第三章⑫ VS白金剣団(中)
◇◇◇◇◇◇ リディアサイド
競技場を縁取る幅一メートルの外壁の上で、雌雄を決さんとする二人がいる。
一方は、卓越した体術と鮮烈な赤髪から、鬼の異名を持つリディア・レッドフォード。もう一方は、天煌杯を二連覇したメイエールの主砲、折り紙付きの実力を持つミフェルピア・フリューヒトだ。
両チームのエースを担う少女たちの決戦は、思いもよらぬ展開へと進んでいた。
本来攻撃的なリディアが一転して逃げに徹し、ミフェルピアの剣をいなし続けている。事前にグレイが提案した戦術の通りに動いていたのだ。しかし、持ち味とは正反対の戦いを強いられた反動か、リディアの呼吸は乱れ、額には汗が浮かび始めていた。
「おかしいな。君、私を挑発したよね。そうまでして鬼ごっこがしたかったの?」
黄金に煌めく剣を構え、ミフェルピアは刺々しく言った。
「おかしいのはあんたでしょ? なにびびってるのよ」
リディアも負けじと口を開く。そうなのだ。おかしいのはリディアだけではなかった。ミフェルピアの様子に、リディアも頭を悩ませていたのである。
おかしいわ。ミフェルが距離を詰めてこない。あたしに匹敵するほど攻撃的な、あのミフェルがよ。あたしを捉えうる機会を二度も見逃している。ミフェルに限って距離を見誤りはしないだろうから、おそらく故意で......何でよ?
もしかして、ばれたかしら? あたしが時間稼ぎを企んでいるのが。いえ、違うわ。だとしたら一層攻めてくるわよ。ミフェルは勝ちにこだわるタイプ。相手の思うようにはさせたくないはず。なら、一体何でなのよ?
もしかして、お腹でも痛いのかしら? いやいや、まさか。これも違うわ。にしては動きがよすぎるもの。とにかく、肝心な局面だけなのよ。ミフェルが踏み込んでこないのは。あたしの懐に入りさえすれば、討ち取るチャンスは十分あるのに。なーんか遠慮されてるのよね。
も、もしかして、あたし嫌われてるのかしら? 俗に言う、集団なら平気だけど二人きりは気まずい的なノリで、うまく近寄れずにいるとか? あ......ありうるわ。一昨年ミフェルに負けたとき、またやろうって約束したのに、あたし去年欠場しちゃったからなあ。
「無茶言わないで。びびってるのは君でしょ? なぜ逃げるの?」
ミフェルピアは取り澄ました表情で返す。リディアの葛藤など知る由もないのだろう。
「傍から見ればそうでしょうけどね」
リディアの言う通り、観客がミフェルピアの異変を見抜けるはずはなかった。彼らの目に映るのは、逃げ惑うリディアと攻め立てるミフェルピアという構図だろう。リディアは当事者として相手を注視していたからこそ、その些細な間合いの変化に気づいたのだ。
リディアはちらりと上空を見た。白鳥座の星霊が戦況の把握に努めている。白金剣団の初戦を見ていたユリなら、もしかしたら......。だが、それは確証のない望みでしかない。結局、ミフェルの異変を確実に悟っているはあたしだけ。リディアは自分に言い聞かせた。あたしがなんとかするしかないわ。
「これならどう?」
ミフェルピアはそう言い放ち、今までより数段速く剣を振るった。黄金の光芒がリディアの腹部に迫る。リディアは人体の限界近くまで身を反らし、それを躱してみせた。
「まだぬるいわよ。その程度の剣、あたしは食らわないわ」
「君ったら、どこまでも逃げるつもりなのね。わけありなの?」
ミフェルピアはしたり顔でにやけている。打って変わって、リディアの赤髪を冷汗が伝った。
しまった。考え込むあまり顔に出たかしら。やらかしたわ。でも大丈夫。作戦の全貌まではバレようがないもの。あたしが核の囮として逃げ回っていることは決して......あ。
もしかして! ミフェル、核なのかしら? そう考えれば辻褄が合うわ。ミフェルはあたしを討ち取るよりも、自分が削られないように動いていたのよ。接近を嫌ったのは、あたしの射程に入るのをためらったからに違いないわ。そうよ、そうだわ。あたし、嫌われてなかったのよ!
