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星の紡ぎ人  作者: ひかげ
第四章 紅の鷲

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第四章⑥ 結星祭(中)



 アマネールたちはくつろげる席を探し歩いたが、あいにく空席は見つからなかった。庭園に所狭しと配されたテラス席は、すでに結星祭(ゆうせいさい)の客で埋まっていたのだ。


「こうなったら仕方ない。向こうで座って食べよう」


 アマネールは諦めたように、庭園の隅にある芝生を見遣った。


「ねえ、見てあれ」


 高揚した声音のユリの視線は、頭上に注がれていた。


 天空で優美な両翼を広げるのは、空色に澄んだ天馬であった。後ろに見える御者台には、手綱を握るウテナが座っている。空を駆け下りてきたぺガススは、アマネールたちの前へふわりと着地した。


「君たち、特等席はどう?」


 持ち前のはつらつとした声で呼びかけると、ウテナは後方を指さした。ペガスス座の星霊が牽くのは、流麗な曲線を描く四輪の馬車である。上質な木材で組まれた車体の扉には、馬の頭を模した金製の取っ手が輝いていた。


「空飛ぶ馬車なんて......うわ。私、夢だった!」


 ユリがとろんとした大声を出す。早くもスカイカクテルが回ったようで、その感に堪えない面持ちは真っ赤に染まっていた。アマネールたちは満場一致で、我先にと馬車へ駆け寄った。



 全員が乗り込んだのを確認して、ウテナは星霊を走らせた。やがてペガススが舞い上がると、車体も滑らかに大地を離れ、空へと浮上した。


 馬車はしばらく上昇したのち、一定の高度で旋回を始めた。セルルスが言った通り、ウテナは星霊の扱いに長けているようだ。宙に浮いているにも拘わらず、目立った揺れや浮遊感がない。静かな船旅のような心地よさである。


「天高く昇るなんて、私たちらしくっていいでしょう?」


 ウテナは悪戯めいた笑みを浮かべた。たしかに、死者には天上がお似合いかもしれない。


 馬車の窓から望む景色は格別だった。結星祭のためにランタンで飾られたバジュノン宮殿一帯が、星空に負けじと煌びやかに見える。


 宮殿の裏手を悠々と流れるエリダヌス川は、紺碧に澄んだ光を放っていた。あたりが夜暗に包まれた今、発光する水面の秀麗さが際立っている。改めて、アマネールはあの大河は星霊なのだと実感した。


「あんた、なに笑ってんのよ」


 エリダヌス川を見てくすくす笑うアマネールに、リディアは訝しげに言った。アマネールは言い訳がましくグレイを見る。いつかの日に、大河に伝わる底なし沼の伝説に怯えていた誰かを思い起こしたのだ。


 そんなやり取りの後、五人はご馳走を囲んで大いに語り、笑い合った。空を泳ぐ鯨座の星霊とすれ違った際には、特に盛り上がった。


「みんな元気そうで安心したわ。変わりない?」


 贅沢な晩餐もひと段落ついたころ、ウテナが御者台から振り返った。そして、アマネールと目が合った。


 ーー「何があろうと、アマネールの味方でいてくれますよ」


 セルルスの口伝てを思い出したアマネールは、今朝、例の夢を最後まで見たことを告白する決心をした。



「そう。君に前世の記憶が戻る日も近いようね」


 アマネールの話を聞き終えると、ウテナはそっと口を開いた。その表情はほんのり曇っている。ウテナはかねてから前世に悔いを残すアマネールの記憶を案じてくれていたのだ。


「もし記憶が完全に蘇ったら、大事に心に留めておくのよ。何しろ繋がりし者(ファビロス)にとって、前世の記憶は最も大切な記憶なんだから」


 ウテナの言葉を受けて、アマネールは身を乗り出した。


「最も......大切? それじゃ、繋がりし者が星霊を継承する条件は......」


「魂の欠片に刻まれた、前世の記憶を共有することよ。あれ、伝えてなかったかしら?」


 ウテナはぺろりと舌を出す。アマネールの心臓がとくんと跳ねた。


「......紅の鷲にも、前世の記憶はあったんだよね?」


 抑えきれない衝動が、アマネールの口をついて出た。紅の鷲という単語に、ウテナはちらと戸惑いの色を見せたが、すぐに返事をした。


「そうね。彼は繋がりし者だもの」


 前世の記憶を共有すれば力が継承できるなら、紅の鷲の天結には、彼の前世の記憶が込められているはずだ。父さんの前世......僕にまつわる記憶が......。


「でもね、アマネール」


 ウテナは諭すように続けた。


「君は知らないでしょうけど、八年前に消えた彼の痕跡は、一つとして残されていないの。()()()()()()


 ウテナにそう言われて、アマネールは以前に見た記事の一節を思い出した。『何の前触れもなく、何の置き土産もなく。はなから紅の鷲など存在しなかったかのように、跡形もなく消え去った』、そう書かれていた......そうだ。紅の鷲には、何の痕跡もない。何も......ない? 


