第三章⑨ 遠い日の記憶(下)
◇◇◇◇◇◇
「何故嘘をついたのです?」
「失礼ね。何も嘘はついてないわ」
ウテナは口を尖らせる。
「あれじゃ嘘ついたも同然ですよ」
「いいじゃない。物事はね、多少秘密めいていた方がいいのよ。宝探しみたいに」
アマネールが去ったバジュノン宮殿の最上階で、ウテナと男が言葉を交わしている。その男は、エステヒアで蛇からアマネールを救った張本人であった。
艶やかな黒髪は頬の中ほどまで流れ、長い睫毛が印象的な顔を縁取っている。半開きの上質なシャツからは、純白と淡青が入り混じった、月の光を宿したような宝石の光るネックレスが覗いていた。
「やけにあの少年を気に掛けていますねえ」
男はからかうような声色で続けた。
「当たり前でしょう?」
「およそ三百年ぶりに、エステヒアに降り立った繋がりし者に眠る前世の記憶が、心配で心配でしょうがないと?」
「他に何があるってのよ」
いつにもまして、ウテナの口調は刺々しい。
「あなたも理解してるでしょ? アリスの魂の欠片に刻まれた記憶は、前世への悔いに溢れたものだったのよ」
深い嘆息を漏らし、ウテナは肩を落とした。
「かつてアリスは、随分とそれに苦しんだって聞いたわ。星霊が暴走したのも、そのせいだと言われているしね。
当時のアリスと違って、まだアマネールは子供なのよ。もし彼の記憶も前世への悔いで満ちていたら......誰かが支えてあげないと、心が壊れてしまうわ。前世の記憶らしき夢が途中で覚めてしまうのも、無意識に夢を拒んでいるからかもしれないし......何にせよ私たちは、あの子の力にならないと」
ウテナは決意を固めたように、敢然と締めくくった。
「そう仰る割には、トーナメント仕組んだでしょう? 二回戦で白金剣団なんて、とても公正とは思えませんけど」
男が混ぜっ返す。
「あら? 何のことかしら」
「策士め」
半分舌を巻いたように、半分呆れ返ったように、男は肩をすくめた。
「さては、アリスの記憶を一部省いたのもわざとですね?」
「当たり前でしょう! しかるべき時に、しかるべき事だけを伝えないと。男の子ってば、すぐ無茶するんだから」
「ははっ。過保護ですねえ」
軽口をたたく男に、ウテナは冷たい視線を投げた。
「私は真面目に言ってるのよ。巨大な禍黎霊を前に一歩も引かないなんて、危なっかしすぎるもの」
「勇猛果敢とも取れますよ?」
「あんた......本気で思ってるの?」
男は黙ったまま、何とも言えない表情を浮かべた。微笑と苦笑の境界で揺れるような、曖昧な笑みだった。
ーー確かに危うい。歪みの入り方によっては全壊しかねない。それでも、引くわけにいかねえんだ。そうだろう? 少年。
「ともかく、アマネールは任せたわよ」
窓越しに優雅な夜空を見つめるウテナに、男はただ一言、きっぱりと述べた。
「仰せのままに」
「そう言えば、アマネールと一緒にいる女の子、姓がアダマスよね? まさか......」
ひと呼吸おいて、思い出したようにウテナが切り出す。
「そのまさか、です。俺も驚きですよ。一つ言えるとすれば、元気で何よりってところかな」
男は心底嬉しそうに呟いた。
「声ぐらいかけてやりなさいよ」
「悔しいですが、今の彼女に俺は必要なさそうなので」
ーーそれに、約束したからな。けりをつけるって。
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選手寮に戻ったアマネールを待ち受けていたのは、興奮冷めやらぬグレイとユリだった。アマネールが部屋の扉を開けると、グレイは待ちわびていたように叫んだ。
「前に君が言った通りだ! ほら! これを見て。とうとうユリが見つけたんだ」
グレイがよこしたのは古い用紙の切れ端だった。でかでかとした文字で『禍黎霊、現る』と記されている。そのすぐ下に、『~天煌杯三連覇を目前に消えた、悲劇の英雄~』と副題が記載されていた。
