39品目 揚げサンドイッチ
「――よし、ここらで一息入れようぜ」
シローがリュックを下ろすと、グーグーが「さんせーい」と両手を挙げた。
鍾乳洞に入ってから、すでに三時間。
狭い通路を抜けると、急に視界が開けた場所があった。ちょっとした広場ほどもある空洞だ。足元は珍しく乾いていて、歩くたびに小石がカラカラと音を立てる。どこか遠くから、地下水が流れる音がかすかに響いていた。
マルガネータも休憩には異論はない。平たい岩に腰を下ろし、懐から煙管を取り出した。
三人とも、それなりに疲労を覚えている。
もっとも、マルガネータ自身は大したことをしていない。ここに来るまでの道中、何度か魔獣と遭遇したが、どれも雑魚ばかりだった。
カザアナヤスデの群れが天井から降ってきた時は、煙管を一振りしただけで片付いた。マシラグモの集団に囲まれた時も、煙を吐いて炎の壁を作れば、それで終わり。シローが身構え、グーグーが槍を構えようとするのを『下がってな』と制して、ものの数秒で焼き払っていった。
本来なら冒険者がパーティを組んでも苦戦する相手だが、今日は相性が良かった。
(まぁ、こんなもんさね)
金貸し稼業をやっていると、戦う機会はめっきり減る。腕が鈍っているのは事実だ。だが、この程度の雑魚なら問題ない。
「ほい、マルガネの姐さんのぶんだぜ」
シローが湯を沸かし、携帯式のコップを差し出してきた。
「ありがとよ、坊や」
受け取った茶を一口含む。熱い液体が喉を通り、胃に落ちていく感覚が心地よい。ふうと深く息を吐きながら、煙管に火を点けた。
「いやぁー、やっぱ三人だと進みが早いねぇ」
グーグーも自分のコップを両手で包み込み、立ち上る湯気に鼻を近づけている。ふんふんと嗅いでから、息を吹きかける。その仕草が妙に犬っぽくて、マルガネータは思わず口元を緩めた。
「やっぱ、マルガネータを連れてきて正解だったなぁ。アタシの見込んだ通り、魔法効きまくりで助かるぅ~」
「ったく、なに言ってんだい」
マルガネータが煙管でグーグーの頭を小突いた。
「誰が連れてこられたって? 拉致されたの間違いだろうが」
グーグーが「えー、もういいじゃーん」と肩をすくめる。反省の色は微塵もない。
「――さてさて」
シローがリュックから油紙の包みを取り出した。
「ちょうど昼時だ。飯にしようぜ」
「わっ、お弁当? なになにー?」
グーグーが目を輝かせて覗き込む。マルガネータも興味を引かれた。戦闘中は気にならなかったが、確かに腹が減っている。
シローが包みを開いた瞬間、香りがふわりと立ち上がる。
「な、なんだい、こりゃあ……」
マルガネータは思わず身を乗り出していた。油紙の上に、きつね色に変色したサンドイッチが整然と並んでいる。切り口の色が違うものが三種類。どれも衣はレース編みのように繊細で、松明の光を受けて表面がつやつやと輝いていた。
「なにってサンドイッチだぜ。三種類あるから、好きなの取ってくれや」
「わーい! ……って、んん?」
真っ先に手を伸ばしたグーグーが、サンドイッチをつまんだまま首を傾げた。
「ねぇ、シローくん。これって揚げてるの?」
シローがふふん、と鼻を鳴らす。
「ああ。鍾乳洞は湿気が多ぇだろ? 普通のパンだと傷みが早ぇからな、揚げて水分を飛ばしたのさ」
「へぇー、頭いい!」
興味を覚えたマルガネータも、チーズらしきものが挟んであるものに手を伸ばした。
そして一口――
サクッ
軽快な音と共に、衣が砕けた。薄い衣を破った瞬間、中から熱々のチーズがとろりと溢れ出す。舌の上で蕩けていく濃厚なコク。糸を引くように伸びるチーズが口内を満たし、そこにハムの塩気が追いかけてくる。レタスの歯触りが心地よく、トマトの酸味が重たさを断ち切っていく。
(な、なんだい、このチーズ……いやいや、これ本当にチーズなのかい?)
