29品目 和風だしの味噌ブイヤベース
食饌開始の合図が、石壁の広間を震わせた。
残響が消えるよりも早く、純白と漆黒の影が弾かれたように動く。それぞれの背後に山積みされた食材へ、一直線に駆け寄っていった。
「ふむ……食材を選ぶ時間は両者とも同じくらいだな」
老審査員が髭の奥で呟いた。眼鏡の中年審査員が、椅子から身を乗り出すようにして声を上げる。
「見てみろ。ゴゴとやら、魔法鞄から何種類も食材を取り出しているぞ?」
魔法鞄は貴重な魔道具であるが故に、大容量になるほど恐ろしい高値になっていく。たかだか五級調理士が持てるような代物ではないはずなのだが――
「ほほう……ウルスラさまは、この場にある食材のみを使って調理するようだねぇ」
魔女の審査員の言葉に、皆の視線がウルスラへ向き直る。
ウルスラは微笑みを浮かべたまま、まな板の前に立っていた。細い指が包丁の柄に触れた瞬間、纏う空気が一変する。刃が閃くたびに人参が崩れ、セロリが割れ、玉ねぎが散る――まるで野菜のほうから、自ら形を変えていくかのようだ。
(……なんという見事な包丁さばきじゃ)
まな板を打つ軽やかな拍子だけが、静まり返った広間に木霊する。気づけば、寸分違わぬ大きさに揃えられた香味野菜の山が、まな板の上に整然と並んでいた。
老審査員は知らず身を乗り出していた。
「あれは、巨闘牛のスネ肉か?」
巨闘牛は、荒野に群れをなす大型の魔獣だ。凶暴な性格から狩猟の難度は高いが、その肉質は長時間煮込むほどに柔らかくなり、濃厚な旨味を放つことで知られている。
ウルスラは手際よくスネ肉を切り分けると、先ほどの香味野菜と卵白を大きなボウルで混ぜ合わせていく。すべての工程が、あらかじめ頭の中で組み上がっているかのように、その手つきに迷いは見られない。
「ふむ、火にかけるようじゃな?」
ウルスラが優雅に振り返ると、
「さぁ、皆さん、いきますわよ――」
蓋をせず、具材を入れただけの鍋を、そっとコンロに置く。するとウルスラの周囲に、赤と青に輝く光の粒子が、踊るように飛び交い始めた。
「燃えよ! 包み込めっ!!」
瞬間、コンロではなく鍋そのものに業火が発生し、炎が全体を包み込んでいく。
老審査員は思わず椅子の肘掛けを握り締めた。食卓にまで熱気が押し寄せてくる。
「なんと! 火と水の精霊を召喚したのかっ!?」
「まさか二重詠唱とは……ピンポイントで鍋の中にある食材に、圧力をかけておるようじゃのう」
感心するように魔女が呟く。眼鏡の中年審査員が目を細めて、鍋の上をすっと指差した。
「あの鍋から出ている灰色のモノはなんだ?」
「おそらくは灰汁じゃろうて」
老審査員が、髭を揺らしながら感嘆の吐息を漏らす。
「あれがウルスラさまの料理手法……あらゆる魔法を駆使し、食材の加工・調理をこなす――全属性調理じゃ。噂には聞いておったが、ワシも実際に目にするのは初めてじゃのう」
残る二人の審査員が、おおっと期待に満ちた声を上げた。
灰汁が魔法の風に攫われ、鍋の縁から霧のように消えていく。それに伴い、濁っていたスープが嘘のように透明感を増していった。燭台の灯りが液面を透かし、鍋底の具材がうっすらと見えてくる。
(スープが……な、なんという透明度じゃ……!)
ウルスラは満足そうに目を細めると、香草の束を取り出した。ローリエ、タイム、パセリの茎――ブーケガルニだ。束ねた香草を静かに沈めた途端、青く爽やかな薫りがふわりと広間に漂い始める。
「たまらんのぉ……スープから漂う香りですら、黄金色に輝いておるように見えるわい」
魔女の審査員がうっとりとした表情で呟いた。
老審査員もまた、鼻腔をくすぐる芳香に抗えず、小さく息を呑む。これが特級厨士の料理か――圧倒的という他ない。
「ところで、もう一人……ゴゴのほうは?」
視線を向けた先で、既にゴゴのまな板は食材で埋まっていた。大根、白菜、ネギ、キノコ――どれも丁度良い大きさに切り揃えられている。
今その手元では、巨大な魚が鱗を散らしながら、豪快に捌かれていく最中であった。
「鏡鱗魚だと!? たしか、この勝負では用意していなかったハズだが……」
鏡鱗魚は、その名の通り鏡のように光を反射する鱗を持つ大型の淡水魚だ。身は脂がたっぷりと乗り、火を通すと上品な甘みが広がることから、高級食材として珍重されている。
「あらかじめ持ち込んであった食材なんじゃろうて。ほれ、あそこに捻じりあさりや噛みきりホタテに似た食材もあるようじゃしな」
ゴゴが振り返り、にやりと笑う。そして巨大な中華鍋を掴み上げるなり、ごま油をたっぷりと注いで火にかけた。じわり、と油が熱を帯びる。たちまち香ばしい匂いが立ち上り、清廉な広間の空気をこってりとしたものへと塗り替えていく。
