第一話 「運が良いだけ」と蔑まれた俺が、世界で唯一の『確率使い』だと気づくまで
「グオオオオオオオッ!!」
大地を揺るがすような断末魔が、ダンジョンの最奥に響き渡る。
全長二十メートルはあろうかという巨体を持つ『深淵の魔竜』が、その巨大な翼を力なく折りたたみ、地響きと共に崩れ落ちた。巻き上げられた土煙が視界を覆うが、その中心には自信に満ちた四つの影が立っている。
「へっ、伝説の魔竜だなんて聞いてたから身構えたが、大したことねえな」
大剣を肩に担ぎ、鼻を鳴らしたのは、金髪碧眼の勇者アレクだ。その端正な顔立ちには、隠しきれない傲慢な笑みが張り付いている。
彼の隣で、白銀の杖を握る聖女マリアが、うっとりとした瞳でアレクを見上げた。
「さすがはアレク様ですわ。あのような強大なブレスを、紙一重ですべて回避されるなんて……まさに神に選ばれた勇者様の動きでした」
「ああ。俺の『聖剣技』の前じゃ、どんな攻撃も止まって見えるのさ」
アレクが得意げに笑い、仲間の魔導師や重戦士たちも口々に勝利を称え合う。
Sランクパーティ『栄光の剣』。
若くして王国の最高戦力と謳われ、数々の難関ダンジョンを無傷で攻略してきた彼らは、今や国民的英雄としての地位を確立していた。
その輝かしい輪から少し離れた場所で、俺、カイルは膝に手をつき、荒い呼吸を整えていた。
全身から脂汗が噴き出し、頭痛がガンガンと脈打っている。立っているのがやっとの状態だった。
(……間に合った。なんとか、全部逸らせたぞ……)
俺の視界には、他人には見えない無数の『数値』が浮かんでいる。
魔竜が放った即死級のブレス。
アレクが回避した直撃コースの尻尾攻撃。
マリアの結界が砕かれるはずだった魔法攻撃。
それら全ての命中率は、本来であれば『90%』を超えていた。
だが、俺は自身のユニークスキル【確率操作】を酷使し、そのすべてを『0%』に書き換えたのだ。
同時に、アレクが放った大技のクリティカル率を『5%』から『100%』へ。
マリアの回復魔法の効果範囲を『最大値』が出るように確率を固定し、魔導師の放つ魔法が魔竜の弱点鱗の隙間に突き刺さる確率を『必然』へと昇華させた。
これが、俺の仕事だ。
誰にも気づかれず、誰にも称賛されず、ただひたすらにパーティの生存確率を操作し、勝利を確定させる。
脳が焼き切れそうなほどの疲労感に耐えながら、俺はふらつく足取りで皆のもとへ向かった。
「おい、カイル! いつまでボサッとしてんだ! 早く素材の回収をしろよ、このノロマ!」
アレクの怒鳴り声が飛んでくる。
俺は慌てて「ご、ごめん」と謝り、巨大な魔竜の死体へと駆け寄った。
解体用ナイフを取り出しながら、俺は祈るような気持ちでスキルを発動する。
(頼む……レアドロップ率、上昇……!)
