第二話 不運の姫と確率の支配者
「おい、見ろよマリア! あそこに宝箱があるぜ!」
氷雪山脈の中層エリア。吹き荒れる吹雪が少し弱まった洞窟の一角で、勇者アレクの弾んだ声が響いた。
彼が指差した先には、氷漬けになった冒険者の遺体の傍らに、古びた木製の宝箱が鎮座している。ダンジョン探索における醍醐味の一つ、ランダム宝箱だ。
「さすがはアレク様ですわ! 魔竜を倒した直後に宝箱を見つけるなんて、やはり幸運の女神は貴方に微笑んでいますのね」
聖女マリアが手を合わせ、うっとりとした表情でアレクを称賛する。
アレクは鼻高々に胸を張り、大剣を背負い直して宝箱へと歩み寄った。
「当然だろ。さっきの魔竜からは『ドラゴンハート』が出たんだ。今の俺たちはツキまくってる。この箱からも、とんでもない国宝級のアーティファクトが出るに決まってるさ」
「へへっ、違いねえ。あの運だけ野郎のカイルがいなくなったおかげで、俺たちの『真の運』が回ってきたってことだな」
重戦士のガストンが下卑た笑みを浮かべながら同意する。
彼らは本気でそう信じていた。今まで数々のレアアイテムを入手できたのは自分たちの実力と天性の運であり、カイルはただそれを横で見ていただけの寄生虫だと。
「よし、開けるぞ。……ふんっ!」
アレクが鍵のかかっていない宝箱の蓋に手をかけ、勢いよく開け放つ。
眩い光が――溢れることはなかった。
箱の中から漂ってきたのは、カビ臭い空気と、わずかな埃だけ。
「……あ?」
アレクの動きが止まる。
全員が固唾を飲んで箱の中を覗き込んだ。
そこに入っていたのは、金貨でも、魔法の指輪でも、強力なスクロールでもない。
ただの、握り拳ほどの大きさの『石ころ』が一つだけだった。
「……は? なんだこれ」
アレクが石を掴み上げ、呆然と呟く。
鑑定スキルを持つ魔導師の女が、慌ててモノクルを覗き込んだ。
「え、えっと……『ただの石』です。道端に落ちているものと成分は変わりません」
「ふざけんな!」
ドガッ!
アレクは激昂し、宝箱を蹴り飛ばした。木片が飛び散り、石ころが虚しく地面を転がる。
「なんでダンジョンの宝箱にゴミが入ってんだよ! バグか!? 管理はどうなってんだ!」
「お、落ち着いてくださいアレク様。きっと、前の冒険者が中身を抜いて、悪戯で石を入れたのですわ。ええ、そうですわよ」
マリアが必死になだめるが、アレクの苛立ちは収まらない。
「チッ、胸糞悪いな。……おいガストン、傷薬だせ。さっきの雑魚モンスターとの戦いで少し掠り傷を負った」
「おう、わかった。……って、あれ?」
ガストンが腰のポーチを探るが、手を止めて首を傾げた。
「なんだよ、早くしろ」
「いや、ねえんだよ。いつもの場所にポーションが」
「はあ? 補充してなかったのか?」
「知らねえよ! いつもなら戦闘が終わった後に、勝手に補充されてたんだ。……あ、そういやあれ全部、カイルがやってたんだっけか」
その場の空気が一瞬、重く澱んだ。
カイル・ロディス。
彼らがつい先ほど追放した「荷物持ち」。
彼は戦闘中には確率操作で支援を行い、非戦闘時には徹底した在庫管理と装備のメンテナンスを行っていた。
ポーションの補充、武具の研磨、野営の準備。それら全てを「雑用」と見下し、彼に押し付けていたツケが、早くも小さな亀裂となって表れ始めていた。
「……チッ、使えねえ奴だったが、雑用だけはマメだったからな」
アレクは舌打ちをし、自身の外套で傷口を拭った。
「まあいい。どうせこんな浅い階層の宝箱なんて、俺たちには必要ないゴミしか入ってねえんだ。運が悪かったんじゃなくて、俺たちの格に合う宝箱じゃなかったってことだろ」
