第三話 崩れゆく栄光と、暴かれた「実力」の正体
「痛っ……! な、何よこれ! 冷たいっ!」
聖女マリアの悲鳴が、氷雪山脈の洞窟内に反響した。
彼女の足元には、真っ二つに割れたブーツの残骸が転がっている。
Sランクパーティ『栄光の剣』の進行は、予想外のトラブルによって停滞していた。
「どうしたマリア! 敵襲か!?」
勇者アレクが過剰な反応で大剣を構え、周囲を警戒する。
だが、敵の姿はない。ただ、マリアが顔をしかめてしゃがみ込んでいるだけだ。
「ブーツの底が抜けましたわ! まだ買ってから半年も経っていない最高級品ですのに、どうして急に……!」
「なんだ、装備の破損かよ。脅かすな」
アレクは安堵の息をつき、剣を下ろした。だが、その表情には隠しきれない焦燥感が滲んでいる。
カイルを追放してから数時間。
彼らの探索は、泥沼の様相を呈していた。
「ったく、今日はどうなってんだ。さっきからツイてねえことばかり続きやがる」
重戦士ガストンが苛立ちを隠さずに毒づいた。彼の鎧もまた、肩のベルトが千切れかけ、歩くたびにガチャガチャと不快な金属音を立てている。
「おいガストン、予備のブーツを出してやれ。マジックバッグに入ってるだろ」
「ああ、わかったよ。……って、おい」
ガストンが没収したカイルのマジックバッグに手を突っ込み、顔をしかめた。
「ねえぞ」
「あ? ないわけないだろ。カイルの野郎はいつも予備を持ち歩いてた」
「いや、あるにはあるんだが……サイズが合わねえ。これは俺用の予備と、アレク用のブーツだ。マリアのサイズのが見当たらねえんだよ」
ガストンがバッグの中身を雪の上にぶちまける。
散乱したのは、無造作に放り込まれたポーションの瓶や、手入れされていない予備武器、そしてサイズがバラバラの防寒具だった。
「なんで整理されてないんだよ! これじゃ何がどこにあるかわからねえだろ!」
「知るかよ! これ管理してたのはあの雑用係だぞ。あいつ、わざとごちゃ混ぜにして嫌がらせしてたんじゃねえか?」
違う。
カイルがいた頃は、【確率操作】によって「必要な時に、必要な物が、一番手前に来る確率」が操作されていたのだ。
さらに、彼は几帳面な性格で、誰がいつ装備を破損してもいいように、常に全員分のメンテナンス済み予備装備を定位置に収納していた。
だが、彼を追放した際、マリアが魔法でバッグを強引に引き寄せた衝撃と、ガストンの乱雑な扱いによって、内部は混沌としていた。
「もういいですわ! とりあえず布を巻いて凌ぎます! ……ああっ、冷たい! 霜焼けになりそうですわ!」
マリアがヒステリックに叫ぶ。
聖女としての清楚な振る舞いはなりを潜め、寒さと痛みで顔を歪めるただの少女になり果てていた。
アレクは舌打ちをし、苛立ちを紛らわせるように壁を蹴った。
「クソッ、なんなんだよここは! さっきから道に迷ってばかりじゃねえか! 地図はどうなってる!」
「地図通りに進んでるはずよ……でも、なぜか行き止まりばかりに出くわすの」
魔導師のリリアが、震える手で地図を広げながら答える。
彼女の顔色は青白い。魔力枯渇の兆候だ。
本来ならカイルの支援で「最短ルートを選択する確率」が最大化され、無駄な戦闘も移動も回避できていた。
だが今は、五分の一の確率で現れる「行き止まり」を、彼らは百発百中で引き当てていた。
「俺の直感も鈍ってるみたいだ。……いや、違うな。このダンジョンがおかしいんだ」
アレクは自分たちの不手際を認めることはなく、環境のせいにした。
「きっと魔竜を倒した影響で、地脈が乱れてるんだ。そうでなきゃ説明がつかねえ。いつもなら俺が選んだ道が正解になるはずなんだ」
「そ、そうですわよね。アレク様が間違うはずありませんもの」
マリアが同意するが、その声には以前ほどの熱量はない。
誰もが薄々感じ始めていた。
「何かが決定的に欠けている」と。
だが、それを認めることは、自分たちが捨てた「ゴミ」こそが要石だったと認めることになる。
プライドの高い彼らに、それは死ぬよりも屈辱的なことだった。
「進むぞ。この先にセーフティエリアがあるはずだ。そこで休んで、体勢を立て直す」
アレクの号令で、パーティは重い足取りで歩き出した。
だが、彼らは知らなかった。
彼らが向かっている先は、セーフティエリアなどではなく、魔物たちが巣食う「捕食者の広間」であることを。
◇
「ギャアアアアッ!!」
不快な鳴き声と共に、天井から無数の影が降り注いだ。
『吸血蝙蝠』の群れだ。
一匹一匹はCランク程度の雑魚モンスターだが、その数は百を超えている。
しかも、ここの個体は氷属性を帯びており、噛みつかれた箇所を凍結させる厄介な特性を持っていた。
「うわっ、なんだこいつら! ウザってえ!」
アレクが大剣を振り回す。
ブンッ、ブンッ!
