祈る少女は確かに死んで
私が配備されているミナト少佐の部隊に与えられた任務は、戦局を大きく左右するとても重要な作戦でした。
敵国の領内に深く侵入して、軍事工場で開発されてる強力な最新鋭の兵器を奪取。そしてそれを本国まで輸送するという、死にに行けと言われているような難度の高い無謀な指令です。
ミナト少佐は、左官という軍内での位が高い階級にいます。
軍部での親の地位が高いらしく、まだ二十代前半という若輩でありながら異例の速度で出世しているんだとか。
それなのにどうしてこのような危険な任務を押し付けられたのかと言うと、有り体に言ってしまえば僻みからみたいでした。
もちろん突っぱねる事は出来たのでしょう。
でもミナト少佐は承認したんです。
「俺はこの世界から、戦争を無くしたいと思っている」
国境を越える為の行軍中。見通しの悪い森の中。
虎穴に入っていくような行為に拒否感を示す隊員達の前で、ミナト少佐はそう内心を吐露しました。
「サンサーラは異質に思う。誰もが争う理由ばかりを探しているように見えるし、口にする。まるで戦争が終わってはいけないみたいに。俺はこの世界に平和な時代を作りたいんだ」
ミナト少佐は純粋種と呼ばれている人達の一人でした。
まだ物心つく前に、例えば死産などで死んだ幼い魂の転生体です。
地球の記憶をほぼ持たない、もはや純粋なこの世界の住人。
そういった方々が、揶揄を込めて純粋種と区別されています。地球人とは違って真面目にサンサーラで生きてしまっている迷惑な奴らと認識されているんだとか。
見た目は大人ですがミナト少佐の合算年齢は私の十歳くらい年下なので、私は困難な目標を掲げる彼が眩しくて目を細め、また優しい性根が齎したその目標を愛おしく感じました。
ミナト少佐の存在は、私にとって正に福音と言ってしまっても良かったでしょう。
「ま、それには同意しますけどね」
隊員の一人がミナト少佐の穏やかな野望に――泰平の世を望む姿勢に、共感をしてくれました。
なんにせよ、どうせ軍人であるからには命令には従わなければいけません。
自ら進んで死に歩み寄って行く馬鹿な自分への苛立ちを宥める理念として、ミナト少佐のその言葉は有用だったようでした。
「カナリア、君の力があるから引き受けたわけじゃない。俺はそれがなくてもこの任務を受けていたと思う」
「はい。ミナト少佐が命を大切にする方なのは知っています」
「けどこの作戦行動内容は、君の力を頼る事が前提の強行軍だ。普通ならこんな大胆な計画にはならない。君には大きな負担を強いることになってしまう……」
「今もどこかで悲しい気持ちが生まれているんでしょうし、それを想い早期の解決を目指すあなたの助けになることを、私は嬉しく思っています」
「……わかった。なるべく慎重に行くよ。出来る限り、君を死なせない」
ミナト少佐はそう言ってくれましたが、現実は厳しいものでした。
道中、私は何度も死にました。
その度に死亡地点から数日前に戻されて、同じ轍を踏まないように工夫しながら前進を続けます。
目論見通りに敵勢力の軍事工場に隠密しきって辿り着き、予定通りに新兵器の強奪を成功させました。
ですが、本番はむしろここからです。ここから先は、否応なく敵にこちらの存在が露見している状態での帰路となります。土地勘のない敵地での行動ですし、交戦頻度、投入戦力、敵兵士の心構えはこれまでの比になりません。
――そして、何度も死に戻りを経験する内に、一つ分かった事があります。
私の命は、無限では無いようなんです。
おそらく生きていられる時間は有限で、寿命以上の体感時間を生きられることはないようなんです。
もっとわかりやすく言うと。
寿命があと一ヶ月だった場合、死に戻りの最大日数である七日を四度繰り返せば、五度目の世界線では三日もかからず死んでしまう。
そんな感じがするんです。
誰かに説明されたわけでもなく所詮私の感覚に過ぎないのですが、フィンチ族が短命種族だと一般的に言われているのはこれが理由なんだと思います。
体感時間は天寿を全うできるけれど、観測できる時代の尺はとても短い。
それが、戦場で戦略兵器として利用されてきたフィンチ族の宿命なのでしょう。
これはミナト少佐には黙っておきました。
困惑させてしまうだろうし、彼が罪の意識に苛まれてしまうかもしれません。
私が役に立つ度に、申し訳なさそうながらも褒めてくれるあの人の表情が翳るのを、決して見たくないんです。
もう幾つ目の世界線かもわからない、ある日の事です。
ミナト少佐は私を抱き締めると、敵対勢力から奪取した装備――九つの『念動力操作式ブーメラン』を体の周囲に展開しました。
高速で回転して空中を飛び回り、円形刃に見えるようになったくの字の殺戮兵器。人を上手に殺す為に製造された異世界の武器です。
敵からの追撃部隊は西に行ったはずでした。
それは間違いありません。
なのに、いつの間にか追い付かれてしまいました。
前回は西に逃げて追い付かれ死に戻りしたので、今度は逃走経路を東のルートに変更したんですが……。
これは、こちらの情報が筒抜けになっているのかもしれないです。
どこかに発信機でも付けられているんでしょうか……?