「そ、そうですわね! きっと奥へ進めば、私たちに相応しい財宝が待っていますわ!」
彼らは無理やりに納得し、再び歩き出した。
だが、彼らは気づいていない。
この「石ころ」こそが、これからの彼らの運命を暗示しているということに。
カイルの【確率操作】という恩恵を失った彼らのドロップ運は、既に「一般人並み」か、それ以下にまで転落していたのだ。
◇
一方その頃。
俺、カイルは氷雪山脈の深部を一人で歩いていた。
本来なら数分で凍死してもおかしくない極寒の地だが、フェンリルからドロップした『神狼の毛皮衣』のおかげで、まるで春の陽気の中にいるかのように暖かい。
「ステータス、オープン」
歩きながら、虚空にステータス画面を表示させる。
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名前:カイル
職業:運命操作者
スキル:【確率操作Lv.Max】【鑑定眼】【隠密】
装備:神狼の毛皮衣(氷結無効・身体強化・自動回復)
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職業欄が、いつの間にか『荷物持ち』から『運命操作者』に変わっていた。
これが俺の本当の姿。
今までパーティのために隠していた牙だ。
「快適だな……。誰かの顔色を伺う必要もない。自分のペースで歩けるのが、こんなに楽だとはな」
道中、何度か魔物に遭遇した。
『スノータイガー』や『アイスゴーレム』といったBランク相当の魔物たちだ。
だが、俺は一度も剣を抜いていない。
敵が現れるたびに、俺は数値を見る。
『つららが落下して敵に直撃する確率:0.003%』
『敵が足元のクレバスに落下する確率:0.5%』
それらの数値を指先一つで『100%』に書き換えるだけ。
俺が通り過ぎる頃には、魔物たちは勝手に自滅し、レアアイテムだけを残して消滅していた。
マジックバッグ代わりの空間収納には、既にSランクパーティが一ヶ月かけて稼ぐ量を超える素材が唸っている。
「……ん?」
ふと、風に乗って微かな金属音が聞こえた。
魔物の咆哮と、誰かが戦っている気配。
この階層に、俺以外の人間がいるのか?
「……行ってみるか」
興味本位で、俺は【隠密】スキルの成功確率を100%に固定し、音のする方へ足を向けた。
気配を完全に消して近づくと、開けた雪原で、一人の少女が戦っているのが見えた。
「はぁっ、はぁっ……!」
長く美しい銀髪をなびかせ、細身の剣を構える少女。
整った顔立ちには疲労の色が濃く、白い肌はいくつもの擦り傷で赤く滲んでいる。
身に纏っているのは、かつては豪華だったと思われるが今はボロボロになった軽鎧。
だが、その剣筋は鋭かった。
(……速い。あの剣技、アレク以上じゃないか?)
彼女が対峙しているのは、三体の『氷原の鎧熊』。
一撃でも食らえば致命傷になるパワーファイターだが、彼女の動きは洗練されていた。
踏み込み、加速、刺突。
完璧なタイミングで熊の喉元へ剣を突き出す。
――バキンッ!!
「えっ……!?」
少女が目を見開く。
喉元を貫くはずだった剣が、あり得ない角度で折れたのだ。
熊の硬い毛皮に弾かれたわけではない。金属疲労か、あるいは微細なヒビが入っていたのか、肝心な瞬間に刀身が砕け散った。
「グオオオッ!!」
「くっ……!」
熊の剛腕が少女を襲う。
彼女は折れた剣を捨て、バックステップで回避しようとする。
だが。
ズルッ。
「きゃっ!」
何も無い平坦な雪面で、彼女の足が滑った。
まるで何者かが足を引っかけたかのように、不自然なほど綺麗に体勢を崩す。
倒れ込んだ彼女の頭上に、熊の爪が振り下ろされる。
(……なんだ、あれは?)