「前人未到の天煌杯三連覇を目前にしたその日。メイエールの傑作と謳われる男が姿を消した。何の前触れもなく、何の置き土産もなく。はなから紅の鷲など存在しなかったように、跡形もなく消え去った。多くの民からの禍黎霊の目撃証言と、ありありと残された冥跡と引き換えに......だって」
顔を紅潮させたユリが、記事の仔細を読み上げた。
「三連覇......? 白金剣団と同じだ」 とアマネール。
「八年前も天煌杯が狙われたんだよ。紅の鷲はメイエール出身だけど、事件が起きたのは本土だったんだ」
ユリは噛みしめるように言った。
「筋書きはこうだ。天煌杯決勝戦当日、史上初の三連覇がかかった試合を前に、民草の熱狂は最高潮に達した。行き過ぎた盛り上がりは各地の治安を乱し、至る所に星斗会員が派遣されるほど事態は悪化。そのため星斗会の人員が分散し、本土中枢の警備は著しく手薄となった。本事件はその隙を突いた犯行だろうと我々は推察する、って書かれてる」
続けて、グレイが最後まで記事を朗読した。
「人員が分散......まずい。今はヴェールコルヌ派が、丸ごとエステヒアに派遣されてる」
アマネールは、ウテナから聞いた話をグレイとユリに報告した。禍黎霊による追加の被害を警戒して、星斗会を支える二派閥の一つが本土を離れているのだ。それも、半年間もの長期にわたってである。天煌杯の決勝は、三か月後に控えているというのに。
アマネールは今になって、エステヒアで長老の生誕祭を狙ったあからさまな襲撃が、本土の警備を削ぐための手段だったのだと理解した。ウテナの慎重な性格を見越した巧妙な陽動作戦だったのだろう。
「アマネールの話を合わせると、ますます間違いなさそうだね」
ユリは確信したように呟く。
「うん。やり口から状況まで、八年前と面白いくらいに酷似してる。同一犯に違いない。星斗会の戦力を散らす事件が起きたうえに、天煌杯で三連覇がかかるチームがあるなんて。ただの偶然にしては出来すぎだ」
熱に浮かされたように、グレイは一息で喋った。
「そして、件のチームに属する繋がりし者はただ一人......ペルセウス座の星霊使い、ミフェルピア・フリューヒト」
アマネールはきっぱり言い切ると、先日の謀議を思い返しながら続けた。
「間違いない。連中が欲しているのはミフェルピアの力だ。かつて紅の鷲が襲われた悲劇が、繰り返されようとしているんだよ。白金剣団が天煌杯を順当に勝ち進み、民衆の熱が頂点に達した頃合いを狙ってね。今年は白金剣団の三連覇を利用するつもりなんだ。奴らが言った来るべき刻限には、そういう意味があったんだよ」
己に言い聞かせるように、アマネールは記事を読み直した。そして、ふと疑問を覚えた。
「この用紙、どうしたの?」
「前に言ったろ。ページが破られてる書物があったって。だから保管庫をあさったのさ。そしたらビンゴだ。盲点だったよ」
保管庫とは、本来学校の図書室に置かれるはずだった資料が、諸事情により別置されている場所らしい。予備資料や非公開の参考文献など、様々なものも併せて収められているようだ。
「よく入れたね。こんな秘匿されるべき記事もあるのに」
アマネールは素直に感心した。
「もちろん、一般生徒にその権限はないんだけどね。ほら? 僕、優等生だから。授業で得た知見を深めたいとか言えば、割とすんなりだったよ」
グレイはエア眼鏡をくいっと上げた。なんとも憎たらしい仕草である。
「どうする? 事はすべて、奴らの思い通りに進んでるよ。白金剣団の三連覇も、ヴェールコルヌ派の派遣も」
ふざけている場合ではないことを、ユリが思い出させてくれた。
「いいや、おおよその決行日が割れてるんだ。なら一つあるじゃないか。奴らの綿密な計画に水を差す手立てが。当の禍黎霊使いを叩くわけじゃないから、あくまで物事の根本的な解決には至らないし、それに......ちょっとだけ難しいけど」
意味ありげなグレイの言い方に、アマネールもすぐにピンときた。
「白金剣団の三連覇を未然に防ごう。僕らが次の試合に勝てばいい」