空を切る音だけが虚しく響く。
「なっ……当たらない!?」
いつもなら、適当に振るだけでも敵が勝手に軌道に入ってきて両断されていた。
「俺の剣技が神域だからだ」と信じていたが、現実は違う。
カイルが敵の回避率を下げ、アレクの命中率を補正していたから当たっていたのだ。
今の彼の大振りな攻撃は、素早い蝙蝠たちにとって格好の的でしかない。
「リリア! 広範囲魔法だ! 焼き払え!」
「やってるわよ! 《ファイア・ストーム》!!」
リリアが杖を掲げ、炎の嵐を巻き起こす。
だが。
ボシュッ。
不発。
魔法陣が一瞬輝いただけで、煙を上げて消えてしまった。
「えっ……嘘、魔法暴発!?」
熟練の魔導師でも数パーセントの確率で起こる、魔力循環のミス。
カイルがいれば「0%」に固定されていた事故が、最悪のタイミングで発生した。
「何やってんだバカアマ!」
「しょうがないでしょ! 寒さで指がかじかんで、詠唱のタイミングがズレたのよ!」
仲間割れをしている隙に、蝙蝠たちが襲いかかる。
「いっ、痛い! 噛まれた!」
「こっちくんな! オラァッ!」
ガストンが盾を振り回すが、死角から回り込んだ蝙蝠に耳を噛みちぎられそうになり、悲鳴を上げる。
マリアは結界を張ろうとするが、足元のブーツが壊れているせいで踏ん張りが効かず、尻餅をついた。
「いやぁっ! 来ないで! アレク様、助けて!」
「くそっ、ちょこまかと……!」
アレクは焦っていた。
(なぜだ? なぜ当たらない? いつもなら「流星斬り」で一掃できているはずなのに!)
彼の脳裏に、カイルの顔がよぎる。
『確率操作』。あいつが去り際に言っていた言葉。
まさか、本当にあいつが何かをしていたのか?
いや、認めるな。そんなはずはない。
あいつはただの荷物持ちだ。俺たちの足を引っ張っていただけの存在だ。
今、俺たちが苦戦しているのは、ただ運悪く「変異種」の群れに当たったからだ。
「……おおおおおっ!!」
アレクは咆哮と共に、強引に魔力を解放した。
力任せの衝撃波で、周囲の蝙蝠を吹き飛ばす。
数匹が壁に叩きつけられて潰れたが、残りの群れは警戒して距離を取っただけだ。
「はぁ、はぁ……見たか、雑魚どもが!」
アレクは肩で息をしながら、虚勢を張った。
だが、その背中には冷や汗が流れている。
たかが蝙蝠相手に、必殺技級の魔力を消費してしまった。
まだダンジョンの出口までは程遠いというのに。
「……アレク様、血が」
マリアが震える声で指摘する。
アレクの頬や腕からは、無数の噛み傷から血が流れ出していた。
今まで「かすり傷ひとつ負わない英雄」として売り出していた彼にとって、これは屈辱以外の何物でもない。
「うるさい! 早く回復しろ!」
「は、はい! 《ヒール》!」
マリアが魔法を唱える。
淡い光がアレクを包むが、傷の塞がりが遅い。
「……おい、回復量が低くないか?」
「そ、そんなはずは……。いつも通りに魔力を込めていますのに」
回復魔法の効果量にも「振れ幅」がある。
カイルは常に「最大値」が出るように固定していた。
今のマリアの回復魔法は、平均値か、あるいはそれ以下の効果しか発揮していない。
「聖女の奇跡」と呼ばれた治癒能力もまた、カイルの下支えがあってこそのものだったのだ。
「チッ、役立たずが」
アレクが小声で吐き捨てた言葉を、マリアは聞き逃さなかった。
彼女の顔が屈辱で歪む。
「……なんですって? 私が役立たず? アレク様こそ、剣が全然当たっていませんでしたわ!」
「なんだと!? お前が補助魔法をかけないからだろ!」
「かけましたわよ! 貴方が勝手に動き回るから効果が切れたんです!」