牛のチーズとは、明らかにコクの質が違う。乳脂肪の厚みが段違いで、舌にまとわりつくような甘みがある。かと思えば、後味にほのかな野趣が残った。
「……坊や。このチーズ、初めて食べる風味だけど……いったい何の乳でできてんだい?」
「おう、そいつぁ岩角牛ってヤツのチーズだぜ。北の山で搾った乳を使ってるって言ってたっけな」
「岩角牛……」
マルガネータは眉を上げた。岩角牛の乳は脂肪分が高く、濃厚なチーズが作れるという話を耳にしたことはある。だが同時に、独特の臭みがあるせいで敬遠する者も多いという噂だ。
「臭みがないじゃないか。あれは相当クセが強いはずだけど」
「クセが強ぇぶん、脂のコクは普通のチーズの比じゃねぇんだよ。臭みさえ抜きゃあ、ハムの塩気とは最高に合う。バターで揚げた衣との相性もいいしな」
ふうん、と感心しながら、マルガネータは二口目を噛み締める。確かに、ハムの塩気がチーズの甘みを引き立て、揚げ衣の香ばしさがその両方を包み込んでいた。素材同士が互いを活かし合うように、計算されて組まれているようだ。
「んまぁ〜〜い!」
そんなことはお構いなしに、グーグーが両頬を手で押さえて体をくねくねさせていた。尻尾がぶんぶんと振れている。
「グーグー、そっちの具材は何だい」
「なんかほくほくしたペーストと、タマネギのシャキシャキ。あとね、ぴりってする」
「その辛みは赤カラシナだな。太市で面白ぇ豆を見つけてよ、石蓮豆ってんだけど。ペーストにしたら結構いけたんだが、そのままだと味がぼやけてな。で、カラシナの辛味で締めてみた」
「石蓮豆? そんなモノまで使ってるの?」
グーグーが目を丸くする。石蓮豆は安価だが調理が面倒なことで知られているからだ。硬くて煮るのに時間がかかり、下手に潰すと粉っぽくなる。好んで使う料理人は少ない。
「安くて腹持ちがいいからな。煮るのにちと手間はかかったが、ペーストにしちまえば悪くねぇだろ?」
マルガネータは黙って石蓮豆のサンドイッチに手を伸ばした。
グーグーの言う通りだった。豆のほくほくした甘みが、揚げたパンの香ばしさとよく合う。そこに赤カラシナの辛味がぴりっと走り、タマネギの食感が全体を引き締めている。
(……なんだい、この坊やは)
初めて触る食材で、ここまで仕上げてくるのか。岩角牛のチーズの扱い方にしても、石蓮豆のペーストにしても、一発で素材の勘所を掴んでいる。冒険者向けの弁当に、ここまでの手間をかけるガキがどこにいる。
四つ目に手を伸ばそうとした、その時だった。
ぼとり。
何か柔らかいものが、シローのそばに落ちてきた。
「……なんでい、こいつは」
シローがびろーんと指でつまみ上げる。半透明でぷるぷると震える、ゼリーのような物体。よく見ると、落ちていたパン屑を溶かして吸収している最中だった。
「ああ、それ粘獣だよ。魔獣の中でもいっちゃん弱いヤツ」
グーグーが口の周りにパン屑をつけたまま答えた。シローは子供らしい好奇心で、その物体を観察し始める。
「なあ、これ食えんのか?」
「食べる気かい?」
マルガネータが呆れた声を出すと、グーグーは真面目な顔で答えた。
「食べれると思うよ。どっかの島で、粘獣をゼリー寄せにした料理があるって聞いたことがあるし」
シローは「ほぉう」と呟きながら、懐から何かを取り出した。長さ十センチほどの大きな針。先端が異様に鋭く研がれている。それを、
ひゅっ――
目にも止まらぬ速さで振るう。すると、粘獣の動きがぴたりと止まった。さっきまでプルプル揺れていたのに、今はくたりと伸びて動かない。
「……坊や。今、何をしたんだい?」
マルガネータが目を細めて聞く。
「いやなに。神経を突いて、仮死状態にしただけさ。持ち帰って研究しようと思ってな」
シローは何でもないことのように答え、粘獣を袋に入れる。
粘獣に神経があるのかどうかは知らない。だが、あの一瞬の動き。あれは、長年の修練なしにはできない技だ――
(なんだい、この坊やは……いったいどこでそんな技を身につけてきたんだか)
料理の腕や発想だけなら、才能で片付けられるかもしれない。だが、技の正確さは別だ。狙った一点を、寸分の狂いなく突く。あれは身体に染み込んだ動きだ。何百回、何千回と繰り返さなければ、ああはならない。
しかし、シローはどう見ても十にも満たない子供だ。勘定が合わない。
マルガネータが考え込んでいると、グーグーの耳がぴくりと動いた。鼻をすんと鳴らす。さっきまでの緩んだ表情が、一瞬で消えていた。
マルガネータも立ち上がる。空気が変わった。周囲に魔力を展開させると、何か巨大なものが接近してくるのがわかる。地脈が震え、岩が軋む音が聞こえてきた。
「……何か来るみたい」
地面がかすかに震えている。遠くから、まるで山が動いているような重低音が近づいてくる。小石がカラカラと転がり始め、天井から石の粉がぱらぱらと落ちてきた。
シローが素早く荷物をまとめた。その動きに無駄がない。
「鼻でもつまってたのかい、このスカタン。こんなに接近されやがって……」
「うっさいなぁ。サンドイッチが美味しかったんだから、仕方ないでしょ」
グーグーが頬を膨らませて反論するが、その手はすでに鉾槍の柄を握りしめていた。戦闘態勢は整っている。
マルガネータが指を鳴らすと、煙管の先に炎が宿った。オレンジ色の光が広がり、洞窟全体を照らし出す。岩壁に巨大な影が映し出された。
そして——それは姿を現した。
最初に来たのは、匂いだった。硫黄とも腐肉ともつかない、喉の奥を焼くような悪臭。次いで、紫色の霧が通路の奥からゆるゆると這い出してきた。霧が地面に触れると、じゅうと音を立てて岩が溶ける。
松明の光が、何かを照らした。黒緑色の鱗だ。びっしりと重なり合いながら、ゆっくりとうねっている。その表面が炎の光を反射して、鈍く濡れたように光った。
赤い瞳が、闇の中で二つ灯る。
そこでようやく、全体の輪郭が見えた。全長は優に二十メートルを超える。胴回りは大樹のように太く、頭部には牛のような角が生えている。
ジィャァァァァァァアアア……!!
咆哮が鼓膜を震わせた。
「こいつが、龍之大蛇……!」
グーグーが鉾槍を構えた。その声に、苦い記憶が滲んでいる。
マルガネータは煙管を構え直した。圧が、さっきまでの雑魚とは桁が違う。一目でわかる。こいつは別格だ。
(さぁて——久しぶりに本気を出す羽目になりそうだね)
口元に、不敵な笑みが浮かんでいた。
次回「龍之大蛇―前編」




