第二章⑦ 天煌杯
「そりゃあ、天煌杯だな。うん。間違いねえ。君、勧誘されてるんだ」
後日。アマネールから謎の少女ーーユリ・アダマスとの出会いを聞いたのち、ノアは唸った。
「てんおうはい? 勧誘?」
「チーム戦だからな。その子、人手が足りないんだ......たしか君、禍黎霊と戦って星霊が発現したんだったよな?」
ノアは、うーんと考えるように言った。
「なら、ちょうどいいかもな。たしかに君の記憶が戻るかもしれない」
どうやらノアは少女の提案に乗る気なようだ。
「てかさ、天煌杯って何?」
割り込んだのはグレイだった。いくら優等生と言えど、彼はこの世界に来て一か月、まだ知らないこともあるらしい。
「年に一度開かれる、星霊使いの武道会さ。超盛り上がるんだぜ」
ブロンド髪をさらりとかき上げ、ノアはにやっと笑った。
◇◇◇◇◇◇
かくてアマネールたちは、選手寮への道を歩いている。現在彼らは、バジュノン宮殿の裏手を流れるエリダヌス川を渡っていた。その川幅は三百メートルにも及び、エステヒアを流れるアーデント川の優に六倍の広さである。
驚くべきは、そんな本土を貫く大河の正体が、死後の世を象徴する神秘、天に浮かぶ星座を霊体として顕現した星霊らしいことだ。
「エリダヌス座は珍しい星座でさ、川がモチーフなんだよ。知ってるかい?」
威厳のある石造りの吊り橋を歩きながら、グレイは物知り顔で解説する。橋の途中に設置された、天高くそびえる二つのアーチのうち、一つ目を潜り抜けたところだった。
アマネールが橋上から大河を見下ろすと、たしかに紺碧に透き通った水面が、星霊特有の燦然とした煌きを放っている。
川面には、金細工で装飾された木目調の遊覧船が浮かんでいた。ゆったりと航行する船の前方を、薄紅に透き通ったイルカが泳いでいる。エステヒアで魚座の星霊が小舟を牽いていたように、海豚座の星霊が遊覧船を導いているようだ。
「ならこれは知ってるか?」
ノアはグレイの肩を小突いた。
「エリダヌス川には、底なし沼の伝説がある。この川に何か落としたら、二度と帰ってこないんだぜ。だからグレイ、もし君が落ちようものなら......」
ノアはそう言って、グレイを軽く押し飛ばした。ふらりとよろめいたグレイは、はったとノアを睨めつける。
「勘弁してくれ。僕、水はダメなんだ。思うに、前世でカナヅチだったんだろうな」
予想以上にグレイの反応がよかったからか、ノアはにやにやと笑っている。
「でも、どうして二度と帰ってこないの? エリダヌス川が星霊なら、誰かがこの大河を意のままに操れるんだろ? ならむしろ、落としても平気そうじゃないか。どこぞの預言者みたく川を切り拓けば、すぐに取り出せそうなものだけど」
アマネールは思ったままを口にした。
「その誰かさんが問題なのさ。エリダヌス座の主は何かと悪名高いんだ。例えば、やたら気難しいからまともに取り合ってくれないとか、えらい金好きだから巨万の富を要求されるとか。どれも確証のない話だけど、エリダヌス川に落ちたら一巻の終わりってのは本当らしいぜ。アマネールも気をつけろよ」
二つ目のアーチを抜けながら、ノアは返答する。今度は隙を見て、グレイがノアを押し返した。
ふざけ合う二人を横目に、アマネールは再びエリダヌス川へ視線を落とす。前にノアは「本土じゃそこいら中に星霊がいる」と言ったけれど、大地を走る川までもが星霊とは、アマネールには思いもよらなかった。
やがてアマネールたちは選手寮に到着した。寮は広大な敷地を占めているようで、一帯が白い岩壁で囲われている。威風堂々とした外壁の上には回廊が設けられ、壁面には規則的に円錐形の尖塔が配されていた。
堅牢な門を通ると、手入れされた潅木に縁取られた中庭が広がっており、奥には古城を思わせる建物が佇んでいる。建物に入ったアマネールたちは、ユリの指示通りに十六号室へ向かい、静かに扉を叩いた。
ガチャリと扉が開く。出迎えてくれたのはユリだった。彼女はてっきり、アマネールだけが来るものと思っていたのだろう。予期せぬ男三人に戸惑ったユリは、慌てて部屋にいたもう一人の少女の陰に隠れた。
うっすらと気まずい空気が漂う中、ノアはバツが悪そうに会釈する。するとユリの友人らしき少女が、「まあ入んなよ」とアマネールたちを手招きしてくれた。
「あんたら、何座?」
部屋に落ち着いてすぐに、ユリの友人が尋ねてきた。鮮やかな深紅のショートヘアが印象的である。