「スバル……?」
遠くに見える敵部隊の中に、見知った顔を見つけて私は呟きました。
ああ……。
考えてみれば、当たり前の話なんでしょう。
軍隊に人を売ってお金儲けをするような人達にとってはどちらかが勝利して終戦しては面白くないんです。生業を失ってしまうんですから。
だからどちらにもフィンチ族を売りつけて両軍の均衡を保とうとするのはごく自然な成り行きだったんでしょう。
死後の世界。
ここは本来天国なんでしょうか?
それとも地獄なんでしょうか?
ううん、そんな問いかけに意味なんてありません。
人間という生き物そのものが地獄である以上、人が存在するならそこはもう……。
南極の氷のようになってしまった凍える心で、私は想像される残酷な未来を呪いました。
なぜならこれから始まるのは、かつて親交を温めた幼馴染と繰り広げられる血みどろの死に戻り合戦です。
それは命の削り合いであり……逃走劇で、また追走劇でもあります。
「すまないカナリア……おれは君を……!」
ミナト少佐が悲痛な声を絞り出します。
奪取できた敵勢力の新兵器は一つだけでした。
合計五つありましたが、それで精一杯だったんです。
いくらミナト少佐が軍学校を首席で卒業しているエリートだと言っても、多勢に無勢ではどうにもならないようでした。
時代を変えるような新兵器の数々。
右腕に装着する突撃力強化型の『腕部拡張波動式グローブ』。
脚部に装着する機動力強化型の『全地盤対応推力式ボード』。
頭部に装着する魔力可視化型の『短期未来観測式ゴーグル』。
有翼族専用の『魔力拡散加工式シールドウイング』。
これらを使い熟す実力者達の強襲が、災厄のように容赦なく私達に降りかかります。
「約束したのに……君を殺すなんてこと、俺には出来ない……!」
ミナト少佐が抱き締めてくれたのも、殺せないと言ってくれたのも、これが初めてのことでした。
昨日の晩御飯に軽い手料理を作ってあげてみたのですが、それで胃袋を掴んでしまったのかもしれません。
えへへと、死に慣れてしまったのかこんな窮地なのに私は嬉しくてつい表情が綻んでしまいます。
私の存在に気が付いたスバルの悲鳴が遠くから聞こえました。
でも大丈夫です。
死に戻りをするのは私なので、スバルはこのことを覚えていないでしょう。
私が一方的に知っているだけになるんです。
私はもうすぐ死にます。
でも次の世界線では、もうこれまでのようにミナト少佐と親睦を深めようとは思わないでしょう。
だってそんなことをしたら、まるで浮気みたいな気がするから。
死に戻りは死なない力などではありません。
どれほど苦境に立たされようと終われない、死という安寧に身を委ねて楽になれる権利の剥奪です。答えの否定であり、結末の没収なんです。
この世界はもうすぐ消滅するでしょう。
だから私は、誰に向けているかもわからないお祈りをします。
神様に、世界に……誰かに。
こんな世界があったんだってことを。
どうか、覚えていて下さい。