23品目 星照祭(せいしょうさい)
無数の流れ星が、漆黒の天幕に銀の糸を引いて流れていく。
エルカドの街は、まるで地上に降りた天の川のように煌めいていた。松明の炎、提灯の灯り、そして人々の瞳に宿る期待の光――それらすべてが混ざり合って、祭りの夜を彩っている。
「はい、いらさい、いらっさーいっ! カワイイ少年コックが作る絶品焼きそば、いかぁっすかーっ!! お会計は飲食チケットと引き換えになりま――っす!!!!」
グーグーの大声が広場に響き渡る。法被の袖を振り回し、ねじり鉢巻きを額にきりりと締めて、懸命に客を呼び込んでいた。
だが現実とは厳しいものだ。
祭りの開幕と同時に押し寄せた人波は、まるで川の流れのように、決まった方向へと向かっていく。馴染みの店、評判の屋台、有名な料理人のもとへ――新参者の小さな屋台は、その流れから完全に取り残されていた。
「だから言ったろ? 無名の店に客を呼び込むことが、どんだけ難しいことかってよう」
屋台の縁に両肘をついて、だらんと体を預けながら、シローが呑気に呟く。まるで他人事のような余裕ぶりに、グーグーは頬をぷくっと膨らませた。
「もぅっ、他人事みたいに言わないでよぉ!」
「へへっ、まぁそう怒んなって。――しっかしよぅ、すっげえなこりゃ」
軽くいなしながら、シローの視線が動く。つられてグーグーも目を向けた。
広場の奥、壁際に設けられた特等席のような場所に、ひときわ立派な屋台が鎮座している。その周りには、身動きすら難しそうなほどの人だかりが出来ていた。
「わ、すっご……あれってば、たぶんヲゥカさんのお店だろうなぁ」
特級厨士の呼び声は、さすがというべきか。あの混雑ぶりを見れば、どれほどの人気かは一目瞭然だった。それに引き換え、自分たちはというと――
グーグーは改めて自分の屋台を見回す。
客どころか、野良猫一匹寄り付かない。このまま一晩中、ただ立っているだけで終わってしまうのだろうか。胸の奥から、じわじわと不安が湧き上がってくる。
「もーっ! どうしてシローくんは、そんな落ち着いてられるの!?」
半ベソになったグーグーが、ずいっとシローに詰めよる。シローは目をぱちくりさせると、
「――だってよう。ワシと嬢ちゃんの商いは、まだなぁんも始まっちゃいねぇからな」
にやりと笑って、屋台の縁から体を引き起こした。
「ヒトってのは面倒臭い生き物でな。自分で掴んだ本質しか肚にゃ落ちてこねぇ。ちょうどいい勉強の機会だ――嬢ちゃん、店に客を呼び込むために重要なことはナニか、ワシが言ったことを覚えてっかい?」
急に真剣な口調になったシローに気圧されて、グーグーは慌てて記憶の糸を手繰り寄せる。
「えっ? え、……っとぉ…………、話題性、だった…かな?」
おずおずと答えると、シローは満足そうに頷いた。
「おう。正解だ。半分だけどな」
そう言うと、シローは前掛けをはためかせて法被の上から身に着ける。まるで今から戦にでも臨むかのように、気合を込めてねじり鉢巻きをきゅっと締め直した。
「あの時は説明しなかったが――実はもう一個だけ、必要なモンがあってな」
「それって……?」
「絶対に成功させてやるっていう、料理人の覚悟ってヤツさ」
言葉が終わるより早く、シローの手が動き始めた。鉄板にラードを投入し、白い塊がじゅわっと音を立てて溶けていく。続いて肉カス、キャベツ、麺――まだ誰も訪れてはいない客のために、本気の調理を始めたのだ。
「えっ? ちょ、シローく――」
香ばしい匂いが一気に立ち上る。ソースが焼ける音が、まるで太鼓のリズムのように響き渡っていった。
その匂いを吸い込んだ瞬間、グーグーはふっと肩の力が抜けるのを感じた。ソースが焼ける甘く香ばしい匂いは、なんだかひどく安心する――大丈夫。シローくんの焼きそばなら、きっとお客さんたちの心に響くはず――!
じゅわわわわっ!