「さぁ、こっからがワイの料理の始まりやでェ!」
鏡鱗魚が油に叩き込まれた。弾けるような音、飛び散る油煙。続いて貝類が放り込まれ、ゴゴの腕が中華鍋を一気に振り上げる。魚介が天高く宙を舞い、くるりと回転して鍋に戻った。
「ほぉ!? なんという膂力!」
魚介の表面に焦げ目がついたところで、間髪入れず野菜が投入される。大根、白菜、ネギ、キノコ――ゴゴの手が食材を掴むたびに、鍋の中で轟音と蒸気が噴き上がった。
「アレを見よ。炒めたモノを土鍋に移しとるぞ。白ワインに醤油……あれはみりんか? その他にも、なにやら得たいの知れぬモノを入れておるようじゃが――」
ゴゴが「ふんっ!」と鼻で笑う。
「ウスラ昆布と鯨節でとった、ワイ特製の出汁や! こいつを――こうじゃァ!」
出汁が土鍋に注がれた瞬間、青白い炎が噴き上がった。白ワインのアルコールを飛ばす、フランベの技法だ。炎に照らされたゴゴの顔が、凶悪な笑みを浮かべている。
老審査員は、その炎の熱を頬に感じながら、背筋に走った悪寒を押し殺す。あの男の料理には、ウルスラとはまったく異質な――しかし確かな凄みがあった。
「ほれほれ、ドンドンいくでぇっ!」
踊るような手つきで味噌を溶き、リズミカルに土鍋の中へ加えていく。白濁したスープがふつふつと呼吸を始め、湯気が審査員たちの鼻腔をくすぐった。
「むう、なんという手際の良さ! そしてこの香り――くぅぅ、たまらんのぅ」
魔女の審査員が、相好を崩して鼻をひくひくと動かしている。眼鏡の中年審査員は腕を組むと、険しい顔つきで呟いた。
「ゴゴとかいうヤツめ、並みの調理士の腕じゃないぞ。ウルスラさまが死幇だと仰っていたが――」
「うむ。あの裏社会の料理人が、調理士ギルドの中にまで潜り込んでいようとは。なんと無様なことよ」
老審査員が剣呑な視線を、入口を封じているギルド職員に向ける。視線に気づいた男は恐縮したように背を丸め、額の脂汗を必死に拭っていた。
(じゃが……)
老審査員は視線を土鍋に戻した。死幇であろうがなかろうが、あの鍋から立ち昇る香りは本物だ。長年にわたり培ってきた勘が、それを認めていた。
「この食饌……結果はどうあれ、実食が楽しみじゃわい」
うっかりすれば涎を垂らしそうな魔女の審査員を咎めるように、老審査員が声を上げる。
「調理士ギルドに所属する者の等級は、五級から一級、そしてその最上位にあたる特級で区別されておる。このヘイヴランドに七名しかいない特級厨士たち――彼らは世間から、尊敬と畏怖を込めて『君下七厨』と呼ばれておる」
眼鏡の中年審査員が力強く頷く。
「この美食の時代――君下七厨は、この国の経済すら動かすことができるほどの権力と責任を担う、守り手たりえなければならない。ウルスラさまは、史上最年少でその地位まで昇りつめ責務を果たしてきた、まさにエリートの中のエリートだ」
魔女の審査員が苦笑を浮かべた。
「煩いのぉ。お主ら二人とも、何が言いたいのかえ?」
「死幇の料理人になぞ、君下七厨が負けるわけなどあり得ないということだ」
その言葉に、魔女の審査員が表情を引き締め、たしなめるように言う。
「食饌において信ずるものは、我らの舌のみ。卿の個人的な敬意を勝敗の判断基準にまで及ぼすことはないよう、発言は慎むべきではないかのう」
眼鏡の中年審査員は「……ふん」と鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
そして一時間後――
「双方、調理を止めよ! これより実食とする!!」
老審査員の宣言が広間に響き渡るよりも早く、ゴゴが威勢よく吠えた。
「おうっ、デキたでっ! まずはワイからやっ!!」
土鍋を両手で抱えたまま、しっかりとした足取りで歩いてくる。一歩ごとに、蓋の隙間から白い湯気が漏れ出し、潮と味噌の入り混じった香りが広間を這うように広がっていく。
老審査員は唾を呑み込むのを堪えた。審査員として、この場で感情をあらわにするわけにはいかない。
食卓の前で足を止めたゴゴは、勿体ぶるように蓋に手をかける。一拍の間――そして、蓋を持ち上げた。
「――っ!? おおっ!!!!」
堰を切ったように白い蒸気が噴き上がり、審査員たちの視界を奪う。湯気の幕が晴れたテーブルの上には、姿を現した料理が並べられていた。
「むぅっ、こ、これは……!」
薄茶色のスープの中央に、艶やかな鏡鱗魚の切り身が鎮座している。その周囲には殻ごとの貝類が、まるで花びらのように配置されていた。燭台の灯りを受けたスープの水面が、琥珀色にゆらめく。
「さぁ、熱いうちに食ったってくれや。これぞワイ自慢の一品――『和風だしの味噌ブイヤベース』じゃい!!」
次回「無垢なるコンソメ、星の記憶」




