表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星の紡ぎ人  作者: ひかげ
第一章 星の都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/37

第一章② 失われた魂



 目を開くと、そこは別世界だった。眩い純白の世界が幻だったかのようだ。アマネールを運んでくれた空色の獅子は、影も形も見当たらなかった。


 少年がいたのは、幅三十メートルくらいのレンガ道。視界は開けていて、満足にあたりを一望できた。


 レンガ道の両脇には、おそらく四階建てだろう、背の高い建物が並んでいる。それらの塗装は不揃いで、黄土色の壁があれば、焦げ茶や真っ白の壁もあった。個性豊かな並びの奥に立つ、ひときわ高い塔は時計台のようだ。塔の頂上付近に巨大な鐘が見て取れる。


 道の中央部は石畳で埋め尽くされ、その上に露店が連なっていた。最も近くの店舗はスイーツ専門のようだ。パイやらタルトやらケーキやら、色とりどりの商品が棚に並んでいる。その左右には、紐を通したスズランの植木鉢が吊り下げられていた。レトロな陳列棚の奥には、せかせかと作業するおばさんの姿が見える。


 印象的なのは、アマネールのそばにあるぺガススの銅像だ。天馬が優雅に羽を広げるその像は、ずいぶん昔に作られたものらしく、あちこちに苔が生えていた。


 総じてどこか歴史を感じる街並みだった。先ほどの空虚な白の世界とは何もかも違う。当たり前に物が存在し、当たり前に人間がいる。その月並みな光景が、アマネールを安堵させた。


 ただ、世界が変わろうと、自分が置かれた状況はわからないままだ。謎多き身の上を明らかにすべく、アマネールは手前の露店に立ち寄った。



「ねえおばさん、ちょっと聞きたいんだけど」


「あら、見ない顔ねえ。新入りさん?」


 逆に質問をしてきたのはおばさんの方だった。


「あー、うん。ほんの数分前に目が覚めた」


「そう、いらっしゃい」


 おばさんはにっこりと笑う。


「で、あなたは何が知りたいの?」


()()はどこ?」


 アマネールの疑問が率直すぎたのだろう、おばさんは面食らったような顔をした。


「......エステヒア。通称、(ほし)(みやこ)よ」


 わかりやすく、彼女は返答に詰まった。アマネールの知りたいことを理解したうえで、それを濁したのだろう。


()()の、エステヒア?」


 都の名前があれば、国の名前もあるはずだ。アマネールは食い下がった。


 舐めてもらっては困る。なんせ現実離れした空間で不気味な老婆と出会い、化け物じみた獅子に乗ってここまで来たのだ。今ほどの体験以上に衝撃的な答えが返ってくるはずがない。アマネールはそう意気込んでいた。


 しかし、次に彼女が告げたことは、アマネールの据わった肝を木っ端微塵にするのだった。


「そこまで言うからには観念なさい。ここはね、()()よ」


 アマネールはてっきり耳がおかしくなったと思った。


 死後? 死後だって? 僕はもう死んで......痛っ!


 突如としてアマネールを激痛が襲った。目の奥がずきずきと、焼けるように痛むのだ。そればかりか、彼の視界は緋色一色に蝕まれた。


 なぜか少年の瞳に刻まれた紅蓮の世界。瞬く間にその光景が膨らみ、意識を支配されたのである。


 それはほんの一瞬だった。刹那に現れた謎の世界は、あっという間に消え去ったのだ。アマネールの視界はすぐに元通りになり、目の痛みも嘘のように和らいだ。


「......僕、今生きてるよ。ほら......どうだい?」


 自身に起きた異変を悟られぬように、動揺した気持ちを落ち着かせるために、アマネールは両手を振るった。


 たちまちおばさんはくすりと笑う。アマネールがそう主張するのを待っていたようだ。


「みーんな最初はそう言うのよ。安心して。厳密に言えば、あなたの人生は終わっていない。この世界で()()()()の。命の灯は消えてないのよ。まあ、()だけは別なんだけどね」


 たましい? 唐突に持ち出されたスピリチュアルな単語に、アマネールは呆けるほかなかった。



「あなた、名前は何て言うの?」


 打って変わって、おばさんは明るく問う。


「アマネール。アマネール・アズール」


「私はルエラよ。よろしくね、アマネール。驚かせてごめんなさい、悪いことしちゃったわね。でもねえ、あなたにも非はあるのよ。ちょっと好奇心が強すぎるわ」


 ルエラはそう言って、陳列棚に並ぶ色鮮やかなマカロンを差し出した。


「ほら、お召しになって」


 咄嗟にアマネールは上着のポケットに手を突っ込む。悔しくも、彼が握ったのは虚空だった。続けてズボンの方も確認してみたけれど、結果は変わらない。恨めしそうな視線をマカロンに送るアマネールに、ルエラはにやにやと笑って言った。