激しい音と共に、白い煙が噴き上がる。バチバチと油が跳ね、その音と香りが風に乗って周囲へと広がっていった。
「……ねぇ、なんかいい匂いがしない?」
通りかかったカップルの女性が、ふと足を止めた。
グーグーの耳がぴくりと動く。男性の方も鼻をひくひくさせながら、シローの調理に目を奪われていた。鉄板の上で踊る食材たち、立ち上る煙、そして何より、その香り――
「う~ん、空きっ腹にこの香りは、たまらんなぁ……」
男の目が鉄板に釘付けになる。
「あの店みたいだけど……どうする?」
立ち止まる人が一人、二人と増えていく。
足を止めた人々の視線が、小さな料理人に集まり始めた。その瞬間を待っていたかのように、シローの顔に不敵な笑みが浮かぶ。
「さぁさ、よってらっしゃい、みてらっしゃい!」
突如として響き渡った大音声に、通行人たちがびくりと肩を震わせた。
「ソースが焼けりゃあ祭りが始まる、ジュウッと鳴きゃあ客の笑顔が寄ってくる! 見ての通り、この鉄板、昔気質で今日も元気、麺が跳ねりゃ景気も跳ねるって寸法よ!」
シローが両手の金属ヘラをかんかんと打ち鳴らす。
そのリズムは、まるで祭り囃子のように軽快で、聞く者の心を浮き立たせた。小さな体から発せられるとは思えない堂々とした口上に、観衆たちはポカンとした顔で聞き入っている。
「出来たてホヤホヤ、照りは上々、一口食べりゃ腹も心もほぐれていくよぉ! 祭りに来たらまずは一皿、ここで食わなきゃ損ってもんだ! さぁさ、そこのお兄さんもお嬢さんも遠慮はいらねぇ、気軽に寄ってきな! 今なら大盛り気前よく、どうだい一皿、祭りの味だ、景気つけていこうじゃねぇか!!」
口上が終わると同時に、シローの手が止まる。見事に仕上がった焼きそばが、湯気を立てて鉄板の上に鎮座していた。手際よく紙トレーに盛り付ける様子に、見物人から感嘆の声が漏れる。
ぐう――
誰かの腹の虫が鳴った。グーグーが振り向くと、最初に立ち止まったカップルの男性が、恥ずかしそうに腹を押さえている。
「な、なかなか美味そうじゃないか……どれ、一つもらおうか」
「まいどっ! 兄さん、どうもありがとね」
シローの顔に、今まで見たことのないような商売人の笑顔が浮かんだ。飲食チケットと引き換えに、焼きそばを手渡す。
「ま、まあ、屋台の焼きそばなんて、腹ごしらえになればいいさ……」
期待していない様子で、男は麺を口に運ぶ。
次の瞬間、男の動きがぴたりと止まった。箸を持つ手が小刻みに震えている。――そして無言のまま、二口目をかき込む。
「……ちょっと、どうしたの?」
隣の女性が怪訝そうに覗き込む。その瞬間、男が叫ぶ。
「う、うっま――い! いや、なんだこれ、メチャクチャ美味しいぞっ!?」
その声を聞いた瞬間、グーグーの胸の奥に凝っていた不安が、雪どけのようにじわりと溶けていった。
目の奥がじんと熱くなる。――よかった、ちゃんと届いたんだ!
男の驚愕の声に、周囲の人々が一斉に注目する。
「もちもちの麺にソースがガツンと絡んで、紅ショウガがぴりっと全部引き締めてる……くそっ、屋台の焼きそばでこんなの反則だろっ!!」
だが男は構わず夢中で麺をかき込み続け――ふいに、箸を止めた。
「……あれ? なんだ……? さっきまで歩き疲れてヘトヘトだったのに、身体が軽くなってきたような……!?」
その言葉に、周囲の人々がざわめき始める。
「お、おい、そんなに美味いのか?」
「疲れが取れる焼きそばってマジかよ?」
「なぁなぁ、オレたちもちょっと食っていこうぜ」
人が人を呼び、屋台の周りに熱気が膨らんでいく。
気がつけば、屋台の前には列ができ始め、皆、飲食チケットを掲げて注文を叫んでいた。
「ねぇ、ボク!? こっちに二人前ちょうだいっ!!」
「ちょ……、おいっ! 押すんじゃねえっ!! オレらの注文が先だろ、五人前くれっ!!」
「あいよう。ちょっと待っててくんな」
シローは涼しい顔で注文を受けながら、すでに次の調理に取り掛かっている。
三枚の鉄板を同時に操り、右手で麺を返しながら左手でキャベツを投入し、合間にソースを回しかけていた。その動きに一切の無駄がない。次々と仕上がる焼きそばに、客たちからわっと歓声が上がる。
だが、グーグーは――いや、グーグーだけは気づいていた。
シローの額に浮かぶ汗の粒。法被の背中にじわりと広がる染み。金属ヘラを握る指先が、かすかに白んでいること。涼しい顔をして客と軽口を叩きながら――その身体は、一瞬たりとも休むことなく動き続けていることを。
(シローくん……)
これが、覚悟ということなのだろうか。口では飄々としていても、身体のすべてをこの鉄板に注ぎ込んでいる。一皿たりとも手を抜かない。一人たりとも待たせない。その背中が、言葉よりもずっと雄弁に語っていた。
(――アタシだって、負けてらんない!)
我に返ったグーグーは、急いで行列の整理を始めた。持前の機敏さを活かして、てきぱきと客を誘導していく。
ひと息ついて視線を上げると、壁際のヲゥカの屋台にも相変わらず大勢の客が群がっていたが、
(向こうもすごい……でも――)
グーグーは自分たちの行列を見回す。ヲゥカの屋台に今はまだ及ばないかもしれないが、勢いならむしろこちらの方が上だ。
(こっから追いついてやるんだからっ!)
グーグーはぐっと拳を握りしめる。頬をぱちんと叩き、金色の瞳に闘志を宿して――改めて声を張り上げた。
「さぁさ、いらさい、いらっさーいっ! カワイイ少年コックが作る絶品焼きそば、いかぁっすかーっ!! 疲れも吹っ飛ぶ魔法の味! お会計は飲食チケットと引き換えになりま――すっ!!!!」
声を張り上げるグーグーの頭上に、きらり、と星が一つ流れていく。
――まるで、小さな屋台の門出を祝福するかのように。
松明の炎と提灯の灯りに照らされたグーグーたちの屋台は、祭りの喧騒の中心で今まさに輝きだそうとしていた。
次回「ダルマ一家 参上」




