1品目 思いがけない訪問者
「ぶわぁぁあああああっ! やだやだっ!! 誰か助けてぇ――っっっ!!!!」
素っとん狂な女の絶叫が、古びた飯屋の梁を震わせる。
薄暗い店内で、太い柱にしがみつくエプロン姿の女が、必死の形相で抵抗していた。銀色の髪が振り乱されると、ぺたんと倒れた獣のような耳が露わになる。人相の悪い男が二人がかりで彼女の細腕を引っ張るものの、まるで岩に根が生えたように動かない。
「今さらジタバタするんじゃねぇ! 借りたカネを返さないテメーが悪ぃんだろうがっ!!」
「止めてよして触らないで子供できちゃうーっ!!!!」
「こんなんでできるかっ!」
男の一人がドスの利いた声で怒鳴りつけた。額には汗が浮かび、苛立ちを隠そうともしない。
「ったくコイツは、細っこい体つきのくせに、なんつークソ力してやがんだっ!!」
もう一人の男が怒鳴ると、女は「うー」と小さな牙を剥いて威嚇する。その金色の瞳に、ゆらり、と大きな影が落ちた。
「ねぇ、グーグー。あたしゃ言ったよねぇ? 期限までに耳をそろえてカネを返せなかった時は――」
高く結い上げた赤毛が、薄暗い店内でも艶やかに光る。厚手のフードを羽織った妙齢の女が、丸眼鏡の奥から冷たい視線を送っていた。長い煙管から唇を離すと、グーグーと呼ばれたエプロンの女に向かって、わざとらしく紫煙を吹きかける。
「うちが懇意にしている娼館かお貴族さまにでも、アンタを売っぱらっちまうってさ」
「う、うぅ……それは……」
グーグーの獣耳がしゅんと垂れ下がり、肩先まで伸びた銀髪が力なく揺れる。その様子を見て、丸眼鏡の女がくっくっと喉の奥で笑み声を漏らした。
「先祖返りとはいえ、アンタは戦神とまで呼ばれたフェンリルの血をひく獣人サマだ。化粧っ気のないそのツラだって、ちょいと飾りゃあ好事家どもが高値で買ってくれるだろうさ――よかったじゃないか。借金なんてすーぐチャラにできるんだから」
パチンと指を鳴らす乾いた音が響く。
瞬間、グーグーの体に青白い紋様が浮かび上がった。まるで体の内側から焼かれるような激痛が彼女の身の内を走り、尻尾の毛がぼわっと逆立っていく。
「いっ――ぢぢぢぢぢぢぢっ!?」
時間にして数瞬。苦悶の声を上げながら、グーグーは床に崩れ落ちる。四肢をぴくぴくと痙攣させながら、荒い息を吐いた。
「ったく、往生際が悪いったらありゃしない。『飯屋を開きたいんです~』なんて戯言ぬかしてないで冒険者一本でやってたほうが、アンタの性にも合ってただろうにさ」
「だ、だって~……」
へたり込んだグーグーが、力の抜けた声で反論しようとする。だが、丸眼鏡の女が苛々と舌打ちするのを見て、ぐっと言葉を飲み込んだ。
「お前らもボーっと突っ立ってんじゃないよ! この際だ。多少キズモノにしちまっても構いやしないから、さっさとこのスカタンを表に連れ出しちまいなっ!!」
「「へいっ! マルガネータ姐さん!!」」
マルガネータと呼ばれた丸眼鏡の女の号令に、子分たちが背筋を伸ばして応える。その中の一人が、調理台から包丁を手に取った。刃物の冷たい光が、グーグーの顔を照らす。
「い、いや……だれか、助け――」
その時――――カラカラと引き戸を開く音が、店内の緊張を破った。
「――おうおう。やかましいから覗いてみれば……包丁を人様に向けるたぁ、手前ぇらどういう了見でい」
逆光を背負って、小さな人影が戸口に現れる。
「あぁん!? なんだ小僧。見世物じゃねーぞコラぁ!」
「邪魔すんならガキでも容赦しねーからな……痛ェ目にあいたくなかったら、さっさとケツまくって店から出ていきな!!」