「なに急に。何でにやついてるの?」
ミフェルピアが不審げに眉を寄せる。
「......うるさいわね。こっちの話よ」
リディアは雑に返した。
まずいわ。あたしの仮説が正しければ、勝つためにはミフェルを討ち取る必要がある。守りに意識が傾いているミフェルを倒すなんて、至難の業よ。
でも......ふん、面白いじゃない。やってやるわ。落ち着きなさい、リディア・レッドフォード。図らずも、逃げていたのが布石になってる。できるわよ。
リディアの覚悟を打ち砕くように、ミフェルピアは輝かしい剣を構えた。懲りずに腹を狙った一撃を、またもリディアは極限までのけぞって回避した。
ここからがリディアの真骨頂だった。手を地についてバク転のように身を翻し、煌めく刀身に着地したのだ。そのまま足幅より細い刃を疾走し、標的の手前で跳躍すると、流れるように会心の蹴りを叩き込んだ。
リディアが仕掛けたタイミングは完ぺきだった。並の相手であれば、間違いなく決まっていただろう。
しかし、今回ばかりは話が違った。星霊使いの教育に力を注ぐ島、メイエール。その主砲たるミフェルピアの左手には、輝かしい盾が具現化していた。いつの間にか剣を収め、器用に盾へ持ち替えたようだ。
リディアが捉えたのはミフェルピアの生身にあらず、白金剣と並ぶペルセウス座の武器、眩い金色の盾であった。
「だから何? 布石だっつってんのよ」
リディアはなおも不敵に笑う。
「一発は盾に防がれるなら、二発食らわせるまでだわ」
リディアは宙で体を捻り、今度は逆足で蹴りかかった。いわゆる二段蹴りである。初撃はあくまで囮だったのだ。相手を削るのではなく、追撃の起点になる一手だった。そして見事、リディアの二撃目はミフェルピアの胴体に命中した。
しかし、相手を捉えたのはリディアだけでなかった。空いていたはずのミフェルピアの右手に、気づけば剣が握られている。
「知ってるでしょ? 私はこの剣を自由自在に宿せるの。お相子だよ」
ミフェルピアが突き出した剣尖は、リディアの腹部に到達していた。ガラスの割れる音が重なるように響き、二人は衝撃でそれぞれ後方へ弾き飛んだ。
◇◇◇◇◇◇ グレイサイド
「ようやく動いた。リディアとミフェルピア、相打ちだよ。リディアから仕掛けたみたい」
ユリが呟いた。
「まずいな。俺たち全員残り一機だ」
ノアが声を落とす。
「俺らも攻めなきゃいけない時間帯だぜ。どうだ? グレイ。核はわかったか?」
「ああ」
肯定的な返事とは裏腹に、グレイは歯ぎしりしている。
十中八九、ミフェルピアが核だ。違和感は試合開始直後からあった。逃げ回るリディア相手に遠慮するなんて、どう考えてもおかしい。
指示を出すウェンディの不在、白金剣団の基本陣形が崩された不安。上げようと思えば原因は列挙できるけど、今一つしっくりこない。
何よりサリナとクラリーセに委縮する様子がないのが証拠だ。ちくしょう。よりによって一番能力の高い奴とは。
「状況は最悪だよ。一つ、勝ち筋が残されている点を除けばね」
「ならその筋書きを教えてくれ。グレイよ」
ノアは嬉しそうに言った。
幸いなのは、リディアもこの状況を汲み取ったらしいことだ。頭はちょっとあれだけど、こと格闘において彼女の直感は頼りになる。事前の作戦に背いてまで、チームの不利になるような馬鹿はしないはずだ。リディアもミフェルピアが核だと察したからこそ、反撃に転じたに決まってる。だとしたら、たしかに勝機はある。
注意すべきは、リディアの奇襲が功を奏したのは、逃げの布石があったからに過ぎないということだ。もう同じ手は通用しないと思っておいた方がいいだろう。とするとーー。
「圧倒的な個を潰すためには、多方面から畳みかけるしかない。どうしたってミフェルピアの盾は一つだからね。そのためにノア、僕らは一刻も早く中盤を制する必要がある。ウェンディに何もかも見透かされたら、それこそお終いだ。いいかい? 手段は選ぶな。刺し違えてもいい。最速でサリナとクラリーセを片付けるぞ」
「刺し違えてもって、そりゃ一体? 奴らのライフ数すらわからないんだぜ?」
「多分二人とも一つずつだ。ノア、僕を信じろ。とにかく今は、この中盤を切り拓かなきゃならない。そしたらアマネールの道ができる。彼に託そう。大丈夫、ウェンディとアマネールなら絶対にアマネールだ。百パーセント振り切れる。アマネールとリディアで挟み撃ちできれば、そうすれば......」
その時だった。グレイとノアの足元で、青く透き通った魚がはねた。
「なるほど、ウェンディ」 とクラリーセ。
「オッケー」 とサリナ。
「気を付けて! 敵もここで仕掛けてくる!」
ユリが叫んだのも束の間、クラリーセはノアの、サリナはグレイの間合いに一瞬で入った。先ほどよりも一段階速い。共にギアを上げたのだ。
「にゃろう、手を抜いてやがったな。舐めやがって」
ノアはぶっきらぼうに言った。
「俺は中距離が得意なだけだ。近接戦も苦手じゃないぜ」
ノアは黄色いもやが凝縮された足を振り抜く。彼の右足と、クラリーセが蹴り上げた左足は、互いにまともに入った。またしても相打ちである。
しかし、グレイは一方的に削られた。肉弾戦になれば、結束式の使い手であるサリナが圧倒的に有利。それは動かしがたい事実だった。
会場に歓声が沸き上がる。選手の脱落を示すチェリトゥードの笛が、立て続けに三度吹かれた。
「さ、続きをやりましょう」
一対一でユリと向かい合い、澄まし顔でサリナが言う。
「むり」
ユリはにこやかに微笑んだ。
「お返しだよ」
サリナの背後で突風が吹く。次の瞬間、白鳥がサリナに激突した。上空から急降下した白鳥がもたらす衝撃は、水晶水のバリアを割るのに十分であった。