「あんたの気持ちはわかるけど、こればかりはねえ」


 リディアの慰めは、アマネールの耳に届かなかった。


 ......何だ? 今、何か引っ掛かった。アマネールは反射的に周りを見回した。エリダヌス川の奥には、選手寮や天煌杯の競技場が見える。グレイが通う学校もある。違う、どれもピンとこない。真下あるのにはバジュノン宮殿だ。そびえ立つ白亜の宮殿はやはり、本土一帯ではひときわ高い.....高い? 


 前にバジュノン宮殿を訪れた際の違和感が、アマネールの頭に蘇った。地上から見上げたときは遥かにそびえていたのに、最上階からは思いのほか低く感じたのだ。



 ーー「この上、何もないんですか? ......ないの?」


 ーー「もちろん、何もないわよ」



 当時の会話が脳裏に鮮明に浮かんでくる。何も......ないわよ............まさか、父さんの天結は.......。


「あっ!」


 突然、グレイが鋭い声を上げた。彼の視線は、エリダヌス川を隔てたバジュノン宮殿の反対側に釘付けになっている。


 煌びやかに装飾された庭園とは対照的に、川の向こう岸に明かりはほとんどなく、一帯が深い闇に沈んでいた。アマネールが釣られて目を向けると、対岸を包む暗闇の奥に、それは不気味に浮かんでいた。


 人魂のように揺らめく、二つの白い光の玉。それらを認めた瞬間、アマネールは息を呑んだ。スカイカクテルで温まった体がみるみる冷えていく。忘れるはずがない。エステヒアでも対峙したあの妖しい光は、禍黎霊の眼球に違いなかった。


「降ろして!」


 アマネールは喉の奥で叫んだ。ウテナはあの眼に気づいただろうか? 父さんの天結を狙う禍黎霊使いの存在を知られてはまずい。もし天結の保管場所を変えられたら、父さんの記憶を辿る術が失われてしまう。


 アマネールは恨めしげにバジュノン宮殿を見下ろした。幸い、ウテナは何も言及せず、手早く馬車を着陸させてくれた。



 ウテナへの礼もそこそこに、アマネールたちは駆け出した。人いきれのする祭りの中枢を通り抜け、エリダヌス川に架かる吊り橋を渡る。


 ほどなくして、禍黎霊が現れたであろう周辺にやって来た。幸か不幸か、陰気に揺らめく白い光は見当たらない。禍黎霊がこの場を離れたか、あるいはその主が星霊を収めたのだろう。


「みんなで手分けして探そう」


 アマネールは威勢よく宣言した。


「まだ遠くには行ってないはずだ」


「あんた、一人で行くつもり?」


 今にも走り出そうとするアマネールの手を、リディアがむんずと掴んだ。


「あたしも同行するわ。何しでかすか知れたもんじゃないもの」


「同感だぜ」 とノア。


「でも、手分けした方が効率的だろ?」


 アマネールが提案した。


「二手に分かれよう」


 グレイは場を取り持つように言った。


「ノアはアマネールとリディアに付いて。僕はユリと行く。何かあったら、ユリは白鳥を、ノアは弓矢を空に放って互いに知らせよう。いいね?」


「了解。行こう」



 こうしてアマネール、ノア、リディアは暗闇の奥へ足を向けた。星明かりだけを頼りに、足音を殺し、息を潜めて進む。


 結星祭の真っ最中、こんな外れたところにいる人間がまともとは思えない。物音の一つでも聞こえようものなら、間違いなく禍黎霊使いのものだろう。


 警戒を怠らずに歩を進めていると、ふと背後にかすかな気配を感じた。振り返ると、暗がりにうっすらと人の輪郭が浮かび上がっていた。


 切れ目の入った漆黒のローブを纏う男が、闇に溶け込むように佇んでいる。破れた裾が夜風になびく姿からは、亡霊を思わせる威圧感が漂っていた。


「どうする?」


 ノアは口の形だけでそう言った。


 現場で待機するように、リディアが手振りで合図する。アマネールたちは近くの塀に身を潜め、男の動向を窺うことにした。


 数分後、別の人影が現れた。同じく全身黒装束である。予定された合流のようだ。


「お待たせいたしました」


 遅れて来た男が口を開いた。聞き覚えのある渋い声だ。前に本土で謀議を企んでいた一人に違いない。しかし、もう片方から発せられた音吐は、アマネールが初めて聞くものだった。


「よい。それよりどうだ? 計画に狂いはないんだろうな」


 空気が凍りつくような、心臓を貫くしゃがれ声に、アマネールは思わず身震いした。


「ええ。もちろんでございます。今宵確信いたしました。必ずや、鷲座の()としてウェンディ・カーネルを捕らえてみせましょう。計画は万全です」


「事は私と同時に起こせよ。それで全てがうまくいく」


「はい。承知しております」


 部下らしき男が深々と一礼すると、亡霊めいた男はバジュノン宮殿の方に向き直った。


「あの、不躾ながら失礼します。どちらに行かれるのですか?」


「ワインの一杯くらい飲んだっていいだろう? 悠長に酒を嗜んでいられるのも、今年が最後かもしれんのだから」


 そう言い残したのち、男たちは闇のしじまに消えていった。



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