33品目 笑顔の定食
「いらっしゃいませー! お一人さまですかぁ? 空いてるテーブル席にお願いしまーすっ!」
店内はまるで戦場のような賑わいだった。エプロン姿のグーグーの声が、客たちの喧噪に負けじと響き渡る。少しかすれ始めたその声が、長時間の忙しさを物語っていた。
八百膳、開店初日。昼の部からひっきりなしに訪れる客の波は、途切れる気配がない。三つのボックス席も五つのテーブル席もすべて埋まり、厨房からは調理の音と香ばしい匂いが絶え間なく押し寄せてくる。
「こちら、岩鶏のから揚げ定食と野菜炒め定食、お待っとさん。そっちのお客さんのご注文は……? へい、丸豚のしょうが焼きね――嬢ちゃん、お客さんのお愛想を頼めっかい?」
「あ、はーいっ!」
グーグーがパタパタと店内を駆け回るたび、スカートの中で太ももに縛りつけた尻尾がもぞもぞと動いて煩わしかったが、構っている余裕はない。
「グーグーちゃーん、こっちにお冷もらえるー?」
「ごめーん! すぐ持ってくねー!!」
水差しを掴み、グラスに注ぎながらテーブルを回る。息つく暇もなく、グーグーは空いた皿を下げ、次の客を席へ案内すると、笑顔で注文を取っていった。
「嬢ちゃん、ボックス一番、料理できたぜ」
「はいよっ!」
シローから受け取った皿には、こんがりきつね色のから揚げが山高く盛りつけられている。グーグーは危なげない手さばきで、それをボックス席のドワーフのもとへ運んでいった。
「おうおう、やっと来たか」
ドワーフの男は、注文してからずっとそわそわと落ち着かない様子だった。厨房のほうをちらちら窺っては、太い指で膝を叩いている。皿が目の前に届いた途端、待ちかねたように顔をほころばせた。
「ほんじゃまぁ、さっそく――」
太い指がから揚げを一つ鷲掴みにする。かぶりついた瞬間、ばりっと衣が弾けて、肉汁の湯気がふわりと立ち上った。
ドワーフの目がかっと見開かれる。
ごくりと飲み込むと、もう次のから揚げに手が伸びていた。三つ目、四つ目――箸を使うことも忘れて、次々とから揚げを掴んでは頬張っていく。合間に白飯をがばっとかきこみ、味噌汁で流し込む。まるで何かに取り憑かれたように、一心不乱に手と口を動かしていた。
あっという間に皿が空になる。ドワーフは一つ息をつくと、空の皿をずいっとグーグーの前に突き出して、
「――姉ちゃんよ、こいつをもう一人前もらえるかい」
額に汗をかきながら、満面の笑みでそう言った。
「はいっ、ただいま!」
グーグーが厨房へ駆け戻ると、すでにシローが次の皿を用意している。
「テーブル三番もできてるぜ」
「了解っ!」
パタパタと踵を返して、野菜炒め定食をエルフの女性客のもとへ運ぶ。陽菜と虹蕪を炒めた湯気と一緒に、炒めたニンニクの香りがふわりと漂った。
「お待たせしましたっ、熱いから気をつけてくださいねー?」
「あ、ありがとう……」
このエルフの女性は、店に入ってきたときから少し居心地が悪そうだった。周囲の賑やかさに戸惑うように、きょろきょろと視線を泳がせていたのをグーグーは覚えている。今も背筋をぴんと伸ばしたまま、どこか緊張した面持ちで皿を見下ろしていた。
「じゃあ、冷めないうちに――」
おずおずと箸で野菜をひとくち運んだ瞬間、しゃくり、と小気味よい音が響く。エルフの女性は箸をぴたりと止め、じっと皿の上を見つめていた。
「……この野菜、ただ炒めただけじゃないの? 噛めば噛むほど、口の中に甘味がいっぱい広がっていくみたい――」
独り言のように呟きながら、別の野菜を一つ、また一つと口に運ぶ。そのたびに小さく首を傾げたり、目を閉じて何かを確かめるように咀嚼したりしている。味わうというより、味の秘密を解き明かそうとしているようにも見えた。
だが、やがて――ふっと肩の力を抜くと、
「……美味しい。勇気をだして人里まで降りてきて本当に良かった」
さっきまでの緊張が嘘のように、そう呟く顔は少女のようにほころんでいた。
「――嬢ちゃん、テーブル五番!」
「あ、はいはーい!」
丸豚のしょうが焼き定食を待っていたのは、人間の青年だった。頬杖をついたまま、虚ろな目でぼんやりと壁を見つめている。ひどく疲れたような顔をしているのは、酷い目にあった冒険帰りだからなのか――皿を置いても、ちらりと視線を落としただけで姿勢を変えようとしない。
気だるそうに肉を一切れ口に運んだ途端、「……こ、こいつはっ……!?」とのけ反るように背筋を伸ばす。
青年は無我夢中で白飯をかっこみだした。肉、飯、肉、飯――甘辛いタレの匂いがグーグーの鼻にも届いて、思わずお腹が鳴りそうになる。
やがて皿も茶碗もきれいに空になると、青年は満足気に一息つき、しばらく動かなかった。両手で湯呑みを包むようにして、湯気の向こうをぼんやりと見つめている。
そして、ぽつりと、聞こえるか聞こえないかの声で、
「はぁ――生き返ったような気分だぜぇ……」
そう呟いた青年はもう、さっきまでの虚ろな目ではなくなっていた。照れたように鼻の頭を掻いて、小さく「ごちそうさま」と言って会計を済ませていく。
