16品目 緋ノ山 駆ける銀狼
「やってきました、緋ノ山へ! ヒャッホー、ひっさしぶりの冒険だぁーっ!!」
まだ朝靄がけぶる山陰に、わんわんとグーグーの声が木霊していく。
満面の笑みで両腕を突き上げた彼女の前には、深い鬱蒼とした森が広がっていた。霧の向こうには、朝日を受けて赤みがかった山肌が覗いている。
「いやぁ、食材探しってのは、何歳になってもワクワクするモンだなぁ」
乗合馬車からえっちらおっちら降りるシローの顔にも、隠しきれない高揚が滲んでいる。
今日の二人は普段とはまるで違う、本格的な冒険者の装いだ。グーグーは金属製の胸当てに小手と脛当て、手にする得物は槍の穂先に斧頭を組み合わせた鉾槍といういで立ちである。
対するシローは、腰に小剣を佩いてはいるものの、山登りにでも来たかのような軽装だ。前日に小人族向けの皮鎧を試着してはみたが、動きづらそうにしていたし、なにより「可愛くない」というグーグーの判断で、今の装備に落ち着いたのだった。
「うふふー。アタシ、シローくんと一緒に冒険するの楽しみにしてたんだー」
「そりゃワシも同じだぜ」
顔を見合わせ笑いあいながら、シローの登山帽のズレを直してやる。その時、
おい、見ろよ。なんだアイツら……
嘲笑するような低い声に、グーグーの耳がぴくりと動く。
雑踏に目を向ければ、登山道の入り口には大勢の冒険者たちがたむろしていた。装備を点検する者、地図を広げて相談する者、焚き火を囲んで朝食をとる者……その中の一団がこちらを横目で見て、なにやらヒソヒソと囁き合っているようだった。
「緋ノ山に子供なんか連れて来るなんて……」
「馬鹿、目ェ合わせんな。泣きつかれても知らねぇぞ」
この距離では聞こえないと思っているのだろう。言いたい放題ではあったものの、グーグーは気にも留めなかった。
緋ノ山は初級冒険者の試金石と呼ばれる場所だ。彼らの雰囲気や装備を見る限り、それなりに腕に覚えのある連中なのだろう。しかし――
(うーん。やっぱシローくんのほうが、あの人たちなんかより、ぜーんぜん強そうなんだよなぁ)
かつて冒険者として腕を鳴らした直感は、めったなことでは外れない。
グーグーがぼんやりと考えに耽っていると、
「――よぉ、嬢ちゃん。ワシらはどの道で山を登るんだ?」
自分を呼ぶのんびりとした声で、はっと我に返る。
シローが登山口にある看板の前で、こいこい、と手を振りグーグーを呼んでいた。そこには緋ノ山の略図が描かれており、六本の登山経路が赤いラインで示されている。
グーグーは小走りに駆け寄ると、
「ごめんごめん。登山ルートだっけ? えーっと、アタシたちはねぇ……あ、ここ、ここ。中腹にある湖が目的地だから、四号路を登るんだよ」
「なんでい、山頂には行かねぇのかい?」
「そだよ。満紅生姜は湖のほとりで採れるから――あれ? シローくん、もしかして頂上まで登りたかった?」
そんなんじゃねーし、とそっぽを向くシローを見て、グーグーが「ふひっ」と忍び笑いを漏らす。
「グズグズしててもしょうがねぇ。嬢ちゃん、さっさと満紅生姜とやらを拝みにいこうぜ」
「うんっ! 頑張っていこーっ!!」
そう言うと、グーグーはシローと一緒に、軽快な足取りで四号路へ向かって跳ねるように歩き出していった。
場違いな一行の背中を見送りながら、先ほどの冒険者たちがヒソヒソと話しだす。
「おいおい、マジかよ。あいつらホントに行っちまったぞ」
大丈夫かな、と若い冒険者が落ち着かない様子で呟く。だが、仲間の男は涼しい顔で、
「ほっとけって。あの獣人の女、グーグーだぞ」
「グーグー? ……って、えっ!? あいつが例の『神鳴』なのか!?」
腰を浮かして驚く若者に、仲間たちが下卑た嘲笑を浴びせた。若者はしかめっ面で座り直すと、
「煩いなぁ……とはいえ、教えてやってもよかっただろ? なんせ四号路には、こないだから警告文が出てるんだから」
その視線の先には、急遽立てられたような真新しい看板がある。そこには、
『警告 四号路に危険指定魔獣が群れで出没中 五級冒険者パーティ以下は近寄らないこと』