子分たちの脅しも意に介さず、ぶかぶかの服に裸足の少年が、口をへの字に結んでズカズカと店内に入ってくる。その小さな体からは、見た目に釣り合わない妙な威圧感を漂わせていた。
「ね、ちょっと――だめ、キミ! 危ないから逃げてっ!!」
グーグーの警告など耳に入らない様子で、少年は静かに告げる。
「手前ぇらは3つ、勘違いをしてやがる。まずひとっつ――」
掴みかかってきた子分の腕を、少年はするりと捌く。「えっ?」と相手が重心を崩した瞬間、鋭く息を吐いた少年の拳が、子分のたるんだ腹に深々と突き刺さった。大の大人が泡を吹いて崩れ落ちるのを横目で見ながら、
「包丁は料理人の魂だ。手前ぇらみてぇなゴロツキが気軽に触れていいもんじゃねえ」
「こいつっ!」
もう一人の子分が拳を振り上げるも、少年は相手の勢いを難なくいなし、軽々と投げ飛ばす。男は顔面から壁に激突すると、ぐったりと動かなくなった。
「ふたーつ。そもそもワシはガキじゃねえ。今じゃこんなちんちくりんな姿になっちまったがな、栗山膳志朗っつーれっきとした料理人よぅ」
「――っ! 危ないっ!!」
背後に潜んでいた三人目が無言のまま飛びかかる。少年は振り返りもせずに身を屈めると、飛び上がりざまに「吩!」と気合一声、回し蹴りを放った。まともに喰らった男の顎が跳ね上がり、きりもみをうちながら店の奥まで吹っ飛んでいく。
危なげなく着地した少年は軽く息を吐くと、宙を舞う包丁を片手でひょいと摘まみあげた。
(なにアレ、すっご……)
グーグーは金色の目を見開いて、その光景に見入っている。
「んで、みっつ。ワシが口出ししてんのは手前ぇらだけじゃねえ。そっちの嬢ちゃんにもだぜ」
「……へ? アタシ?」
困惑するグーグーに向かって、少年は深いため息をついた。
「話をぜんぶ聞いてたわけじゃねぇけどよ。料理人のいざこざは料理をもって解決する。それが――」
包丁を差し出しながら、少年はずいっと顔を近づけた。
「メシ屋のスジってもんじゃあねぇのかい?」
間近で見た少年の顔立ちに、グーグーは思わず息を呑んだ。無造作に伸びた黒髪の下、夜空のような瞳がこちらを見つめている。十歳かそこらの幼さなのに、長年修羅場をくぐり抜けてきた大人のような哀愁を滲ませていた。
「――あっはっはっはっは! こいつは良い、なかなか面白い珍客のご登場じゃないか!!」
マルガネータがローブを翻しながら優雅に歩み寄ってくる。煙管を口元に運ぶ仕草が、妙に艶っぽい。
「坊や、その話ぶりだと料理に自信があるみたいだねぇ?」
「んな大層なモンじゃねえよ。そこいらのヤツラよか、ちったぁマシなもんが作れるってだけさ」
「そうかい、そいつを聞いて安心した。実は昼飯を喰う時間がなかったもんで、あたしゃさっきから腹の虫が鳴き止まなくってね――」
マルガネータは腰に下げた革袋に手を入れると、片手では持て余すほど大きな卵を取り出した。どん、と重い音を立ててテーブルに置く。表面には、淡い虹色の光沢が浮かんでいた。
「なにソレ? 抱卵走鳥の卵?」
グーグーが珍しそうに呟く。抱卵走鳥はこの辺りには生息していない走鳥類の魔獣だ。育児嚢で卵を温めるという変わった生態を持っており、その卵は高級食材として知られている。
マルガネータはにんまりと口角を上げると、
「どうだい、坊や。この卵だけを使って、あたしが見たこともないような旨いメシを作ってくれないかい? この願いを叶えてくれたら、そこで転がってるバカからの取り立ては、もうちょっとだけ待ってやろうじゃないか」
期待するような眼差しで、静かに少年を見下ろした。
次回「少年料理人の必殺メニュー」