「お代は結構! エステヒアに貨幣はないの、ぜーんぶ無料(ただ)なのよ」


 郷に入っては郷に従えである。アマネールはありがたくマカロンを頂戴した。



「お腹すいてたの?」


 もぐもぐと口を動かすアマネールに、ルエラは訊いた。


「ペコペコだよ」


 ルエラは呆れたような、嬉しいような顔をした。そして、棚から追加でケーキを取り出した。


「せっかくだし、話を聞いていきなさい。ちょうどいいわ。私も若人の血が恋しくてね」


 ルエラは店奥から椅子を持ってくると、アマネールを中に招き入れた。



 アマネールが食べ終わるのを待って、ルエラは喋り始めた。先ほどアマネールが動揺したのは隠しきれなかったらしい。ルエラはこれ以降、少年の死に直接触れようとはしなかった。


「ところでアマネール。あなた今いくつ?」


 アマネールは言葉に困った。わからないのである。純白の世界で自覚した通り、今の彼にある個人的な記憶は名前だけだった。


 ルエラもそれをわかって尋ねているようだ。返答に困るアマネールを面白そうに見つめている。


「ふふっ。言ったでしょ? 魂が別だって」



 魂という、実在するかも疑わしい概念について、ルエラは真剣に語りだした。


 ルエラによれば、それは確かに存在する。そしてこの世界の住人は、一度魂を失くしているそうだ。終わりを迎えた人生が、死後の世で続く代償として、()()()()を失っているのだという。


 一般に死後、肉体と魂が離れ離れになることで、身体から意思が断ち切られるらしい。言い換えれば、魂なくして生物は活動できないのだ。つまりーー。


「あなたは前世の魂を失くしているけれど、今は確かに一つ、魂を体に持ち合わせてる。新たな魂をね」


 アマネールはこの世界に入る際、前世のとは別の魂を授かっているそうだ。


「魂とは、その主の根幹であり、言わば生命と精神の支柱なの。故に魂には、宿り主の人生そのものが()()()()()()()()()のよ」


 アマネールは死を境に、そんな前世の魂を失ったために、死ぬ前の自分がまるでわからない。前世の魂の消失こそ、自身が何者か知りえない原因だったのだ。


 一方で、この世界での出来事(老婆と会って空色の獅子に乗ったこと)を覚えていられるのは、新しい魂に記憶が刻まれたからなんだとか。



 大まかな理屈を聞かされようと、肝心の状況は変わらない。己に関する記憶の欠如に、アマネールは言いようのない心細さを覚えた。うつむく少年を気遣うように、ルエラは優しく声をかける。


「自分がわからないって、気味が悪いでしょう? でもね、そう落ち込まなくていいのよ。あなたは全てを失ったわけじゃない。名前だって覚えてるし、それに、年齢だっていずれ......」


「ルエラおばさんは? 知ってるの?」


 咄嗟にアマネールは話に割って入った。


「四十六歳よ。十一月生まれのね」


 ルエラはわざわざ前世の生まれ月まで教えてくれた。


「案外簡単にわかるのよ。ちょっと見てもらうだけだから。あなたも楽しみにしておきなさい。きっと、もうすぐにでも知る時が来るわ」


 ルエラのはぐらかすような返事は、少年にそれ以上の言及は無用だと理解させるのに十分だった。



「ちょっといい?」 とアマネール。


「なんで僕、名前だけは覚えていられたの?」


「前世の魂を構成する要素のうち、最も大切なものだからよ。


 言ったでしょ? 魂には宿り主の人生が記憶として刻まれるって。名前はね、人が生を受けて最初に授かった、その人を示す大事な言葉。すなわち、初めて魂に刻まれたのが名前なのよ」


 ルエラは丁寧に答えてくれた。彼女曰く、一番に刻まれる名前こそ、前世の魂に最も深く刻まれた要素だという。


 そして、魂の最深部に刻まれた名前は、自然と肉体に染みわたる。魂の有無に関係なく、体に記憶として刻まれるのだ。だから前世の魂をなくそうとも、名前だけはこの世界に持ち込めるらしい。


「ふーん......」


 一通り話を聞いたのち、アマネールは唸った。どうしたって簡単には納得できないが、事実、名前以外の記憶はない。ルエラに反論はできなかった。



 その時、一帯に大きな鐘の音が響いた。音の鳴る方へ首をやると、先刻目についた時計台が見える。時計盤は十六時を示していた。


 アマネールが時計台から視線を戻すと、それは音もなく現れていた。


 まるで生気を発さないくせして、よく知られた動物の形をしている。白く透き通った体が日光を反射する様は、まさにダイヤモンドのよう。生き物を超越した美しさを放つ牛が、そこにいたのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