本来、アビスドラゴンから希少素材が落ちる確率は0.01%にも満たない。
だが、俺は残った精神力を振り絞り、ドロップテーブルの確率変動に干渉する。
視界の数値が激しく変動し、やがて『確定』の文字が浮かび上がった。
カキン、と硬質な音が鳴る。
魔竜の胸部を切り開いた俺の手には、紅蓮に輝く宝石のような心臓――『竜帝の心臓』が握られていた。
国一つが買えるほどの価値を持つ、伝説級の素材だ。
「で、出た……! アレク、ドラゴンハートだ!」
俺が声を上げると、パーティメンバーたちが色めき立って駆け寄ってきた。
「マジか!? すげえ、本当に出やがった!」
「あらまあ! これもまたアレク様の強運のおかげですわね! 日頃の行いが神に通じたのですわ」
「違いない! 俺たちが最強だからこそ、世界も俺たちに味方するってわけだ!」
アレクは俺の手から乱暴にドラゴンハートをひったくると、高々と掲げて勝ち誇った。
俺は乾いた唇を舐め、控えめに声をかける。
「あの、アレク……。そのドロップなんだけど、俺のスキルの影響もあって……」
「あぁ? またその話かよ」
アレクが心底鬱陶しそうに顔を歪めた。
冷ややかな視線が、俺の言葉を遮る。
「お前さぁ、いつもそう言うよな。『俺のおかげでレアが出た』だの『俺のおかげで罠にかからなかった』だの。いい加減にしろよ? 調子に乗るのも大概にな」
「そ、そうじゃなくて、本当に俺のスキルは……」
「『荷物持ち』スキルだろ? 鑑定でもそう出てる。お前のステータスは一般人以下。運の良さだけが取り柄の雑魚。それが現実だ」
マリアもまた、侮蔑の色を隠そうともせずにクスクスと笑った。
「カイルさん。貴方のような無能な方が、私たちSランクパーティに置いていただいているだけでも感謝すべきですのに。その上、私たちの功績まで横取りしようだなんて……浅ましいにも程がありますわ」
違う。
俺のスキルは、鑑定水晶では『荷物持ち(アイテムボックス拡張)』や『幸運』と誤認される。
だが、その本質は事象の確率を操る【確率操作】だ。
彼らが今まで一度も死者を出さずにこれたのも、あり得ないほどの頻度でレアアイテムを入手できたのも、全て俺が陰で確率を操作していたからなのに。
だが、説明しようとしても無駄だった。
彼らは自分たちの才能と実力を盲信している。
「自分たちが強いから勝てる」「自分たちが特別だから運が良い」という結論ありきで世界を見ているのだ。
「……悪い、余計なことを言った」
俺は唇を噛み締め、引き下がるしかなかった。
ここで反論すれば、さらに立場が悪くなるだけだ。
幼馴染だったアレクとの関係も、今では主従のようなものになり果てていた。
昔はもっと、対等に笑い合えていたはずなのに。
「チッ、しらけるぜ。……おい、みんな。ちょっと話がある」
ドラゴンハートを懐にしまったアレクが、急に真顔になってメンバーを見渡した。
そして、その冷酷な視線を俺に固定する。
「カイル。お前、今日でクビな」
ダンジョンの冷たい空気が、さらに凍りついたように感じた。
俺は一瞬、言葉の意味が理解できず、呆然とアレクを見返した。
「え……?」
「だ・か・ら! お前はもう用済みだって言ってんだよ。追放だ、追放」
「な、なんでだよ急に! 俺、なにかミスをしたか? 荷物だってちゃんと管理してるし、雑用だって全部……」
「ミスが無いのがお前の実力だと思ってんのか?」
アレクが一歩、俺に詰め寄る。
見下ろす瞳には、仲間に対する情など欠片もなかった。
「お前、戦闘じゃ何の役にも立たないだろ? ただ後ろで突っ立って見てるだけ。俺たちが命がけで戦ってる間、お前は安全な場所で震えてるだけだ」
「それは、俺が後衛で戦況全体を見ながら支援を……」
「支援魔法の一つも使えない奴が何を言うのですか?」
マリアが冷たく言い放つ。
「私たちのレベルはもう、貴方のようなお荷物を抱えていられる次元を超えているのです。これからの魔王軍討伐において、貴方は明確な『弱点』になりますわ」
「それによう、報酬の配分も勿体ねえんだわ」
重戦士の男がニヤニヤと笑いながら口を挟む。
「お前に払う金を、もっと有能な攻撃魔法使いとかに回した方が効率的だろ? お前、運が良いだけで生きて帰ってこれてたけど、正直目障りだったんだよな」
運が良いだけ。
また、その言葉だ。