とだけ書かれてあった。
◆◇◆
鬱蒼と茂る木々の枝葉が頭上を覆い、太陽の光はほとんど届かない。薄暗い山道を、二人は快調に歩いていた。
「そろそろ魔獣の生息域に入るから、シローくんも注意してね」
渓谷にかかる倒木を橋がわりに渡りながら、グーグーが後ろを振り返る。
「おう。ちなみに、そいつら強ェのか?」
「んー、力押しでくるタイプは少ないかなぁ。緋ノ山にいる魔獣はね、搦め手で攻めてくる厄介な連中が多いんだよ」
シローへ「ほいっ」と手を差し伸べながら、無事に倒木を渡りきる。
歩きながらグーグーは、道中で見つけた『わたあめ木通』をがぶりと頬張った。綿菓子のようにふわりと甘い果肉の味わいが、山歩きで疲れた身体に染みわたって心地よい。
隣を歩くシローも『バナナ茸』をもぐもぐとやっている。グーグーも前に食べたことがあるが、バナナのような風味と、ぽきぽきとした食感が不思議と癖になる味わいだ。
「――なあ嬢ちゃん。そもそも魔獣ってのはよぅ、普通の獣となにが違うんだ?」
シローがリュックを背負い直しながら、グーグーを見上げるように声をかける。
「そうだなぁ……身体に魔力を宿してるかどうか、でだいたい区別してるかな。それに、魔獣っていっても動物ばっかりじゃなくて、動く岩とか、空に浮かぶ水の塊みたいなヤツも、ひっくるめて魔獣って呼んだりしてるよ」
「んじゃあよ――さっきからワシたちの後をつけてきてるアイツらも、魔獣ってことでいいんだよな?」
シローが振り返りもせずに、背後の茂みを顎でしゃくる。
グーグーが目を向けると、通ってきたはずの道に見覚えのない木がいくつも生えていた。いや――生えているのではない。じわりじわりとにじり寄ってきているのだ。
ギィ……ギィィ……ッ、キシ……
風もないのに軋むような音が響く。視線を向けた途端、背丈の低いその木々たちは、ぎくりと身を強張らせて静止した。
「あー、そうそう。邪樹だね」
グーグーは鉾槍を肩から下ろすと、
「木に擬態する魔獣でさぁ。油断したところを背後からばぁーんっ! って襲ってくるんだよ。たいして強くないんだけど、群れで来るとちょおーっと厄介なんだよね」
シローが「ふーん」と首を回す。
「どうする、やっちまうか?」
「追っかけられても鬱陶しいしね」
グーグーは手に収まった鉾槍を軽くしごくと、ぐっと腰を落とした。
ギギッ、ギギギギギィィッ!
邪樹たちが一斉に蠢きだす。まるで獲物を見つけた歓喜に打ち震えているかのように腕のような枝を振り上げ、ぎしぎしと不快な音を立てながら距離を詰めてきた。
五体、十体――数えるのも馬鹿らしいほどの数。だが、グーグーたちは悠然とした物腰で、
「シローくん、背中お願いね」
「任せとけ」
「んじゃ――――行ってくる」
次の瞬間、グーグーの足元にある地面が、小さく音を立てて爆ぜた。
土煙が噴き上がり、一瞬でグーグーの姿がかき消える。その煙を突き破って、グーグーの身体が弾丸のように射出された。
ギザザッ! ギギギィィィッ……キシィッ!
先頭にいた邪樹たちが慌てた様子で枝を振り上げる。だが――
「遅ーいっ!」
一瞬で群れの只中へ飛び込んだグーグーは、駆け抜けざまに鉾槍の柄を横薙ぎに振り抜いた。
鈍い破砕音が森に響き渡る。最前列の邪樹が、くの字に折れ曲がって吹っ飛んでいった。後続の二体を巻き込んで、まとめて木の幹に叩きつけられる。樹皮が弾け、木片が四方に飛び散った。
ギギッ!? ギギギギギィィッ!!
悲鳴じみた軋みが上がる。だが、グーグーの足は止まらない。
「はいはいはいはい! ドンドンいっくよぉ――っ!!」
二体目――鉾槍の穂先が胴を貫いた。手応えは枯れ木を突き刺すような軽さ。引き抜きざまに身体を回転させ、「ふっ!」と気合一声、三体目の首を斧頭で刈り飛ばす。
首のない邪樹がぐらりと傾き、倒れる前にグーグーは次の獲物へ向かっていた。四体目を柄で打ち据え、怯んだところに蹴りを叩き込む。
めきり、と嫌な音を立てて、邪樹の幹が真っ二つに折れた。
ギゴォッ! ギ、ギギガッ……!!
