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星の紡ぎ人  作者: ひかげ
第四章 紅の鷲

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第四章⑤ 結星祭(上)



 夜半過ぎ、アマネールは夢を見た。この世界に降り立ってから、度々見ていたあの夢を。


 あたり一面が、紅蓮の炎に包まれている。


 皮膚が焼き付けられるように痛む。どす黒い噴煙が目を刺し、肺に流れ込んで呼吸を阻んでいる。


 見渡す限り緋色の世界で、アマネールは必死にもがいていた。かすれゆく意識の中で、確かなことが、一つだけあった。


 ......僕は、誰かを探している。かけがえのない誰かが、すぐ近くにいる。


 回を重ねるごとに、夢は鮮明さを増していた。初めは炎に覆われているだけだったが、今では薄っすらと建物の輪郭が視認できる。不思議と、アマネールはその場所に見覚えがあった。大まかな部屋の間取りも、間仕切り壁が崩れた有様も、なぜか自然と理解できたのだ。


 業火は猛威を振るう一方だった。いつ建物が崩壊してもおかしくないだろう。けれど、アマネールに退く気は微塵もなかった。


 僕が助けないと......僕にしか救えない命が、目と鼻の先にある。だけど、足が......動かない。


 いつもそうだ。僕の体は、意志に反して動かない。進み出さねばと焦るほど、足がぬかるみに沈んでいくようだった。


 その刹那、かすかな声がした。アマネールの体内で、震える声が反響したのだ。


 今際の際で、誰かが救いを求めている。死の縁で、誰かに願いを届けようとしている。


 声の詳細な真意を、これまでアマネールは知り得ずにいた。しかし、たった今、その声はかつてなくはっきりと届いた。


「早く......私を置いて............アマネール......早く......逃げて」


 瞬間、アマネールの視界を蝕んでいた炎が晴れた。焼け焦げた壁際に、人影がぐったりと横たわっている。


「......生きて」


 母さん! アマネールの胸を、激情の嵐が駆け巡った。親愛なる母への愛おしさと、現況に対する切迫感。それを打破せねばという決意が一挙に押し寄せてくる。


 長らく少年を縛っていたくびきが、外れた。一刻も早く母のもとへ行き、助けなければ。そんな決意がアマネールを突き動かしたのだ。


 されど、神は無慈悲だった。アマネールが踏み出すと同時に、すべてを無に帰す爆発が起こった。何もかもが消え失せるように、周囲が真っ白な光に包まれ、意識が薄れていくーー。



 目が覚めると、なぜか泣いていた。


 気がつくと、アマネールはベッドの上にいた。慣れ親しんだ天井、天煌杯の選手寮だ。全身から噴き出した冷や汗で、シーツはびっしょり濡れている。


 涙は一向に止まらなかった。意識とは関係なく、次から次へと零れ落ちた。


 見ていたはずの夢は、よく思い出せない。大切なものを失った喪失感が、届きそうで届かなかった焦燥感が、心の底に澱のように溜まっていた。


 夜明け前なのは幸いだった。ノアもグレイも眠っている。アマネールは無理やり涙を拭うと、深く深く布団に潜り込んだ。



◇◇◇◇◇◇


 その晩、アマネールたちはバジュノン宮殿に向かった。待ちに待った結星祭(ゆうせいさい)だ。年の瀬を迎え、一帯は綺麗な雪化粧をまとっていた。


 ひと月に渡る準備を経て、宮殿前の庭園は祭り会場へと変貌していた。所狭しとテラス席が設けられ、それらの合間に極彩色のランタンが光っている。宵闇を照らす明かりと白雪は、祭りにふさわしい幻想的な雰囲気を演出していた。


 ふいに、香ばしい匂いがアマネールの鼻腔をくすぐった。見ると、牡牛座の星霊が車輪付きの屋台を牽いている。


 屋台の窓から身を乗り出し、細身の男がピザを売っていた。店の奥では、銀色に透き通った双子が生地をこねている。純白に輝く牛の首には、トレッフュでよく見た看板がかけられていた。


 周りには同様の牛車が何台も並んでいる。普段はトレッフュで商売する人たちが、牡牛座の星霊に牽かせる形で屋台を営み、結星祭に特別な市を開いているのだ。



 アマネールが改めて庭園を見渡すと、屋台を牽く牛の他にも、色とりどりの星霊があちこちを行き交っていた。


 空色に澄んだ山羊は、金属製の台座を背に括っている。その上に置かれた金の二段皿には、花びらのように生ハムが盛り付けられていた。透き通った羊も同様だ。台座の上に銀の二段皿があり、多種の果実が並べられている。