「俺射手座、結束式」
初めから聞かれるのがわかっていたように、ノアはてきぱきと答える。
「僕牡羊座、召喚式」
続けてグレイが返した。共にルグラである彼らは、誕生日に対応する黄道星霊を宿しているのだ。
結束式と召喚式は、星霊使いの二流派のことだ。召喚式は星座を模した霊体を呼び出すのに対し、結束式は自分の体そのものに星霊を宿す。
「盾役ありか。ちょっと古臭いけど及第点ね。で、あんたは? 正直あんた次第よ。攻撃陣は三枚ほしいもの」
赤毛の少女はアマネールに目配せする。
「僕......知らない」
アマネールはたじたじと答える。
「聞いて驚け、赤頭。エステヒアの繋がりし者だぜ、こやつは」
ノアがそう付け加えると、少女は面食らったように固まった。
「え? うそ。まじで??」
「まじ。一応だけど」
「ユリ、あんたすごいの連れてきたわね」
ユリは誇らしげに胸を張った。
「でも知らないって、どこまで知らないの? まさか何もかもってわけじゃないでしょ? 天結だって着けてるし」
アマネールの耳をちらりと見て、少女は一気にまくし立てた。己が何者たるかを自覚していない少年に、俄然興味を持ったようだ。
「エステヒアでいろいろあって。一回だけ、たまたま星霊が発現した。完全に顕現したわけじゃないから、何座かはわからない」
アマネールは加えて、星霊が身に宿ったのはその時限りで、以来顕現できずにいる現状も説明した。
「流派は?」
「結束式だよ」
「なら見込みありよ。十二分に戦える。上等だわ。あんたら、あたしたちと天煌杯出ない?」
「こちとら、そのつもりで来てんだぜ」
ノアはずいっと身を乗り出し、二つ返事で少女に与した。
「決まりね。あたし、リディア・レッドフォード」
リディアの名乗りを受けて、ノアは何かに気づいたようだ。
「レッドフォードだって? それにその髪色......さては鬼だな? 君」
「おに?」
情けない声を出したのはグレイである。
「ものの例えよ。失礼ね。レディを化け物でも見るような目でみて」
リディアはしかめっ面である。
「有名な星導師の家系、レッドフォード家の一人娘。天煌杯初出場にして、最多KOを成し遂げた偉業を持つ。その全てが素手による打撃だったのと、本人の特徴的な髪色から、鬼の異名が付いたという......」
星導師とは、新たな命が誕生しないこの世界で、血脈を保つ一族のこと。本来は限られた者にのみ開かれる死後の世に、生まれながらに来るのが決まっている人たちである。
「その話はやめて。結局負けたんだから」
リディアは無理にノアの話を遮った。しかしどうやら彼女、かなりの実力者なようだ。
「今年獲ろう、リディア」
友達を励ますように、ユリが口を開く。
「初めまして、私ユリ。ユリ・アダマス」
ユリはノアとグレイを見比べながら話した。自身の友人を受け入れてもらえたようで、アマネールは嬉しかった。
ユリに応じてアマネールらも自己紹介をし、しばらく五人で談笑した。聞けばユリとリディアはともに十五の代で、アマネールたちの一個上だそうだ。ユリは一年前に、星導師であるリディアは七年前にこの世界に来たらしい。
それからアマネールとグレイ同様、ノアとユリも天煌杯に出場した経験はないらしかった。経験者はリディアのみというわけである。これを聞いて、アマネールとグレイは心底ほっとした。
会話のさなか、アマネールが借りていたハンカチを返すと、ユリはえらくにこにこしながら受け取った。その際、ノアが口笛ではやし立てたが、アマネールにとってこれほど勘弁してほしいことはなかった。
「詳細はまた今度ね。練習場の使用許可が取れ次第、すぐに声を掛けるわ。素人四人だし、あまり時間もないし。それと、左棟十六号室があんたらの部屋だから、使っていいわよ」
当てのない世間話もひと段落ついたころ、リディアが告げた。
「左棟?」
ノアが聞き返した。
「そう。右棟は女子寮だもの。なに? あたしたちと寝る気だった? あらごめんなさい、お断りよ」
リディアはにべもなく言う。そんなわけでアマネールとグレイは、リディアに一矢報いようとするノアを押さえ込んで部屋を出た。
この日の出会いを契機として、アマネールの生活はがらりと変わるのだった。
次話から三章です。よろしければ、ブックマークや評価をしていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。




