26品目 震えるシロー
「さぁて、次はいよいよ一位の発表です――獲得チケット数……なんと、二千百三十四枚! やはり、大方の予想通り! 流浪の特級厨士、ヲゥカ氏の創作スイーツ『ガラスフルーツの煌玉クレープ』が、圧倒的人気でぶっちぎりの第一位獲得だーっっっ!!!!」
カロッシスの絶叫にも似た宣言が、夜空に突き刺さるように響き渡った。
一拍の沈黙のあと、地鳴りのようなどよめきが広場を揺るがしていく。あちこちで「やっぱりな!」「さすがヲゥカ様だぜ!!」と口々に声が上がり、興奮した観客たちが肩を組んで騒ぎ立てていた。納得と羨望がないまぜになった歓声が、祭りの掉尾を飾るかのように広場を震わせる。
シローの手の中で、ぐっと握りしめていたグーグーの腕から、すうっと力が抜けていった。
彼女はシローの肩にもたれかかるように崩れ、小刻みに震えている。何か言いたげに唇が動いているのに、声にならない。その横顔を見たシローは、何も言葉をかけられなかった。
「ふぅ……」
深く、長い息を吐く。夜風が頬を撫でていった。その冷たささえ、今は肌を素通りしていく。
――――負けちまった、か。
シローはうなだれたまま、ぐしぐしと頭を掻きむしった。指の間から覗く視界がぼやけて見える。悔しさなのか、疲労なのか――その区別すら判別できない。
(嬢ちゃんにあんだけ偉そうな啖呵を切っといて、このザマたぁ情けねえ)
準備に明け暮れた日々が、次から次へと脳裏をよぎる。
朝もやの中で仕込んだ麺、何十回と試した味付け、寝る間も惜しんで磨き上げた段取り。そして今日――初めての祭りの熱気に揉まれながら、一皿たりとも手を抜いた覚えはない。火加減、盛り付け、客への声掛け。持てるすべてを注ぎ込んだ。
それでも、届かなかった。
痺れきっていたはずの両手が、妙に疼いていた。料理を作り続けた代償だと思えばそれまでだが、この疼きはどこか違う。骨の芯から脈打つような、じくじくとした痛み。悔しさなのか、それとも別の何か――名前のつけられない感情が、指先から腕を伝って胸の奥に染みていく。シロー自身にも、その正体はわからなかった。
「シローくん……」
グーグーの声が、すぐ隣から聞こえた。恐る恐るといった響きで、彼女の大きな瞳が不安げに揺れている。慰めの言葉を探しているのか、それとも自分自身の悔しさを堪えているのか。その唇は何度か開きかけて、そのたびに閉じられた。
何か言ってやりたかった。「すまなかったな」でも「また頑張ろう」でも、なんでもいい。だが喉の奥がつっかえたように動かず、気の利いた一言すら絞り出せない。
シローがきゅっと目を瞑った、そのとき――
「だ・け・どぉ? 今年の発表はこれで終わりじゃないんスよねぇ!!」
カロッシスの声が、妙に演者ぶった抑揚で会場に響いた。
(――っ!?)
シローの頭がはね上がる。
ステージの上で、カロッシスがにやりと口角を吊り上げていた。まるで悪戯を仕掛ける子供のような目で、しかしその視線の先は、まっすぐにシローたちを捉えている。
「星照祭が始まってウン十年! 長い歴史の中で、こんなことは一度もありませんでした……が――」
思わせぶりな間が、会場の空気を張り詰める。屋台の親父たちは互いに顔を見合わせ、「なんだなんだ?」と身を乗り出す。広場全体が、一つの巨大な疑問符に包まれていた。
「な、なんとぉ! 今年になって初めてっ!! 同率一位のお店がどどんと出ちゃいましたっス――――っ!!!!」
鼓膜が割れるかと思うほどの歓声があがった。
「嘘だろ!?」と叫ぶ声、信じられないと言わんばかりに隣の人間の肩を掴む手、天を仰ぎ見る漢たち。会場の空気が一瞬で沸騰する。
「ではでは、栄えあるそのお店の発表ですっ! 獲得チケット数、同じく二千百三十四枚っ! 初参加にして前代未聞っ! 元冒険者グーグーと天才少年料理人シローによる『特製屋台焼きそば』が、いきなり頂点に君臨だぁ――――っっっ!!!!」
雷鳴のような歓声が、夜空を震わせる。星明かりすら揺れたのではないかと思うほどの咆哮が、広場を、通りを、街全体を飲み込んでいった。
シローは、ぽかんと口を開けたまま動けなかった。
言葉の意味が頭に届くより先に、隣のグーグーが叫んでいた。
「え……えぇ!? う、うそっ? ホントのホントに……!?」
グーグーがシローの肩をぶんぶんと揺さぶる。裏返った声、紅潮した頬、うっすら涙が滲んだ目。さっきまでの沈んだ顔がまるで嘘のように輝いていた。
「やった……やったよシローくん! アタシたち、一番だよ!! 一番獲れたよぉっ!!!!」
グーグーが叫びながら、シローに飛びついた。小柄な身体ごとぶつかってくる勢いに、シローはよろけながらも、その背中をしっかりと受け止める。顔を上げると、グーグーがくしゃくしゃの笑顔で泣いていた。
「あイテテテテ……おう、嬢ちゃんのおかげだぜ。ありがとな」
シローが微笑み返した瞬間、グーグーの堰が決壊した。「おーいおいおい!」と、言葉にならない嗚咽をあげて、人目もはばからずに泣きじゃくる。
その騒ぎを聞きつけたのか、屋台の親父たちがわらわらと集まってくると、
「やるじゃねえか、坊主! 初参加なのに大したモンだ!!」
「ヲゥカさんと同率なんて、すげぇよホント!」
「おめぇの焼きそば、美味かったからなぁ! こんど作り方教えてくれよ!!」
分厚い手のひらで背中を叩かれ、ごつごつした指で頭をぐしゃぐしゃに撫でまわされ、四方八方からもみくちゃにされる。
痛いやら嬉しいやらで目を細めながら、シローは今日一番の笑顔を浮かべていた。この温かさは、勝ち負けとは別の場所にある。料理人同士が称えあう心の感触が、さっきまでの疼きを塗り替えていくようだった。
◆◇◆
興奮の渦は、少しずつ凪いでいった。
飛び交っていた歓声がさざ波のように遠ざかり、群衆のざわめきが静かに引いていく。祭りの終わりが近いことを告げるように、屋台の灯が一つ、また一つと落とされていた。
異変に気づいたのは、グーグーが最初だった。
まだ目を赤くしたまま鼻をすすっていた彼女が、不意に息を呑む。視線の先を追ったシローの身体が、揺れるように強張った。
人混みが、割れていく?
