28品目 死幇(だいぱん)
星照祭が終わり、天燈が空へ昇り始めたころ。
エルカドの東門に佇む調理士ギルドの地下には、普段は人の出入りのない大広間がある。通称、『試しの座』――調理士同士の争いに、料理をもって決着をつける神聖な場所だ。
石造りの壁は分厚く、外の祭りの喧騒を完全に遮断していた。燭台の灯りだけが揺れる静寂の中、食卓の上座に腰を据えた老審査員は、重い溜息をひとつ腹の底に押し留める。
(よりによって、祭りの夜にか)
視線を落とした先に、八の字を描くように斜めに向かい合った二台の調理台がある。それぞれ無骨な石作りで、長年の使用に磨かれた表面が燭台の光を鈍く照り返していた。何人もの調理士がこの台の前に立ち、己の技と誇りを賭けて刃を振るってきたものだ。その光景を、この老いた目は幾度となく見届けてきた。
だが今宵の食饌は、これまでとは毛色が違う。そのことを、老審査員は肌で感じ取っていたのだ。
隣席に目をやれば、眼鏡をかけた中年の審査員が、落ち着かない様子でしきりに眼鏡の位置を直していた。反対側の魔女の老婆もまた、いつもの泰然とした態度を崩さぬよう努めてはいるものの、やや強ばった口元が内心を物語っている。
(三人とも、同じ気持ちであろうのぉ)
この食饌を仕掛けたのは、あの特級厨士だ。しかも、祭りの当日に。尋常ではない。だが、商工会の長として正式に裁定を求められた以上、断る道理もなかった。
「双方、前へ」
自らの声が広間に反響するのを聞きながら、老審査員は背筋を正す。
シンとした空気の中、足音が二つ、交互に石畳を叩く。
純白の調理服をまとった女性――ウルスラが、悠然とした足取りで己の調理台へ向かった。金色の長髪を優雅に束ね、背筋をまっすぐに伸ばしたその姿には、緊張の色が微塵も見られない。まるで、これから起こることのすべてが既に掌の中にあるとでもいうような――そんな、底の知れぬ余裕を感じさせた。
一方、漆黒のお仕着せを身につけた男が、いかにも不服そうな態度を隠しもせず歩いていく。和帽子を目深にかぶり、うなだれるように首を落としているが――老審査員は、その足取りに潜む異質な気配を見逃さなかった。近づくだけで空気の質が変わる。長年この座で幾多の調理士を見てきたが、こんな圧を纏う人間は記憶にない。
ぎぎっと重い音を立てて、大広間の扉が閉められた。
「では、盟約に則り、食饌の儀を執り行うものとする」
老審査員は、努めて平静を保ちながら口を開いた。長年の職責が染み込んだ声は、幸いにも震えることなく広間に満ちていく。
「審判は我ら、各商工会の長が務めるが、異論はないな?」
二人の調理士は無言で頷いた。
「では双方、この食饌に賭けるものを述べるがいい」
短い沈黙が、広間を満たしていく。
和帽子の男が「けっ」と露骨に吐き捨てた。隣に座る眼鏡の審査員が、わずかに表情を歪めるのが視界の端に映る。
「ったく、屋台の出店許可を勝手に取り消されるわ、祭り当日に食饌吹っかけてくるわ……特級厨士さまやったら何やってもええ思てんのかねぇ?」
怒りの滲む声が石壁に反響する。魔女の老婆が、「やれやれ……」といった調子でそっと息をついた。
鋭い視線で睨みつけられても、ウルスラの笑みはびくとも揺らがない。和帽子の男はふんと鼻を鳴らし、肩を大げさに落としてみせた。
「はぁ~あ、アホくさっ」
しかしその口元には、いつの間にか不敵な笑みが浮かんでいる。
「ま、とは言えや。こないなチャンスはそうそう無いからな。とことんヤったろうやないかい」
和帽子の下から、ぎらりと光る目が覗く。老審査員は思わず息を呑んだ。獰猛な獣のような輝きを宿したその瞳が、まっすぐにこちらへ向けられていた。
「賭けるモンは決めたで! ワイが勝ったら、この姫さんの代わりに、ワイを君下七厨に入れてもらうってのはどうやっ!?」
――何を、言い出すのだ。
老審査員は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。隣を見れば、二人の審査員も同じように、驚愕の表情を浮かべている。
「な、なんと不敬な……!」
「そのようなこと、本気で可能だと思っているのかえ?」
二人が声を荒げるのを聞きながら、老審査員もまた怒りを抑えきれなかった。
「たかが五級調理士風情が、身の程をわきまえよっ!」
広間を満たした怒気が頂点に達しかけたその瞬間、涼やかな声がすっと割り込んだ。
「結構ですわ。ワタクシはそれで構いません」
「う、ウルスラさまっ!?」
眼鏡の審査員が慌てて声を上げる。老審査員もまた制止の言葉を口にしかけたが、ウルスラはちらりと視線を寄越すだけで、その気配を軽やかに無視してみせた。
