3品目 焼かない玉子焼き
「さぁて、と」
マルガネータは荒れた店内を気にする素振りも見せず、入口から一番奥にあるテーブル席にどかりと腰を下ろした。勝手に水差しを引き寄せ、コップに注いで一息つく。
「あ、あの、姐さん、オレたち……」
子分の一人が恐る恐る声をかけてきた。マルガネータはジロリと一瞥すると、
「その辺に散らかってるテーブルやらなんやらを片付けたら、あたしが呼ぶまで店の前にでも突っ立ってな」
「へ、へいっ!」
子分たちがドタドタと動き始める。従順でそこそこ腕の立つ舎弟ではあるものの、勘どころが鈍いのがいただけない。マルガネータは内心でため息をついた。
(――おっ、なにやら作り始めたみたいだね)
店の奥から漂ってきた匂いに、鼻をヒクヒクと動かす。グーグーが買い取った店は、潰れた喫茶店を改装したものだ。今では三つのボックス席と、五つのテーブル席があるこじんまりとした内装になっている。厨房の様子は暖簾が隠していて、中の様子はうかがえない。
(ガキのおままごとなんざ、普段ならまっっったく気にも留めやしないもんだけど……)
煙管に火を入れ、紫煙をくゆらせる。
マルガネータは自分の目利きに絶対の自信があった。金貸しは人を見る目がないと務まらない。その勘が騒いでいるのだ。あの少年、ただのガキじゃない。腕っぷしもクソ度胸も大したものだが、それ以上に――何か、とんでもないものを隠しているような気がする。
「ああ、楽しみだね」
つぶやくと、一息に水を飲みほした。
(さてさて、あの坊やが抱卵走鳥の卵をどう料理するか……)
煙管を指でコンコンと叩きながら、マルガネータはぼんやりと考えこむと、
「抱卵走鳥の卵ってのはさ……」
すっ、と遠い目で天井を見上げる。
「普通の鶏卵とは全く違う代物だ。まず、白身と黄身の比率が逆転してる。黄身が全体の七割を占めていて、濃厚な味わいが特徴だ。でも問題は火加減さね」
煙を吐きながら、遠い昔の記憶に思いをはせた。
「ちょっとでも火を通しすぎると、中身が一気に固まって、まるで石ころみたいにカチカチになっちまう。かといって火が弱すぎれば生焼けで腹を壊す。その絶妙な温度管理が、素人には絶対に無理な代物さ」
マルガネータは煙管をくわえ直した。煙の刺激に、丸眼鏡の奥で目をしばたかせる。
「プロの料理人ならいざ知らず、抱卵走鳥の卵を初めて扱う奴ぁ必ず失敗する。あたしも昔、あのバカに高い金出して買った卵を全部ダメにされた苦い思い出があるからねぇ……」
そう言うと、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「さぁて、あの坊やはこの難題をどう切り抜けるのか、とっくりと見せてもらおうじゃないか」
そうして待つこと15分――
「おう、待たせたな。ホレ、こいつが姐さんご注文の一品だぜ」
少年が皿を手に、ヨタヨタと給仕してくる。グーグーは落とさないか、はらはらした様子で見守っていた。
ことり、とテーブルの上に置かれた料理を見て、マルガネータは怪訝な表情を浮かべる。
「……あぁん? なんだいこりゃあ」
皿の上にあるのは、出来上がった状態のまま、切られてすらいないただの玉子焼きだった。マルガネータは膳志朗をジロリと睨みつけると、
「なぁ、坊や? あたしゃ抱卵走鳥の卵だけを使った、見たこともない料理ってのを注文したハズなんだけどねぇ。こんな見慣れたモンを出してきて、いったいどういうつもり――」
「ちょいと失敬」
イタズラ小僧のような笑みを浮かべたまま、膳志朗が包丁で手早くカットしていく。
「ちょっ、待ちなっ! あたしの話を聞けって………………んん?」
切った瞬間、漂う香気を吸い込んだマルガネータの目が見開かれた。