俺がどれだけ神経をすり減らして、彼らの首元を通り過ぎる死神の鎌を弾き返してきたと思っているんだ。
「待ってくれ……! 俺がいなくなったら、誰がトラップを回避するんだ? ドロップだって、今までみたいには……」
「はっ! まだそんな妄言を吐くのか!」
アレクが呆れたように肩をすくめた。
「トラップ? 今まで一度も引っかかったことなんてねえよ。俺の直感が優れてるからだ。ドロップ? 俺たちの実力があれば、レアなんて勝手に出るんだよ。お前がいようがいまいが、俺たち『栄光の剣』の伝説は変わらねえ」
彼らは本気でそう思っている。
俺の存在価値を、これっぽっちも認めていない。
「……わかった。そこまで言うなら、抜けるよ」
俺は拳を握りしめ、静かに告げた。
これ以上すがっても惨めなだけだ。彼らはもう、俺の知っている仲間じゃない。
「そうか、話が早くて助かるぜ。じゃあ、とっとと失せろ」
「ああ。街に戻ったら手続きを……」
「は? 何言ってんだ?」
背を向けて歩き出そうとした俺を、アレクの嘲笑が引き止めた。
「『今ここで』消えろって言ってるんだよ。街まで連れて帰る義理なんて俺たちにはねえ」
「なっ……ここは『極寒の氷雪山脈』のダンジョンだぞ!? 外は吹雪だ! 一人で帰れるわけがないだろ!」
「知らねえよ。お前の自慢の『運』でなんとかすりゃいいじゃねえか」
ドッと、下卑た笑い声が上がる。
マリアが杖を振り、俺の腰につけていたマジックバッグを魔法で奪い取った。
「あ、これはパーティの共有財産ですから没収しますわね。中に入っているポーションも食料も、私たちが稼いだお金で買ったものですし」
「おい! その中には俺の私物も入ってるんだぞ! それに、防寒着がないと……」
「うるせえな! さっさと行けよ!」
ドガッ!
重戦士の蹴りが俺の腹に突き刺さった。
呼吸が止まり、俺は無様に地面を転がる。
冷たい石畳の感触。薄れゆく意識の中で、かつての仲間たちが遠ざかっていくのが見えた。
「じゃあな、カイル! 野垂れ死んだら骨くらいは拾ってやるかもな! ギャハハ!」
「さようなら。来世ではもう少し才能のある人間に生まれるといいですわね」
転移結晶の光が彼らを包み込む。
俺を置き去りにして、彼らは安全な街へと帰っていった。
残されたのは、絶対零度の冷気が支配するダンジョンの最奥と、装備も食料も奪われた無力な俺一人だけ。
◇
どれくらい歩いただろうか。
ダンジョンの出口までは辿り着けず、俺は迷宮の入り組んだ通路を彷徨っていた。
体感温度はマイナス数十度。
防寒着を奪われた体は芯まで冷え切り、手足の感覚はとうに失われている。
(……死ぬのか。こんなところで)
視界が霞む。
悔しさで涙が出そうになるが、それすら凍りついて落ちてこない。
俺はずっと、彼らのために生きてきた。
幼馴染のアレクが勇者に選ばれた時、自分のことのように喜んだ。
彼を守るために、自分のスキルを磨き、裏方に徹することを選んだ。
『確率操作』という、因果律すら捻じ曲げる禁断の力。
その代償として襲いくる激しい頭痛も、倦怠感も、すべて彼らの笑顔が見たいから耐えてきた。
それなのに。
返ってきたのは嘲笑と、裏切りと、理不尽な暴力だった。
『運が良いだけ』
『戦闘の役には立たない』
あいつらの言葉が呪いのように頭の中でリフレインする。
(俺は……馬鹿だったな)
壁に手をつき、ズルズルと座り込む。
もう一歩も動けない。
意識が闇に沈もうとしたその時――。
グルルルルゥ……。
低い唸り声が響いた。
暗闇の奥から、青白く発光する二つの瞳がこちらを覗いている。
『フロスト・フェンリル』。
この階層を徘徊する高ランクモンスターだ。Sランクパーティですら苦戦する相手が、死にかけの俺の目の前に現れた。
(……ハハ、ツイてねえな)
皮肉な笑いが漏れる。
いや、これが普通なのだ。
今まで遭遇しなかったのは、俺が常に『エンカウント率』を操作し、強敵との接触を避けていたから。
操作をやめた途端、世界は牙を剥く。これが本来の確率。これが現実。
フェンリルがゆっくりと口を開き、鋭利な牙を見せつける。
飛びかかってくるまでの時間は、数秒もないだろう。
俺には武器がない。
魔法も使えない。
体力も残っていない。
生存確率は、完全に『0%』だ。
(……0%?)