険悪な空気が流れる。
今まで連戦連勝だったからこそ見えていなかった亀裂が、一度の苦戦で一気に表面化した。
それを止めたのは、ガストンの絶望的な声だった。
「お、おい……嘘だろ」
彼が見つめる先。
蝙蝠たちが去った暗闇の奥から、重苦しい足音が近づいてきていた。
ズシーン、ズシーン。
地面が揺れ、氷柱がパラパラと落ちてくる。
現れたのは、全身が鋼鉄のような氷の鎧で覆われた巨人。
『氷河の守護者』。
この階層のエリアボスだ。
「なっ……なんでここにボスがいるんだよ!?」
「ボスの部屋はもっと先のはずじゃ……!?」
彼らは知らなかった。
このゴーレムは一定確率で広範囲を巡回する「徘徊型ボス」であることを。
これまではカイルが「遭遇率0%」に固定していたため、彼らはこのボスの存在自体を知らなかったのだ。
「逃げるぞ! 今の消耗状態で戦える相手じゃねえ!」
アレクが即座に判断し、踵を返す。
勇者としてのプライドよりも、本能的な恐怖が勝った。
だが、逃げようとした彼らの背後で、轟音が響く。
ガガガガガッ!!
入り口の通路に、巨大な氷の壁がせり上がり、退路を塞いだ。
ゴーレムのスキル《氷壁閉鎖》。
「と、閉じ込められた!?」
「逃走失敗……!?」
ゲームなら「逃げられない!」と表示される絶望的な状況。
ゴーレムが巨大な腕を振り上げる。
「くそっ、やるしかねえのか! ガストン、前衛だ! 攻撃を受け止めろ!」
「無理だバカ野郎! 盾にヒビが入ってんだよ!」
「根性で止めろ! マリア、リリア、支援だ!」
必死の叫びと共に、泥沼のボス戦が始まった。
◇
戦闘開始から十分後。
そこには、無様に倒れ伏す『栄光の剣』の姿があった。
「ぐ、がぁ……っ」
ガストンは盾ごと左腕を粉砕され、泡を吹いて気絶している。
リリアは魔力枯渇の反動で頭痛にのたうち回り、杖を取り落としていた。
マリアは恐怖で失禁し、壁際で震えている。
そして勇者アレクは、自慢の聖剣をへし折られ、ゴーレムの足元に踏みつけられていた。
「がっ……は……っ、離せ……!」
ミシミシと肋骨が軋む音がする。
圧倒的な暴力。理不尽なまでの強さ。
今まで自分たちが「ワンパン」で倒してきた敵と、何が違うというのか。
レベルは自分たちの方が上のはずだ。装備だって最高級のはずだ。
(なんでだ……なんで勝てない……!)
アレクの脳裏に、再びカイルの顔が浮かぶ。
いや、今度はもっと鮮明に。
『トラップにかからない確率』
『敵の攻撃が急所を外れる確率』
『こちらの攻撃がクリティカルになる確率』
『ボスと遭遇しない確率』
それら全てが、今までどれほど「異常な状態」だったのか。
アレクは激痛の中で、ようやく認めざるを得なかった。
自分たちの栄光は、砂上の楼閣だったのだと。
土台となっていた「カイルという名の杭」を引き抜いた瞬間、全てが崩壊したのだと。
「カイル……っ、くそぉぉぉっ!!」
後悔よりも先に、身勝手な怒りが湧く。
あいつは知っていたはずだ。自分がいなくなればこうなることを。
それなのに、黙って出て行った。
いや、追い出したのは自分たちだ。
だが、そんな理屈は今の彼には通じない。
「あいつのせいだ……あいつが、俺たちを呪ったんだ……!」
ゴーレムがトドメの一撃を振り上げる。
死の恐怖がアレクを包む。
その時だった。
――ズドォォォォォンッ!!
突如として、ゴーレムの頭部が爆散した。
何かが、超音速で飛来し、鋼鉄の氷鎧ごと頭を吹き飛ばしたのだ。
巨体がぐらりと揺れ、轟音と共に崩れ落ちる。
アレクは拘束から解放され、必死に這い出した。
「はぁっ、はぁっ……た、助かった……?」
何が起きた?
