第三章⑬ VS白金剣団(下)
◇◇◇◇◇◇ アマネールサイド
天煌杯競技場、白金剣団陣営の後方にて。リディアとミフェルピアの戦場の反対側で、彼女らとは対照的な争いが起きていた。
白金剣団の司令塔であるウェンディが、アマネールから逃げ続けていたのだ。ウェンディはライフの保持に注力しているようで、常に一定の距離を保ち、徹底的に守勢に回っている。
純粋な運動能力では勝っている自負のあったアマネールだが、こうも逃げられると仕留めるのは困難だった。
この現状に、アマネールは大いに焦っていた。彼に対応しながらも、ウェンディの星霊は着実に情報を集めている。一方で、自分はろくに状況が把握できていない。
つい先ほど、ノアが飛び上がったのは見えた。クラリーセのライフが削れているのは確かだろう。しかし、それ以外はてんでわからなかった。
そうこうする間にも、ウェンディは戦況を丸裸にしかねない。アマネールは歯噛みした。いくらリディアの囮作戦があるとはいえ、ウェンディの対処を怠る理由にはならないのだ。
何とかしてウェンディの注意を引かなければ。でも、どうすればいい?
これ以上正面から攻めたところで、埒が明かないのは目に見えている。別の手はないかと思案を巡らせるうちに、ふと、本来の目的を思い出した。
ミフェルピアが禍黎霊使いに狙われている。かつて紅の鷲が失踪した事件が、再び起きようとしているのだ。その計画を崩すために、アマネールたちは試合に臨んでいたのだった。
「ねえ君、紅の鷲って知ってる?」
ウェンディの意識をそらしたかったのか、紅の鷲を輩出したメイエールに住む彼女に情報を欲したのかもわからない。アマネールは無意識にそう訊いていた。
「ええ。もちろんでございますわ」
「どんな人だったの?」
「さあ? わたくし、二年前にこの世界に赴いたので。失礼ですが、詳しい事情までは存じ上げておりません」
「......知らないの?」
「彼、色々あって有名ですからね。知ってるか知らないかで言えば、間違いなく知っておりますわ」
ぐぬぬ。たしかにリディアが言った通り、どこかお堅い子なのかもしれない。言葉による駆け引きすらあっさりとかわされ、アマネールが呆然としていると、ウェンディはおもむろに口を開いた。
「こんなことを言うのもあれですけど。それでも、彼は恵まれていたと思いますわ」
「どうして? 信頼できる仲間がいたとか?」
アマネールは率直に尋ねる。
「違いますわよ。彼自身が持つ前世の魂の欠片に、つまりは星の力にですわ。考えてもごらんなさい。紅の鷲は称号の通り、深紅に輝くルビーを携えた、鷲座の星霊使いですのよ。もし彼が星の力に恵まれていなかったらと思うと、何かと考えてしまいますわ」
ウェンディはアマネールの顔を窺うように言った。しかし、アマネールにはいまいち話の筋が見えてこない。
「まったく。殿方ってのは、本当に察しが悪い生き物ですわね。ルビーですのよ、ルビー。そうです。それは七月の誕生石。もうおわかりでしょう? もし彼が星の力に恵まれず、ルグラであったなら。紅の鷲なんて大層なものではなく、紅のかにでしたのよ!」
......ん? ............はい?
「二文字違うだけで大違いですわ。前者が放つ圧倒的な英雄感とは裏腹に、後者は何と言いますか、格好がつきませんわ。それになにより......」
ウェンディはごくりと唾をのんだ。
「美味しそう......ですわ!! 紅のかにだなんて、わざわざわかり切った色を強調するあたり、よほど上等な品なのでございましょう。凄まじい高級感です」
前言撤回だ。この子はお堅いとかじゃない。ヘンだ。アマネールが反応できずにいると、ウェンディはなおも続けた。
「とはいえ、彼がその秀でた力のせいで狙われたのも事実ですし、ただの美談とはいきませんけれどね」
「え? どういう意味?」
その時だった。矢継ぎ早に笛が鳴り、会場にチェリトゥードの声が響いた。クラリーセとサリナ、ノアとグレイの脱落が告げられたのだ。
一挙に四人が脱落したにも拘らず、試合の終了は宣言されていない。勝負の行方は残った五人に委ねられたのだ。
「おっと。いけませんわ。試合中でございました。では、そろそろ仕上げに参りましょうか」
ウェンディはにこりと微笑んだ。
「最後に、なぜわたくしがチームの陣形を崩してまで後退したのか、特別に教えて差し上げましょう。意外かもしれませんが、その理由は、わたくしたちが陣形を組む理由と同じですのよ。
それは、ミフェルが苦手とする数的不利な状況を、相手に作らせないためですの。こうしてあなたを引きずり出せたのは幸運でした。おかげでより早く、中盤を制圧できましたもの。この時をお待ちしてましたのよ」
嫌な予感がしたアマネールが振り返ると、ウェンディは大声で叫んだ。
「ミフェル!!」
叫び声に呼応するように、ユリの左右で青く澄んだ魚が跳ねた。あまつさえ、それを見たミフェルピアがリディアとの戦闘を放棄し、ユリに向かって駆け出した。
「多くの方は、わたくしの指示を通すための陣形だと誤解されていますが、実際は違いますの。大まかな指示なんて、こうやって遠くからでも出せますから」
ウェンディの発言は、アマネールの耳には入らなかった。
まずい。ユリが核だとばれてる......!