俺の目には、異常な数値が見えていた。
『武器が損壊する確率:95%』
『転倒する確率:98%』
『回避失敗率:99%』
彼女の周囲だけ、確率が歪んでいる。
通常なら数パーセントにも満たない「不運」が、極大値に張り付いているのだ。
まるで世界そのものが、彼女の死を望んでいるかのように。
「あ、あぁ……」
少女が絶望に染まった瞳で、迫りくる死を見上げる。
その姿が、ほんの数時間前の俺と重なった。
理不尽な運命に翻弄され、無力感の中で死を待つ姿。
「……気に食わないな」
俺は無意識に一歩踏み出していた。
自分を捨てた元仲間たちへの復讐心はある。
だが、目の前で行われている「理不尽な暴力」を見過ごすほど、俺はまだ腐っちゃいない。
何より、彼女に付き纏うその「呪われた数値」を、俺の力でねじ伏せてやりたいという欲求が湧き上がった。
「【確率操作】」
俺は指を鳴らす。
対象は、少女を取り巻く全てのバッドステータス。
『不運発動率:0%』
『クリティカル被弾率:0%』
『敵の攻撃命中率:0%』
そして――『少女の攻撃における致死率:100%』。
熊の爪が少女の顔面を捉える寸前。
突如として突風が吹き荒れ、巻き上げられた大量の粉雪が熊の目に入った。
「ガアアッ!?」
視界を奪われた熊が大きくのけ反り、その巨大な爪は少女の頬を掠めることすらなく空を切る。
少女は呆然としながらも、生き残ったことに気づく。
だが、熊はまだ三体いる。
武器はない。絶体絶命の状況は変わらない――はずだった。
「立て! そこにある氷柱を使え!」
俺は隠密を解き、叫んだ。
少女がハッとしてこちらを見る。
俺の指示に従い、彼女は足元に落ちていた鋭利な氷柱を拾い上げた。
ただの氷だ。鋼鉄の毛皮を持つアイスベアに通じるはずがない。
だが、俺には見えている。
今の彼女の攻撃は、全てが『必然の死』へと繋がっていることが。
「突き刺せ! 喉元だ!」
「は、はいっ!」
少女が迷いを捨て、氷柱を構えて飛び込む。
常識外れの行動。熊たちも嘲笑うかのように腕を広げる。
だが。
ドスッ!
ズブッ!
ドガッ!
一瞬の閃光。
少女が駆け抜けた後、三体の熊は同時に動きを止めた。
それぞれの喉元の、針の穴ほどしかない「魔力循環の急所」に、脆いはずの氷柱が深々と突き刺さっていたのだ。
氷柱は砕けず、まるで神造兵装のように熊の命を刈り取った。
ズゥゥゥン……。
巨体が次々と倒れ伏す。
少女は信じられないものを見る目で、自分の手と、倒れた熊を見比べていた。
「わ、私が……倒した……? 剣も折れずに、足も縺れずに……?」
「見事な腕前だったよ」
俺が歩み寄ると、少女は警戒するように身を強張らせたが、すぐに敵意がないことを悟ったのか、その場にぺたりと座り込んだ。
「あ、ありがとうございます……。貴方が、何かをしてくださったのですか?」
「少し、運命を弄っただけさ」
俺は短く答え、彼女に手を差し伸べる。
近くで見ると、驚くほどの美少女だった。
透き通るような白い肌に、宝石のような紫の瞳。ボロボロの服を着ていても隠せない気品がある。
だが、その瞳の奥には深い影があった。
「私は、セルエラと申します。……あの、私に触れないほうがいいです。不幸が伝染しますから」
「不幸?」
「はい。私は『呪われた娘』と呼ばれています。生まれつき、何をしても裏目に出るのです。歩けば石に躓き、食事をすれば喉に詰まり、剣を握れば折れる……。誰も私に近づこうとはしませんでした」
セルエラは自嘲気味に笑う。
それは諦めを含んだ、悲しい笑みだった。
