいっこうに見えやしねえのは、どういうこった?)
シローが森に入ってから十分は経つというのに、小動物の一匹すら見かけない。鳥の囀りは遠くから聞こえるものの、姿を捉えることはできなかった。まるで森全体が息を潜めているような、不自然な静寂が辺りを支配している。
「おっと、こいつは……」
見覚えのある植物がシローの目にとまる。
日本でいうツユクサによく似た、青紫の小さな花が群生していた。葉の形状も、茎の様子も、見慣れたものと瓜二つである。
「ツユクサと同じなら、開花前の若い葉は食えるはずなんだが……」
しゃがみ込んで葉を一枚摘み、まずは匂いを確かめる。青臭い草の香りで、特に異常はない。
「ま、物は試しってことで――」
躊躇なく口に入れ、慎重に噛んでみる。しゃくしゃくという歯ごたえは悪くないが、次の瞬間――
「ぺっ」
シローはおもむろに吐きだした。口の中に違和感が広がり、舌が軽く痺れるような感覚に顔をしかめる。
「ぺっぺっ。なんだこりゃ、口ん中がイガイガすんぜ」
水筒の水で何度も口をゆすぎ、ポケットに忍ばせていた鰹節の欠片を口直しに噛みながら、
「しっかし、見てくれが似てても中身は別モンか。異世界の植物を甘く見ちゃいけねぇなあ」
ぽい、と葉を投げ捨てたシローは、気を取り直して探索を再開した。
木の根元に生えた茸を見つけては匂いを嗅ぎ、赤い実をつけた低木を見つけては慎重に観察する。食材を見極める目は確かだが、未知の植物を前にしては慎重にならざるを得ない。
しばらく歩くと、地面の様子が変わっている場所に出くわした。落ち葉が乱雑に散らばり、ぬかるんだ土が露出している。そこには無数の蹄の跡。
(鹿かなんかだな。でもこの跡の付き方は……怯えてる?)
しゃがみ込んで、蹄の跡を指でなぞる。不規則に乱れた足運び。まるで何かから逃げるように走り去った痕跡だ。しかも、かなり新しい。
(方向は…………あっち?)
立ち上がったシローの耳に、ぴたりと鳥の声が途絶えた。
風すら止んだかのような、息苦しいほどの静寂。森全体が、何かを恐れて身を潜めている――
その時、背後でバキバキと枝の折れる音がした。振り返ったシローの目に、信じられないものが飛び込んでくる。
「――おうおう、異世界の獣ってのは、ずいぶんとデカくなるもんだなぁ、おい」
シローは臆することなく、腰に手を当ててその巨体を見上げた。
目の前にいるのは、猪と豚を掛け合わせたような動物――猪豚だった。ただし、日本に生息しているものよりも桁違いに大きい。体長約4メートル、目方は500キロは下らないだろう。黒い剛毛に覆われた巨体の背中には、キクラゲのような薄い骨がたてがみのように突きでている。
そして何より目を引くのは、口の両端から突き出た長大な牙。シローの腰回りより太いそれは、まるで天を突くように大きく反り返っていた。
(こいつぁまた、ゴキゲンなモンに出くわしちまったじゃねえか……)
料理人の目が、食材としての価値を値踏みする。巨体の割に引き締まった筋肉。脂の乗りも悪くなさそうだ。
大猪豚が鼻息荒く地面を蹴った。二度、三度……明らかにこちらへ敵意を持っているのがわかる。
ゴォオオオルォォオオオオオッッ!!
びりびりと響く咆哮と共に、大猪豚が突進を開始した。地響きを立てながら巨体が迫り、牙がまるで槍のようにシローへ向けられる。樹木が震え、落ち葉が舞い上がったその時、
「あらよっと」
シローはぎりぎりまで引きつけ――寸前でひらりと身をかわした。
次の瞬間、凄まじい衝突音が森に響き渡る。大猪豚が激突した木が真っ二つに折れ、ベキベキと音を立ててゆっくりと倒れていった。土煙が上がり、鳥たちが慌てて飛び立っていく。
「活きがよくて結構、結構」
シローは腕まくりをしながら、ぺろりと舌なめずりをした。
「元気ハツラツ、食いでも上等。なによりワシが喰いたくなった!」
倒木の向こうで、大猪豚が頭を振りながら体勢を立て直している。怒りでさらに目が血走り、荒い息を吐きながら地面を蹴り始めた。
シローはにやりと口の端を吊り上げると、
「そんじゃあいっちょう、コイツを料理してやるとしようかねぇ」
猛然と大猪豚に向かって、駆けだしていった。
次回「大猪豚との死闘」