 浅紫に輝く猫は、煌びやかな香炉を運んでいた。ゆらゆらと上る薄い白煙が、甘い香りを漂わせている。他にも、忙しなくグラスや皿を運ぶ乙女座の星霊もいた。


 さすがは人々と星座の結びつきを祝う結星祭だ。その名の通り、そこいら中が美しい星霊で賑わっている。


 アマネールが通りすがりの羊からブルーベリーをつまんだ時、頭上で一陣の風が吹いた。


 空を仰ぐと、そこにはいた。エステヒアでも見かけた鯨座の星霊だ。半透明な流線型の巨体が、鮮麗な天の川をゆったり泳いでいる。そんな鯨の傍らでは、桃色の海豚(いるか)が軽やかに翔けていた。数羽の鳥の星霊と戯れている。


 アマネールが浮世離れした光景に見惚れていると、満天の星空に花火が打ち上がった。結星祭が本格的に幕を開けたようだ。


「よ。調子どうだい? こないだは惜しかったね」


 声を掛けてきたのはウォーカー・アビットだ。後ろには男子が一人、女子が二人控えている。三人とも買い込んだご馳走で両手を塞がれていた。


 ウォーカーたちと軽く話していると、向こうに白金剣団(プラチナム・オーダー)の面々が見えた。アマネールはふと思い立ち、ウォーカーをちょんちょんとつつく。


「来なよ。紹介してやるからさ」


 何を隠そう、ウォーカーは白金剣団の大ファンなのだ。しかし彼の反応は、アマネールの予想とは正反対だった。


「いや、いいんだ。アマネール、君は何もわかっちゃいないね。僕はあくまでファンなんだよ。仲良くなりたいとか、そういうのじゃない。節度を持って応援してるんだ。おわかり?」


「なーにが節度よ」


 ウォーカーと共にいた女子が茶々を入れた。


「この人ったらね、天煌杯決勝の特等席に全財産をはたいたの。信じられる?」


「言っとけ。何があろうと、僕はこの目で見届けるんだ。前人未到の天煌杯三連覇をね」


 三連覇という単語が、アマネールに重くのしかかった。刻限は着実に近づいている。しかし、紅の鷲が遺した天結の保管場所は、未だわからないままだった。


 贖罪の念に駆られ、アマネールはミフェルピアに目をやった。そして驚いた。今まさに彼女と談笑するのは、アマネールを本土へ連れ出した(からす)座の星霊使い、クレアに他ならなかった。首元に灰色の宝石をあしらったチョーカーがついている。あの夜、アマネールを蛇から守ってくれた男の姿は見当たらない。


「そいじゃな。君らも楽しんで」


 ぼんやりしているアマネールに別れを告げて、ウォーカーたちは去って行った。



「あたしたちも行きましょう。お腹ペコペコよ」


 リディアに促されてアマネールたちも歩き出した。途中、双子座の星霊による執拗な押し売りをいなし、庭園の隅でようやく目当ての店を見つけた。


 屋台を牽く牡牛座の星霊の首に、福腹亭(ふくはらてい)の看板が下げられている。厨房では、アルヴィナが手際よく調理していた。料理の芳醇な香りが周囲に立ち上っている。


「いらっしゃい。ったく、遅いんだよ」


 お得意様の来客に気づくと、アルヴィナは陽気な声を上げた。赤みがかった茶髪を束ねる(かんざし)の先端には、光沢ある薄紅の宝石がついている。


「おい。すげえ量だな」


 いつにも増して華やかな陳列棚を見て、ノアが感嘆の声を漏らした。見れば、馴染みある福腹亭の料理に加えて、タルトやマカロンといった色鮮やかなスイーツが並んでいる。


「毎年この時期になると、手を貸してくれる友人がいるのさ。古い付き合いでね」


 曰くありげにウインクした店主の胸には、一輪のスズランが飾られていた。


「せっかくの祭りだ。ありったけ買ってきな」


「そう言うなよ。今月は特にきついんだ。年末だぜ?」


 しょげたノアの隣で、アマネールはにやりと笑った。少年のポケットの中で、金銀の硬貨がじゃらじゃらと陽気な音を立てている。


「ぜーんぶ頂戴。五人前」



 続いて、アマネールたちは庭園に設けられた酒場風の屋台に立ち寄った。そのカウンターには、アマネールが見知った青紫の水瓶の他にも、色鮮やかな水瓶座の星霊がずらりと並んでいる。


「水瓶座は、一月二十日から二月十八日生まれに対応する黄道星座なんだ。一月の誕生石であるガーネットは、こんな風に色とりどりでさ。見たところ、橙はカボチャジュース、緑はライムソーダ、赤はワインだろう......な?」


 カウンターの端にもたれかかるようにして、セフィド・ムルパティが寝息を立てていた。得意げに解説していたグレイも、この状況には面食らったようだ。ウテナ女王の側近たる男が、頬を真っ赤に染め上げ、蜂蜜酒の大樽を抱いて眠っていたのだから無理もない。


「平和なもんね。もう」


 リディアは呆れ返っている。


 アマネールたちは各自グラスを手に取り、最も手前に置かれた水瓶の前に並んだ。二月の誕生石であるアメジストを思わせる青紫の水瓶から注がれるのは、彼らの大好きなスカイカクテルだ。最後にユリがグラスを満たすのを待ってから、一行はカウンターを後にした。



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