ウルスラはほっそりとした顎に指を当て、少し首を傾けて考えるそぶりを見せると、
「ワタクシの賭けるものは、そうですわね……これから貴方に質問することについて、嘘偽りなく答えていただく――なんていうのは、如何かしら?」
「――はぁ? なんやそれ。そんなんでええんかい?」
和帽子の男が鼻白む。あまりにも釣り合わない条件だ。老審査員から見ても、この賭けの非対称さは異常である。君下七厨の座と、たかだか質問への回答。そこに何の釣り合いがあるというのか。
だが、ウルスラの次の言葉が、その疑問を完全に吹き飛ばした。
「もちろんですわ。ゴゴさん。貴方がなぜ緋ノ山の湖周辺で、芥子を栽培していたのか、ワタクシとっても興味がございますもの」
ゴゴと呼ばれた男の顔色が、みるみるうちに変わっていく。
老審査員は目を見張った。さっきまでの軽薄な表情が剥がれ落ちるように消え、その下から現れたのは、まったく別の人間の目だ。警戒心に満ちた鋭い眼光。全身から漂う空気が一変し、広間の温度が数度下がったかのような錯覚すら覚える。
その様子を見て、ウルスラは――笑った。何かを確かめ終えたかのような、静かな微笑だ。老審査員の背筋を、冷たいものがすっと伝い落ちていく。
「あら、意地の悪い言い方でしたかしら。それでは、こう言いなおさせてもらってもよろしくってよ――貴方の所属する『死幇』の所在、および現在の構成員とその活動目的について、洗いざらい白状していただく。コレで賭けの代償は、釣りあいがとれたのではなくって?」
死幇。
その名を聞いた瞬間、老審査員の頭の中が真っ白になった。
「なっ……!? この男が、まさか……!」
ゴゴの纏う雰囲気は完全に一変している。先ほどまでの余裕の欠片も残さぬまま、剣呑な気配がじわりと広間に満ちていく。
「――おもろいこと言うお姫さんやないかい」
クツクツと笑いながら、ゴゴの視線がウルスラを射抜いた。
「さすがは特級厨士――ワイの正体を知っとってケンカ吹っかけるとか、恐れ入るわ」
だがな、と低く呟いた瞬間、和帽子の奥から刺すような殺気が滲み出した。据わった目がにぃっ……と歪んでいく。
「いい気になんのもたいがいにせいや、小娘ぇ」
老審査員の全身が強張る。言いようのない圧が、肌を刺すように伝わってきた。
だが、ウルスラは冷ややかな表情のまま、その殺気を正面から受け止めていた。瞬き一つしない。この姫もまた、尋常ではないのだと老審査員は改めて思い知った。
「おう、審査員の爺ぃども! 勝負のお題はなんや!? さっさと言えやぁ!!」
脈絡のない怒声に、老審査員は身体を強張らせる。
しばし沈黙が漂ったあと、魔女の老婆がゆっくりと立ち上がると、懐へ手を差し込んだ。取り出したのは、掌に収まるほどの小さな木箱である。
「――攪拌」
短い呪文が唱えられる。その瞬間、魔法の風が渦を巻き始めた。木箱がガタガタと震え、中から白い紙切れが幾枚も飛び出す。それらは渦に乗って天井近くまで舞い上がり、白い花びらのように宙を漂った。
「命題よ、汝が求める姿をさらせ」
一枚の紙切れが、老審査員の掌に吸い込まれるように収まる。ひとりでに開いた紙面に、文字が浮かび上がっていく。
『スープ料理』
老審査員は静かにそれを高く掲げる。
「今回の食饌のテーマは――『スープ料理』じゃ!」
ウルスラの唇が、ゴゴの口元が、ほぼ同時に弧を描いた。両者ともに、不敵な笑みだ。
眼鏡の審査員が一歩前に出た。
「調理に使う食材は、こちらが用意したモノに加え、魔法鞄で持ち込んだものを使っていただいても構わない。制限時間は一時間。その間に調理を終わらせ、我ら三名の実食をもって勝負の判定を下すが――双方、異論はないな?」
「結構」
「上等やぁ。目にモノ見せたらぁ!」
二人の声が重なる。
老審査員は、左右の審査員と視線を交わす。眼鏡の審査員の目には不安が、魔女の老婆の目には覚悟のようなものが宿っている。三者が同時に手を掲げ、最後の呪文を紡ぎ始めた。
「我ら三名の身命において、ここにウルスラとゴゴによる食饌を宣言する――盟約締結っ!」
青白い光の奔流が、試しの座に溢れる。二人の体に同じ紋章が刻まれ、やがて光が静かに収まっていく。
老審査員は、大きく息を吸い込んだ。今宵この場で起こることが、ただの食饌で終わるはずがない。
だが、始めねばならぬ。それが、審査員の務めだ。
「只今をもって、儀は結ばれた。それでは双方、これより調理を開始せよ――食饌開始ぃっ!!!!」
次回「和風だしの味噌ブイヤベース」