誰かに命じられたわけでもないのに、人々が自然と道を空けている。まるで見えない力に押し退けられるかのように、左右の群衆がすうっと後ずさっていく。陽気に騒いでいた屋台の親父たちまでもが口をつぐみ、その道の先に目を向けていた。
人波の奥から現れたのは、金色の髪をたなびかせた一人のエルフだった。
切れ長の糸目に、穏やかな笑み。濃い緑の外套が篝火の明かりを受けて、深い翡翠色に揺れている。柔らかな物腰で――けれど、一歩を踏み出すたびに、周囲の空気がぴんと張り詰めていくのがわかる。
シローの身体が、石のように動かなくなった。不意に、バターと焦がし砂糖の残り香が鼻腔を掠める。甘いはずのその匂いの奥に、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さが潜んでいた。
(こいつが、きっと……ヲゥカって野郎だな……)
祭りの喧騒が遠い。この男の気配が、それ以外のすべてを塗り潰している。
「やぁ。久しぶりだね、グーグーちゃん」
翡翠色の瞳で、柔らかくグーグーに微笑みかける。
「ヲ……ヲゥカ先輩っ!?」
グーグーが弾かれたように立ち上がった。背筋をぴんと伸ばし、両手を腿の横にぴたりと揃える。さっきまで鼻水を垂らして号泣していた面影など跡形もない。まるで厳しい先生の前に立つ生徒のような、見事なまでの直立不動だった。
「あははっ、そんなにかしこまらなくてもいいのに」
ヲゥカは可笑しそうに肩をすくめると、優雅に膝を折ってシローと視線の高さを合わせた。至近距離で見るその目には、からかうような光と、それとは別の――獲物を見定めるような、底知れない好奇心が同居している。
「君が噂のシローくんか。ふぅん……」
値踏みするように、その視線がシローの顔から手元へ、手元から足元へと滑っていく。
一瞬の沈黙のあと、――ヲゥカは、ふっと人好きのする笑顔を浮かべた。
「初めまして。ボクはヲゥカ。見ての通り流浪の料理人さ」
差し出された細く白い手を、シローは無意識に握り返す。
(――――なっ!?)
瞬間、息が止まった。
一見すると女性のように繊細で美しい手。だが握った途端、掌に伝わってきたのは、見た目からは想像もつかない、硬く荒れきった感触だった。
指の節々には、ざらざらとした火傷の痕が幾重にも刻まれている。爪の間には、どれだけ洗っても落ちきらない調味料の色が染み込んでいた。
これは――何十年、いや、もっと遥かに長い歳月を、料理に捧げてきた者の手だ。
自分が今日まで鍋を振ってきた時間の、何倍も、何十倍も重い研鑽の証が、この掌の中にある。圧倒的な経験の差が、握手という何気ない所作を通じて、直接肌に流れ込んでくる。
震えそうになる身体を、シローは歯を食いしばって押さえ込んだ。
(恐れている……? いいや――)
シローの唇がうっすらと弧を描き、挑戦的な光が瞳に宿る。
「一人勝ちを狙ってたんだがなぁ。そう甘くねぇってことを、思い知らされたぜ」
シローの軽口に、ヲゥカは悠然と肩をすくめた。
「ボクだって、こんなに張り合いのある相手と出くわすとは、思ってもみなかったよ。しかも初参加の店に並ばれるなんて――ボクもまだまだ、ってことなんだろうね」
言葉は謙遜の形をしていたが、声の底に滲む色は、明らかにそれだけではなかった。
穏やかな笑みの奥で、翡翠色の瞳がかすかに細まる。長い年月をかけて磨き上げてきた矜持と、それを脅かす存在への純粋な興味――その二つが、綯い交ぜになって光っていた。
ヲゥカは懐に手を入れ、小さな包みを取り出す。
丁寧に折り畳まれた油紙を開くと、中から現れたのは一切れのクレープだった。薄く焼き上げられた生地が幾層にも重なり、その断面には宝石のように透き通った果実の欠片がきらきらと散りばめられている。
篝火の明かりを受けて、淡い橙や碧が万華鏡のように煌めいた。
「ねえ、君たちの焼きそばが、もし残っているようだったら――僕のクレープと交換して、食べ比べっこしてみない?」
シローの口元が、にぃっと弧を描く。
「――残りモンなんてとんでもねぇ。待ってな。今すぐ一丁こしらえてやっからよ」
次回「天翔ける祈りの星々」