断面から立ち上る湯気が、まるで黄金色の霧のように輝いている。濃厚な卵の香りが、いつまでも鼻腔にとどまり続けるような錯覚すら感じられた。
「な、なんだいこりゃ……」
前のめりになって皿の上にあるものを凝視する。
ぱっと見はただの玉子焼き。それは間違いない。だが、その断面はどうだ? 玉子焼き特有の層がまったく見られず、まるでカスタードプリンのように、つるりと艶やかな光沢を放っているではないか。
「マルガネータ、これはね、シローくん特製の『焼かない玉子焼き』なんだって! 騙されたと思って食べてみなよ! なんていうか、もう…………っ! 今まで体験したことのない味だからさっ!!」
グーグーが尻尾をぶんぶんと振りながら、割り箸を渡してくる。
(焼かない玉子焼き? なんだいそりゃあ……)
マルガネータは疑り深い目で玉子焼きを睨む。箸でそっと触れてみると――
ぷるりんっ
「は?」
箸が触れただけで、玉子焼き全体がぷるんぷるんと波打つように揺れている。まるで乙女の柔肌のような弾力。だが表面にはしっかりと焼き色がついている。
「ありえないだろ、なんだいこの柔らかさは……」
そっと一口分を箸でつまむ。持ち上げた瞬間、「えっ!?」と、その重みに驚いた。見た目よりもずっしりと重い。これは水分が完全に閉じ込められているからなのだろうか。それとも卵液の火入れが甘いのか――
「ちょっと待ちな、坊や。抱卵走鳥の卵ってのはね、普通の鶏卵と違って、火を通しすぎるとすぐにカッチカチになる厄介な代物なんだよ? それがこんなにプルプルしてるってことは、生焼けってことはないだろうね? あたしゃ腹を壊すのはゴメンだよ」
「おいおい姐さん、疑うのは一口齧ってからでも遅くねぇだろ」
膳志朗が朗らかに笑う。そのあどけない態度に、マルガネータはかえって警戒心を強めた。
「ふん、いいだろう。だがもし変な味だったら――」
ごくり、と生唾を飲むと、震える手でゆっくりと口へ運ぶ。
唇が触れた瞬間――
ふつり
「!!!」
唇だけで噛み切れるほどの柔らかさ。歯なんて必要ない。舌で押しただけで、とろけるように崩れていく。
そして――次の瞬間、口内で旨味の爆発が巻き起こった。
「こ、こいつは……!」
濃厚な黄身の味わいが、まるで洪水のように押し寄せてくる。それは単なる卵の味ではない。抱卵走鳥の卵が持つ、野性的で力強い風味。それが凝縮されている。
(くっ……、この舌の上で踊る、なめらかな食感――――っ!?)
咀嚼すると、中から熱々の汁気がとどまることなく溢れ出す。出汁の優しい旨味と、ほんのりとした甘み。香気が鼻腔を突き抜け、脳天まで一気に駆け上がっていく。
がたり、と椅子を鳴らして、マルガネータが思わずのけぞった。
「美味いっ! 美味いじゃないか、坊や!!」
じんわりと額に汗が浮かぶ。箸が勝手に動いて、次の一切れを口に運ぶ。
「違うっ! あたしの知っている玉子焼きとは――いや、卵料理って概念からして、ぜんっぜん違うっっっ!!」
隣でグーグーが「でしょー!?」と、まるで自分が作ったかのように自慢げに鼻を高くしているのが腹立たしいが、味は本物だ。認めざるを得ない。
「なんで……どうしたらこんな味わいになるんだ……?」
震える声で呟きながら、マルガネータは疑り深い表情で玉子焼きを凝視する。冷静さを取り戻そうとして、煙管に手を伸ばしかけたが、結局箸を離せなかった。
「だが待てよ……こんな味、抱卵走鳥の卵だけで本当に出せるのかい? なにか他の食材を混ぜこんだんじゃあ――」
「混ぜモンなんて使ってねぇよ。疑うなら作り方を見せてやろうか?」
呆れた様子の膳志朗の提案に、マルガネータは鋭い目で頷いた。
「当然さね。だが坊や、もしインチキを見つけたら――」
「はいはい、わかってるって。しょうがねえ姐さんだなぁ、ほれ、さっさと厨房について来な」
次回「名(?)コンビ誕生」