剣を構えたミフェルピアは、今にもユリに襲い掛かろうとしていた。リディアは出遅れている。全力でミフェルピアを追ってはいるが、あれでは間に合わない。
この戦況を打開できるのは、僕だけだ。アマネールは己に激しく訴えた。僕が行かなければ。ユリを助けられるのは......僕しか............。
アマネールの精神と肉体は、これ以上なくきれいに結びついた。アマネールは一心不乱に駆け出した。
次の刹那、水晶水が破られたのとは違う、耳をつんざくような金属音が響いた。
競技場の中央で、交差したアマネールの両腕とミフェルピアの剣が激突したのだ。アマネールは自分でも訳がわからぬまま、誰よりも早くユリの元へ到達していた。まるで夢見心地で、空を飛んだような感覚だった。
「......へえ。繋がりし者とは聞いてたけど、結束式なのね。面白いじゃない」
ミフェルピアは少々面食らったように言った。
「驚いた?」
にやりと笑ったアマネールの体は、今ほどとは明らかに違っていた。
星霊特有の透き通ったもやが、四肢の周りを漂っている。少年のピアスに留められたオパールのように、数多の煌めきを湛えた紺青のもやは、星空さながらに美しい光であった。
「完全顕現はまだのようだけど、それで私と渡り合うつもり?」
ミフェルピアは淡々と返す。彼女の言う通り、アマネールは星霊を宿しているものの、明確な星座の特徴までは現れていなかった。
「今まさに、君の一撃を防いだろ? 僕の水晶水は割れてないよ」
口に出すうちに、自分のしたことが現実に思えてくる。思わずアマネールは背後に手を伸ばした。パチンとユリからのハイタッチを受けて、アマネールはなんだかくすぐったくなった。
「いちゃついてる場合じゃないわよ」
少し遅れてリディアが到着した。
「ミフェルが核よ。あたしの勘がそう言ってる」
「グレイも同意見だよ」
ユリが後押しする。
「なら間違いない。ミフェルピアの残りライフ、わかる?」
アマネールが尋ねた。
「ウェンディ次第だよ。彼女が二つなら、ミフェルピアはあと一つ。もし一つなら、ミフェルピアは二つ残してる」
絶えず試合の流れを追っていたユリが答える。
「なら一つだ」
アマネールは断言した。ウェンディの落ち着きようからして、彼女のライフが一つとは思えなかった。少なくとも二つは持っていると願いたい。
「根拠は?」
「勘だよ。信じるかい?」
「上等だわ」
「私も信じる。君に賭けるよ」
「随分と生意気な言い草ですわね。勝ったおつもりでいらっしゃるの?」
アマネールの背後でとろんとした声がした。競技場の中央に役者が出揃ったのだ。アマネール、リディア、ユリの三人を、ミフェルピアとウェンディが挟む形である。
いよいよ戦いの終焉が近い。互いに核も割れている。先に討ち取ったチームの勝ちだ。
「二人とも、よく聞いて」
リディアが口を開いた。
「ユリ。あなたとウェンディ、フィジカルなら絶対にあなたに分がある。冷静にやりなさい。負けたら承知しないわよ。
アマネール。あたしたちでミフェルを左右から一気に叩く。タイミングはあんたに任せるよ。あたしが必ず合わせるから、好きにやりな」
「「オーケー」」
「舐めんなっての」
ぽつりと呟いたミフェルピアは、大きく後ろに飛びのいた。自然にアマネールたちとの距離が生まれる。
アマネールは身構えた。焦らなくていい。僕らは二人だ。数的有利があるし、無理に仕掛ける必要はない。相手の出方を見切ってからでも、十分対処できるはずだ。
反目する両者の静寂を破ったのはミフェルピアだった。軽く助走をつけた彼女は、高らかに天へ舞い上がったのだ。
「今だ!」
アマネールは右から、リディアは左から駆け出し、ミフェルピアが空中で静止する瞬間を見計らって跳んだ。しかし、アマネールの予想に反して、ミフェルピアは跳躍の頂点に達するよりも前に、光り輝く剣を大上段に構えた。
「人呼んで常勝軍。それが白金剣団よ。私たちは......私は、負けない」
すぐにアマネールたちも蹴りの動作に移る。だが、三人がかち合うと思われた寸前に、ミフェルピアは剣を振り放した。黄金の閃光が、アマネールの頬をかすめた。
立て続けに二度、ガラスの割れるような音がした。アマネールの蹴りは盾に阻まれたものの、リディアの蹴りは標的を捉えている。然るに、紙一重のところでミフェルピアが放った剣が、二人の間を抜けてユリの背に命中していた。リディアの蹴りよりも、ほんのわずか先に。
会場の歓声が爆発した。チェリトゥードから試合の終了が告げられようと、その喝采はとどまることを知らなかった。
こうして天煌杯二回戦第一試合は、アマネールたちの善戦も虚しく、白金剣団の勝利で幕を閉じた。
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