左右から根が地面を這いずり、足を絡め取ろうと迫る。土を削る不快な摩擦音。だが、その根が巻きつく前に、グーグーは高く跳躍していた。
空中で身体をひねり、追いすがる敵の頭上を飛び越える。着地と同時に石突きを地面に突き立て、その反動で身体を回転――遠心力を乗せた斧頭が、三体の邪樹をまとめて薙ぎ払った。
まるで鎌で麦を刈るように、あっけなく胴が断たれる。
ギシギシシッ……
だが、敵は尽きない。倒しても倒しても、森の奥から新手が湧いてくる。いつの間にか周囲を完全に囲まれていた。
「――っと、キリがないね」
グーグーは呆れたように嘆息して、周囲を見回した。二十、三十……まだまだいる。
(シローくんを待たせちゃうし、そろそろ終わりにしよっか)
鉾槍をぎゅっと握り直すと、
「ここらでいっちょ、ガツンとやっちゃうよぉ……!」
膝を深く曲げ、全身に力を溜める。足元の地面がミシリと軋み、太ももの筋肉が大きく膨れ上がっていった。
ギギッ! ギギギギギィィッ!! キシシシシシッ……!
邪樹たちが一斉に飛びかかってくる。四方八方から迫る枝の腕。逃げ場のない包囲網。
だが、グーグーは「ふひっ」と笑うと、
「――やぁっ!」
高く――より高みへと向かって、跳躍する。
踏み込んだ地面が陥没し、土砂が噴き上がった。砲弾のように撃ち出された身体が、一息で迫る梢を突き抜ける。
青空が視界いっぱいに広がった。眼下には、獲物を見失って右往左往する邪樹の群れ。
頂点に達した瞬間、グーグーはふわりと身体を反転させた。鉾槍を真下に構え、穂先に全体重を乗せる。
落下。
加速。
風が頬を叩き、耳元で唸りをあげる。地面がみるみる近づいてくる。
「喰らえっ!」
そして――鉾槍による渾身の一撃が、大地を深々と突きぬいた。
「――――『風蘭雷刺』っっっ!!!!」
刹那、世界が揺れた。
穂先から青白い雷光が迸り、地面が蜘蛛の巣状にひび割れる。衝撃波が土砂を津波のように吹き飛ばし、邪樹たちは木の葉のように宙を舞った。轟音が森を震わせ、暴風が周囲の木々をなぎ倒していく。
ギッ!? ギ、ギギィィッ――――――
地表にいた邪樹たちのほとんどが吹っ飛び、木々に叩きつけられ、地面を転がっていった。
悲鳴のように枝を震わせて、辛うじて立っていた数体が森の奥へと一目散に逃走していく。後には大きく抉れた地面と、散乱する木片の山だけが残されていた。
「っ、ぷぅ……」
土煙の中から、グーグーが鉾槍を担いで姿を現す。振り返れば、シローの足元にも気絶した邪樹が何体か転がっていた。
「――ちっ、こんなシケた野郎をやっつけたところで、焚きつけにもなりゃしねぇ」
シローがパンパンと手を払いながら、つまらなそうに呟いた。
「んー、やっぱシローくん、そこらの冒険者なんかより、ぜんっぜん強いよね」
グーグーは素直に感心しながら、小走りにシローのもとへと向かう。途中、ちょこちょこと気にかけてはいたが、この分なら戦闘面ではまったく心配はいらなそうだ。
「コイツらが弱ぇだけじゃねえのかい? ワシなんかより、嬢ちゃんのほうがよっぽど凄かったじゃねえか」
シローの言葉に、嘘や謙遜の匂いは感じられない。
不思議な少年だなぁ、とグーグーはつくづく思う。なんというか、シローは闘い慣れすぎているのだ。もと居た日本というところで、いったいどんな修羅場をくぐってきたのだろう――
「ところでよ。コイツら、止めは刺さなくていいのかい?」
シローが足元の邪樹を小突きながら訊ねる。グーグーが吹き飛ばした奴らも含めて、倒れている邪樹たちは、まだ辛うじて生きていた。
「え? しばらく動けなさそうだったら、それ以上はやんなくて大丈夫だよ。食べられるモンでもないし」
「……へっ、そうかい」
シローがふっと笑った。なぜか嬉しそうな顔をしている。
「んじゃ、先を急ごうか」
「――んん? なになに、どうしたの、シローくん。なんでそんなニヤニヤしてるのー?」
「なんでもねーよ」
「えー、気になるー! 教えて教えてー!!」
「だから、なんでもねーって言ってんだろ」
グーグーがぴょんぴょんと跳ねながら追及し、シローが面倒そうに手で払う。
二人はじゃれ合いながら、さらに森の奥へと進んでいった。
次回「猩猩の群れ」