青年の背中に向かって、「ありがとうございましたっ! またご贔屓にーっ」とグーグーは感謝と祈りを込めて会釈をしたのだった。
◆◇◆
「ぢ、疲れだぁぁぁああ……」
昼の部が終わると、グーグーは空いたテーブル席にぐったりと突っ伏した。冒険者として鍛えた体力には自信があったものの、接客の疲労は戦闘とはまた違う。注文を取り、料理を運び、笑顔で対応する。その繰り返しが、じわじわと体力を奪っていくのだ。
「時間がないもんだから、こんなんで悪ィんだけどよお。こいつでも食って、少し休んどきな」
ことり、と目の前に皿が置かれる。顔を上げると、大きなおにぎりが三つ並んでいた。
(あ、これって……)
グーグーは一つ掴むと、豪快に口へ運ぶ。ぷつぷつとした食感に、ほのかな辛み――自分の好きな炙り明太子を引き当てて、満足気にあむあむとおにぎりを頬張った。
あの夜の出来事が、昨日のことのようによみがえる。
閉店後の薄暗い店内で、シローの身の上話を聞きながら食べた、二人だけのお食事会。あの時も、こんなふうに心がじんわりと温かくなった。残りのおにぎりも続けて頬張るうちに、体の奥からじわじわと力が湧いてくる。
ふと厨房に目をやると、シローが黙々と夜の仕込みを進めていた。昼の部をあれだけ回したというのに、その手つきに疲れの色は見えない。
(やっぱスゴイなぁ、シローくん)
頬杖をついてシローの背中を眺めながら、開店前に言われた言葉を思い返す。
『大勢の客を相手にするワシらと違って、客にとっちゃあ店に来たその一回の体験がすべてになるだろ? だから、どんなに忙しいときでも手ぇ抜かず、真心こめてメシを届けていこうや』
――ああ、この人は本当にそれを実践しているんだ。
グーグーはぐっと拳を握りしめると、勢いよく立ち上がった。
そして、八百膳は夜の部を迎える。
客足が途切れることはなかったが、昼間とは店の雰囲気がどこか違って見えた。鉄粉の匂いが染みついた鍛冶師、鎧を脱いだ跡の汗じみが残る冒険者、泥のこびりついたブーツの荷運び人足――押し寄せてくるのは、一日の疲れをその身に刻みこんだ客たちだったからだ。
腹の減り方が、昼の客とはまるで違う。席に着くなり「飯、大盛りで」と言い添える声がひっきりなしに飛んできた。
窓の外はすっかり暗い。灯りに照らされた店内は昼間より少し薄暗くて、そのぶん厨房の炎の色がちらちらと壁に揺れていた。
「よぉ姉ちゃん、岩鶏のから揚げ定食三つ! 飯なんだけど――」
「はーい! 大盛りですね!?」
ボックス席を陣取った冒険者の一団が、おっ、と目を丸くしてから笑顔で頷く。昼の部では注文を聞き返してばかりだったのに、今はもう客の顔を見た瞬間、口をついて出ていた。自分でも驚くほど、体が流れを覚え始めている。
「嬢ちゃん、テーブル二番できたぜ。あとあっちの兄ちゃんたちのは、もうちょいで出来上がっからな」
「うん、わかった!」
シローの声にも、わずかに疲労の色がにじんでいる。だが、厨房から聞こえてくる鉄鍋の音は力強いまま、一度たりとも途切れることがなかった。
皿を運びながらふと見ると、隣り合ったテーブルの職人と冒険者が、互いの料理を覗きこんで何か言い合っている。昼の客はみな黙々と食べていたが、夜は一日の緊張が解けるのか、見知らぬ者同士の間にもぽつぽつと言葉が生まれていた。から揚げの匂いにつられて「俺も次はあれにするか」と笑う声が聞こえて、グーグーは思わず口元が緩む。
「――いやぁ、美味かったよ! また来るからな」
ドワーフの男が満面の笑みで席を立つ。昼に来た客が、夜にもまた訪れてくれたのだ。
「ありがとうございます! お待ちしてますっ」
グーグーがぺこんと頭を下げると、男は照れくさそうに手を振って店を出て行った。
(――ふぅ)
額に浮かんだ汗を拭いながら、グーグーは店内をゆっくりと見渡す。人間、獣人、ドワーフ、そしてエルフまで――どの客も幸せそうに料理を頬張っていた。
「ごちそうさん!」
席を立った客の声で、はっと我に返る。
「あ……ありがとうございましたっ! またのご来店、お待ちしておりまーす!!」
客の背中を見送りながら、グーグーは自分の頬をぺちぺちと叩く。まだまだ客は残っている。気合を入れ直さなければ。
むん! と顔を引き締めてはみたものの――テーブルを拭きながら、ふと手が止まる。
ヤバい、どうしよう。ニヤニヤが止まんない。
から揚げを頬張るドワーフの笑顔。照れくさそうに微笑んだエルフ。「生き返った」と呟いた冒険者の青年。一日を通じて目にした、たくさんの「美味しい」の顔が、次々と蘇ってくる。
疲れているのに、満たされている。こんな感覚、ずいぶんと生きてきたけど生まれて初めての経験だ。
(これが、私が夢見ていた風景だったんだ――)
これからもずっと、この温かさは続いていく。グーグーはそう信じて疑わなかった。
そう、あの男が現れるまでは――
次回「開催! デカ盛り料理対決」