なるほど、やはり強力な呪いの一種か。あるいは「不運」という特異体質か。
どちらにせよ、俺にとっては好都合だ。
「そうか。じゃあ俺たちは似た者同士だな」
「え?」
「俺はカイル。ついさっき、『運が良いだけ』と言われてパーティを追放された男だ」
俺の言葉に、セルエラはきょとんとした。
「運が……良いだけ?」
「ああ。俺の能力は、確率を操ること。お前のような『不運』を打ち消し、俺のような『幸運』を分け与えることができる」
俺は彼女の手を取り、強引に立たせた。
セルエラが「あっ」と声を上げるが、何も起きない。
天井が崩れることも、足元が爆発することもない。
「ほらな。俺がそばにいれば、お前の不運は発動しない」
「そ、そんな……。国一番の神官様でも解けなかった呪いが……」
「神官には無理だろうな。これは病気じゃなくて、世界の理の問題だからだ」
俺は倒れているアイスベアの一体に近づいた。
通常、こいつらのドロップ品は良くて毛皮か肉だ。
だが、今の俺には「運」を操る相棒がいる。
不運の反動は、時として爆発的な幸運へと転化する。
「見ててくれ、セルエラ。お前の力が、本当はどういうものなのか」
俺は熊の死体に手をかざす。
【確率操作】発動。
レアドロップ率:100%。
さらに、セルエラの持つ「不運のポテンシャル」を反転させ、ドロップの質に上乗せする。
カッ!
眩い光と共に、熊の死体が消滅し、その場に一冊の古びた書物が現れた。
ただの魔導書ではない。
表紙から溢れ出る冷気が、周囲の空気を凍てつかせている。
「こ、これは……!?」
「『氷結の禁呪全書』。神話級の魔導書だ」
俺自身も少し驚いた。
まさか、ここまでのモノが出るとは。
セルエラの「不運」が強大であればあるほど、それを反転させた時の「幸運」もまた強大になるということか。
「伝説にある、国を一つ氷漬けにできるという……? どうしてこんなものが……」
「俺の確率操作と、お前の『不幸を引き寄せる力』を逆利用したんだ。……なぁ、セルエラ」
俺は魔導書を拾い上げ、彼女に手渡した。
彼女は震える手でそれを受け取る。
「俺は、俺を捨てた元仲間に復讐するつもりだ。あいつらを見返して、後悔させてやりたい。そのためには、俺の力を最大限に活かせる『最強の相棒』が必要なんだ」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「お前は強い。その不運さえなければ、世界最強の剣士にもなれる才能がある。俺がその不運を消してやる。だから――俺と組まないか?」
セルエラの瞳が揺れた。
ずっと忌み嫌われ、避けられてきた彼女に、必要だと言ってくれる人間。
しかも、その呪いすらも力に変えてみせた男。
彼女の目から、大粒の涙が溢れ出した。
「わ、私で……いいのですか? 本当に、迷惑をかけませんか?」
「迷惑? とんでもない。お前のおかげで、俺たちは世界すら獲れるぞ」
俺はニヤリと笑ってみせた。
セルエラは涙を拭い、そして初めて、心からの笑顔を見せた。
それは、雪解けのように美しく、眩しい笑顔だった。
「はいっ! 私の剣も、命も、すべて貴方に捧げます、カイル様!」
こうして、俺と「不運の姫」のパーティが結成された。
「運が良いだけの男」と「運が悪いだけの女」。
世界から弾き出された二人が手を組んだ時、その確率は無限大へと跳ね上がる。
俺たちの快進撃は、ここから始まる。
そしてその裏で、アレクたちの破滅のカウントダウンもまた、静かに、しかし確実に進んでいた。