ふと、頭の中に浮かんだ数字に、俺の思考が引っかかった。
今まで俺は、この力を『パーティのため』だけに使ってきた。
アレクが勝つ確率を上げるために。
マリアが傷つかない確率を守るために。
仲間が良いアイテムを得る確率を増やすために。
『自分のため』に、この力を使ったことがあったか?
いや、ない。
自分は裏方だから。サポートだから。
そう言い聞かせて、自分への恩恵をすべて仲間に譲っていた。
その結果が、これだ。
「……ざけるな」
腹の底から、どす黒い感情が湧き上がってくる。
なぜ俺が死ななきゃならない。
俺の力を利用するだけ利用して、用済みになればゴミのように捨てたあいつらが、今ごろ暖かい酒場で祝杯を上げているというのに。
許せない。
許せるわけがない。
俺の中で何かが弾けた。
今まで無意識にかけていたリミッターが外れる音がした。
(俺は生きる。生きて、あいつらに思い知らせてやる)
俺は霞む視界で、迫りくるフェンリルを睨みつけた。
眼前に浮かぶ数値。
フェンリルの攻撃命中率:100%。
俺の回避率:0%。
「……【確率操作】」
枯れた喉から、言葉を絞り出す。
対象は、俺自身。そして目の前の理不尽な運命。
今まで他人を守るために浪費していた演算リソースを、全て『俺のエゴ』のために注ぎ込む。
フェンリルが地を蹴った。
音速を超える突進。その爪が俺の喉元に迫る。
俺は動かない。いや、動く必要がない。
――ガギィンッ!!
硬質な音が響き、フェンリルの爪が俺の鼻先で止まった。
いや、弾かれたのだ。
天井から偶然、巨大な氷柱が落下し、それがフェンリルの頭部を直撃した。
確率にして、0.00001%以下の奇跡。
だが、今の俺にとっては『100%の必然』だ。
「ギャンッ!?」
体勢を崩したフェンリルが、無防備な腹を晒して地面に転がる。
その先には、先ほど俺が座り込む際に偶然蹴飛ばした、鋭利な岩の突起があった。
ズブシュッ!!
岩がフェンリルの心臓を正確に貫く。
断末魔すら上げられず、高ランクモンスターは絶命し、光の粒子となって消滅した。
俺は指一本動かしていない。
ただ、『俺が助かり、敵が死ぬ確率』を最大化しただけだ。
後に残ったのは、消滅したフェンリルのドロップアイテム。
通常なら毛皮や牙が落ちる程度だ。
だが、そこに転がっていたのは、白銀に輝く一着のコートだった。
『神狼の毛皮衣』
ドロップ率、測定不能。
あらゆる氷結属性を無効化し、着用者の身体能力を劇的に向上させる国宝級の防具。
「……ははっ」
俺は震える手でそのコートを拾い上げ、体に羽織った。
途端に、芯まで冷え切っていた体に爆発的な熱が戻ってくる。
手足の感覚が蘇り、魔力が満ち溢れていく。
「なんだよ……簡単じゃないか」
俺は自分の両手を見つめた。
今まで、あいつらのためにどれだけ苦労してドロップを調整していたか。
だが、自分だけのために使えば、こんなにも簡単に、世界をねじ伏せることができる。
「アレク、マリア……お前らは言ったな。『運が良いだけ』だと」
俺は暗闇の奥、ダンジョンの出口がある方向を睨みつけた。
「ああ、その通りだ。俺は運が良い。俺の運命は、俺が決めるからな」
だが、お前たちはどうだ?
俺という『運命の守り手』を失ったお前たちの未来に、どんな確率が待っている?
「精々、地獄の底で後悔するんだな」
俺は冷たく笑い、立ち上がった。
かつてないほどの全能感が、全身を駆け巡っていた。
もう二度と、誰かの踏み台になんてならない。
この力は、俺のためだけに行使する。
そして、俺を捨てた愚か者たちに、真の絶望を叩きつけてやるのだ。
俺の復讐劇は、ここから始まる。