援軍か? それとも他の冒険者か?
煙が晴れた先、ゴーレムを破壊した「何か」が地面に突き刺さっていた。
それは、一本の「木の枝」だった。
ただの枯れ木。
それが、ゴーレムの急所一点を貫き、即死させたのだ。
あり得ない。
物理法則を無視している。
こんなデタラメな芸当ができる人間は、アレクの知る限り一人しかいない。
「……よう。随分と楽しそうに踊ってるじゃないか、元相棒」
冷ややかな声が、上から降ってきた。
アレクが顔を上げると、崩落した天井の穴から、二つの人影が見下ろしていた。
一人は、見たこともないほど豪華な純白のコートを纏った男。
もう一人は、銀髪をなびかせ、神々しいまでの魔力を放つ美少女。
男――カイルが、侮蔑の眼差しでアレクを見下ろしている。
「カ、カイル……!?」
アレクの声に、マリアやリリアも顔を上げる。
そこには、かつての薄汚れた荷物持ちの面影はなかった。
圧倒的な強者のオーラ。
そして、隣に侍る絶世の美女。
自分たちが泥と血にまみれて這いつくばっているのと対照的に、彼らは一点の汚れもなく輝いていた。
「な、なんでお前が……その装備はなんだ!? その女は誰だ!?」
「質問が多いな。……まあ、答えてやる義理もないが」
カイルは興味なさそうに肩をすくめると、隣のセルエラに視線を向けた。
「セルエラ、今の投擲、見事だったよ。『木の枝がゴーレムの核を貫通する確率』、ちゃんと固定できてたな」
「はい、カイル様! 貴方のサポートがあれば、私に不可能はありません!」
少女が花が咲くような笑顔で答える。
その笑顔に向けられた信頼と崇拝は、かつてマリアがアレクに向けていたものよりも遥かに純粋で、強固だった。
アレクは呆然とした。
木の枝でゴーレムを倒した?
それがカイルの力なのか?
じゃあ、今まで自分たちが振るっていた「伝説の剣技」も、結局はカイルが裏で確率を操作していた「八百長」だったというのか?
「ふざけるな……!」
アレクが立ち上がり、折れた剣を向ける。
「それは俺の力だ! お前は俺の力を盗んだんだ! 返せ! 俺の場所を、俺の栄光を返せぇっ!」
見苦しい叫び。
カイルは冷めた目でそれを見つめ、静かに告げた。
「盗んだ? 違うな。俺はただ、『返してもらった』だけだ。俺が貸していた運をな」
カイルが指を鳴らす。
パチン、という乾いた音が響いた瞬間。
ダンジョンの奥から、先ほどのゴーレムとは比較にならないほど強大な、おぞましい気配が膨れ上がった。
「グルルルルゥ……」
暗闇から現れたのは、三つの首を持つ巨大な氷竜。
『氷結界のケルベロス・ドラゴン』。
ダンジョンの主が、獲物の匂いを嗅ぎつけて現れたのだ。
「ひぃっ!?」
マリアが悲鳴を上げ、ガストンが白目を剥いたまま痙攣する。
アレクも腰を抜かした。勝てるわけがない。
全盛期の状態でも怪しい相手に、ボロボロの今、勝てる確率は万に一つもない。
「カイル! 頼む、助けてくれ! 俺が悪かった! 謝るから! 報酬も全部やる! だから……!」
アレクはプライドをかなぐり捨て、土下座をして懇願した。
だが、カイルの瞳に慈悲の色はない。
「断る」
一刀両断。
「俺たちはこれから、そのドラゴンを狩って素材にする予定なんだ。邪魔しないでくれるか?」
「なっ……見殺しにする気か!?」
「見殺し? 違うな。君たちの実力なら勝てるんだろ? 今まで散々豪語してたじゃないか。『俺たちの実力だ』って」
カイルはニヤリと笑った。それは、かつてアレクがカイルを追放した時に浮かべていた、残酷な笑みと同じだった。
「精々頑張ってくれよ、勇者様。生存確率は……今のところ0.0001%くらいはあるみたいだからさ」
「行くぞ、セルエラ」
「はい、カイル様」
二人は背を向け、高みの見物を決め込むかのように岩棚の上へと移動した。
残されたのは、絶望に染まった勇者パーティと、飢えた狂竜。
「あああああああっ!!」
アレクの絶叫が響き渡る。
本当の地獄は、ここからだった。




